東には彼が、西には私が

 時は、止まらない。
 時間は、進み続ける。
 ──だったら、この瞬間はきっと、私を照らす星に、太陽に、なるんだね。

 夕焼けの時間はどうして、こうも早く過ぎ去ってしまうんだろう。彼と一緒に見た夕焼けを、いつまでも私の目に焼きつけておきたいのに。
「ご飯なんだけど」
 部屋のノックもなしに、お母さんが一方的に言う。
 知ってる。でも私は返事をしなかった。ただ、ベッドに座りながら、ぼーっとしていた。
 無意識に視線がある一点にに注がれていることに気づく。そこには友達が撮って印刷してくれた、写真があった。写真には私と彼が映っている。フレームに友達がデコった文字が私にはまぶしく見えた。『星ちゃん&陽川くん』と華やかにペンで書かれていた。
 写真に映る、彼のその底抜けな笑顔に私の視線は釘付けだった。私はそんな太陽のような彼が大好きだった。いつだって私を照らしてくれた。どんな時も、彼はその笑顔を絶やさなかった。だから私は彼が好きだった。
 ……そう。好きだった。大好きだった。なのに、好きだったのに──。

「ねえ、星凪。明日、空いてる?」
「うん、空いてるよ。どうしたの?」
「もうすぐ、クリスマスだからさ。クリスマスデートしない?」
「くっ、クリスマスデート!」
 思いもよらない単語に私は、叫んでしまった。
 十二月二十日の放課後。彼と私は一緒に帰っていた。そんな中、急に誘われたのだ。私は目を白黒させながらその言葉を理解しようとした。
 クリスマスデート……。クリスマスデート……。デート……。
 実感がわかない。いくら付き合っている私たちとはいえ、さすがにいきなりこれはきつい。今までだってデートと言えることをしたのは一回くらいしかない。あとは勉強会とか、部活の打ち上げとか。まぁ、これもデートと言われたら否定はできないが、肯定もできない。
「ええっと……。嫌だった?」
「……っ、あっ、そのっ、い、嫌じゃないけど……っ!」
 そんな心配そうな瞳をさせられたら、うなずくしかないっ。
 こくこく首を縦に振っていたら、彼はフッと吹き出した。
「いやぁ、星凪はおもしろいな!見ていて飽きないよ」
「……もしかして、からかった?」
「あー……まあ、そんな感じ。どうしても手をつなぎたいからさぁ」
「っ、つ、つなぎませんッッ!!」
 彼にはそんなお茶目な一面がある。こうやってからかわれて怒るときもあるけど、でも私は彼の太陽のような笑顔が好きなんだ。
「それに、星凪、前に『クリスマスプレゼントは素敵な髪飾りがほしいな~』って言ってたじゃん」
「あれは、別に買って欲しかったわけじゃなくて…」
「まあまあ、分かってるって。……じゃあ誕生日プレゼントは何がいい?」
「じゃあ、髪飾り」
「一緒かよ」
「だめ? だってこの間、誕生日のとき、懐中時計もどきを買ってあげたでしょ。去年もそうだったじゃん」
「別に……」
「嘘だよ。誕生日には素敵な思い出がほしいな」
 こんな風にからかい合ってやりとりするのが私は大好き。
「分かった。任せとけ。誕生日は四月三日だよな」
「そうだよ。じゃあ明日ね」
「ああ。またな」
 そう言って彼と別れた。綺麗な夕焼けが私たちをよりいっそう、輝かせた。
  でも、夕焼けの時間は短い。たった十分で夕焼けというのは去って行くものだ。
 翌日。私は一人で駅に行って、帰った。約束の場所には誰も来なかった。一人で髪飾りを買った。気持ちは暗く沈んでいた。今思えば、あの時はもう、夕焼けの時間は終わっていた。闇が覆い始めてきていたのだ。
 あの時、彼は来なかった。メッセージを送っても既読は付かなかった。返事も来なかった。嫌われてしまった。私はそう思った。
 でも違った。彼は突然、この世から去ってしまったのだ。理由は事故だった。横断歩道を渡っていたら、バイクにひかれたそうだ。その時は意識があったらしいが、その後、様態が悪くなり、病院に運ばれた。その病院で死亡と診断された。
 その話を聞いたのは駅に行った日の翌日だった。よく分からなくて、涙も出なくて、お葬式にも出たけど、他人事のような感じだった。彼が亡くなったのに、泣けないなんて、と、ひたすら自分を責める以外できなかった。

 そうして、月日がたち、あっという間に四月になった。
 別に落ち込んでるわけでもなく、病んでるわけでもない。でも少し物足りないのだ。
 明日が誕生日だというのに。どうしてモヤモヤするんだろう。
 忘れようとしているのに、どうしても思い出してしまう。彼との初めての出会いを。

 中学校の入学式。
 緊張して体もガクガク震えていたんだ。
「あの……」
 突然後ろから肩を叩かれた。振り返ると、背の高い男の子がハンカチを持っていた。
「これ……落としたよ」
「あ、ありがとう」
「どういたしまして」
 男の子は太陽のような笑顔になった。見てるこっちも幸せな気分になった。
「入学式、めっちゃ緊張しない?」
 男の子は自己紹介もしない。そんな男の子に驚きながら私はぎこちなくうなずいた。
「あ~、もっと早起きしてちゃんと心構えをするべきだった!」
 そして、男の子はうつむいていた私の顔を下からのぞき込んだ。
「あ〜あ、時間戻してえー。俺、時を操りたい! 懐中時計がほしいんだよなぁ」
 男の子はこっちをまっすぐに見つめてくる。
「なっ? ほしいって思わないか?」
「うん、確かにほしいかも」
 明らかに私に話しかけている。無視するわけにもいかないので、小さな声であたりさわりのないことだけ言った。
「あっ! ねぇ、同じクラスだよ! 一緒に行こう?」
 そう言って男の子はニカッと笑った。その時私の胸がドキンと動いた。
 ──まるで太陽みたいな笑顔だなって思った。

「星凪〜。お友達が来たよ~」
 どこまでも脳天気な声が私の部屋まで響く。まったく、人の気も知らないで…と恨みたくなるが、身の回りの人に心配かけたくはない。
 返事をして、部屋を出ると、玄関に1人の男の子が立っていた。その瞬間、私は息が止まりそうになった。
「初めまして、潮乃星凪さん」
 見覚えのある男の子は見覚えのある懐中時計を持って私の前で確かに、そう言ったんだ。
「初めまして、あなたのお名前は?」
「海斗です」
 やっぱり、と、私は笑った。
「何か用ですか?」
「君……過去をやり直したくなることって、ない?」
 突然、ピンポイントに言われて私は驚いた。だって心当たりがあったから。
 それは、彼のこと。彼は私とデートするために駅へ行った。その途中で亡くなった。だったら、私があの時、駅なんかに集合しなければよかった。こう思うことが何度かあったし、今でもそう思う。やり直したかった。やり直したかったんだ。
「じゃあ僕が叶えてあげる」
「……え?」
「目を閉じて」
 海斗さんの言われるがままに、私は目を閉じた。頭では理解できなかった。でも体は動いた。
 その瞬間、ふわりと風が私の頰をなでた。そして……これは香水の香り? 彼が愛用していた香水だ。それから、落ち葉の香り、夏の汗臭い香り、春の新品の桜の香り……。春夏秋冬、さまざまな香りがしてくる。
「目を開けてごらん」
 強く風が吹いた。それと同時に私は目を開けた。
「……っ!」
 目の前には彼がいた。私は涙がこぼれそうになった。
「どうしたの? えっ? てか何で泣いてるの?」
 彼が心配そうに私の顔をこぞき込んだ。
「もしかして、クリスマスデート、嫌だった?」
 クリスマスデート? じゃあこの間の時かな。
 だから私は首を、思い切り横に振った。
「ううん。したい。クリスマスデート」
「そっか。じゃあ駅前に集合な」
 彼はそれ以上、泣いている理由を追及してこなかった。
「でも、待って。駅前じゃなくて、学校にしない?」
「え? 何で?」
「いや、そのえっとね、ほら、私駅までちょっと遠いからさ」
 苦し紛れの言い訳。でも彼は納得してくれたみたいで。
「分かった。じゃあ学校の校門の前ね」
「うん!」
 私は大きくうなずいた。成功できた。よし、と心の中でガッツポーズをした。

 翌日。
 家から電車一本で、駅につく。そこから、バスに乗って、少し歩けば学校だ。
 バス停について、学校に向かって歩いていると、フッと誰かが来た気がした。
「おはよう~」
「……海斗さん?」
 後ろからひょいと顔をのぞかせた海斗さん。紺のシャツをきて、ジーパンをはいている。
 せっかくのデートなのに、邪魔する気だろうか。内心、不安に思いながらも私も挨拶を返した。
「おはようございます。……あれ、今日も時計持ってきてるんですね」
 海斗さんの手には懐中時計が握られている。海斗さんはニカッと明るく笑った。
「いやぁ、大切なものだからさ」
「大切なもの? 誰かからもらったんですか?」
 海斗さんはしばらく何かを思案するように目を泳がせたが、すぐにこっちを向いてまた笑った。
「僕の大切な人」
 大切な人からの大切なもの……。それはきっと海斗さんにとって、すごく大事なものなんだろう。
「お〜い! おはよ~!」
 すると彼が走りながらやってきた。
「ごめん、待った? いや~、寝坊しちゃって」
「クリスマスデートなのに、寝坊ってどういうこと? 普通はドキドキして眠れない! でしょ」
「まあね〜。間に合ったんだからいーじゃん」
 彼はそう言ってニカッと笑う。そっくりだなって思った。
「ほんじゃ、クリスマスプレゼント買いに行きますか!」
「え? 買うの?」
「もちろん。星凪も買うんだよ」
「そんなにお金持ってきてないから、安いものしか買えないって」
 どうしていつも彼は無茶振りをするのか。買うなら買うで、事前に言ってくれればよかったのに。
「安くてもいいよ。なんなら百均でも」
 そっか。彼はそういう人だった。すごく優しくて、いい人だった。
「じゃ、駅行こうぜ!」
 そう言って彼は片手を突き上げた。

 その日はとても楽しかった。結局クリスマスプレゼントは髪飾りをもらって、ハンカチをあげた。
 久しぶりに幸せな日を過ごした気がした。わざとじゃなくて、自然に笑顔がこぼれるような、そんな日。
 帰り、夕日が私たちを包み込んでいる。まぶしい日差しを感じながら後ろにいる海斗さんに話しかけた。
「海斗さん、楽しかった。ありがとう」
「僕こそ。約束、守れた?」
「約束?」
「楽しそうだから、守れたってことかな」
「どういうこと?」
 すると海斗さんは急に立ち止まった。そして、私を見て微笑んだ。
「誕生日プレゼント」
 ──『誕生日には素敵な思い出がほしいな』。
 過去の記憶が蘇る。
 ……そっか。彼はずっと私を覚えていたんだ。
「ねぇ、星凪。亡くなった大切な人って、誰? よかったら名前教えくれない?」
 なのに海斗さんは聞いてくる。知ってるくせに。
 だから私はまっすぐに彼を見た。そしてはっきりと言った。
「陽川海斗っていいます。私の、世界で一番大切な人です」

 考えれば、彼はずっと見覚えがあった。名前を聞いた瞬間確信もしてたし。何より、手に持っていた懐中時計が私の買ったものだってすぐに分かった。そして彼はずっとあこがれていたことがあった。
『時を操りたい』
 よく言っていたね。それを聞くたび私は『死んだらできるんじゃない?』なんて、冗談めかしてそう言っていた。実際に死んだら冗談どころじゃなかったのに。
 彼がいたから、私はまた楽しいクリスマスを、そして、誕生日を過ごすことができた。今日は十二月二十日だけど、本来なら四月三日だから。
 今私の隣にいるのは彼ではない。だって彼は亡くなってしまったから。じゃあ幽霊? 魂?
 世の中は不思議なことも、分からないこともたくさんある。だけど、たった一つだけ確かなことがある。
 それは、世の中、そんなに理不尽じゃないってこと。苦しくても、つらくても救いはある。それがどのように救われるかはその人次第。だから、安心して生きていこうと思う。ね、海斗。

「じゃあ、僕はそろそろ帰らなきゃ」
「帰る? 私も?」
「うん。じゃあ、目を閉じて」
 私は目を閉じた。今日あったことを思い返しながら。海斗にありがとう、という感謝の気持ちをかみしめながら。

「はい、四月三日だよ」
「え? 一日進んでない? 普通、タイムスリップしてる間は時間は止まってるんだ~みたいな」
「ごめん、僕、そういうのない」
「……は?」
「じゃ、そゆことで」
「いや、え、そういうこと…え? ちょっと待って、それ私家に帰ったらどうなるの?」
「お母さんに怒られるか、泣いて抱きしめられるのどちらかじゃない?」
「さっ、最低……っ!!」
 私の顔は青ざめた。
「もーーーうっ!!」
 その時、彼の体がすうっと透けた気がした。
「あ〜あ、時間切れだ。また次に会おうな」
「次? っていうかちょっと待って。えっ、消えちゃうの?」
「残念だけどね」
 海斗は申し訳なさそうに笑った。それはいつもの太陽みたいな笑顔というより夕日みたいな笑顔だった。
「でも大丈夫。また次に会えるからさ」
「えっ?」
 彼の体が少しずつ透けて、後ろの住宅街が見える。
「次って……いつ? なんで?」
「分かんない。でも神様に頼んでみる。その時に星凪のこと覚えているか分かんないけど」
 彼の体から黄金色の粒子が出てくる。それは今日の夕日と同じで。この世で一番綺麗な色だった。
 硝子みたいに透けて飴みたいに光って、夕日みたいな色をしていた。
 私の目からは涙がこぼれた。美しかったからなのか、悲しかったからなのか、嬉しかったからなのか、全く分からない。
 ……でも。
「ありがとう、海斗」
「ありがとう、星凪」
 最後はドラマみたいに終わって。
 私たちはそっと手をつないだ。

 四月二十日。入学式。中三だった私は高一になった。この学校は中高一貫なので、受験がない。
 新たな期待とこれからの不安を感じながら、私は学校へと向かう。
 あれから、ニ週間。あの日確かにお母さんは泣いて抱きしめた。それから叱った。『どこに行っていたの』って。でもなんて言えばいいのか分からなかったから『私も覚えてない』って言った。思ったよりも大事にならずに済んでよかった。
「おはよう!」「めっちゃ緊張する!」「この前の配信見た?」「昨日は楽しかったね!」
 それぞれの声が聞こえる。私は特にペアもいないので、とぼとぼと歩いていたら。
「あの……」
 後ろから肩を叩かれた。反射的に振り返ると、男の子がハンカチを持っていた。
「これ……落としたよ」
「あ、ありがとう」
「どういたしまして」
 その瞬間、分かってしまった。太陽のような笑顔。人懐っこい声。
「入学式、めっちゃ緊張しない?」
 初対面から、自己紹介もせずにぐいぐい話しかけてくる。そんなところも、彼と。
「あ~、もっと早起きしてちゃんと心構えをするべきだった!」
 そして、男の子はまた笑って。
「あ〜あ、時間戻してえー。俺、時を操りたい! 懐中時計がほしいんだよなぁ」
 知ってる。
「なっ? ほしいって思わないか?」
 彼は、海斗の生まれ変わりだってこと。
 だから私もうなずく。
「うん。確かにほしいかも」
「あっ! ねぇ、同じクラスだよ! 一緒に行こう?」
「うん、行こう」
 だってしぐさが彼だから。この明るくて太陽のような笑顔は彼しか持ってないから。
 いつのまにか昇った太陽が私を照らす。星はまだうすく光っている。東には彼が、西には私がいる。

 時は、止まらない。
 時間は、進み続ける。
 ──だったら、この瞬間はきっと、私を照らす星に、太陽に、なるんだね。