ざわざわざわ
喧騒が空気を広げていく。
少しだけ、息が細くなる。
朔夜は綿あめを持って、不安そうな顔をしていた。
「透、どこに居たの?」
「…ちょっとね」
誤魔化すために苦笑すると、朔夜は怪訝な顔で不満そうな声を出してきた。
「…浴衣の膝が汚れてる。よく見たら、足袋も黒ずんでる」
静かな追及に、少したじろいだ。
いつもは流してくれるのに、今回は珍しくトゲを刺してくる。
視線を彷徨わせて、口を開いては閉じてを繰り返した。
でも、言葉は出てこない。
「りんご飴も。どこで買ったの?」
「近くの屋台で…」
「近く…?」
朔夜が首を傾げるので、場所を教えようと朔夜の後ろ側に目をやって、指がピクリと固まる。
どこにあったか、分からなくなっていた。
確かにお金も払ったし、こうしてりんご飴も持っているのに。
朔夜は見兼ねて、呆れを含んだ困り顔で情報を教えてくれる。
「この辺は、出店禁止エリアだから、まず屋台はないと思うけど」
「……」
では、自分は何にお金を払って、りんご飴を受け取ったんだろう。
急に、手に持ったりんご飴が異質に見えた。
キラキラと、光を反射させているりんご飴が、見つめてくる。
食べて。
甘い匂いが鼻を掠めて、思わず喉が鳴った。
「…透」
低い静かな朔夜の声にがばりと顔を上げる。
喉が渇く。
「そのりんご飴は俺が貰う。…ほら、綿あめ」
綿あめを差し出され素直に受け取ると、朔夜はその場にしゃがみ込む。
浴衣に付いていた土を払ってくれた。
その後にそっと足袋にも触れる。
「……ほっとけないな、透は」
「あ、りがとう…」
気恥ずかしくなって、視線を横に向ける。
朔夜は立ち上がると、りんご飴を持っていってしまった。
「さ、花火の開始時間が近いから、移動しよう」
「うん」
自然と手を繋ぐ。
明るい世界へ引っ張ってくれるその背中から、目が離せなかった。
花火の観覧スポットは人でごった返していた。
石段は既に占拠され、残っているのは、立ち見が推奨される交通規制がかけられた道路だけ。
親子連れやカップル、友達同士など、いろんなグループが集まっている。
規模もそれなりらしい。
「どれくらい打ち上げられるんだっけ?」
「えっと…2万くらいだったかな」
「結構多いね」
スラスラと情報が出てくる朔夜に感心する。
博識だけれど、勉強が不得手だったり、少し抜けていたりといろんな姿を見てきた。
月明かりに照らされた今の彼からは、落ち着いた雰囲気も感じる。
今日の夏祭りの姿には無邪気な一面もあって、新鮮だった。
朔夜が時計を確認してくれる。
「後5分くらい」
「そっか」
綿あめを口に含む。
口内で一気に溶けてねっとりと纏わりつく甘みを、舌で転がした。
「夏休み、あと半分しか残ってないな」
寂しそうに夜空を見上げながら朔夜が口火を切る。
ちらりと朔夜の横顔を見ながら、「そうだね」と返事をした。
「透は、残りの夏休みの予定は?」
「特にないかな」
お盆の間は、自分の両親の弔いを込めて、家で細やかに執り行おうと思っている。
それ以外は、特にやることは決まっていなかった。
「課題、終わった?」
「うん、終わってるよ。…もしかして、朔夜は終わってないの?」
朔夜を横目で覗いてみると、バツの悪い顔をしていた。
苦笑いを浮かべて、朔夜の肩に、自分の肩を優しく当ててみた。
「後が大変になるよ」
「おっしゃる通りです…」
肩を落とす彼は、眉を下げて頭上から情けない声を出した。
「助けてくれたり、する?」
「…いいよ」
呆れながら返事をすると、朔夜はあからさまに嬉しそうな顔をした。
「夏休み終わったら、次は文化祭かな」
「…文化祭」
聞きなれないその単語は、なんだか甘美な響きがした。
「どんなことするの?」
「いろんな出し物を出して、お客さんに楽しんでもらう、お祭りだよ」
「僕たちが出し物を出すの?」
「うん。夏休み明けたら、クラスで決めると思うよ?」
外部からも人が来るなら、かなりの規模になる。
少しだけ期待が増した。
「…楽しそう」
緩む頬を朔夜に見られて、はにかむ。
朔夜の握る手が強まった。
「…一緒に回りたい」
「…うん」
朔夜の瞳と繋がる。
瞳の奥で、赤色が微かに揺らめているように見えた。
ドーン
大きな音と歓声に肩が跳ね上がった。
朔夜も同じような反応をしていたので、二人で笑い合う。
握る手を強めて、朔夜と一緒に空を見上げた。
いろんな形を作りながら、空で花を咲かす花火。
同じ火でもこんなにも違うのだと、目を細める。
あの時の炎は、もっと熱くて、もっと激しかった。
オレンジ一色の光景は、脳裏にこびりついて離れない。
その記憶を塗り替えるように、綿あめの甘みが広がっていく。
朔夜の影が、花火が打ちあがる度に揺れ動いた。
「綺麗だね、朔夜」
朔夜がこちらを振り向く。
細めた目が光に反射した。
「うん。綺麗だ」
手を握る温度は、花火の音が収まっても、暫く離れなかった。
花火が終わると、喧騒が強まり、人の流れができ始める。
それに押し流されないように、朔夜に体を寄せた。
「落ち着いてから、移動した方がいいよね?」
「うん、そうしようか」
綿あめがなくなった割りばしをくるくると弄ぶ。
人の波が奥へと捌けるまで、数分。
圧迫感が消えて、閑散とした雰囲気が残った。
朔夜と行こうかと目配せして歩き出した時、声が聞こえた。
泣き声だった。
朔夜にも聞こえたようで、二人でキョロキョロと辺りを見回すと、1人の少女が蹲って泣いていた。
周囲を見ても、付き添いのような大人は居ない。
迷子だろうか。
近づいて、子供と同じ目線になるようにしゃがんでから、声をかけた。
「大丈夫?」
「……だれ?」
泣きじゃくっていた少女は驚いたのか泣くのを止めて、声を返してくれる。
顔を上げた。
「…っ」
眉毛も、目も、鼻も、口もない。
のっぺらぼう。
驚きで息が詰まるが、何とか息を吐き出して、声を乗せた。
「…お父さんと、お母さんは?」
そう尋ねると、少女は沈黙して、また泣き始めてしまった。
どうしたら良いのか分からない
表情が分からない子供相手に、どうしたら泣き止んでもらえるのか、見当もつかなかった。
おろおろしていると、隣にしゃがむ気配を感じた。
「花火、綺麗だったね」
朔夜が少女に話しかけてくれた。
少女の泣き声が収まり、嗚咽だけになる。
素直にその子は頷いた。
「……うん、綺麗だった」
「ハートの形、可愛かったよね」
「うんっあとね、あとね、ニコニコマークもあったよ!」
徐々に声が元気になっていく。
ホッと一息吐いた。
少女は朔夜に任せることにして、親を探そうと立ち上がる。
人が疎らに居たが、子供を探しているような人は見当たらない。
こういうところの迷子はどこに行くのが正解なのか、悩んでいると、朔夜が少女を肩車して立ち上がった。
誰よりも高い場所に少女が喜んでいる。
打ち解ける早さに驚嘆した。
「パパとママいるー?」
「んー……あ!居たっ!」
少女が指をさす。
その指の先には、男女が周囲を見ながら小走りに近づいてきていた。
少女が「おーい」と手を振ると、気が付いて走り寄ってくる。
その顔は、まるで福笑いをした後のように、ぐちゃぐちゃだった。
少女の両親は朔夜から少女を受け取ると、ぎゅっと抱きしめる。
「ごめんな、ちゃんと見てなくて」
「いいよ!お兄ちゃんといっぱいお話しできたから!」
「ありがとうございます」
少女の両親は朔夜にたくさん頭を下げて、朔夜は「いえいえ」と返して謝罪を受け取っていた。
少女とその両親の顔が揺らぐ。
少しだけ、普通の顔が重なった気がした。
彼らと別れて、朔夜と二人きりになる。
振り返った朔夜は清々しい表情をしていた。
「良かった、見つかって」
「朔夜のおかげだね」
「そうかな…」
「そうだよ」
僕には無理だった。
泣いている子供の涙すら映らないこの目では。
無意識に朔夜の服の先をつまんでいた。
心配そうな朔夜の顔が目に映る。
どこも変じゃない、普通の朔夜の顔。
痛感する。
彼無しでは、生活することは叶わなかった。
これまでも、これからも。
例え、それが偽りであったとしても。
この手を離したくない。
「帰ろう、朔夜」
朔夜の目を覗き込む。
揺れ動くその瞳が愛おしくて、微笑んだ。
そっと握り返してくれた手の温度に縋る。
僕の温度が、彼にも伝わるように。
ふと、ごみ箱の中のりんご飴が目に入った。
暑さで溶けて、りんごの身がむき出しになっている。
齧った痕がひとつもない真っ新なりんごだった。
