目をくれたあなたへ


冬の夜は、静かで冴えざえとしている。
空を見上げると、星たちがこちらをじっと見つめていた。
吐いた息は小さな氷の結晶になって、黒に馴染んでいく。
何気なく、首に巻いたマフラーに手を置いた。

今日は天文部の活動で、ふたご座の流星群を観ることになっている。
向かうは、学校の屋上だった。
部長が特別に許可を得て貸し切ったようで、強制ではないが、ぜひ来てほしいと部長に言われて、参加することにした。
もうすぐテスト期間で、日を待たずに冬休みに突入してしまうので、これが今年最後の大々的な部活動になるらしい。
最近は、気分が沈んでいることの方が多かったので、丁度良かったのかもしれない。
夜道を1人で歩いていると、あの日々を思い出す。
真っ暗で孤独だった日々を。
マフラーを口元まで押し上げた。

『裏門から→』

正門に辿り着くと、がっちりと閉められている門扉に貼り紙が貼られていた。
その案内に従って、裏門の方へと向かう。
校舎をちらりと見ると、職員室と、4階の一番端の窓から光が漏れていた。
夜の校舎を別世界のように感じながら移動する。

裏門に辿り着くと、出迎えたのは、顔が横長の教師だった。
一瞬体がビクついたが、すかさずお辞儀をして誤魔化す。

「天文部だな?親の同意書は?」

ぶっきらぼうに手を差し出されたそこに、保護者からサインをもらった同意書を置いた。

「…これで大丈夫ですか?」
「ん、大丈夫だ。一度部室で集合してから、屋上に向かう。部長も居るはずだから、真っ直ぐそこに向かいなさい」

厳しい口調だった。
もしかしたら、こんな時間まで付き合わされて、機嫌が悪いのかもしれない。
短く返事だけして、校舎の中へと進んでいった。

夜の校舎は異様に静かで、自分の足音が良く響く。

階段を上ろうとしたその場所で、自然と足が止まった。
ここは、事故を思い出したところだ。
炎が視界にちらついた気がして、目を細めた。
脳裏にこびりついた焦げの匂いが、視界をぼかす。

階段を上がっていく。

3階に辿り着いて、足を廊下へと踏み出してみる。
自分のクラスに辿りついて、締め切られた窓から中を覗いてみた。
少しずつずれている机。
少しだけはみ出ている椅子。
整然としているように見えるが、僅かに乱れている。
ここは、僕の罪を白日へと導いたところ。
チョコの匂いが口内に充満する。
唾を飲んだ。

4階へと向かう。

廊下に出て足を止めた。
ここは、朔夜に初めて会ったところ。
手がじんわりと熱を持った気がして、拳を握って額に当てた。
震えた息が、空気を揺らす。
込み上げてきそうな何かを、ぐっと口の中に、閉じ込めた。
明るい部屋から見える夜空は、空洞のようだった。


「こんばんは、天宮君。今日は、楽しもうね」

部室に入ると、夜空が僕を迎え入れた。

「よろしくお願いします」

天文部部長はにっこりと笑ったような気がした。
部長の顔はない。
正確には顔の輪郭を象った、夜空が浮かんでいる。
真っ黒ではなく、夜空と表現している理由は、点々と輝く星が瞬いているから。
時折走る流星が観れた時は、良いことがありそうな予感がする。

「今日は僕たち二人だけだからね。もうすぐ顧問の先生も来ると思うから、揃ったら向かおう」

優しい声は心地が良い。

「他の部員の方は、来られなかったんですね」
「うん、親が厳しい人もいるし、夜は勉強したいっていう人も多いからね」

テストが近いからだと思う。
僕もそろそろ勉強を始めないといけないなと考えつつ、備え付けのパイプ椅子に腰かけた。

「えっとー、早見盤は持った。方位磁石に……あ、懐中電灯!」

ガサゴソと荷物を漁って、準備をしているのだろう、部長の背中に問いかけてみる。

「…何か手伝いますか?」
「あ!じゃあ、この懐中電灯に、赤いセロハンを貼ってほしい!」

懐中電灯を3つと、正方形に切られた赤いセロハンと、透明なテープを渡される。
見本も一つ渡された。

「何に、使うんですか?」
「暗順応を維持するためだよ」

聞きなれない言葉に首を傾げていると、前後の分かりづらい顔が振り返ったような気がした。

「白い光を見た後って、瞳孔が収縮して、すぐに暗いところを見ても綺麗に見えないんだよ。その点、赤い色の光なら、すぐに星空へ視界を戻せるんだ。これはね、天体観測では、常識なんだよ」

弾んだ声で語られる。
流石、星オタクと呼ばれるだけあるなと感心しながら、丁寧に見本通り赤い懐中電灯を3本作った。
ガラガラとタイミングよく部室の扉が開かれて、天文部の顧問の先生が顔を出す。

「準備できた?」
「はい」
「じゃあ、行きましょうか」

涼やかな教師の声に導かれながら、屋上へと続く道を、2人の後ろについて歩く。
屋上に上るのは初めてなので、少し気分が高揚していた。

「歩きながら、話すけど、絶対に柵の近くには行き過ぎないこと。トイレとか忘れ物とか、屋上から出る際は、必ず私に声をかけること。いいわね?」
「分かってますよ、先生。天宮君も、大丈夫だよね?」
「はい」

事前に聞いていたので、素直に頷く。
階段を上がっていくと、空気がどんどん澄んでいくような気がした。

「あ、そうだ。天宮君、カイロ持ってるかい?」
「いえ」

振り返った部長が準備していた鞄の中から、それを取り出して渡してくる。
受け取って、ポケットにしまった。

「思ったより、屋上って寒いんだよ。持っておいて、損はない」
「ありがとうございます」

会話をしていると、一つの簡素な扉に辿り着いた。
顧問がカチャカチャと、ドアノブの鍵穴に鍵を差し込んで回す。
扉がゆっくりと開かれると、夜空から冷たい風が体を包み込んできた。
ぶるりと体を震わせながら、肩を上げて、寒さに耐える。
カイロを使おう。

「うん、今日は天体観測日和だね」

カサカサとカイロを出していると、部長の清々しい声が聞こえてきて視線を向ける。
部長の顔は、夜空と同化してしまって、輪郭が分からなくなってしまっていた。
まるで首無しのような出で立ちで、手を広げて仰いでいるので、かなりシュールだった。

「見えるかい?天宮君。あそこで白く輝いている一等星はプロキオンだ。そこから少し上に行って右側が赤のベテルギウス」

空を指さしながら丁寧に説明してくれる。
どの星かいまいち把握できていないが、部長が楽しそうなので、口を挟まずに空を見上げ続けた。

「難しいなら、この星座早見表を見ながらでもいいよ。今日は良く見えるからね、じっくり観察してほしい」

部長は鞄から星座早見表と、先ほど作った懐中電灯を渡してくる。
かちりと懐中電灯をつけて、その早見表と空を見比べてみた。

「あ、あれが、こいぬ座ってことですか?」
「そうそう、その下あたりにはおおいぬ座もあるよ」

夜空に輝く星を辿っていくと、一際明るい星を見つけた。

「…シリウス」
「綺麗でしょ?」

返事はしなかった。
何だろう、何かが浮かんできそうな、

―――星の今、見えてる光って、

「…遠い昔?」
「よく知ってるね、天宮君」

部長と目が合ったような気がした。
部長は話題を広げていく。

「そうなんだよ。星の光は過去の光。今、僕たちが見ている星の光は、もう何年も前のものなんだよ」

部長の言葉を頭で整理しながら、聞き役に徹した。

「例えば、シリウス。この恒星は、約8.6光年離れている。つまり、8年以上前の光が、この地球に届いているということなんだ」

夜空を見上げる。
何だか、昔にもこうやって見上げていたような、そんな気がする。

「美しいよね。過去の光を見ているだなんて、ロマンチックだと思わない?」

『美しい』という言葉に違和感を覚えて、眉を寄せる。
ロマンチック……なんだろうか。
部長の言葉が上手く処理できなかった。

「……本当に星が好きなんですね」
「うん!大好きさ。小さい頃から、星についてたくさん勉強してきたんだ。いずれは、天文学者とか、そういう道に進もうと思ってる」

部長の夜空の中で、流星が流れていった。

「……良い夢ですね」
「天宮君は?何かなりたい職業とか、やりたいこととかあるかい?」

その質問に、口が開けない。
考えていない。
いや、たぶん、考えないようにしていた。
これからのこと、自分の将来のこと。
朔夜との関係のこと。
星座早見表が、くしゃりと歪んだ。
押し黙っていると、部長は続けた。

「焦る必要はない。ゆっくりと考えていけばいい。きっと、この天体観測も、君の大きな糧になる。今はいろんなことを体験する時だ」

表情は分からない。
でも、部長はきっと、穏やかに微笑んでいるのだろう。
想像して、自分も微笑んだ。

「はい」
「さあ、流星群が始まる頃あいだ!準備、準備!」

そう言って、部長がスマホを取り出しているのを見て、ふと、不思議に思った。
僕は何でスマホを持っていないのだろう。
以前は、必要ないって思ってたような気がする。

「……誰かに、言ったような気がする」

でも、目が見えるようになったなら、持っていても使えるだろう。
前向きに検討しようと、気持ちを切り替えて、部長の隣に並んだ。

「そもそも流星って、普通の星と違うんですか?」
「違う違う。そもそも光る原理が違うんだよ」

部長が望遠鏡を準備しながら、掻い摘んで説明してくれた。

「流星はね、宇宙に漂うチリなんだよ。そのチリが地球の大気と衝突して摩擦で発光してる。自ら発行している恒星とは全くの別物なんだ」
「…チリ」

その言葉のニュアンスは、割と嫌いではなかった。

「不思議だろう?こんな綺麗なものが宇宙のチリだなんて、本当に面白いよね」
「…はい」

夜の静けさが深まった気がして、マフラーを撒き直した。
そして、夜空に一際大きな光がきらりと光ったような気がして、目を向けると、その光が落ちていく。

「あ…」
「始まったね」

それを皮切りに夜空を埋め尽くすほどの流星が、地上を照らし出した。
次々に流れていくそれらを、自然と目で追う。
部長も無言で、スマホで写真を撮りつつ、たまに望遠鏡を覗きながら、真剣に観察している。
流星群の光は、いつまでも目に焼き付いて離れなかった。


「今日はありがとうございました」
「いえいえ。気を付けて帰ってね」

部長と一緒に裏門を潜り、早々に分かれて帰路に着く。
行きの時より、足取りは軽く感じた。
前を向いて歩いていく。
時折、視界に自分の息が白く映りこんできて、寒いなと思って歩いていた。

ぞくり

背中に視線を感じた気がして、ゆっくりと振り返る。
そこには誰も居なくて、ほっと息を吐いた。
何となく既視感を覚えたが、それが何か分からず、街灯が背中を後押しする。
早く帰ろう。
そう言い聞かせて、考えるよりも足を動かして、自宅へと向かった。


ざりっ
音は地面へと沈んでいく。