目をくれたあなたへ


緑雨は重い。
纏わりつくような空気と、視界を遮るように立ち込める雨煙。
雨を弾く傘からは楽しむように音が鳴り響く。

「すごい、雨だな」
「今日はずっと雨だって」

隣に並ぶ朔夜の声は、雨音のせいで少し聞きづらい。
傘同士の距離がもどかしかった。
梅雨に入り、学校は春の新鮮さが掻き消え、校舎内には陰鬱とした雰囲気が流れている。
そんな中で生徒同士で話題に上がるのは、夏の風物詩ばかりだった。

「透は夏休みとか、どっか行く?」
「ううん。どこも」

去年までは四季の区別すらついていなかった。
こんな日が来るなんて夢のようにも感じる。
傘を押し上げて、下から朔夜を覗き込むと、気付いた彼に微笑まれた。

「ん?どうした?」
「いや……楽しそうだなって」
「そりゃあ、長い連休が待ってるから」

楽しそうな声で、行事がいくつも列挙されるのを、黙って聞いていた。
雨の日は、いつもより気が重たくなる。
地面を叩きつける雨粒を足で追いながら、朔夜の横を同じ歩幅で進んでいった。
暫く続いていた朔夜の声が聴こえなくなって、不思議に思って横目で見る。
朔夜は、不安気に瞳を揺らしていた。

「どうしたの?朔夜」
「……いや、透は…楽しくないのかなって思って」

朔夜の言葉に目を見開いて、言葉に詰まる。
初めて会ったあの日以来、よく2人で居ることが多くなって、こうやって肩を並べて帰路につくことも珍しくなかった。
そんな中で朔夜は、いつもと違う雰囲気を感じ取ったのかもしれない。

「…楽しくないわけじゃないよ」
「そっか」

眉を下げて微笑む朔夜の顔は少し寂しそうで、罪悪感が立ち込める。
良い言い訳が思いつかなくて、結局、口を吐いて出たのは、安易な約束だった。

「夏休み、どっか行く?…二人で」

すぐに返事がないので、ちらりと顔を盗み見れば、徐々に顔を明るくさせていく朔夜が見えた。

「行きたい!透は行きたいところとかある?」

調子を取り戻した朔夜にクスッと笑って、行ってみたいところを思い浮かべようとして上を向いた瞬間、後ろから腰のあたりに衝撃が走った。

「うぁっ」

突然のことにバランスを崩すと、朔夜が咄嗟に支えてくれる。
その後、後ろから、ドサッという音が聞こえて振り返った。
ランドセルを背負った男の子が尻もちをついている。
手を付いて痛そうに顔を歪めている彼にも、容赦なく雨は打ち続けていた。

咄嗟に声をかけようと近づいて、気付く。
ランドセルは濡れているのに、彼自身は濡れていない。
それどころか、彼の周囲には蒸気が立ち込めていて、触れていないのに熱さを感じた。
じゅーっという音と、焦げるような匂い。
雨が彼に触れる度、皮膚が焼け爛れていた。

その光景に既視感を覚えたが、痛そうな彼の様子に頭を振って、傘を頭上に移動させた。

「大丈夫?」

声をかけると、眉を寄せている少年の顔が上を向く。
その表情には焦燥が見える。

「急がないと」

立ち上がって、また走り出そうとする、その少年の腕を取って引き留めた。
じゅっと手に痛みが走ったような気がして、手を離す。
手のひらを見ても、火傷はしていなかった。

「何?」

引き留められたことが不服だったようで、睨みつけるように振り返る少年に、今度は触れずに傘だけを差し出す。

「濡れるよ」
「要らない、邪魔」

その間もずっと、焦げた匂いと蒸気が彼に絡みつくように周囲に漂っていて、目を細めた。
何となく、このまま行かせては、危険なような気がして、彼の身体にもう一度触れた。
焼けるような痛みと音が襲ってくる。
それでも今度は手を離さなかった。

「…っ!だから、何!」
「風邪、引くと、もっと時間がかかるかも」

少年が何を急いでいるのか、何を焦っているのか分からないが、痛みに歯を食いしばって伝えてみる。
彼は目を丸くして、固まる。
声が届いたようだ。

「傘、使って」

もう一度、傘を差しだすと、少年は今度こそ受け取ってくれた。

「……」

ちらりと一瞥だけして歩き出す少年の背を、濡れるのもお構いなしにぼんやりと眺めた。
手のひらを見てみる。
やはり、火傷はしていなかった。
不意に、打ち付けてきていた雨が、朔夜の傘に遮断された。

「風邪引くよ」
「ありがとう」
「…あの子供は、礼も言わなかったな」

自分よりも不満そうにしていて、思わず頬を緩める。

「…傘、入れてくれる?」
「そのつもりだよ」

一つの傘の下で肩を並べて歩く。
朔夜の温度が肩からじんわりと滲んでいた。


三科はよく携帯を触っていることが多い。
どんよりとした曇り空が、窓を灰色に染め上げているのを観察していると、前から声をかけられた。

「天宮は、SNSなんかやってる?」
「そういうのよくわからなくて…」

顔を伏せながら応えると、大げさに驚かれる。

「勿体ない!こんなに楽しいのに!あ、じゃあ…」

持っているスマホをスクロールしたと思えば、止めて画面を見せてくる。
一本の短い動画が流れて、感想を求められたが、苦笑で返した。

「…ごめん」
「じゃあ、これは?」

次の動画も意味がよくわからなくて、首を傾げる。
三科の口の糸が一本切れた。

「天宮って、じじくさい」
「えっ、じじ……え?」

じっとりとした視線だけ残して、前を向いてしまった三科に何度か声をかけるも、暫く返答はもらえなかった。