夏色のキャンバス

 バイトが終わって店を出ると、そこにはモデルのような美形が立っていた。モデルかと思った人物は、よく見ると高梨君だった。

「ごめん、お待たせ」

「いや、今さっき来たとこ。帰ろうか、葵」

「うん」

 名前呼びされたことに驚いてしまい、僕はぎこちない笑顔で笑った。彼の隣を歩いているというだけで、不思議な気分だ。

「どこか寄ってく?」

「明日もあるし、もう帰ろう」

「そうだね」

 そう言った高梨君は、明らかに悲しそうだった。こんな時間まで待ってたんだ。遊びたかったに違いない。

「じゃあさ、あそこ寄らない?」

 僕が近くのコンビニへ行こうというと、高梨君は首を傾げていた。

「コンビニ?」

「うん。そこで何か買って、その先にある公園で食べよう。何か話したいことがあるんじゃない? 実は僕も聞きたいことがあるし……」

「聞きたいことって?」

「先にコンビニに行こう。お腹すいたし」

「うん」

 二人でコンビニに入ってジュースと唐揚げを買うと、コンビニの先にある公園へ向かった。空いているベンチに座ると、隣に座っていたカップルがキスをし始めた……何だか気まずい。

「ごめん、ここデートスポットだったんだ。僕、知らなくて……」

「俺は気にしないよ。それより、聞きたいことって何?」

 よく分からないが、さっき話していた時より聞きずらくなっていた。そもそも横顔だったし、スマホの写真を見間違えた可能性だってある。それなのに、こんな風に話を引き延ばすのはおかしいと思っていた。喉元に言葉が詰まってしまったかのように、上手く言葉が出てこない。

「あの……」

 初夏の風が頬をくすぐるように吹いていた。彼の真剣なまなざしを見ていたら、時が止まったかのように息が出来なくなっていた。まるで僕の心が鷲づかみされてしまったかのようだ。

「すーはー」

「葵、大丈夫?」

「そう言えば、名前呼び?」

「嫌だった? 沢田も呼んでるから、別にいいのかなって思っちゃって。気を悪くしたなら、ごめん」

「そんなこと……ない」

「ほんとに、どうしたの?」

 そうだ、おかしい。これでは僕が高梨君に告白するみたいじゃないか。僕は意を決すると、高梨君と向き合った。

「あの、僕見ちゃって……」

「何を?」

「トイレでスマホを……」

「……」

「今日、置き忘れたよね? 忘れ物だと思って手に取ってみたら、その……」

「見たの?」

「……うん」

 僕がそう言うと、高梨君は手で顔を覆って耳まで真っ赤にしていた。

「ごめん、気持ち悪かったよね? でも、それなら何で一緒にいるの?」

「それは……友達だから?」

「友達って、これからも?」

「うん、ずっと……友達」

「分かった。でも友達なら、俺のことも海斗って呼んで欲しい」

「海斗君?」

 僕が高梨君の名前を呼ぶと、彼はこの上ない喜びを表すかのように満面の笑みを浮かべた。

「せっかく友達になったんだ。また遊んでくれるよね?」

「えっ……うん、いいよ。沢田も一緒になると思うけど」

「よかった。ありがとう」

 そう言った高梨君の顔がさっきより近かったので、彼から距離を取ろうとした僕はベンチから落ちそうになっていた。

「危ない!」

 僕の身体が傾く前に、高梨君は僕の頭を庇うように一緒に地面へ倒れ込んだ。

「ありがと、助かった」

 お礼を言って起き上がろうとした瞬間、彼の唇と僕の唇が軽くぶつかってしまった。慌てた僕だったが、高梨君の方がもっと慌てていた。不慮の事故だと思いつつ立ち上がると、僕は彼に手を差し伸べた。

「立てる?」

「ありがとう」

 混乱している彼を立ち上がらせると、僕たちは一緒に帰ることにした。何かを話そうとしても、さっきの出来事が頭の隅を過って何も話せない。

「……」

 最寄り駅に着いて電車を降りると、僕は今まで言えなかったことを思い切って言ってみた。

「あの……今日のこと、内緒にしてもらえると助かる」

 僕はバイトのことを言ったのだが、何のことか分からなかったのか高梨君は首を傾げていた。

「うちの学校、一応バイト禁止だから……」

「なんだ、そんなことか」

「そんなことって?」

「うん、いいよ。秘密ね」

 そう言った高梨君は、微笑んでいた。

「そうだね。内緒にしてくれて、ありがとう」

 バラすことなんて微塵も考えていなかったのか、高梨君は笑っていた。家の近くまで来ると、僕は左にある道の先を指差した。

「僕の家、こっちだから……」

「うん。葵、また明日ね」

「うん、また明日」

 僕が手を振ると、彼は嬉しそうに手を振り返していた。