【コミカライズ配信中/4月書籍発売】アデル~顔も名前も捨てた。すべては、私を破滅させた妹聖女を追い詰め、幸せをつかむため~

 月の冴えわたる夜、アストレア宮殿では王家主催の舞踏会が開かれていた。

 国内の貴族や資産家が集まる、それはそれは豪華な宴だ。

 場が温まった頃、壇上に現れたメイナードが高らかに宣言した。

 
「この場で皆に告げよう。私――メイナード・イヴァン・アストレアは、癒しの『聖女』ミーティア・ロザノワールを未来の伴侶に迎えると、ここに宣言する!」
 
 
 第一王子の突然の婚約発表に、会場は拍手と歓声に包まれた。

 殿下の隣にならび立つミーティアは、ほほ笑みを浮かべて民衆に手を振っている。その姿は、まるで『聖女』に相応しい清らかさ。

 ……だが、俺――ダニエル・カルミアは、あいつが純真無垢な女じゃないと知っている。

(ハッ、姉から異能を奪った女が『聖女』ねぇ)
 
 王子の隣席に座るミーティアの胡散臭い笑顔を、俺は鼻で笑い飛ばした。
 
 一時期、俺とミーティアの間には縁談が持ち上がっていた。

 我が儘な性格は面倒くさいが、あいつの異能には色々と使い道がある。それに容姿も悪くない。
 
 父から「必ずミーティア・ロザノワールをものにしろ」と命じられた俺は、あのワガママ女の機嫌を取り、結婚しようとした。……が、失敗した。

 
 メイナードに横取りされたのだ。
 
 
 ミーティアの両親は相当な野心家だった。俺との縁談をうやむやにしつつ、メイナードとミーティアを引き合わせたのだ。
 
 メイナードは、自分の病を癒したミーティアを『聖女』とあがめて溺愛。異例の早さで婚約を決めた。

(要するに俺は、殿下の恋心に火を付ける当て馬として、まんまと利用されたわけだ……クソが)
 
 当然、俺の父・カルミア侯爵は憤慨(ふんがい)した。『我が家との縁談を断るのであれば、姉の異能を盗んだという不名誉な事実を公表するぞ』とミーティアの両親を脅したのだ。

 『聖女』の清純なイメージを壊されてはたまらない、とミーティアの両親は酷くうろたえた。
 
 そこで、両家の間で秘密裏の交渉が行われた。
 
 我がカルミア侯爵家は、ミーティアの秘密を決して口外しない。
 そのかわり、我が家が円卓会議の一員になれるよう、ミーティアがメイナードに口添えすること。

 
 これが取引の内容だった。

 
 円卓会議とは、王と12人の選ばれし貴族諸侯で構成される、国の最重要決定会議だ。
 
 税率の改正や他国との開戦決定、法改正など、国のゆくすえに関わる重要事項はすべて円卓会議にかけられる。円卓に座ることは、王族に次ぐ権力を得るのと同義だった。
 
 メイナードはミーティアの頼みを快諾し、うちは晴れて円卓の一員に。

 父は『大出世だ!』と喜び、俺は若くして貴族議員席に座ることとなった。
 

(うちが入った代わりに、円卓から外されたウォルス卿には悪いが。運とコネも実力のうちなんでねぇ。真面目にお仕事するだけが出世の道じゃないのさ)

 生真面目なウォルス伯爵の落ち込んだ姿が目に浮かぶ。憐れだなと思うものの、特に罪悪感はなかった。

 鼻歌を歌いながら舞踏ホールに足を踏み入れた途端、競うように女が群がってくる。
 
「ダニエルさま、わたくしとダンスを踊ってくださらない?」

「ちょっと! ダニエルさまは、私と踊るのよ!」
 
 円卓会議の一員となってから、俺のもとには日夜大量の縁談が舞い込んでいた。どの家もコネと人脈づくりに必死なのだ。

(まるで、甘い蜜に群がる虫のようだな)

「俺の前で醜い争いをするな。順に踊ってやる、来い」

 俺は目についた令嬢の手を適当に取り、ホールへ踊り出た。
 
 
 金、地位、名声、権力、女――望んだものは、すべてこの手中にある。

(なのに……どうして、俺はこんなにも満たされないのか)

 ダニエルさま、と媚びるように女が囁く。くるりとターンしたとき、きつい香水のにおいがツンと香った。頭の芯が鈍く痛む。

 俺は女の手を勢いよく払いのけた。「きゃっ」と令嬢が尻餅をつく。

「ダニエル様……?」

「お前の香水の匂いで、酷い頭痛がする。まったく、品のない女だ。俺にふさわしくない」

「申し訳ございません! あのっ、ダニエルさま!」

 引き留める女の声を無視して、俺は急いでバルコニーへ向かった。

 初春の清々しい夜風が、まとわりついた香水の匂いをかき消してゆく。
 思いっきり深呼吸すると、少しだけ頭の痛みが和らいだ。
 

 頭痛持ちの俺を気遣って、エスターは香水をつけなかった。
 俺の小さな手の傷に気付いたり、頷いて話を聞いてくれたり、細やかな気配りが出来る女だった。

 媚びを売る女たちを見れば見るほど、エスターが貞淑だったのだと実感する。

(今思えば、良い女だった)

 彼女から与えられる優しさも、気遣いも、俺にとっては当たり前で……だからこそ、その大切さに気付けなかった。

 だが、どれほど後悔しても、愛しく思っても、過去には戻れない。
 
 喪失感に押しつぶされ、俺はその場にしゃがみこむ。
 
 うずくまった体勢でため息をつくと、背後から気遣わしげに声をかけられた。


「あの、大丈夫ですか?」

 凜とした涼やかな女の声。
 驚いて顔を上げると、ひとりの令嬢が心配そうな顔でこちらを見下ろしてた。
 
 目の前に佇む彼女のあまりの美しさに、俺は思わず息をのんだ。

 
 透けるような白い肌に、うっすら淡紅に色づく頬。
 整った鼻梁に、ふっくらとした唇。

 長いまつげに覆われた大きなエメラルドの瞳。艶やかな栗色の髪が、華奢な肩に、すっと伸びた背中に、豊かな胸元にこぼれ落ちる。
 
 全てのパーツが位置も大きさも形も、寸分の狂いなく、もっとも美しく見える場所に配置されている。

 まごうことなき、美女。
 ……いや、この世に、ここまで綺麗な人間がいるだろうか?
 
 いっそ、月夜の妖精だと言われた方がしっくりくる。

 彼女は驚いたように目を見開くと、ひくっとわずかに顔を引きつらせた。

「大丈夫そうなので、私はこれで失礼いたします。ではご機嫌よう」

 彼女がくるりときびすを返す。
 
「あっ、あの。待ってくれ――!」
 
 手を伸ばすが、するりと逃げられてしまった。
 
(あの美貌、俺の隣に立つにふさわしい女だ)

 俺は夢中で彼女のあとを追いかけた。