月の冴えわたる夜、アストレア宮殿では王家主催の舞踏会が開かれていた。
国内の貴族や資産家が集まる、それはそれは豪華な宴だ。
場が温まった頃、壇上に現れたメイナードが高らかに宣言した。
「この場で皆に告げよう。私――メイナード・イヴァン・アストレアは、癒しの『聖女』ミーティア・ロザノワールを未来の伴侶に迎えると、ここに宣言する!」
第一王子の突然の婚約発表に、会場は拍手と歓声に包まれた。
殿下の隣にならび立つミーティアは、ほほ笑みを浮かべて民衆に手を振っている。その姿は、まるで『聖女』に相応しい清らかさ。
……だが、俺――ダニエル・カルミアは、あいつが純真無垢な女じゃないと知っている。
(ハッ、姉から異能を奪った女が『聖女』ねぇ)
王子の隣席に座るミーティアの胡散臭い笑顔を、俺は鼻で笑い飛ばした。
一時期、俺とミーティアの間には縁談が持ち上がっていた。
我が儘な性格は面倒くさいが、あいつの異能には色々と使い道がある。それに容姿も悪くない。
父から「必ずミーティア・ロザノワールをものにしろ」と命じられた俺は、あのワガママ女の機嫌を取り、結婚しようとした。……が、失敗した。
メイナードに横取りされたのだ。
ミーティアの両親は相当な野心家だった。俺との縁談をうやむやにしつつ、メイナードとミーティアを引き合わせたのだ。
メイナードは、自分の病を癒したミーティアを『聖女』とあがめて溺愛。異例の早さで婚約を決めた。
(要するに俺は、殿下の恋心に火を付ける当て馬として、まんまと利用されたわけだ……クソが)
当然、俺の父・カルミア侯爵は憤慨した。『我が家との縁談を断るのであれば、姉の異能を盗んだという不名誉な事実を公表するぞ』とミーティアの両親を脅したのだ。
『聖女』の清純なイメージを壊されてはたまらない、とミーティアの両親は酷くうろたえた。
そこで、両家の間で秘密裏の交渉が行われた。
我がカルミア侯爵家は、ミーティアの秘密を決して口外しない。
そのかわり、我が家が円卓会議の一員になれるよう、ミーティアがメイナードに口添えすること。
これが取引の内容だった。
円卓会議とは、王と12人の選ばれし貴族諸侯で構成される、国の最重要決定会議だ。
税率の改正や他国との開戦決定、法改正など、国のゆくすえに関わる重要事項はすべて円卓会議にかけられる。円卓に座ることは、王族に次ぐ権力を得るのと同義だった。
メイナードはミーティアの頼みを快諾し、うちは晴れて円卓の一員に。
父は『大出世だ!』と喜び、俺は若くして貴族議員席に座ることとなった。
(うちが入った代わりに、円卓から外されたウォルス卿には悪いが。運とコネも実力のうちなんでねぇ。真面目にお仕事するだけが出世の道じゃないのさ)
生真面目なウォルス伯爵の落ち込んだ姿が目に浮かぶ。憐れだなと思うものの、特に罪悪感はなかった。
鼻歌を歌いながら舞踏ホールに足を踏み入れた途端、競うように女が群がってくる。
「ダニエルさま、わたくしとダンスを踊ってくださらない?」
「ちょっと! ダニエルさまは、私と踊るのよ!」
円卓会議の一員となってから、俺のもとには日夜大量の縁談が舞い込んでいた。どの家もコネと人脈づくりに必死なのだ。
(まるで、甘い蜜に群がる虫のようだな)
「俺の前で醜い争いをするな。順に踊ってやる、来い」
俺は目についた令嬢の手を適当に取り、ホールへ踊り出た。
金、地位、名声、権力、女――望んだものは、すべてこの手中にある。
(なのに……どうして、俺はこんなにも満たされないのか)
ダニエルさま、と媚びるように女が囁く。くるりとターンしたとき、きつい香水のにおいがツンと香った。頭の芯が鈍く痛む。
俺は女の手を勢いよく払いのけた。「きゃっ」と令嬢が尻餅をつく。
「ダニエル様……?」
「お前の香水の匂いで、酷い頭痛がする。まったく、品のない女だ。俺にふさわしくない」
「申し訳ございません! あのっ、ダニエルさま!」
引き留める女の声を無視して、俺は急いでバルコニーへ向かった。
初春の清々しい夜風が、まとわりついた香水の匂いをかき消してゆく。
思いっきり深呼吸すると、少しだけ頭の痛みが和らいだ。
頭痛持ちの俺を気遣って、エスターは香水をつけなかった。
俺の小さな手の傷に気付いたり、頷いて話を聞いてくれたり、細やかな気配りが出来る女だった。
媚びを売る女たちを見れば見るほど、エスターが貞淑だったのだと実感する。
(今思えば、良い女だった)
彼女から与えられる優しさも、気遣いも、俺にとっては当たり前で……だからこそ、その大切さに気付けなかった。
だが、どれほど後悔しても、愛しく思っても、過去には戻れない。
喪失感に押しつぶされ、俺はその場にしゃがみこむ。
うずくまった体勢でため息をつくと、背後から気遣わしげに声をかけられた。
「あの、大丈夫ですか?」
凜とした涼やかな女の声。
驚いて顔を上げると、ひとりの令嬢が心配そうな顔でこちらを見下ろしてた。
目の前に佇む彼女のあまりの美しさに、俺は思わず息をのんだ。
透けるような白い肌に、うっすら淡紅に色づく頬。
整った鼻梁に、ふっくらとした唇。
長いまつげに覆われた大きなエメラルドの瞳。艶やかな栗色の髪が、華奢な肩に、すっと伸びた背中に、豊かな胸元にこぼれ落ちる。
全てのパーツが位置も大きさも形も、寸分の狂いなく、もっとも美しく見える場所に配置されている。
まごうことなき、美女。
……いや、この世に、ここまで綺麗な人間がいるだろうか?
いっそ、月夜の妖精だと言われた方がしっくりくる。
彼女は驚いたように目を見開くと、ひくっとわずかに顔を引きつらせた。
「大丈夫そうなので、私はこれで失礼いたします。ではご機嫌よう」
彼女がくるりときびすを返す。
「あっ、あの。待ってくれ――!」
手を伸ばすが、するりと逃げられてしまった。
(あの美貌、俺の隣に立つにふさわしい女だ)
俺は夢中で彼女のあとを追いかけた。
国内の貴族や資産家が集まる、それはそれは豪華な宴だ。
場が温まった頃、壇上に現れたメイナードが高らかに宣言した。
「この場で皆に告げよう。私――メイナード・イヴァン・アストレアは、癒しの『聖女』ミーティア・ロザノワールを未来の伴侶に迎えると、ここに宣言する!」
第一王子の突然の婚約発表に、会場は拍手と歓声に包まれた。
殿下の隣にならび立つミーティアは、ほほ笑みを浮かべて民衆に手を振っている。その姿は、まるで『聖女』に相応しい清らかさ。
……だが、俺――ダニエル・カルミアは、あいつが純真無垢な女じゃないと知っている。
(ハッ、姉から異能を奪った女が『聖女』ねぇ)
王子の隣席に座るミーティアの胡散臭い笑顔を、俺は鼻で笑い飛ばした。
一時期、俺とミーティアの間には縁談が持ち上がっていた。
我が儘な性格は面倒くさいが、あいつの異能には色々と使い道がある。それに容姿も悪くない。
父から「必ずミーティア・ロザノワールをものにしろ」と命じられた俺は、あのワガママ女の機嫌を取り、結婚しようとした。……が、失敗した。
メイナードに横取りされたのだ。
ミーティアの両親は相当な野心家だった。俺との縁談をうやむやにしつつ、メイナードとミーティアを引き合わせたのだ。
メイナードは、自分の病を癒したミーティアを『聖女』とあがめて溺愛。異例の早さで婚約を決めた。
(要するに俺は、殿下の恋心に火を付ける当て馬として、まんまと利用されたわけだ……クソが)
当然、俺の父・カルミア侯爵は憤慨した。『我が家との縁談を断るのであれば、姉の異能を盗んだという不名誉な事実を公表するぞ』とミーティアの両親を脅したのだ。
『聖女』の清純なイメージを壊されてはたまらない、とミーティアの両親は酷くうろたえた。
そこで、両家の間で秘密裏の交渉が行われた。
我がカルミア侯爵家は、ミーティアの秘密を決して口外しない。
そのかわり、我が家が円卓会議の一員になれるよう、ミーティアがメイナードに口添えすること。
これが取引の内容だった。
円卓会議とは、王と12人の選ばれし貴族諸侯で構成される、国の最重要決定会議だ。
税率の改正や他国との開戦決定、法改正など、国のゆくすえに関わる重要事項はすべて円卓会議にかけられる。円卓に座ることは、王族に次ぐ権力を得るのと同義だった。
メイナードはミーティアの頼みを快諾し、うちは晴れて円卓の一員に。
父は『大出世だ!』と喜び、俺は若くして貴族議員席に座ることとなった。
(うちが入った代わりに、円卓から外されたウォルス卿には悪いが。運とコネも実力のうちなんでねぇ。真面目にお仕事するだけが出世の道じゃないのさ)
生真面目なウォルス伯爵の落ち込んだ姿が目に浮かぶ。憐れだなと思うものの、特に罪悪感はなかった。
鼻歌を歌いながら舞踏ホールに足を踏み入れた途端、競うように女が群がってくる。
「ダニエルさま、わたくしとダンスを踊ってくださらない?」
「ちょっと! ダニエルさまは、私と踊るのよ!」
円卓会議の一員となってから、俺のもとには日夜大量の縁談が舞い込んでいた。どの家もコネと人脈づくりに必死なのだ。
(まるで、甘い蜜に群がる虫のようだな)
「俺の前で醜い争いをするな。順に踊ってやる、来い」
俺は目についた令嬢の手を適当に取り、ホールへ踊り出た。
金、地位、名声、権力、女――望んだものは、すべてこの手中にある。
(なのに……どうして、俺はこんなにも満たされないのか)
ダニエルさま、と媚びるように女が囁く。くるりとターンしたとき、きつい香水のにおいがツンと香った。頭の芯が鈍く痛む。
俺は女の手を勢いよく払いのけた。「きゃっ」と令嬢が尻餅をつく。
「ダニエル様……?」
「お前の香水の匂いで、酷い頭痛がする。まったく、品のない女だ。俺にふさわしくない」
「申し訳ございません! あのっ、ダニエルさま!」
引き留める女の声を無視して、俺は急いでバルコニーへ向かった。
初春の清々しい夜風が、まとわりついた香水の匂いをかき消してゆく。
思いっきり深呼吸すると、少しだけ頭の痛みが和らいだ。
頭痛持ちの俺を気遣って、エスターは香水をつけなかった。
俺の小さな手の傷に気付いたり、頷いて話を聞いてくれたり、細やかな気配りが出来る女だった。
媚びを売る女たちを見れば見るほど、エスターが貞淑だったのだと実感する。
(今思えば、良い女だった)
彼女から与えられる優しさも、気遣いも、俺にとっては当たり前で……だからこそ、その大切さに気付けなかった。
だが、どれほど後悔しても、愛しく思っても、過去には戻れない。
喪失感に押しつぶされ、俺はその場にしゃがみこむ。
うずくまった体勢でため息をつくと、背後から気遣わしげに声をかけられた。
「あの、大丈夫ですか?」
凜とした涼やかな女の声。
驚いて顔を上げると、ひとりの令嬢が心配そうな顔でこちらを見下ろしてた。
目の前に佇む彼女のあまりの美しさに、俺は思わず息をのんだ。
透けるような白い肌に、うっすら淡紅に色づく頬。
整った鼻梁に、ふっくらとした唇。
長いまつげに覆われた大きなエメラルドの瞳。艶やかな栗色の髪が、華奢な肩に、すっと伸びた背中に、豊かな胸元にこぼれ落ちる。
全てのパーツが位置も大きさも形も、寸分の狂いなく、もっとも美しく見える場所に配置されている。
まごうことなき、美女。
……いや、この世に、ここまで綺麗な人間がいるだろうか?
いっそ、月夜の妖精だと言われた方がしっくりくる。
彼女は驚いたように目を見開くと、ひくっとわずかに顔を引きつらせた。
「大丈夫そうなので、私はこれで失礼いたします。ではご機嫌よう」
彼女がくるりときびすを返す。
「あっ、あの。待ってくれ――!」
手を伸ばすが、するりと逃げられてしまった。
(あの美貌、俺の隣に立つにふさわしい女だ)
俺は夢中で彼女のあとを追いかけた。


