夏色のキャンバス

 高梨海人はビッチで両方いけるとか、話しただけで相手を妊娠させるとか、そんなふざけた会話を聞いたのは入学してから二週間たった頃だった。

 友人である沢田優からその話を聞いて、僕は思わず同じクラスの高梨海人をガン見してしまった。そんな話は嘘だと思いつつも、つい目で追ってしまっている自分に気がついて、僕は首を横に振って、その考えを振り払った。

(いくらなんでもそれはないだろ、それ以前に高梨に失礼だろ)

 そう考えた僕は、それから高梨海人から距離を取った。近づかなければ、失礼な態度を取っても気づかれることはないだろうし、変なことを考えなくても済むと思ったからだ。

 友人の沢田優は小学校からの親友で、家も近いので高校へは毎日一緒に通っていた。家から徒歩で通える都立の城南高校に入学したのは今から二ヵ月前。

 高校で部活にも入らなかった僕達は、優と一緒に登下校をして高校生活を毎日エンジョイしていた──そう、あの時スマホを見るまでは。

 その日は、特別教室棟にある音楽室に置き忘れた教科書を取りに戻ると、急にトイレへ行きたくなって、音楽室の先にあるトイレへ入った。

 用を済ませてトイレから出ると、洗面台にある鏡の下にスマホが置いてあった。誰かが置き忘れたのだろうか……そう思って思わず手に取ってスマホを見ると、そこには何故か僕の横顔が映っていた。

「何だこれ、気持ち悪っ……」

 スマホの画面を見て驚いた僕は、思わずスマホを取り落としそうになっていた。

「あぶねー」

 そこには、明らかに隠し撮りをされたと思われる自分の横顔が映し出されていた。

「僕?」

 持ち主に心当たりは全くなかったが、廊下を走ってくる足音が聞こえて、僕は反射的にトイレにあった掃除用具入れへ隠れた。

「あった……」

 どこかで聞いたことのある声に違和感を覚えたが、遠ざかる足音を聞いた僕は、掃除用具入れから出て廊下を見た。すると、そこにはトイレから走り去る意外な人物の後ろ姿が見えた。

「嘘だろ……」

 ビッチの高梨海斗だった。同じクラスの彼は、成績が常に学年十位以内。その上、スポーツ万能で、背も高くて性格も悪くないので、女男問わず高校では人気者だった。

「……」

 今では高梨海斗を見ても、もはや劣等感を越えて「すごい」という感想しか出てこない。

「見間違えかもしれないよな……」

 そう思い直して、僕は校庭へ向かった。校庭には体育祭の予行演習で全校生徒が集まっていた。彼の姿を探すと、数メートル先で同じクラスの男子生徒と話しているのが見えた。

「なーに、見てんの? かわいい子でも見つけた?」

 優が僕の傍へ来ると、肩に腕をのせて耳元で囁いた。

「やめろって……そんなんじゃないから」

「え? 高梨海斗?」

「違うって」

「いいって、いいって。ムキになんなよ。人それぞれだし。でも、倍率高そう」

「だから、そんなんじゃ……」

「でも、(あおい)ならワンチャンあるんじゃね?」

「ワンチャン? あるわけないだろ」

 そんな話をしていると、僕たちの会話が聞こえたのか、高梨海斗がこちらを見ていた。急に意識してしまった僕は赤面してしまう。

「赤くなってやんの」

「からかうなよっ……」

()()()()

 優は女子高校生っぽく、両手を合わせて身体をくねらせながら僕へ言うと、ふざけて抱きついてきた。

「優、やめろよ。ほんとに、誤解されるから」

 優とは小学校からの幼馴染でいつも一緒にいることを周りから揶揄われていた。こんなことをしていて、周りから何か言われたら、面倒で仕方がないと思った。

「こわっ……」

「なにが?」

「……いや、ふざけてたら先生から睨まれた」

「あたりまえだろ。今は授業時間なんだから」

「葵って、変なところで真面目だよな」

「変なところは余計だっ」

「はいはい」

 集まったばかりの生徒たちは校庭でざわついていたが、先生がしゃべり始めると校庭は静まり返った。顔を上げると、斜め前にいる高梨海斗の横顔が見えた。サラサラとした髪が風になびいて、太陽に照らされた横顔は王子様みたいだなと……。なんとなく、そう思ってしまった。

「ほい、ポテトサラダパン」

 お昼休みになって教室へ戻ると、直射日光にやられたのか身体はだるかった。窓から吹いてくる初夏の風は生暖かくて、教室の湿度が更に上がったような気がしていた。

「ありがと、助かった」

 僕の代わりに購買へ買いに行ってくれた優からパンを受け取ると、お礼を言ってお金を払った。

「いいって。それより、身体は大丈夫なの?」

「うん。休んでたら、少し楽になったよ」

 熱中症を起こしかけた僕の代わりに、優が購買までパンを買いに行ってくれたのだ。こういう時、優はすごく優しい。

「葵はポテサラ好きだよね」

「どうせ、ポテトが好きって、女子みたいとか言うんだろ?」

「バカ。自分で言うなよ」

 身長が低く、中性的な顔立ちの僕は幼い頃からよく女の子と間違えられていた。小学校に入る前は、知らない場所へ行くとよく女の子に間違えられて、嫌な思いをしたことがある。

「染谷君。これ、よかったら……」

 そんな話をしていたら、不意に高梨海斗が現れて僕の机の上にペットボトルを置いた。ペットボトルには、経口補水液と書かれていた。

「そんな、悪いし……」

 訳が分からなくて狼狽えていると、向かいの席に座っていた優が笑って言った。

「いいよ、もらっておきなよ」

「でも……」

 急に渡された飲み物に驚いていたが、彼は顔をそむけると、「お大事に」と言って去っていった。

「なあ、なんで僕が熱中症になったかもって知ってたんだ?」

「さあ、なんでだろうな」

 そう言いながら笑う優には、どこか含むところがあった。

「もしかして、バラしたの?」

「バラしたなんて人聞きの悪い。心配してたから教えただけだよ」

「心配って、なんで?」

「さあね」

 高梨海斗に心配されたことに違和感を覚えた僕は、今後は人の体調を勝手にバラさないようにと、優に言い聞かせた。

「いいでしょ、別に。本気で心配してたみたいだし」

「よくない」

 僕は急にスマホに映っていた自分の横顔を思い出して、顔を赤くした。

「なに? やっぱり、意識してんだ?」

「ちがうよ。ほら、授業が始まるから」

「へーい」

 その後すぐに予鈴が鳴って、午後の授業が始まった。