寒さが厳しい冬を越え、生命が芽吹く季節となった。
無事に女学校を卒業したみちるはついに颯真家に嫁ぐ日を迎えた。
雲一つない青空の下、星渡家が所有する自動車に乗り、屋敷へと向かう。
(わたしの旦那さまとなる御方──颯真灯璃さまの意向で結婚式は挙げないのよね。まあ、愛のない結婚だしそれは仕方ないかもしれないけれど……)
形式だけでも挙げる男女が多い中、何もないというのは極めて珍しい。
彼が求めているのは願いを叶える力だけということだろうか。
そういった男も当然ながら存在している。
しかし遠くの地から嫁いできた孤独な花嫁を心から愛してくれる者も少なからずいるのは事実。
贅沢は言わない。
少しだけでも興味を抱いてくれたら優しくしてくれたらみちるにとって充分だった。
しかし結婚式を挙げないという時点で察するべきだった。
灯璃が彼女を愛するつもりなど微塵もないことは。
◆
「ここが颯真家……」
一時間以上は自動車に乗っていたと思う。
窓から外を見れば星渡家の何倍もある屋敷が建っていた。
庭もとてつもない広さで降りて確認しても終わりが分からない。
代わりに荷物を持ってくれている運転手と敷地内へ進むと玄関に多くの使用人たちが立っていた。
「ようこそおいでくださいました、花嫁さま」
みちるが姿を現すとずらりと並ぶ女性たちは一斉に頭を下げる。
そして真ん中にいた白髪を綺麗に結った婦人が一歩、前に出た。
「わたくしが颯真家の使用人頭を務めております、風間恵理子と申します。ご用命があれば何なりとお申しつけくださいませ」
「ほ、星渡みちると申します。よろしくお願い致します」
「ではさっそくみちるさまのお部屋にご案内致します」
荷物が入った鞄を持ってくれていた運転手に礼を言い、屋敷へと入っていく。
しばらく長い板張りの廊下を進んでいくと使用人頭はとある襖の前で足を止めた。
「ここがみちるのお部屋でございます」
襖を開けると思わず目を瞠った。
視界に飛び込んできたのはここは居間ではないかと錯覚するほどの広さの和室。
中に入ると藺草の香りがふわっと鼻を抜ける。
置かれている文机も箪笥も一流で自分にはもったいないくらいだった。
「みちるさま、少しよろしいですか」
「は、はい」
豪華な部屋に呆気にとられていたみちるは声をかけられてびくりと肩を震わす。
背筋を伸ばして振り返ると使用人頭の他に二人の女性が後ろに控えていた。
「ご紹介致します。彼女たちはみちるさまのお世話係を務める、皐と明日香でございます」
「……誠心誠意お仕えさせていただきます。よろしくお願い致します」
皐と呼ばれた使用人が間を開けて挨拶をすると隣にいた明日香も続けて頭を下げた。
(あれ? 今……)
そこでみちるは違和感を覚える。
一瞬しか見えなかったけれど二人はこちらを睨んだように感じた。
でもそんなことをすれば使用人頭は注意をするはずだ。
ちらりと様子をうかがえば特に変わりはなかったのでみちるの気のせいだろう。
「そしてみちるさま、灯璃さまから伝言を預かっております」
「旦那さまから……?」
そういえば広大な屋敷に圧倒されて気づかなかったが灯璃と見られる男性を見かけていない。
あやかしの当主は忙しいと聞くし、まだこのお昼の時間帯では仕事をしているのかもしれない。
結婚式も挙げないほどだ。
よほどこちらに興味がないのだろう。
しかしこれから同じ屋根の下で共に暮らす伴侶の顔さえも見たくないのかと考えれば少しだけ寂しくなった。
「灯璃さまからのお言葉をそのままお伝え致します。──俺にも俺の部屋にも決して近づくな。他は自由にしてくれて構わない。欲しい物は使用人に言え。金はいくらでも出す、と」
心臓がどくんと鳴った。
これは完全なる拒絶だ。
仕事に行っているのかもしれないなどと甘え考えをしていた自分が愚かだ。
愛されないことの現実を突きつけられて想像してたよりも衝撃を受ける。
ここまでの扱いを受けるのならば逃げ出す娘もいるだろう。
しかしみちるは違った。
彼女はもう覚悟を決めている。
どんな酷い目にあってもここで務めを果たすと。
「そう、ですか……」
少し顔を出した憂いの感情を振り払うように軽く俯く。
そして深呼吸をするとぱっと顔を上げた。
「分かりました。わたしも皆さまにご迷惑をおかけしないように気をつけます。改めてこれからよろしくお願い致します」
灯璃からの伝言に落ち込むと思っていたのだろう。
笑顔を見せ明るく振る舞うみちるに三人は驚いたような表情を浮かべていた。
「……では我々は仕事に戻ります。夕食の時間になりましたらお呼び致しますのでそれまでお部屋でゆっくりと休まれてください」
「ありがとうございます」
使用人たちが出て行き、襖がぱたんと閉められるとふうっと息を吐き出す。
静かな空間に一人になってようやく気がついた。
長い間、自動車に乗っていたせいか身体が少し痛いことに。
(今日は朝も早かったから少し眠いわ……。お言葉に甘えて休ませていただこう)
窓を開けて心地よい風を感じながらゆっくりと厚みのある座布団に座るのだった。
そしてこの日から颯真家での孤独な日々が始まったのだった。
◆
「どうしてよりによってあんな地味な娘が灯璃さまの花嫁なのかしら」
「本当に。あの娘が来てからというもの灯璃さまもさらにお姿を見せなくなったし最悪よ」
「麗しいあのお姿が唯一の癒しだったというのに。まあ、でもしょせんただの願いを叶える道具にすぎないわ」
「限界を迎えてここを出て行くのも時間の問題ね。結婚の適齢期を過ぎたら嫁ぎ先なんて見つからないわ」
ああ、まただ。
耳を塞ぎたくなるような言葉が容赦なく突き刺さる。
部屋に飾っている花瓶の水を変えようと水道へ向かっていたみちるは思わず足を止めた。
廊下の角を曲がればすぐ水道なのだが、どうやら先客がいたようだ。
颯真家に嫁いで数ヶ月は経過していて生活にも慣れたので相手はある程度、予想はついているが。
こちらに気づかれないようにそっとうかがう。
(やっぱり皐さんと明日香さんだわ)
水道の前で何やらこそこそと話していたのはみちるのお世話係の二人だった。
すぐ近くに仕える主がいるというのにまったく気づいておらず次々と悪口を吐き出していく。
颯真家に嫁いだ翌日からだった。
二人がみちるに対して陰口を言うようになったのは。
彼女たちは決まって他に人がいないときに言い合うので誰もこのことは知らない。
それでもみちるが使用人頭などに告げ口をすることなかった。
きっとありのまま正直に話せばこの二人は屋敷から追い出される。
けれど怪我などさせられているわけではなく今のところ陰口だけなので余計な騒ぎは起こしたくなかった。
それに彼女たちに負けて逃げることがあれば灯璃の願いを叶えることが出来ない。
何としてでも七年間は堪えなければ。
(……花瓶の水の取り替えはまたあとでにしよう)
みちるは気づかれないようにそっと背を向けてその場をあとにするのだった。
無事に女学校を卒業したみちるはついに颯真家に嫁ぐ日を迎えた。
雲一つない青空の下、星渡家が所有する自動車に乗り、屋敷へと向かう。
(わたしの旦那さまとなる御方──颯真灯璃さまの意向で結婚式は挙げないのよね。まあ、愛のない結婚だしそれは仕方ないかもしれないけれど……)
形式だけでも挙げる男女が多い中、何もないというのは極めて珍しい。
彼が求めているのは願いを叶える力だけということだろうか。
そういった男も当然ながら存在している。
しかし遠くの地から嫁いできた孤独な花嫁を心から愛してくれる者も少なからずいるのは事実。
贅沢は言わない。
少しだけでも興味を抱いてくれたら優しくしてくれたらみちるにとって充分だった。
しかし結婚式を挙げないという時点で察するべきだった。
灯璃が彼女を愛するつもりなど微塵もないことは。
◆
「ここが颯真家……」
一時間以上は自動車に乗っていたと思う。
窓から外を見れば星渡家の何倍もある屋敷が建っていた。
庭もとてつもない広さで降りて確認しても終わりが分からない。
代わりに荷物を持ってくれている運転手と敷地内へ進むと玄関に多くの使用人たちが立っていた。
「ようこそおいでくださいました、花嫁さま」
みちるが姿を現すとずらりと並ぶ女性たちは一斉に頭を下げる。
そして真ん中にいた白髪を綺麗に結った婦人が一歩、前に出た。
「わたくしが颯真家の使用人頭を務めております、風間恵理子と申します。ご用命があれば何なりとお申しつけくださいませ」
「ほ、星渡みちると申します。よろしくお願い致します」
「ではさっそくみちるさまのお部屋にご案内致します」
荷物が入った鞄を持ってくれていた運転手に礼を言い、屋敷へと入っていく。
しばらく長い板張りの廊下を進んでいくと使用人頭はとある襖の前で足を止めた。
「ここがみちるのお部屋でございます」
襖を開けると思わず目を瞠った。
視界に飛び込んできたのはここは居間ではないかと錯覚するほどの広さの和室。
中に入ると藺草の香りがふわっと鼻を抜ける。
置かれている文机も箪笥も一流で自分にはもったいないくらいだった。
「みちるさま、少しよろしいですか」
「は、はい」
豪華な部屋に呆気にとられていたみちるは声をかけられてびくりと肩を震わす。
背筋を伸ばして振り返ると使用人頭の他に二人の女性が後ろに控えていた。
「ご紹介致します。彼女たちはみちるさまのお世話係を務める、皐と明日香でございます」
「……誠心誠意お仕えさせていただきます。よろしくお願い致します」
皐と呼ばれた使用人が間を開けて挨拶をすると隣にいた明日香も続けて頭を下げた。
(あれ? 今……)
そこでみちるは違和感を覚える。
一瞬しか見えなかったけれど二人はこちらを睨んだように感じた。
でもそんなことをすれば使用人頭は注意をするはずだ。
ちらりと様子をうかがえば特に変わりはなかったのでみちるの気のせいだろう。
「そしてみちるさま、灯璃さまから伝言を預かっております」
「旦那さまから……?」
そういえば広大な屋敷に圧倒されて気づかなかったが灯璃と見られる男性を見かけていない。
あやかしの当主は忙しいと聞くし、まだこのお昼の時間帯では仕事をしているのかもしれない。
結婚式も挙げないほどだ。
よほどこちらに興味がないのだろう。
しかしこれから同じ屋根の下で共に暮らす伴侶の顔さえも見たくないのかと考えれば少しだけ寂しくなった。
「灯璃さまからのお言葉をそのままお伝え致します。──俺にも俺の部屋にも決して近づくな。他は自由にしてくれて構わない。欲しい物は使用人に言え。金はいくらでも出す、と」
心臓がどくんと鳴った。
これは完全なる拒絶だ。
仕事に行っているのかもしれないなどと甘え考えをしていた自分が愚かだ。
愛されないことの現実を突きつけられて想像してたよりも衝撃を受ける。
ここまでの扱いを受けるのならば逃げ出す娘もいるだろう。
しかしみちるは違った。
彼女はもう覚悟を決めている。
どんな酷い目にあってもここで務めを果たすと。
「そう、ですか……」
少し顔を出した憂いの感情を振り払うように軽く俯く。
そして深呼吸をするとぱっと顔を上げた。
「分かりました。わたしも皆さまにご迷惑をおかけしないように気をつけます。改めてこれからよろしくお願い致します」
灯璃からの伝言に落ち込むと思っていたのだろう。
笑顔を見せ明るく振る舞うみちるに三人は驚いたような表情を浮かべていた。
「……では我々は仕事に戻ります。夕食の時間になりましたらお呼び致しますのでそれまでお部屋でゆっくりと休まれてください」
「ありがとうございます」
使用人たちが出て行き、襖がぱたんと閉められるとふうっと息を吐き出す。
静かな空間に一人になってようやく気がついた。
長い間、自動車に乗っていたせいか身体が少し痛いことに。
(今日は朝も早かったから少し眠いわ……。お言葉に甘えて休ませていただこう)
窓を開けて心地よい風を感じながらゆっくりと厚みのある座布団に座るのだった。
そしてこの日から颯真家での孤独な日々が始まったのだった。
◆
「どうしてよりによってあんな地味な娘が灯璃さまの花嫁なのかしら」
「本当に。あの娘が来てからというもの灯璃さまもさらにお姿を見せなくなったし最悪よ」
「麗しいあのお姿が唯一の癒しだったというのに。まあ、でもしょせんただの願いを叶える道具にすぎないわ」
「限界を迎えてここを出て行くのも時間の問題ね。結婚の適齢期を過ぎたら嫁ぎ先なんて見つからないわ」
ああ、まただ。
耳を塞ぎたくなるような言葉が容赦なく突き刺さる。
部屋に飾っている花瓶の水を変えようと水道へ向かっていたみちるは思わず足を止めた。
廊下の角を曲がればすぐ水道なのだが、どうやら先客がいたようだ。
颯真家に嫁いで数ヶ月は経過していて生活にも慣れたので相手はある程度、予想はついているが。
こちらに気づかれないようにそっとうかがう。
(やっぱり皐さんと明日香さんだわ)
水道の前で何やらこそこそと話していたのはみちるのお世話係の二人だった。
すぐ近くに仕える主がいるというのにまったく気づいておらず次々と悪口を吐き出していく。
颯真家に嫁いだ翌日からだった。
二人がみちるに対して陰口を言うようになったのは。
彼女たちは決まって他に人がいないときに言い合うので誰もこのことは知らない。
それでもみちるが使用人頭などに告げ口をすることなかった。
きっとありのまま正直に話せばこの二人は屋敷から追い出される。
けれど怪我などさせられているわけではなく今のところ陰口だけなので余計な騒ぎは起こしたくなかった。
それに彼女たちに負けて逃げることがあれば灯璃の願いを叶えることが出来ない。
何としてでも七年間は堪えなければ。
(……花瓶の水の取り替えはまたあとでにしよう)
みちるは気づかれないようにそっと背を向けてその場をあとにするのだった。



