あれからみちるはなるべく自分の部屋から出ない日々を送った。
出ないといっても時々、部屋に面している庭で園芸をしているので、つまらなくはなかった。
それに強くあろうとしていても陰口を耳にすれば多少は傷つく。
だからこうして自分の方から壁をつくれば問題は起きない。
そんなみちるは今日も庭に出て花壇に生えている雑草を抜いていた。
草むしりなんて本当は花嫁がする仕事ではないのだろうけれどこれは自分で始めたこと。
使用人に任せるわけにはいかないし何よりこの花壇に愛着が湧いていて花々の成長が唯一の楽しみだった。
(花の種や園芸用の道具は庭師の方から借りられたから良かったわ。お話した様子だと嫌われているようではなかったし)
本音は分からないけれどやはり極端にみちるを嫌っているのはお世話係の二人だ。
それなら簡単だ。
なるべく彼女たちを刺激しないよう大人しくすれば良いだけ。
気を取り直して作業を再開しているとふと近くにすっと影が過る。
「あら、また来たの?」
可愛らしい鳴き声もしたかと思えば花壇のふちに敷かれている煉瓦に小鳥が止まった。
ふわふわとした黒と白の毛とつぶらな赤い瞳が特徴的な小鳥。
こうして園芸をしていると必ずといっていいほど庭にやって来る。
餌などあげたことがないけれど不思議とみちるに懐いているのだ。
そしてきょろきょろと辺りを見渡すと美しく咲き誇る花に何やら興味を示している。
「このお花が欲しいの?」
「ぴっ!」
なぜかこの小鳥は花壇に来るたびに花が欲しいとねだる。
気のせいかもしれないがまるで返事をするかのように鳴き声をあげるので摘み取った花を分けてあげているのだ。
何とも微笑ましい気持ちになって今日も何種類か摘み取ると小鳥の足元に置く。
そして小鳥はくちばしで咥えると羽を広げてどこかへ飛んでいった。
もう見慣れた風景なので逆にないと不安になりそうだ。
そしてみちるは小さく微笑むと秘めている寂しさを誤魔化すように花壇へと意識を集中させたのだった。
◆
そしてみちるは孤独を抱えたまま七年という長い時を過ごし、ついに儀式を執り行う日を迎えた。
十九歳で嫁いだので現在は二十六歳。
子供はまだか孫が見たいと両親から定期的に手紙が届くが放置されているとは言えるわけがない。
他のあやかしの男の元へ嫁いだほとんどの娘は妊娠や出産をしているので痺れを切らしているのだろう。
だがこの七年間、夫である灯璃に会っていないのだ、子供を作れるわけがない。
もしかしたら屋敷内を歩いていたら一瞬でも彼の姿を見られるかもしれないと最初は思っていた。
しかしよほど会わないように徹底していたのか姿どころかいる気配も感じなかった。
女性の使用人たちは頻度が多いわけではないが彼に会っているようで皐と明日香からは遠回しに自慢をされていた。
「あら、みちるさまはまだ灯璃さまと会えていらっしゃらないのですか?」
「愛のない政略結婚ですもの。ああ、もしかしたら側室を置かれるかもしれませんね。でもそれはみちるさまも初めから覚悟なされているでしょう? 子供を産むなら鬼の一族であるわたくしたちも可能性はあるかもしれませんね」
「ふふっ。その時は申し訳ありません、みちるさま」
みちるは何も言い返さなかった。
だって二人が正しいから。
役目は愛されることではない、灯璃の願いを叶えること。
そのために嫁いできたのだから幸せを夢見ることに意味はない。
「みちるさま、どうかなさいましたか?」
化粧が終わり、鏡の前で今までの出来事を思い出していると、最終確認をしに来た使用人頭の恵理子から声がかかる。
今日は願いが叶うめでたい日。
ここで暗い顔をすれば変に勘ぐられるので慌てて口角を上げた。
「いえ、何でもありません」
「左様ですか。でしたらよろしいのです。間もなく時間ですのでご移動をお願い致します」
「はい」
いよいよ始まる。
灯璃は一体何を願うのだろう。
この世界のこと?
誰かのため?
自分自身のこと?
少しだけ考え始めたところでみちるは首を左右に振った。
会ったこともない人の考えなんて分かるはずがない。
もう深く考えるのはやめておこう。
どんな願いであれ今は儀式に集中しなければ。
そうして先を歩く恵理子のあとを追うのだった。
◆
「こちらで儀式を執り行います」
案内されたのは屋敷の一番奥にある大広間だった。
特に物が置かれているわけでもなく一つの御簾があるのみ。
「あちらにおられるのが灯璃さまでございます」
(あの奥に旦那さまが……)
襖が開かれ、室内に通された瞬間に辺りの空気が変わった気がした。
鬼たちの頂点に立つ彼がいるからだろうか。
霊力が放たれているためか肌がびりびりとして身体の力が抜けるような感覚がする。
緊張も合わさっているのかもしれない、ともう一度自分を奮い立たせる。
そして御簾の前に置かれている座布団にゆっくりと座った。
「では、みちるさま。よろしくお願い致します」
「はい」
付き添ってくれた恵理子に会釈をすると襖付近にお世話係の二人も待機しているのが分かった。
まるで失敗しろと祈っているようなにやついた笑みにぞくりと背筋が凍る。
(……大丈夫よ、星渡みちる。今までたくさん努力を重ねてきたじゃない。自分を信じて必ず成功させてみせる)
顔を覗かせる不安を落ち着かせるように深呼吸をして前を見据える。
巫女装束姿のみちるは両手で輝夜の一族に伝わる三日月の形をした月影石を握りしめた。
この石に想いと霊力を込めれば灯璃の願いは叶えられるのだ。
「ただいまより儀式を執り行わせていただきます。颯真灯璃さま、貴方の願いをお聞かせください」
彼はどんな声なのだろう、どんな反応を示すだろう。
冷静に振る舞っていたつもりだったが完全に押し込むのは不可能だったようでどくんと心臓が高鳴った。
そしてみちるが問いかけて僅かな間が空いたあとのことだった。
「俺に宿る人間の生気を奪う力を消し去ってほしい」
低く綺麗な声だった。
願いの内容に驚きを隠せなかったけれど余計な考えは振り払って月影石へと意識を集中させる。
そして祝詞を口にした。
「月影石、輝夜の姫君の名のもと汝の願いを叶えよ」
するとまばゆい光が放たれ、その一筋が御簾の奥へと伸びた。
まだ気を緩めることは出来ないので胸の前で両手で月影石を包み、祈り続ける。
やがて光が止むとそっと手を降ろした。
「以上で儀式を終了致します」
一連の流れに問題はなかったのでおそらくもう彼の願いは叶っているはずだ。
人間の生気を奪うあやかしが存在するなんて聞いたことがない。
二つの種族は昔から争わずお互いに歩み寄り平和を築いていた。
もしそんな力が公になれば国を揺るがす大問題である。
(もしかして旦那さまはその力からわたしを守るために……?)
そこでようやく七年間も放置されてきた理由が分かったような気がして胸が切なくなった。
「今から俺はこの御簾から出る。少しでも体調に異変が出たらここから逃げろ」
「は、はい」
その言葉に彼なりの優しさが垣間見えたような気がした。
ついに彼に会える、と思うと鼓動が早くなってそっと胸を抑える。
そして御簾から姿を現したのは神秘的で美しい男だった。
◆
(なんて麗しい御方なの)
肩上まで伸びた艶やかな黒髪に宝石のような真紅の瞳。
透き通る白い肌にすらりとした長身は人気の舞台役者を越えるほどの美丈夫だった。
「君、どこかおかしいところはあるか? 気持ち悪くなったり頭が痛くなったり……」
灯璃の美しさに釘付けになっていたみちるは、彼の問いかけにはっと我に返る。
左右に首を振りながら慌てて答えた。
「い、いえ!何ともありません。とても元気です」
「そうか……。本当に力が消滅したのだな……」
灯璃はその奇跡をかみしめるように自分の手のひらをじっと見つめる。
そして視線をみちるへと移すとゆっくりと近づいて座った。
かと思えば灯璃は額を畳につけた。
「だ、旦那さま……!? 一体何をなされているのですか! どうか顔をお上げください!」
まさか当主である彼が土下座をするとは思ってもおらずひゅっと息を吸い込んだ。
後ろで控えている使用人たちもざわついているのが見なくても分かった。
しかし必死に説得しても灯璃は頑なに顔を上げようとはしなかった。
「君のことを七年も一人にさせてしまった。俺の願いを叶えるために嫁いできたというのに。大切に出来なかった」
「でもそれには理由があったんですよね? 人間の生気を奪ってしまうという……」
おそらく、この部屋に入ってきたときに身体の力が抜けたのは彼の力の影響だろう。
御簾をあってしても同じ空間にいれば生気は確実に奪われてしまうのだと大体は理解した。
そこでようやく顔を上げた灯璃は頷くと口を開きすべてを語り始めた。
「鬼は他のあやかしより格段に霊力が高い。しかし俺は膨大な霊力があるゆえにその呪われた力が生まれたときから宿っていた。可能なかぎり人との関わりを断ってきたが俺は颯真家の当主、輝夜の娘と結婚をしなくてはならない」
そこで痛感した。
灯璃はみちるよりもずっとずっと悲しい思いをして孤独に生きていたのだと。
七年どころではない、何十年も。
「この秘密を知っているのは一部の者だけ。噂が広まってしまえば君にも被害が及ぶと思って今日まで明かすことが出来なかった。本当にすまない」
目を伏せて俯く彼に湧いてきたのは怒りではなく穏やかな愛しさだった。
「謝らないでください、旦那さま。お気持ちを聞かせてくださってありがとうございます。旦那さまはわたしを傷つけないように七年間、守ってくださったんですよね。それだけでわたしは嬉しくて幸せです」
「みちるさん……。ありがとう、本当にありがとう。こんな俺だが君が嫌ではなければ夫婦として共に生きてくれるか?」
「もちろんです。輝夜の娘としては役目は終わりましたがこんなわたしで良ければこれからは妻として旦那さまをお支え致します」
そっと灯璃はみちるの細く小さな手に自らの手を重ねた。
じんわりと温かい体温が伝わり緊張が解け気持ちが安らいでいく。
二人が見つめ合っている後ろでみちるを嫌っていた皐と明日香は悔しそうに唇を噛んでいたのだった。
◆
儀式から数日後、みちるのお世話係を担当していた皐と明日香は颯真家の屋敷から去っていった。
どうやら自由に外や屋敷内を歩けるようになった灯璃にみちるを虐める策略を立てていたところを見つかったようだ。
問いただしてみるやいなや過去に彼女を貶すような発言をしたことを認めたらしい。
証拠はないのにあっさり吐き出すなんてよほど彼の圧に負けたのだろう。
もうみちるは戸籍上は颯真家の人間だがまだ妻としては新米。
すべての決定権は当主である灯璃なのであまり口出しはしたくない。
それを直接伝えたら遠慮するなと怒られそうだけど勉強している身分で中途半端な意見は言いたくなかった。
もし反対して彼女たちをここに留めていたら何をされるか分からないし危害を加えられる前に離れていった方が良かったのかもしれない。
「これからは灯璃さまが傍にいてくれるしきっと大丈夫よね」
「ぴいっ!」
「ふふっ。もちろん花向も頼りにしてるわ」
みちるの肩に止まっていた小鳥はまるで自分もいることを主張しているかのように翼を広げた。
(まさかこの子が灯璃さまの使役獣だったなんて)
庭で園芸をしていたときによく来ていたこの小鳥は野生ではなく灯璃が作り出した、霊力が込められた特別な獣らしい。
まだ名前がついていなかったので灯璃に許可をもらい、『花向』と名付けた。
どうやら花と日なたぼっこが好きらしく二つの文字をとったのが由来。
本人も気に入ったようで嬉しそうにぐるぐると空を飛び回っていた。
ここ数日は儀式の準備で忙しくしていたので可愛らしい姿は癒しになる。
久しぶりの晴れやかな気持ちにみちるは澄み渡る青空を見上げた。
今日はこれから仕事終わりの灯璃と合流して買い物に行く予定だ。
七年間、外出をしなかったわけではないがほとんどを屋敷内で過ごしていたため、灯璃が提案してくれたのだ。
「わたし、殿方とこうして出掛けるなんて初めて。何だか緊張しちゃうわ」
「ぴい、ぴい!」
花向は緊張を解そうとしているのか着物姿のみちるの周りを飛び始める。
あの美貌をもつ灯璃の隣に立つのだ。
恥をかかせないようにみちるも精一杯の化粧とお洒落をしてきた。
「ありがとう、花向。元気が出たわ」
礼を言うと花向は近くの建物の屋根へと飛んで行く。
するとそこにはふわふわで真っ白な毛が特徴の小鳥が止まっており、花向はその子の隣に並んだ。
「もしかして今からデートかしら? 楽しんできてね」
みちるが屋根下から声をかけると二匹は返事をして高く空へと舞い上がっていった。
その穏やかな光景に笑みがこぼれる。
そして視線を前へと戻すと灯璃との待ち合わせ場所へと向かうのだった。
◆
「旦那さま! お待たせして申し訳ありません!」
約束の時間よりも随分と早く到着したと思ったらすでに灯璃が待っていた。
ぎょっとして慌てて駆け寄ると彼は優しく微笑む。
「俺も今、来たところだ。それにまだ約束の時間ではないから気にするな」
「は、はい。ありがとうございます」
呼吸を整えながら乱れた髪を直しているとふと影が落ちた。
不思議に思って顔を上げるとすぐ近くに灯璃の端整な顔立ちがあった。
彼の赤い瞳に驚きのあまり目を丸くしているみちるが映る。
もう一歩前へ踏み出したら唇同士が触れてしまいそうで心臓が飛び跳ねた。
咄嗟に後ろへと下がるとかかとに小石が当たり、ぐらりと倒れそうになる。
「わっ……!」
地面に身体を打ちつける直前、それを止めたのは灯璃だった。
太くたくましい片腕がみちるの背中に回り、右手は白く小さな手を包んでいる。
「ありがとうございます、旦那さま」
「驚かせてしまったようだな。すまない、君がとても綺麗だったからそれを伝えようとして……。距離感を間違えてしまった」
「へっ!? そ、そんなことないですよ」
熱烈な言葉に熱が頬に一気に集中し首を左右に振りながら否定する。
「謙遜するな。本当に俺はこんなにも美しい人を見たことがない。もしかして着飾っているのは俺のためだとうぬぼれて良いのだろうか」
「は、はい……。旦那さまのために頑張ってお洒落しました」
頬を林檎のように染めながら小さく頷くみちるを灯璃は愛おしそうに見つめた。
「ありがとう、とても嬉しい。こんな気持ちは初めてだ」
この格好が変だったらどうしようと不安だったが喜んでもらえたようでほっと胸をなで下ろす。
体勢を立て直すと人々が賑わう方向へと視線を向ける。
「それではさっそく行こうか。みちるさんはあまり街を訪れたことがないのだろう? 気になる店があれば言ってくれ」
「はい、とっても楽しみです」
そしてみちるは灯璃にエスコートされながら街へと繰り出したのだった。
◆
あれから百貨店、呉服店などに行った二人は休憩するために街で一番人気の甘味屋を訪れていた。
上品な雰囲気が漂う外観と内装で外にも席がある店。
時間帯もあってか客も少なく、落ち着いていて静かだ。
せっかくの良い天気なので二人は外の席で並んで座って団子とあんみつを食べていた。
花をはじめとした好きなものの話に星渡の家のこと、そして颯真家での七年間のこと、多くのことを語り合った。
甘味を食べ終えた二人はお茶を片手にこれからの話をしていた。
買い物のことではなく歩んでいく未来についてである。
「君さえ良ければ準備が整い次第、結婚式を挙げないか?」
「えっ……? 旦那さまはよろしいのですか?」
壁をつくっていた灯璃からまさか提案されるとは思っていなかったので軽く動揺してしまう。
両親が元気なうちに白無垢姿を見せたかったので式を挙げられるのは素直に嬉しい。
だがそれと同時に大勢の人との交流を好まない彼が無理をしていないか心配になる。
そんな灯璃はみちるの憂いに気づいたようで拭うように微笑みかけた。
「俺なら大丈夫だ。今はもうあの力はないからな、堂々と皆と向き合える」
この言葉に嘘偽りなど微塵も感じず、心の底から結婚式を挙げたいという望みが伝わった。
赤い瞳を細め、柔らかく笑う彼は間違いなく世界で一番美しい。
気持ちに答えるようにみちるはしっかりと頷いた。
「わたしも旦那さまとの結婚式を挙げたいです」
「良かった。断られてしまったらどうしようかと……」
「そんなこと絶対しません……!その、いつか叶えられたらいいなって本当はずっと思っていましたから」
少し視線を下げながら頬をほんのりと赤く染めるみちるを灯璃は愛おしそうに見つめた。
「寂しい思いをさせてしまった分、人生で一番の特別な日にさせると約束する。……いや、結婚式だけではなくこれから先の未来も。必ず君を幸せにしてみせる」
「ありがとうございます、旦那さま。どんな道のりも一緒に歩んでいきましょうね」
嫁いでから七年の時が過ぎ、初めて二人は誓い合う。
まるで新たな門出を祝福するかのように陽射しがみちると灯璃を照らし、大地に芽生える花々はそよ風によって穏やかに揺れたのだった。
出ないといっても時々、部屋に面している庭で園芸をしているので、つまらなくはなかった。
それに強くあろうとしていても陰口を耳にすれば多少は傷つく。
だからこうして自分の方から壁をつくれば問題は起きない。
そんなみちるは今日も庭に出て花壇に生えている雑草を抜いていた。
草むしりなんて本当は花嫁がする仕事ではないのだろうけれどこれは自分で始めたこと。
使用人に任せるわけにはいかないし何よりこの花壇に愛着が湧いていて花々の成長が唯一の楽しみだった。
(花の種や園芸用の道具は庭師の方から借りられたから良かったわ。お話した様子だと嫌われているようではなかったし)
本音は分からないけれどやはり極端にみちるを嫌っているのはお世話係の二人だ。
それなら簡単だ。
なるべく彼女たちを刺激しないよう大人しくすれば良いだけ。
気を取り直して作業を再開しているとふと近くにすっと影が過る。
「あら、また来たの?」
可愛らしい鳴き声もしたかと思えば花壇のふちに敷かれている煉瓦に小鳥が止まった。
ふわふわとした黒と白の毛とつぶらな赤い瞳が特徴的な小鳥。
こうして園芸をしていると必ずといっていいほど庭にやって来る。
餌などあげたことがないけれど不思議とみちるに懐いているのだ。
そしてきょろきょろと辺りを見渡すと美しく咲き誇る花に何やら興味を示している。
「このお花が欲しいの?」
「ぴっ!」
なぜかこの小鳥は花壇に来るたびに花が欲しいとねだる。
気のせいかもしれないがまるで返事をするかのように鳴き声をあげるので摘み取った花を分けてあげているのだ。
何とも微笑ましい気持ちになって今日も何種類か摘み取ると小鳥の足元に置く。
そして小鳥はくちばしで咥えると羽を広げてどこかへ飛んでいった。
もう見慣れた風景なので逆にないと不安になりそうだ。
そしてみちるは小さく微笑むと秘めている寂しさを誤魔化すように花壇へと意識を集中させたのだった。
◆
そしてみちるは孤独を抱えたまま七年という長い時を過ごし、ついに儀式を執り行う日を迎えた。
十九歳で嫁いだので現在は二十六歳。
子供はまだか孫が見たいと両親から定期的に手紙が届くが放置されているとは言えるわけがない。
他のあやかしの男の元へ嫁いだほとんどの娘は妊娠や出産をしているので痺れを切らしているのだろう。
だがこの七年間、夫である灯璃に会っていないのだ、子供を作れるわけがない。
もしかしたら屋敷内を歩いていたら一瞬でも彼の姿を見られるかもしれないと最初は思っていた。
しかしよほど会わないように徹底していたのか姿どころかいる気配も感じなかった。
女性の使用人たちは頻度が多いわけではないが彼に会っているようで皐と明日香からは遠回しに自慢をされていた。
「あら、みちるさまはまだ灯璃さまと会えていらっしゃらないのですか?」
「愛のない政略結婚ですもの。ああ、もしかしたら側室を置かれるかもしれませんね。でもそれはみちるさまも初めから覚悟なされているでしょう? 子供を産むなら鬼の一族であるわたくしたちも可能性はあるかもしれませんね」
「ふふっ。その時は申し訳ありません、みちるさま」
みちるは何も言い返さなかった。
だって二人が正しいから。
役目は愛されることではない、灯璃の願いを叶えること。
そのために嫁いできたのだから幸せを夢見ることに意味はない。
「みちるさま、どうかなさいましたか?」
化粧が終わり、鏡の前で今までの出来事を思い出していると、最終確認をしに来た使用人頭の恵理子から声がかかる。
今日は願いが叶うめでたい日。
ここで暗い顔をすれば変に勘ぐられるので慌てて口角を上げた。
「いえ、何でもありません」
「左様ですか。でしたらよろしいのです。間もなく時間ですのでご移動をお願い致します」
「はい」
いよいよ始まる。
灯璃は一体何を願うのだろう。
この世界のこと?
誰かのため?
自分自身のこと?
少しだけ考え始めたところでみちるは首を左右に振った。
会ったこともない人の考えなんて分かるはずがない。
もう深く考えるのはやめておこう。
どんな願いであれ今は儀式に集中しなければ。
そうして先を歩く恵理子のあとを追うのだった。
◆
「こちらで儀式を執り行います」
案内されたのは屋敷の一番奥にある大広間だった。
特に物が置かれているわけでもなく一つの御簾があるのみ。
「あちらにおられるのが灯璃さまでございます」
(あの奥に旦那さまが……)
襖が開かれ、室内に通された瞬間に辺りの空気が変わった気がした。
鬼たちの頂点に立つ彼がいるからだろうか。
霊力が放たれているためか肌がびりびりとして身体の力が抜けるような感覚がする。
緊張も合わさっているのかもしれない、ともう一度自分を奮い立たせる。
そして御簾の前に置かれている座布団にゆっくりと座った。
「では、みちるさま。よろしくお願い致します」
「はい」
付き添ってくれた恵理子に会釈をすると襖付近にお世話係の二人も待機しているのが分かった。
まるで失敗しろと祈っているようなにやついた笑みにぞくりと背筋が凍る。
(……大丈夫よ、星渡みちる。今までたくさん努力を重ねてきたじゃない。自分を信じて必ず成功させてみせる)
顔を覗かせる不安を落ち着かせるように深呼吸をして前を見据える。
巫女装束姿のみちるは両手で輝夜の一族に伝わる三日月の形をした月影石を握りしめた。
この石に想いと霊力を込めれば灯璃の願いは叶えられるのだ。
「ただいまより儀式を執り行わせていただきます。颯真灯璃さま、貴方の願いをお聞かせください」
彼はどんな声なのだろう、どんな反応を示すだろう。
冷静に振る舞っていたつもりだったが完全に押し込むのは不可能だったようでどくんと心臓が高鳴った。
そしてみちるが問いかけて僅かな間が空いたあとのことだった。
「俺に宿る人間の生気を奪う力を消し去ってほしい」
低く綺麗な声だった。
願いの内容に驚きを隠せなかったけれど余計な考えは振り払って月影石へと意識を集中させる。
そして祝詞を口にした。
「月影石、輝夜の姫君の名のもと汝の願いを叶えよ」
するとまばゆい光が放たれ、その一筋が御簾の奥へと伸びた。
まだ気を緩めることは出来ないので胸の前で両手で月影石を包み、祈り続ける。
やがて光が止むとそっと手を降ろした。
「以上で儀式を終了致します」
一連の流れに問題はなかったのでおそらくもう彼の願いは叶っているはずだ。
人間の生気を奪うあやかしが存在するなんて聞いたことがない。
二つの種族は昔から争わずお互いに歩み寄り平和を築いていた。
もしそんな力が公になれば国を揺るがす大問題である。
(もしかして旦那さまはその力からわたしを守るために……?)
そこでようやく七年間も放置されてきた理由が分かったような気がして胸が切なくなった。
「今から俺はこの御簾から出る。少しでも体調に異変が出たらここから逃げろ」
「は、はい」
その言葉に彼なりの優しさが垣間見えたような気がした。
ついに彼に会える、と思うと鼓動が早くなってそっと胸を抑える。
そして御簾から姿を現したのは神秘的で美しい男だった。
◆
(なんて麗しい御方なの)
肩上まで伸びた艶やかな黒髪に宝石のような真紅の瞳。
透き通る白い肌にすらりとした長身は人気の舞台役者を越えるほどの美丈夫だった。
「君、どこかおかしいところはあるか? 気持ち悪くなったり頭が痛くなったり……」
灯璃の美しさに釘付けになっていたみちるは、彼の問いかけにはっと我に返る。
左右に首を振りながら慌てて答えた。
「い、いえ!何ともありません。とても元気です」
「そうか……。本当に力が消滅したのだな……」
灯璃はその奇跡をかみしめるように自分の手のひらをじっと見つめる。
そして視線をみちるへと移すとゆっくりと近づいて座った。
かと思えば灯璃は額を畳につけた。
「だ、旦那さま……!? 一体何をなされているのですか! どうか顔をお上げください!」
まさか当主である彼が土下座をするとは思ってもおらずひゅっと息を吸い込んだ。
後ろで控えている使用人たちもざわついているのが見なくても分かった。
しかし必死に説得しても灯璃は頑なに顔を上げようとはしなかった。
「君のことを七年も一人にさせてしまった。俺の願いを叶えるために嫁いできたというのに。大切に出来なかった」
「でもそれには理由があったんですよね? 人間の生気を奪ってしまうという……」
おそらく、この部屋に入ってきたときに身体の力が抜けたのは彼の力の影響だろう。
御簾をあってしても同じ空間にいれば生気は確実に奪われてしまうのだと大体は理解した。
そこでようやく顔を上げた灯璃は頷くと口を開きすべてを語り始めた。
「鬼は他のあやかしより格段に霊力が高い。しかし俺は膨大な霊力があるゆえにその呪われた力が生まれたときから宿っていた。可能なかぎり人との関わりを断ってきたが俺は颯真家の当主、輝夜の娘と結婚をしなくてはならない」
そこで痛感した。
灯璃はみちるよりもずっとずっと悲しい思いをして孤独に生きていたのだと。
七年どころではない、何十年も。
「この秘密を知っているのは一部の者だけ。噂が広まってしまえば君にも被害が及ぶと思って今日まで明かすことが出来なかった。本当にすまない」
目を伏せて俯く彼に湧いてきたのは怒りではなく穏やかな愛しさだった。
「謝らないでください、旦那さま。お気持ちを聞かせてくださってありがとうございます。旦那さまはわたしを傷つけないように七年間、守ってくださったんですよね。それだけでわたしは嬉しくて幸せです」
「みちるさん……。ありがとう、本当にありがとう。こんな俺だが君が嫌ではなければ夫婦として共に生きてくれるか?」
「もちろんです。輝夜の娘としては役目は終わりましたがこんなわたしで良ければこれからは妻として旦那さまをお支え致します」
そっと灯璃はみちるの細く小さな手に自らの手を重ねた。
じんわりと温かい体温が伝わり緊張が解け気持ちが安らいでいく。
二人が見つめ合っている後ろでみちるを嫌っていた皐と明日香は悔しそうに唇を噛んでいたのだった。
◆
儀式から数日後、みちるのお世話係を担当していた皐と明日香は颯真家の屋敷から去っていった。
どうやら自由に外や屋敷内を歩けるようになった灯璃にみちるを虐める策略を立てていたところを見つかったようだ。
問いただしてみるやいなや過去に彼女を貶すような発言をしたことを認めたらしい。
証拠はないのにあっさり吐き出すなんてよほど彼の圧に負けたのだろう。
もうみちるは戸籍上は颯真家の人間だがまだ妻としては新米。
すべての決定権は当主である灯璃なのであまり口出しはしたくない。
それを直接伝えたら遠慮するなと怒られそうだけど勉強している身分で中途半端な意見は言いたくなかった。
もし反対して彼女たちをここに留めていたら何をされるか分からないし危害を加えられる前に離れていった方が良かったのかもしれない。
「これからは灯璃さまが傍にいてくれるしきっと大丈夫よね」
「ぴいっ!」
「ふふっ。もちろん花向も頼りにしてるわ」
みちるの肩に止まっていた小鳥はまるで自分もいることを主張しているかのように翼を広げた。
(まさかこの子が灯璃さまの使役獣だったなんて)
庭で園芸をしていたときによく来ていたこの小鳥は野生ではなく灯璃が作り出した、霊力が込められた特別な獣らしい。
まだ名前がついていなかったので灯璃に許可をもらい、『花向』と名付けた。
どうやら花と日なたぼっこが好きらしく二つの文字をとったのが由来。
本人も気に入ったようで嬉しそうにぐるぐると空を飛び回っていた。
ここ数日は儀式の準備で忙しくしていたので可愛らしい姿は癒しになる。
久しぶりの晴れやかな気持ちにみちるは澄み渡る青空を見上げた。
今日はこれから仕事終わりの灯璃と合流して買い物に行く予定だ。
七年間、外出をしなかったわけではないがほとんどを屋敷内で過ごしていたため、灯璃が提案してくれたのだ。
「わたし、殿方とこうして出掛けるなんて初めて。何だか緊張しちゃうわ」
「ぴい、ぴい!」
花向は緊張を解そうとしているのか着物姿のみちるの周りを飛び始める。
あの美貌をもつ灯璃の隣に立つのだ。
恥をかかせないようにみちるも精一杯の化粧とお洒落をしてきた。
「ありがとう、花向。元気が出たわ」
礼を言うと花向は近くの建物の屋根へと飛んで行く。
するとそこにはふわふわで真っ白な毛が特徴の小鳥が止まっており、花向はその子の隣に並んだ。
「もしかして今からデートかしら? 楽しんできてね」
みちるが屋根下から声をかけると二匹は返事をして高く空へと舞い上がっていった。
その穏やかな光景に笑みがこぼれる。
そして視線を前へと戻すと灯璃との待ち合わせ場所へと向かうのだった。
◆
「旦那さま! お待たせして申し訳ありません!」
約束の時間よりも随分と早く到着したと思ったらすでに灯璃が待っていた。
ぎょっとして慌てて駆け寄ると彼は優しく微笑む。
「俺も今、来たところだ。それにまだ約束の時間ではないから気にするな」
「は、はい。ありがとうございます」
呼吸を整えながら乱れた髪を直しているとふと影が落ちた。
不思議に思って顔を上げるとすぐ近くに灯璃の端整な顔立ちがあった。
彼の赤い瞳に驚きのあまり目を丸くしているみちるが映る。
もう一歩前へ踏み出したら唇同士が触れてしまいそうで心臓が飛び跳ねた。
咄嗟に後ろへと下がるとかかとに小石が当たり、ぐらりと倒れそうになる。
「わっ……!」
地面に身体を打ちつける直前、それを止めたのは灯璃だった。
太くたくましい片腕がみちるの背中に回り、右手は白く小さな手を包んでいる。
「ありがとうございます、旦那さま」
「驚かせてしまったようだな。すまない、君がとても綺麗だったからそれを伝えようとして……。距離感を間違えてしまった」
「へっ!? そ、そんなことないですよ」
熱烈な言葉に熱が頬に一気に集中し首を左右に振りながら否定する。
「謙遜するな。本当に俺はこんなにも美しい人を見たことがない。もしかして着飾っているのは俺のためだとうぬぼれて良いのだろうか」
「は、はい……。旦那さまのために頑張ってお洒落しました」
頬を林檎のように染めながら小さく頷くみちるを灯璃は愛おしそうに見つめた。
「ありがとう、とても嬉しい。こんな気持ちは初めてだ」
この格好が変だったらどうしようと不安だったが喜んでもらえたようでほっと胸をなで下ろす。
体勢を立て直すと人々が賑わう方向へと視線を向ける。
「それではさっそく行こうか。みちるさんはあまり街を訪れたことがないのだろう? 気になる店があれば言ってくれ」
「はい、とっても楽しみです」
そしてみちるは灯璃にエスコートされながら街へと繰り出したのだった。
◆
あれから百貨店、呉服店などに行った二人は休憩するために街で一番人気の甘味屋を訪れていた。
上品な雰囲気が漂う外観と内装で外にも席がある店。
時間帯もあってか客も少なく、落ち着いていて静かだ。
せっかくの良い天気なので二人は外の席で並んで座って団子とあんみつを食べていた。
花をはじめとした好きなものの話に星渡の家のこと、そして颯真家での七年間のこと、多くのことを語り合った。
甘味を食べ終えた二人はお茶を片手にこれからの話をしていた。
買い物のことではなく歩んでいく未来についてである。
「君さえ良ければ準備が整い次第、結婚式を挙げないか?」
「えっ……? 旦那さまはよろしいのですか?」
壁をつくっていた灯璃からまさか提案されるとは思っていなかったので軽く動揺してしまう。
両親が元気なうちに白無垢姿を見せたかったので式を挙げられるのは素直に嬉しい。
だがそれと同時に大勢の人との交流を好まない彼が無理をしていないか心配になる。
そんな灯璃はみちるの憂いに気づいたようで拭うように微笑みかけた。
「俺なら大丈夫だ。今はもうあの力はないからな、堂々と皆と向き合える」
この言葉に嘘偽りなど微塵も感じず、心の底から結婚式を挙げたいという望みが伝わった。
赤い瞳を細め、柔らかく笑う彼は間違いなく世界で一番美しい。
気持ちに答えるようにみちるはしっかりと頷いた。
「わたしも旦那さまとの結婚式を挙げたいです」
「良かった。断られてしまったらどうしようかと……」
「そんなこと絶対しません……!その、いつか叶えられたらいいなって本当はずっと思っていましたから」
少し視線を下げながら頬をほんのりと赤く染めるみちるを灯璃は愛おしそうに見つめた。
「寂しい思いをさせてしまった分、人生で一番の特別な日にさせると約束する。……いや、結婚式だけではなくこれから先の未来も。必ず君を幸せにしてみせる」
「ありがとうございます、旦那さま。どんな道のりも一緒に歩んでいきましょうね」
嫁いでから七年の時が過ぎ、初めて二人は誓い合う。
まるで新たな門出を祝福するかのように陽射しがみちると灯璃を照らし、大地に芽生える花々はそよ風によって穏やかに揺れたのだった。



