目をくれたあなたへ


桃色の風が吹き抜ける。
桜が咲き誇る校舎までの道を、僕は俯きながら歩いていた。

人を見ないために。

「君っ!囲碁部に興味ないか!」
「……ひっ!」

咄嗟に顔を上げて、悲鳴を上げてしまった。
身体の至る所に、白と黒の瞳が散りばめられている。

―――異形。

怯えをダイレクトに受け取ったその生徒は、不満そうな声を出した。

「……何?何でそんな嫌そうな顔すんの?」
「あ、えっと…ごめん、なさい」

表情が分からない。
視線を右往左往させたが、嫌な思いをさせてしまったことにバツが悪くなり、逃げるように足早にその場を後にした。

「水泳に興味ありませんかー!」
「演劇部!今年は1年生から舞台に出れるよ!」
「君のその手、絵を描く才能がありそうだ!」

勧誘の声が飛び交う。

今日は入学から数日経ち、部活勧誘が解禁された初日だった。
先輩たちは、新しい部員確保のため、躍起になっている。
部活動に興味がないわけじゃない。
むしろ、挑戦してみたいことは、山のようにあるのだ。
でも。

「……みんな、怖すぎ」

頭が真っ二つに割れている異形が通り過ぎる。
それを誰も気にしていない。

異形だらけだ。

教師も、生徒も、用務員さんまで、まともな顔の人間が一人も居ない。

「はあ……」

校舎に入り、人気が少なくなって、一息つく。
こんな調子では、友達はおろか、学校生活も儘ならないかもしれない。
折角、目が治ったのに、と肩を落とした。

少し前まで見えなかった目。
自分の名前以外の記憶もなく、どうして失明したのか、どうして記憶がないのか、未だに分からない。
しかしある日を境に、真っ暗だった世界を光が包み込んでくれた。
闇から抜け出たことが嬉しくて、外へ飛び出した時の光景は、一生忘れることはないだろう。

異形だらけの地獄絵図。

思わず悲鳴を上げて、家に逆戻りしていた。
普通の姿の母に相談しても、まともに取り合ってくれることはなく、そのことに最初は悩んでいたが、今は外を歩ける程度には見慣れた。

鞄の中から、一枚のB4用紙を取り出す。

入部申請書
天宮 透
天文部

今日の目標はこの入部届を部長に渡すこと。
放課後に天文部の部室を訪ねてみようと、決意をしてから、教室へと向かった。


「天宮くん」

休憩時間、声をかけられて、反射的に顔を上げた。
クラスの委員長だ。
ピチャピチャと血で濡れた足を動かしながら近づいてくる。
音はするのに、歩いた後の地面は綺麗なままで、どういう原理なんだろうと思いながら話を聞く。

「昨日配られた書類、まだ提出していないみたいだけど、持ってきてる?」

言われて、鞄を探ってみる。

「ごめん、忘れたみたい」

素直に謝れば、手に持っている天秤が傾いた。
体の色が白黒で、顔色までは分からないが、その表情が少し怒りを含んでいることは分かる。
それに自然と頬が引きつった。

「ったく、提出物を集める身にもなってくれ。明日は必ず持ってきてくれよ」

踵を返して、ピチャピチャと自分の席へと戻っていく委員長の背中を見送って、溜息を吐いた。
ドクドクと心臓が鳴っている。
あの委員長の見た目は心臓に悪い。
一難が去ったことに安堵の息を吐いた。

「良かった……」
「何が?」

ガタンッ
頭上から降ってきた声に、思わず椅子と一緒に後ろへと下がった。

「怒られたのに、良かったの?何で?」

キシキシと、縫われた糸が口を動かすたびに軋む。
前の席に座っている、三科だ。
こちらの机に頬杖をついて見上げてくる。
人型に近い見た目で、そこまで忌避を感じないが、口が痛そうでいつも目を逸らしてしまう異形だ。

「あ、あー……聞こえてた?内緒にしておいて」

適当に誤魔化そうと口端を上げれば、三科も引っ張られた糸を皮膚に食い込ませながら、口端を上げた。

「天宮って案外悪い奴だね」

楽しそうに目を細めて、ケタケタと笑う姿は、なんとなく狐を想起させる。

「そういえば、天宮は部活に入るの?」

今度は笑いを引っ込めて、興味津々と身を乗り出してきた。
前後で喋る機会が多いのは、この三科の積極的な性格のおかげでもある。

「天文部、気になってる。三科君は?」
「俺は……」

その時、三科の口に縫われた糸がキュッと強く引き締まった。
それを血が滲むのもお構いなしに、無理矢理こじ開けようとしている。

「やりたいことないんだよね」

ダラダラと血が口の周りから流れ出し、机を赤く染め上げていく。

「あ…」

机から手を離す。
三科はそれに気付かずに、声をかけてきた。

「どうしたの?」

口が切れているのに、本人は気にも留めていない。
痛くないのかなと思うも、口に出すのは憚られて、視線を逸らすだけに留めた。

「……何でもない」
「…?変なの」

チャイムが教室に鳴り響く。
頭が横に長く伸びている教師が声をかけると、三科は前を向いてしまった。

ペンを持つ指先に力を入れる。
今日も半分以上見えない黒板との勝負に、気合を入れた。