ゆうちゃんのお世話係




 次の日の日曜日。
 本当はカフェ巡りをする予定だったけど、おれは部屋に引きこもっていた。
 原因はゆうちゃんの彼女さんと遭遇してしまったせいで、なかなか気持ちが上向きにならないからだ。
 カフェでほっとしたい気持ちはあるのに、服を着替えて準備をするのが面倒。
 あ〜まさか彼女さんと会うなんて!
 ゆうちゃんもそこんとこ気を使えないよな。
 おれはベッドの上でゴロゴロと転がった。
 でもゆうちゃんに怒ったって仕方がない。おれはゆうちゃんに告白してないから、きっとおれの気持ちには気づいていないのだ。
 それを察しろっていうのは無理な話だよね。

 「ゆうちゃんのバカ」

 おれはゆうちゃんと初めて会った日を思い返した。


 ***


 ゆうちゃんはおれが小三のときに隣の家に引っ越してきた。でもおれはゆうちゃんの一個下だったからただの隣人って感じだったけど、コミュ力オバケの兄ちゃんとは同い年ということもあってか、すぐ打ち解けていたのだ。
 それに当時のゆうちゃんは変だった。
 寝癖で髪は渦を巻いているし、シャツを表裏逆に着てたり、裾から肌着が見えてたりと見た目が酷い。
 忘れ物も多く、よく先生に注意されているのを何度も見たことがある。
 おれにとってゆうちゃんは「ちょっと頼りないお兄ちゃん」だったのだ。
 だけどある夏の暑い日だった。
 おれが帰ってくるとゆうちゃんが自分ちの前で所在なさげに立っていたのだ。

 『どうしたの?』
 『カギわすれた』
 『そっか』

 それだけ会話をしておれは自分の家に入った。そのうちゆうちゃんママが帰ってくると軽く考えていた。
 玄関に捨てられた兄ちゃんのランドセルを蹴り飛ばし、おれはクーラーをつけて涼んだ。
 しばらくゲームをしたり、漫画を読んでいたらふとゆうちゃんのことを思い出した。
 さすがにもう家だよね。
 おれは玄関に出て隣を覗くと、ゆうちゃんはまだ立っていた。
 ちょうど西日が差し込んで、ゆうちゃんは痛いくらいの日差しを全身に受けている。
 このままだとマズイ。
 おれはサンダルを突っかけてゆうちゃんのところまで急いだ。

 『そんなとこにいたらたおれちゃうよ!』
 『でもカギないし』
 『いいから、うちきて!』

 おれはゆうちゃんを引っ張るとぬるりと手が滑った。ゆうちゃんは滝のように汗をかいていたのだ。
 頰は真っ赤で目も虚ろだ。
 これは大変だぞと思ったのをよく覚えている。
 おれはゆうちゃんをリビングに寝かせた。

 『えっと……たしか首をひやすんだったよな』

 おれは保健体育で習ったばかりの熱中症対策を思い出した。
 首や脇、膝の裏に保冷剤を入れて、額に冷たいタオルをかぶせる。そしてスポーツドリンクを飲ませた。
 おれは記憶を引っ張りながら慎重にゆうちゃんの看病をすると、みるみるゆうちゃんの顔の赤みが引いていく。

 『だいじょうぶ?』
 『ん。もう平気』

 ゆうちゃんは起き上がって不器用な笑顔を浮かべ、ぽんとおれの頭を撫でてくれた。

 『あすか、ありがとう』

 ボサボサと前髪から覗く黒い瞳は宝石のように輝いていた。小学生とは思えないすっと通った鼻筋に、おれははっと気がつく。

 『ちょっと待ってて!』

 おれは急いで洗面所へ行き、ドライヤーとくしを持ってきた。そしてゆうちゃんの髪を梳かしながらドライヤーを当てて、兄ちゃんのワックスを拝借して毛先を外はねさせると、見事王子様が産声をあげたのだ。

 『めちゃくちゃかっこいい』
 『そう?』

 ゆうちゃんは恥ずかしそうに前髪を一房引っ張っている。

 『なんでいつもねぐせボーボーで、ふくもヘンなの?』
 『あんま気にしたことなかった』
 『もったいないよ!』
 『でも毎日やるのはダルいし』
 『おれがやるよ!』
 『……ん、ならたのもうかな』
 『うん!』

 そして仕事から帰って来たゆうちゃんママに事情を説明して、おれはゆうちゃんのお世話係に任命されたのだ。


 ***


 「我ながら痛い」

 おれは枕と一緒に頭を抱えた。髪をちょっと整えただけで見間違えるように変身したゆうちゃんに一目惚れしたのだ。
 それから毎日ゆうちゃんの家へと行き、洋服を着替えさせたりご飯を食べさせたり、髪をセットしてあげたりと甲斐甲斐しく世話を焼いている。
 でももう卒業しなきゃだよね。
 せっかくまた同じ学校に通えるようになってはしゃいじゃったけど、ゆうちゃんは一人でもしっかりできている。
 おれなんてお呼びではないのだ。

 「はぁ〜」

 何度目かの溜息を吐くと階段をのぼる気配がする。兄ちゃんかなと思ったけど、声も複数聞こえてくるし友だちを呼んだのだろう。
 えぇ〜騒がれるの面倒だな。
 兄ちゃんはよく友だちを家に連れてくる。さすがコミュ強だ。
 ここにいるとうるさくなるし、タイミングを見てリビングに行こうかな。てかなんでおれが気を使わなくちゃいけないんだよ。
 母さんはなんで許可したんだ。ってそういえば仕事でいないんだっけ。父さんも用事で出かけてたな。
 あ~やっぱりカフェに避難するべきだった。
 モヤモヤしているとノックもなしに扉が開いた。

 「本当にいる!」
 「泉先輩?」
 「よっ」
 「喜多見先輩まで。遊びに来たんですか?」
 「そうだよ。新作ゲームを買ったからみんなでやろうと思って」

 泉先輩が見せてくれたパッケージはCMでよく見かけるやつだ。泉先輩は兄ちゃんと一緒でゲームが好きなのかもしれない。

 「てかノックぐらいしてくださいよ」
 「見られたらマズイものであるの?」
 「そんなのないですけど」
 「怪しいな〜」

 泉先輩はにししと悪魔みたいに笑い、喜多見先輩に至っては普通に部屋に入って本棚を漁っている。
 この自由さ、さすが兄ちゃんの友だちって感じ。
 でも知ってる人でよかった。これで女子を連れてこられたら、おれは外に出ざるおえない。
 おれは胸を撫で下ろしつつ、泉先輩に顔を向けた。

 「ゆうちゃんもいるんですか?」
 「なんか野暮用があるって言ってたよ」
 「野暮用って?」
 「さぁ?」

 泉先輩の芝居がかって首を傾げる仕草に、おれはまた溜息を吐いた。
 つまり今日は野中さんとデートなのかな。
 あ〜モヤモヤする!!
 泉先輩は目をくりっとした。

 「飛鳥くんも一緒にゲームしよう。これ四人でやった方がたのしいんだよ」
 「でもおれゲームできないし」
 「結のこと教えてあげるからさ」
 「行きます」
 「うはっ、即答。扱い安いな〜」

 泉先輩にバカにされた気がしたけど、ゆうちゃんの話が聞けるならなんでもいいや。





 おれが泉先輩たちに連れられて兄ちゃんの部屋に行くと、明らかに嫌そうな顔をされた。
 兄ちゃんは鋭い眼光を泉先輩に向ける。

 「なんで飛鳥を連れてきたんだよ」
 「結の話を出したら思いのほか簡単に釣れたからさ」

 泉先輩は悪気がなさそうにへらっと笑った。なんだか憎めないんだよな、この人。
 それは兄ちゃんも同じようで「ふん」と鼻を鳴らすだけに留めた。
 泉先輩がゲームをセットして、簡単に操作を説明してくれる。よくわからないけどボタンを連打してればいいっぽい。

 「さて始めるよ〜」

 泉先輩の号令でゲームがスタートした。
 ゲームは好きなキャラクターを選んで戦うやつだ。見たことのあるゲームのキャラだったり、漫画のキャラもいる。

 「おらっ、この……! こいつ遅いな!!」

 泉先輩は目つきを鋭くさせ、口悪くキャラクターを罵っている。え、怖いんですけど。急にキャラ変しないでください。
 泉先輩は可愛い系の顔をしているから、もっとお花畑〜とかぬいぐるみ〜とかメルヘンの住人かと思っていた。
 いまの形相はどこから見ても格闘家だ。

 「……」

 そして泉先輩のキャラを無言で殴り飛ばしているのが、喜多見先輩だ。
 表情は一切変わってないのにエグイくらいのボタン捌きが速い。
 二人共プロゲーマーかなにかかな?
 そしてゲーム慣れしてないおれは、誰に倒されたのかわからないまま終わっていた。
 しばらくゲームを続け、おれははっと思い出した。

 「ゆうちゃんのこと教えてくれるんじゃないんですか?」
 「あぁ忘れてた」

 泉先輩はへらっと笑ってペットボトルを煽った。

 「と言っても結の話はこの前したでしょ」
 「他にもっとないんですか?」
 「俺様」
 「わがまま」
 「俺様の次くらいに顔がいい」
 「なにそれ」

 泉先輩、喜多見先輩、兄ちゃんのゆうちゃんへの印象は、それぞれ違うらしい。
 でも一つだけ聞き捨てならないな。

 「ゆうちゃんは俺様じゃないですよ。やさしいじゃないですか」
 「え~どの辺が?」
 「満員電車で潰されてたら助けてくれたり」
 「他は?」
 「他は……」

 あれ? なんだっけ。もっとあるだろ、ゆうちゃんとのエピソードが! 思いだせ、おれの脳細胞!!

 「ほら飛鳥くんも僕たちと変わらないじゃない」
 「お、おれが受験生のときに勉強みてくれましたよ」
 「それはおまえの模試が酷かったから、母さんが頼んだからだろ」
 「うっ……」

 兄ちゃんの一刀両断におれは下を向いた。

 「ま、僕は結が俺様って思うのは、ちゃんと言葉にしないで伝わるって思ってるところかな」
 「なにかあったんですか?」

 泉先輩は喜多見先輩と兄ちゃんに目配せをして、肩を落とした。

 「ま、結にも同情するところはあるけど」
 「ここまで鈍いと天然記念物になれそうだな」
 「こんな様子を何年も見せられた俺様の気持ちがわかるだろ?」
 「さすがに同情するよ」
 「よく頑張ってる」
 「だよな。俺様、兄貴として精一杯なことやってるよな」

 なぜか三人で慰め合いが始まってしまった。会話についていけず、おれはジュースを飲んだ。

 「そういえばゆうちゃんの野暮用ってなにか知ってます?」
 「あ~まぁ知ってるけど」

 泉先輩は助けを求めるように再び喜多見先輩に視線を向けた。それを受けた喜多見先輩は難しい顔をしている。

 「言うと怒られるな」

 ってことはやっぱり  

 「彼女さんといるってことですよね」

 三人がひっと息を飲む音が聞こえた。みんな驚いてるし、図星なのだろう。
 うぅ~聞かなきゃよかった。自分で傷口に塩を塗ってどうするんだよ。
 ゆうちゃんに彼女さんがいるのはわかってたことじゃないか。
 仕方がない。おれは男だし、しかも泉先輩みたいに可愛いわけでもないモザイク男だ。それなのに好きになってもらう方が難しいだろう。
 おれは泣きそうになった目をこすり、顔を上げた。

 「あ、もうすぐお昼だ」

 壁にかかった時計が十二時をさしている。母さんが仕事の日は、おれが食事当番だ。

 「適当になにか作ってきますね」

 おれはコントローラーを置いて、逃げるようにキッチンへと向かった。

 「しっかりしろ、柏木飛鳥」

 おれは頬を叩いて気持ちをしゃんとさせた。泣いたってしょうがない。事実は事実として受け止めなきゃ。

 「さて、なに作ろうかな」

 おれは冷蔵庫を開けて食材を確認した。母さんが買い物に行ったばかりなのか量も種類も豊富だ。

 「人数多いし、ナポリタンでいっか」

 おれが料理を始めると玄関でガチャリと音がした。母さんが帰ってきたのかもしれない。
 パタパタと玄関まで出迎えに行った。

 「おかえり~ってゆうちゃん?」
 「あぁ」
 「もしかして兄ちゃんたちと約束してたの?」
 「そう。野暮用で遅れた」
 「そっか」

 デートの解散が昼前ってものすごく早いな。あ、もしかして午後は野中先輩の部活があったとのか。
 いやいや余計なことは考えるのはやめよう。

 「ちょうどよかった。いま昼ごはんを作ろうと思ってたんだ。ゆうちゃんも食べる?」
 「ん。食う」
 「ナポリタンだけど、目玉焼き乗せる?」
 「あるなら欲しい」
 「わかった」

 おれは再びナポリタンを作り始めた。人数が多いからフライパンを二個使わなくちゃいけない。
 だけどこんな大量に作ることはないから腕が鳴る。
 おれがキッチンをいそいそと動き回っていると、なぜかゆうちゃんが隣でじっと見ていた。

 「兄ちゃんの部屋に行かないの?」
 「ここで飛鳥といる」
 「え~なんか照れちゃうな。っていった!!」

 おれが余所見をしていたら包丁で指を切ってしまった。

 「大丈夫か?」
 「これくらい平気。舐めとけば治るから」

 そうは言っても実際には舐めないよ。ほら、雑菌とかあるしさ。
 おれが流水ですすごうとすると、ゆうちゃんの腕が伸びてきておれの指をぱくりと食べた。

 「ゆうちゃん!?」
 「暴れるな。傷口が開くだろ」
 「こんなの大したことないから平気だよ」

 それよりもこの状況がやばい。ゆうちゃんが、おれの指を、舐めている!

 「な、舐めるのは雑菌とか入ってよくないから水で流すよ」
 「いいから大人しくしてろ」
 「……はい」

 掴まれた手首に力が入る。有無を言わせないゆうちゃんの様子におれは黙って従うしかない。
 しばらく口に含んでいたゆうちゃんだったけど、血がとまったのがようやく離してくれた。
 そのとき「ちゅっ」て可愛らしい音を立てて、おれの頬が勝手に赤くなってしまう。

 「血、止まったな」
 「うん……ありがとう」
 「ちゃんと洗って消毒しとけよ」
 「うん」

 リップ音をさせたとは思えないほどゆうちゃんはいつも通りだ。
 もしかしてわざとじゃなくて、事故だったのかな。そうだよね、そうに決まってる。
 変な妄想を脇に追いやりながらおれは傷口を水で流して、絆創膏を貼った。
 指を見ているだけでゆうちゃんの口の中の熱さとか思いだしちゃうんですけど。

 「飛鳥」
 「ごめん、料理作るね」
 「ちょっとは意識してくれた?」
 「はい?」

 なんの話だろう。
 おれが首を傾げていると、ドタドタと激しい足音がこっちにやってきた。

 「お腹すいた~お昼まだ?」
 「この兄を待たせるとはいい度胸だな」
 「……飯」

 泉先輩、兄ちゃん、喜多見先輩たちが飢餓状態のゾンビのように台所まで迫ってきた。

 「ぎゃああああああ。いま作るから! ちょっと待ってて!!」

 おれが三人をキッチンから追い出してると、兄ちゃんがゆうちゃんに気づいた。

 「なんだ結、来たの」
 「ちっ……」
 「うわっ機嫌わるっ!」

 ゆうちゃんは眉を寄せて兄ちゃんたちを睨みつけた。
 急にどうしちゃったのかな?





 「美味しい!」
 「これは旨いな」
 「えへへ、ありがとうございます」

 おれが作ったナポリタンを泉先輩と喜多見先輩はベタベタに褒めてくれた。喜多見先輩なんておかわりまでしてくれる。
 泉先輩は口の端についたソースを親指の腹で乱暴に拭った。

 「確かにこんなに美味しいなら結が食べさせたくない気持ちわかる」
 「そこまで褒められるとさすがに照れます」
 「ま、チー牛も一つくらいいいところないとな」

 兄ちゃんの嫌味におれはテーブルの下でスネを蹴ってやった。「いてっ」と睨まれて、水面下で静かな蹴り合いが始まる。
 おれたちの様子を気にせず、泉先輩は続けた。

 「てかなんで結のだけ目玉焼きがのってるの?」
 「ゆうちゃん、ナポリタンに目玉焼きを合わせる好きなんですよ。しかもトロトロ半熟」
 「好みまで把握してるんだ」
 「兄ちゃんはニンニク多めが好きなんです。あ、泉先輩と喜多見先輩の好みも教えてくれたら、今度作りますよ」
 「嬉しい〜僕は麺硬め!」
 「量が多ければいい」
 「わかりました」

 おれは頭の中にしっかりと書き留めた。
 次作る機会があるかわからないけど、好みに寄せられた方が美味しく食べてもらえるよね。
 泉先輩は「ごちそうさま」と丁寧に手を合わせた。

 「はぁ~美味しかった。毎日飛鳥くんの弁当を食べてる結が羨ましい。僕たち部活があるからいつもお腹減ってるし。ね、喜多見」
 「そうだな」
 「二人はなに部なんですか?」
 「空手」

 だからあんなに力があるのか。納得する。
 朝練も毎日あるらしく、弁当を持って来てもすぐ食べてしまい、昼は購買で買っているらしい。
 アスリートなら食事は大事だよね。

 「よかったら作りますよ」
 「いいの?」
 「きっちり材料費取りますけどね」
 「全然いいよ! 嬉しい〜」
 「俺もいいか?」
 「二人も三人も変わらないので大丈夫です」

 おれはにっこりと返した。
 泉先輩と喜多見先輩がこんなに喜んでくれるなんて嬉しいな。うちじゃ全然褒めてくれないし、ゆうちゃんに至っては最近感想もくれないもんね。
 まぁつまりゆうちゃんの日常に溶け込めたってことなのかな。
 それはそれで嬉しいかも。
 でもやっぱり「美味しい」って言ってもらえる方が嬉しい。

 「却下」

 弁当のおかずでなにが好きか、という話をしているとゆうちゃんの低い声が楽しい会話を切り裂いた。

 「え?」
 「飛鳥の弁当は俺だけの」
 「うわっ、出たよ。俺様」

 兄ちゃんがからかうとゆうちゃんは機嫌悪そうに睨みつけている。
 でも兄ちゃんは気にせずケタケタと笑った。

 「泉、喜多見、諦めろ。結が許可しないと飛鳥の弁当は食えない」
 「別におれは構わないよ」
 「だめ」

 ゆうちゃんの有無を言わせない態度にさすがのおれでもむっとした。

 「おれが作るんだから、ゆうちゃんは関係ないでしょ!」

 ゆうちゃんが悲しそうに眉を寄せ、なにも言わないでリビングを出て行った。玄関の扉が閉まり、おれたちの間に重苦しい空気だけが残される。
 言い過ぎた。でももう遅い。
 おれは泉先輩と喜多見先輩に頭を下げた。

 「すいません。お騒がせして」
 「それは構わないけど、大丈夫?」
 「仲直りした方がいいんじゃないか」
 「でもおれは悪くないです」

 言葉が悪かった自覚はあるけど、間違ったことは言っていない。そもそも料理をするおれに決定権がある。
 それなのに弁当を作ってもらってる側のゆうちゃんが拒否する権利はないと思う。
 思うんだけど、胸のなかがモヤモヤする。
 ゆうちゃんと喧嘩したかったわけじゃないのに、どうしてうまくいかないんだろう。
 兄ちゃんが珍しくやさしい声音になった。

 「ま、あの俺様も放っておけば元に戻るだろ」
 「……だといいけど」

 フォークでくるくると巻いたナポリタンが、いつもよりしょっぱく感じた。