目をくれたあなたへ


雲が疎らに空に浮かぶ。
肌に馴染む気温に心地よさを感じるようになってきた。
落ち葉が今日のイベントを祝福している。

「ねえねえ、どこ見て回るー?」
「とりあえず屋台とかじゃないか?」
「本格的だよね!学生の文化祭とは思えないよ」

文化祭当日。
開幕から大盛況の今日は、学校の至る所が活気に満ち溢れていた。

ほんの少しだけ喧騒と離れた下駄箱から、両手にたくさんの食べ物やグッズを抱えている人を眺める。
僕もあの食べ物を食べたいなと考えていると、階段の方から足音が聞こえてきた。

「お待たせ!透!」
「そんな慌てなくていいのに」
「何言ってるんだ、少しでも透と一緒に回りたいんだよ」

小走りに走り寄ってくる朔夜は、クラスで独自に作ったTシャツを着ていて、少し派手な装いだった。
お化け屋敷の宣伝文句が背中に書かれている。

「ごめんな、流石に一日クラスを空けるわけにもいかなくて」
「いいよ、僕も午後のどっかでは店番を交代しないといけないし」

予想はしていたことなので、然程驚きはなかった。
二人並んで歩き出す。

「朔夜はどこ行きたい?」
「んー…まだ食べるには早いもんな。なんかミニゲームやれるところ探す?」
「あ、野球部が輪投げやってるって」
「や、野球部か……」

朔夜が渋い顔をしたので、理由を聞いてみると、困った声を出して教えてくれる。

「まともな奴らじゃないから、まともな輪投げとは思えない」

朔夜の呆れた顔は新鮮で、思わず笑ってしまう。

「よし、やめよう」
「ははっ、覗くだけ覗こうよ」
「覗くだけだぞ?」

不満そうな顔が面白くて、更に笑う。
暫く、朔夜と居る時間が少なかった反動か、どんどん胸が満たされていく。

「あ、さっき美味しそうなもの見つけたよ」
「どんなの?」
「大きなピンク色のせんべいが2枚見えた」
「…たません、か?」

屋台を横目に人ごみを朔夜と歩く。
自然と手が繋がれていた。
温かい温度が身体を覆い尽くす。
道を切り開くように、ほんの少し先を歩く朔夜の上背が、心地良い。
目的地に着いて、結局、輪投げに参加して、普通じゃない輪投げに大笑いして、また別のコーナーに移動して。
時間はあっという間に過ぎていった。

屋台でお昼ご飯を購入して、空いていたベンチに二人で腰掛ける。
ふと、初めて会った時に、2人でベンチに腰掛けながら、話をしたことを思い出した。
あの時から、朔夜は変わらず、お茶目で、かっこよくて、綺麗だったなと思い返す。
すると、頬に冷たい温度が伝わってくる。

「はい、紅茶」
「ありがとう」

カラカラだった喉に、一気に流し込んだ。
一息ついて朔夜の方を見れば、同じように呷っている。
お互いに購入したご飯を食べながら、ほんの少し前の思い出話をした。

「水泳部の、水着ファッションショー、面白かった」
「あれは、爆笑したなあ。だって、何が違うか分かんないんだからさ」
「サッカー部の輪投げも面白かったね」
「対抗心燃やし過ぎて、もう何やってるのか分からなかったけどな」

思い出し笑いをしながら、ご飯を口に入れる。
広島焼、美味しい。

「美味しそう、俺にも一口くれないか?」
「良いよ、はい」
「…っ」

箸で掬って朔夜の口元に持っていくと、朔夜が固まってしまった。
目を見開いて、じっと広島焼を見ている。

「どうしたの?…嫌だった?」
「…いや、食べる」

ちょっと長めの茶髪を片手で押さえながら、口を開けてくれた。
目を伏せて近づいてくる顔も、シャンプーの良い匂いのする髪も、瑞々しく光る唇も。
全部が綺麗で、視線を離せない。
食べ物を口に入れて遠ざかっていくことが少し寂しい。
朔夜は口を動かしながらも、顔を背けて口元を手で隠す。
耳が赤かった。

「…見すぎ」
「ごめん、見惚れちゃった」

微笑むと、朔夜は眉を寄せて、困った顔をする。
大きな息を吐き出していた。

「他の人にはやらないでね」
「朔夜だけにしか、やらないよ」

少し恥ずかしくなってきて、はにかむと、朔夜が仕返しとばかりに、食べかけのフランクフルトを口元に持ってきた。

「透も」
「え…」

口を尖らせて要求してくる朔夜とフランクフルトを交互に見ながら、観念して口を開く。
頭上からの視線に、頬に熱が籠ってきた。
プチン、クチャ。
異様に耳に響く自分の咀嚼音が、恥ずかしい。

「……ごめん」
「分かればよろしい」

口元を隠しながら、朔夜を見れば、目が合って二人で吹き出した。
心が満たされていく。

「…この後は?どうする?」

ご飯を食べ終えて片づけをしていると、朔夜が聞いてくる。
心なしか、寂しそうな声に、目を細めた。

「朔夜がクラスにいかなきゃいけないなら、僕も一緒について行くよ」
「じゃあ、次は俺のクラスだね。ついでにお化け屋敷入っていくか?」

その質問には首を横に振った。

「僕、お化け屋敷に耐えられる自信ないよ」

こんな異形だらけのお化け屋敷、本物のホラーだ。
夜、眠れなくなってしまう。
その気持ちを察したのか、朔夜は肩を竦めるだけだった。

「分かった。…そういえば、天文部は何もやってないのか?」
「やってるよ」
「何やってるんだ?」
「プラネタリウム」

教室を黒の弾幕で覆って暗がりにした部屋に、プラネタリウムが常に回っているだけの空間。
一応、店番は一人必要だけど、部長が一人でやるから、問題ないと言われてしまった。

「特にやること無いから、交代は不要だって」
「そっか。じゃあクラスの方だけ?」
「うん、午後に少しだけね」

二人で校舎に入っていく。
朔夜のクラスまでの道中で、たくさんのことを話した。
準備期間の空白を埋めるように。
この後の独りの時間が寂しくないように。

「あ、もう、着いちゃった」

朔夜のクラスが見えて、思わず口から零れる。
朔夜の握る手の力が強まった。

「先に、透のクラスに行こう」

ぐいっと引っ張られて、朔夜の後を追いかける。
朔夜も同じ気持ちならいいのに。
その願いは口の中から、溢れ出すことはなかった。

僕のクラスの受付をしているのは、クラス委員長だった。
中で説明している三科も見える。
混雑はしていないが、そこそこお客さんも入っていて、良い感じにカップケーキも売れていた。

「お疲れ様」

声をかけるとクラス委員長はこちらを一瞥して、受付表に目を落とす。

「お疲れ、入る?」
「うん、2人」
「券は?」

予め用意していた2枚のカップケーキ引換券を渡すと、中に通された。

「あ、天宮じゃん、いらっしゃい。楽しんでるか?」

三科が声をかけてくる。
それに素直に笑顔で応えれば、ちらりと朔夜の方に目を向けていた。

「友達と一緒だったか。どれにする?」

『友達』という言葉にちょっと違和感があった。
何かを忘れているような、そんな感覚。
いつの間にか口を噤んでいたら、朔夜が下から覗き込んできた。

「透?」
「……何でもないよ」

二人でそれぞれカップケーキを選んで、トッピングをしていく。

「朔夜、綺麗に盛り付けしたね」
「ふふん。透のもちょっと触っていい?」
「いいよ」

まだ、生クリームしか載せていなかったカップケーキに器用に盛り付けしてくれる。
可愛いカップケーキになったのを見て、気分が高揚した。
これは割と癖になるかも。

「他のお客さんも結構楽しんでくれてたよ。…はい、メッセージカード」

横からひょっこりと現れた三科がメッセージカードを渡してきた。
色違いで朔夜にも渡している。
ペンを持ちながら、そのメッセージカードをじっと眺めた。

何を書こうか。

「透に、書いてもいい?」
「…僕?」

悩んでいると朔夜がにっこりと微笑む。
それなら、僕は朔夜に書くのが、良いだろうか。

「なんだか、短冊の時のことを思い出すね」
「確かにっ」

朔夜が肩を揺らしながら笑っている。
その表情を見て、手を動かした。
ペンが勝手に文字を象っていく。
書き終えて、さっと隠す。

「え?透、もう書いたの?」
「うん」
「何て?」
「…内緒」

口に指を当てれば、朔夜がきょとんと顔を落として、口を尖らせる。

「じゃあ、俺も後で書く」
「分かったよ。じゃあ、終わったら交換しよう」
「いいな、それ」

カップケーキを二人で頬張った後に、教室を出た。
朔夜のクラスの喧騒が耳に届いてきて、楽しい時間の終わりが迫ってきていると実感する。
ぎゅっと手を強く握れば、朔夜も握り返してくれた。
クラスの前で自然と立ち止まって、無言の時間が流れる。

「今日、さ。片付け終わるまで、待っててくれる?…透と一緒に帰りたい」

朔夜が、肩越しに振り返って真剣に目を向けてくる。
その目に吸い込まれそうだ。
胸に目いっぱいの空気を入れて、返事をした。

「うん。……待ってるね」

手を放す。
熱が逃げていったが、温もりはじんわりと手のひらに絡みついている。

「あ、白峰!やっと来たな!交代だ、交代!」
「分かったって」

クラスメイト達の輪の中に入っていく、朔夜。
楽しそうな声に、見えない壁ができたみたいで、無意識に息が詰まる。
朔夜が振り返って手を振ってくれた。
それに手を振り返して、中へと入っていく後ろ姿を見送る。
朔夜のクラスの物だろうか。
赤と金のパッケージが、個包装で敷き詰められた袋から、チョコレートの甘い匂いが漂っていた。