喧騒は遠い。
一人になると、途端に世界が自分だけを、拒絶しているような気がしてくる。
何となく、クラスから離れたくて、4階に来てしまった。
ここの階にあるのは、天文部の部室だけで、文化祭とは切り離された空間のように感じる。
場違いな看板が、天文部部室の扉の前にポツンと置いてあった。
『プラネタリウム観賞 ご自由にどうぞ』
少しポップな文字が、手招きしているように感じる。
自然と扉の前に足を運ぶと、書き置きが置かれていた。
「ただいま、離席中?」
トイレか、あるいは別の用事か。
人が居ないこの状況では、さして問題はなさそうだが、不用心だとは思う。
受付表に名前を書くように指示されているので、ペンを走らせると、机の隅に折りたたまれたチラシが目に入った。
開いてみると、演劇部の宣伝広告のようだった。
『うたかたの恋』
演者の写真やあらすじが書かれていて、興味が惹かれる内容になっている。
午後の公演まで、まだ時間がありそうだった。
「…行ってみようかな」
プラネタリウムの中に入ることなく、階段へと足を進める。
目指すは、体育館だった。
体育館の中は、人でごった返ししていた。
つい先ほど、軽音部によるライブが終わったようで、次が演劇部の公演だが、入退場の時間で数分の時間が設けられていた。
後ろの方の席はほとんど取られていたので、腰を低くしながら、前の席に座る。
ひんやりとした冷たさがお尻に伝わってきた。
友達や恋人などの複数人で観覧する人が多いからか、話し声が方々から聞こえてくる。
勝手に持ってきてしまったチラシをもう一度見た。
『皇太子と男爵令嬢の身分差の切ない恋物語』と書かれている。
「…恋か」
ポツリと言葉を漏らしていた。
自分が抱いている朔夜に対しての感情の名前には、合わないような気がする。
じゃあ、僕は、朔夜をどう思っているんだろうか。
今も、朔夜が居ないと寂しいと思ってしまうし、朔夜との時間が宝物に感じている。
それでも『恋』ではないような気がしていた。
フッと体育館の電気が消される。
窓からの光だけになった体育館に、静寂が訪れた。
始まるようだ。
舞台に明かりが灯る。
カーテンがゆっくりと開かれていった。
正直、学生の演劇なので、クオリティはそんなに高くないだろう。
セリフ読みもあまり感情に響いてこない。
内容も、結構粗削りな部分が多く、素人が書いた台本だとわかってしまうくらいには、少し幼稚な感じはした。
でも、セリフの言い回しは好きだったりする。
「……いけないわ、私は、すっぽん」
「構わないさ、君がすっぽんだろうが、提灯だろうが」
独特な言い回しには、思わず吹き出してしまった。
それからもう一つ、面白いのが、皇太子役の男性は顔が異様に大きく、男爵令嬢役の女性が顔が異様に小さいという、対照的な見た目をしていることだった。
皇太子役は、どれだけ目を凝らしても、顔のパーツがはっきり見えない。
その代わり、目だけ異様にくっきりしていて、ぎょろぎょろと観客の方を見ている。
目を合わせないようにすることが大変だった。
男爵令嬢役の女性は顔が小さいせいで、殆どパーツは見えないが、唯一口だけははっきりと見える。
その口から発する言葉は、少し遅れて聞こえてきているような気がした。
異形の見た目からコミカルに感じる劇を観ていると、視界が2重に見えた瞬間があった。
あれ?
皇太子と男爵令嬢が手を繋いでキスをしている。
その光景がブレた。
―――夜
―――公園
―――男の子
―――手を繋いでいる
―――笑顔
周囲のひゅーっという冷やかしの声で、視界が戻る。
額に手を当てて、眉を寄せた。
記憶?
演劇は続く。
物語は佳境に入ったようで、寂しいBGMが流れ始めた。
何となく空気が張り詰めたような感じがして、背筋を伸ばす。
皇太子が男爵令嬢に大きな身振りで、訴えかけていた。
「すべてが偽りに見えてくる」
『偽り』という言葉がこびりつく。
音が、滲む。
誰かの声が重なって、不協和音を奏でていた。
「君のいない僕の未来を望む世界は」
ノイズが走る。
重なって聞こえているせいで、よく聞き取れない。
無意識に耳に手を当てていた。
現実の音と重なって聞こえてきた声は、僕だった―――。
「なんて、残酷なんだ」
―――なんて、消えてしまえばいいのに。
僕が、願った?
何を?
誰に?
息を吐き出す。
思考よりも先に、また声が聞こえた。
「あなたが望む世界を、一緒に」
―――なら、俺が、叶えようか。
喉を鳴らした。
背筋が凍る。
この記憶は何だ。
断片的でわかりづらい。
でも、これだけは、はっきりしていた。
僕が願って、それを誰かが、叶えようとしていた。
震える手を口元に当てて、目を伏せる。
視界にぼおっと、炎が掠めた気がした。
「……叶えた?」
事故は、偶然ではなかったとしたら?
もし、その事故が僕の願いを叶えようとしてくれたものだとしたら?
「……僕が、殺した?」
声と同時に、大きなピアノの音が聞こえて、僕の呟きは空気に染み込んでいく。
脳が揺さぶられたように重たくて、目元を手で覆って背もたれに体を預けた。
頭ではずっと、拙い自分の声が流れ続けている。
―――消えてしまえばいいのに。
僕は何を消したかったのか。
それを叶えようとして起こした事故なのだとしたら、
僕自身?
両親?
世界?
答えの出ない自問を繰り返していると、パッと体育館が明るくなった。
演劇が終わったようだ。
溜息を吐いて立ち上がろうとすると、笑い声が聞こえた。
そして、重なる。
また、僕の声だ。
笑っている。
「それでさあ、…ははっ、分かる」
―――ははっ、ありがとう。
嬉しそうな声。
そして、軽い。
胸が苦しくなる。
ああ、これはいけない。
僕の軽さが、この重たい世界を造り出したのだとしたら―――
自分を呪いたくなる。
拳を握って、歯を食いしばる。
背中が急激に重たくなったような気がした。
足取りは重い。
気分は晴れず、体育館を出てからも、文化祭を楽しむ余裕はなくて、自分の教室へと足を向けた。
階段を上りきると、お化け屋敷の教室から、楽しそうな声が響いてくる。
自然と朔夜の声を探していた。
「……聞こえるわけない、か」
自嘲気味に笑って、その空間に背を向けた。
自分のクラスで受付をしているクラスメイトに声をかける。
「お疲れ様です」
「あー、お疲れー。変わってくれるの?」
「はい」
「じゃあ、お願いね」
引継ぎもそこそこにクラスメイトは立ち去っていく。
席に座って、受付表に視線を落とした。
ずらりと並ぶ名前を辿っていく。
自分の名前を見つけて、指を止めた。
その下に書かれている名前に、そっと指を触れる。
『白峰 朔夜』
彼に会いたい。
彼の温度に触れたい。
僕の隣に居てほしい。
指先が震える。
息がしづらい。
吐き出した息は歪んでいた。
「…天宮君?」
声が聞こえてきて、意識が浮上した。
認識するとぶわっと甘い香りが、覆い尽くしてきた。
「…あ、実行委員の仕事、お疲れ様」
「うん、もうほとんどやることなくて…。見回りついでに、いろんなお店を回ってた」
チョコまみれの実行委員は、未だに胸からチョコを出し続けているが、手元には何も持っていなかった。
鼻から甘い匂いが脳を刺激して、思考が麻痺してくる。
浸食されていくような感覚に、眉を寄せた。
「あ、あの……もしよかったら、今日の放課後、とか…」
「ごめん、今日は用事がある」
ちょっと強めに出た言葉に、自分でも驚いた。
実行委員の彼は、目を丸くさせたあと、顔を俯かせてしまった。
「…そっか」
ほんの少しの罪悪感が過ったが、訂正するつもりはなくて、別の話題を口にする。
「カップケーキの引換、していく?」
「あ……うん」
「じゃあ、ここに名前、書いて」
ペンを差し出すと、彼は素直に受け取って文字を書いていく。
券を受け取って、教室の中に促すと、実行委員の彼は、ふと思い出したかのように立ち止まった。
「天宮君」
「ん?」
顔を上げて、彼に目を向けると、チョコが溢れ出している胸に手を突っ込み始めた。
この光景は以前にも見たことがある。
ぐちょり。
生々しい音に、口内が甘い匂いで満たされる。
唾を飲み込んだ。
「これ、いろいろ協力してもらったお礼」
心臓のチョコを両手で大事そうに差し出してくる。
ボタボタと机にチョコが滴り落ちていた。
ドクンドクンと動き続けているそれが、あまりにもグロテスクで、視線を逸らす。
「これからも、俺と……仲良く、して、ほしい」
強く願うように、意を決して口を出された声に、同情心が沸く。
眉を下げて、彼を見上げると、深々と頭を下げていた。
受け取らないのも、悪い気がした。
「…分かった」
「……っ!ありがとう!」
両の掌を見せる。
嬉しそうに顔を上げた実行委員の彼は、ゆっくりと僕の手に、心臓のチョコレートを落とした。
びちゃ
ぬるりとした感触が手のひらから伝わってくる。
気持ち悪さから顔が歪む。
実行委員の彼は、教室へと足を進めていった。
「溶けないうちに、食べてね!」
その声に、返事はしなかった。
