目をくれたあなたへ


「また、呼んでるよ」
「…行ってくる」

三科が指さした方向を見ることなく、席を立った。
チョコまみれの実行委員は、よく教室を訪れたり、声をかけてくるようになった。
受け入れてしまった手前、文句も言えずに付き合うことが多い。
毎日ではないので、断りずらいというのもあるが。
無意識に溜息を吐いてしまって、慌てて口を噤む。
甘い匂いが、体に巻き付いてきた。

「ご、ごめんね、天宮くん」
「…いいよ」

文化祭の準備も大詰めに入り、実行委員は何かと忙しいようだ。
教室にわざわざ顔を出したということは、文化祭関連だと思う。

「何だった?」
「えっと…今日の放課後、何か予定あるかなと思って…」

思ってもみない質問に、目を瞬かせる。
予定を聞かれたのは初めてだった。

「…何で?」
「あ、そ、その……」

歯切れ悪く言葉を切る。
そんな彼を訝しみながらも、言葉を挟むことなく待ち続けた。

「……当日、人に説明しなきゃいけなくて…。でも、自信がないんだ。だから…」

また口ごもってしまう、彼の言葉の続きを口にしてみた。

「…練習に付き合えばいい?」
「…う、うん!いい、かな?」
「まあ、聞くだけなら」

実行委員の彼は顔を綻ばせる。

「ありがとう!」

挨拶をそこそこに立ち去る後ろ姿を見送る。
時折、振り返って手を振る彼に、苦笑しながら小さく振り返した。
犬みたいだなと思っていると、ぞくりと背中が粟立った。
視線を感じる。
唾を飲み込んで、ゆっくり振り返った。

生徒たちが戯れている姿が目に映る。
違和感はない。
白い廊下には、ほんのりと生温い風が吹き抜けていく。
ふと、視線を感じた先には、朔夜のクラスもあるなと認識する。
しかし、考えすぎだと首を横に振った。

「…気のせいだ」

小さな呟きは、廊下の喧騒に掻き消えていく。
廊下に影を残して、教室へと戻っていった。


その日の放課後、用事が終わったら呼びに来るということで、日が沈みかけている教室で、読書をしながらチョコまみれの実行委員を待っていた。
他のクラスからは、放課後の文化祭の準備に参加する生徒たちの話し声が聞こえる。
彼が教室に顔を出したのは、だいぶ夜に近づき始めた空が見える頃だった。

「お、お待たせ。ちょっと、手間かかっちゃって」
「いいよ。でも、30分だけでもいい?夕飯もあるし」
「うん…大丈夫」

本を閉じて、会話をそこそこに内容を聞くと、実行委員総出で、来場者への説明を行うらしい。
簡潔に、節度を守って観覧するようにという内容だった。

「…結構長いね」
「うん…だから、不安、なんだ。ほら、俺、こんなだし…」

自分を卑下し、俯いてしまう。
その自信のなさで、何故実行委員になったのか、疑問に思ったが、問うことはしなかった。

「まあ、慣れておくには越したことないから、付き合うよ」
「ありがとう……ああ、緊張する…」

空洞の胸に手を当てて、深呼吸をしている。
相変わらず、胸からチョコが垂れていた。

「本日は、ご来場いただき……」

実行委員の彼の声を聞きながら、考えるのは文化祭当日のことだった。
朔夜と回るつもりだけれど、ずっと一緒に回ることは難しいだろう。
僕も朔夜も自分たちのクラスの出し物がある。
天文部の方も、ちょっとした催しをするので、そちらにも顔を出さなければならない。
限られた時間で、朔夜とたくさん回れたらいい。
そう、願ってみて、自嘲気味に笑う。
頑張ってねって、背中を押したくせに。

「…天宮くん?」
「ん?」
「大丈夫…?」
「…うん、平気だよ」

実行委員の彼に微笑んでから、感想を述べた。

「ちょっと、ゆっくり過ぎて、聞き取りずらかったかも。全体的にもっとテンポよく話すと、聞いてる側もストレスないと思う」
「わかった。…やってみる」

彼がまた喋り出す。
それを僕は黙って聞く。
何度かそれを繰り返して、そろそろ終了をしようかと話をしていた時のことだった。

ガラリ

教室の扉が開き、入ってきた人物に、目を丸くした。

「…朔夜?」
「……っ」

朔夜は言葉を詰まらせているが、表情は俯いていてよく分からない。
握った拳は、震えていた。
隣で同じく朔夜を見ていた実行委員の彼だったが、初対面だからか、困惑した顔をしている。

「…天宮くんの、知り合い?」
「うん。僕のとも…」
「透!」

遮るように、朔夜が大きな声を出しながら、ぎゅっと強めに腕を掴んできた。

「…っ」

思わず声が漏れるが、そこで朔夜の顔が見える。
余裕な姿は感じられない。
理由を考えている間に、朔夜が口を開く。

「文化祭!…一緒に、回ろう!」

驚きながらも、彼の顔から目が離せない。
その約束は以前したはずだが、切羽詰まるその表情に、頷くしかなかった。

「おーい、白峰ー!行くぞー」

廊下の方から朔夜を呼ぶ声が聞こえる。
朔夜は廊下を見て、また僕に視線を戻して、言葉を詰まらせていた。
その様子を見て、何か、焦燥に駆られている気がしたので、彼の腕をポンポンと優しく叩いた。

「…朔夜、大丈夫だよ」
「……っ」

歯を食いしばる朔夜は、今まで見たことのないほどの歪んだ顔をしていた。

「ごめんっ、透。……また」
「うん。頑張って」

踵を返す瞬間、朔夜は実行委員の彼に視線を移した。
ぞくり。
背中が粟立つ。
その瞳から感情が読み取れなくて、真っ新なその顔は、知らないものだった。
廊下で感じた視線と重なったような気がした。

教室から出ていく朔夜の背を見つめていると、甘い匂いが近づいてくる。

「あ、あの人に…僕、何かしましたか?」
「……いつもはああじゃないんだけどね」

軽く微笑んで、もう一度朔夜が消えていった廊下へと視線を移す。
感情の正体は分からなかったが、無意識に頬が緩んだ。
考えるのは後回しにして、実行委員の彼へと向き直る。

「帰ろうか」
「うん。……また付き合ってくれる?」
「…自信がつくまでね」
「ありがとう」

二人で教室を出る。
甘い匂いと、声の余韻が、教室にこびりついていた。