「もう結構です」と離縁状を差し出した冷遇正妃ですが、その日から寡黙な皇帝陛下の溺愛が止まりません

 静かな宮。一年もの間過ごした自分の宮。いつもと同じはずなのに、どこか違う。
「翠蘭。」
低い声。翠蘭が振り返ると、そこに立っていたのは、皇帝陛下だった。初めて。皇帝陛下がこの宮に足を踏み入れた。真正面から翠蘭を見つめる。
「…陛下。」
「お前に話がある。」
翠蘭は、わずかに目を伏せた。
「もう、話すことなどございません。」
皇帝陛下が少しずつ近づく。
「ある。」
その一言の強さに、翠蘭の動きが止まる。皇帝陛下との距離がぐっと近づく。
「離縁は認めない。」
はっきりと告げられた翠蘭の眉がわずかに動いた。
「…それは」
「俺が決めることだ。」
冷静な声色。しかし、その瞳の奥に宿るものは…
「お前は俺の正妃だ」
皇帝陛下は顔をぐっと近づける。翠蘭が息を呑む。
「唯一の。」
向けられたその言葉に、向けられたその瞳に、嘘の色は混ざっていなかった。
「……遅い、と申し上げたはずです。」
翠蘭は静かに言う。
「私は、もう」
「何度でも言う。」
被せるように言い放つ。
「お前を手放さない。」
その言葉はあまりにも真っ直ぐだった。翠蘭に逃げ場などなかった。
「…どうして?」
翠蘭の口から思わず零れた。
「どうして、そこまで?」
皇帝陛下は一瞬だけ目を伏せた。だが、すぐに見つめ直す。
「最初から、お前を見たあの日から、俺の心にはお前しかいない。」
翠蘭の呼吸が止まる。目が大きく見開かれる。その言葉には、もう疑いようがなかった。
「……っ」
翠蘭の胸の奥が揺れる。凪いていたはずの心が、大きく波立つ。壊れたと思っていたものが、もう一度動き出そうとしている。
「…それでも」
かすれる声。
「それでも、私は…。」
「ならば、」
皇帝陛下はそっと手を取った。驚くほど優しく。
「今から、やり直させてくれ。」
その一言は、あまりにも簡単で。けれど、何よりも翠蘭が欲しかった言葉だった。
「……本当に?」
「何度でも言おう。俺にはお前が必要なんだ。世界中で、ただ一人、お前だけが。」
その言葉に翠蘭の瞳が揺れた。二人の口元がわずかに緩む。互いが初めて見せる、柔らかな表情。導かれるように、静かに距離が縮まる。触れた唇は、驚くほど優しくて、甘かった。
「……陛下、もう結構です。」
翠蘭は小さく微笑む。
「俺の気持ちは伝わったか?」
「ええ、十分に。」
今度は迷うことなく、皇帝陛下が唇を寄せる。優しく、でも長く。
「…もう結構です。」
翠蘭が囁く。しかし、その声に皇帝陛下はわずかに眉をひそめた。
「俺が結構ではない。」
そのまま、逃さぬように引き寄せて、再び唇を重ねた。