「旦那様……! お初にお目にかかります。メディス侯爵家から参りました、クリスティーヌと申します」
立ち上がったクリスティーヌが震える声で挨拶を述べ、深く頭を下げる。
その光景にセレスティアは驚いた。
夫婦なのに、まさか初対面だとは思いもしなかったのだ。
「アルフレッド・リシャールだ。よく来てくれた。歓迎する」
そう言いつつも、アルフレッドの話し方は淡々としており、歓迎している様子はあまり感じられない。それどころか、妻へ向けられる眼差しはどことなく冷ややかで、クリスティーヌは青ざめ、すっかり萎縮してしまっているようだった。
(お父様! 笑顔! 笑顔だよ!)
セレスティアは必死にアドバイスするが、目の前に広がるのは過去の光景。
どんなに心の中で叫んでも、残念ながら変わることはない。
「すでに家令から聞いていると思うが、屋敷内では自由に過ごしてくれて構わない。なにか必要なものや要望があれば、気兼ねなく使用人に申しつけてくれ。──ただし、常識の範囲内で、だが」
アルフレッドの切れ長の目がすっと細められ、威圧するような冷光を帯びる。
睨み付けられたクリスティーヌがびくりと肩を跳ねさせたが、彼は気遣うことなく話しつづけた。
「この結婚はスチュアート殿下が仲立ちしてくださったものだ。ゆえに、君には最大限のもてなしを約束しよう。だが、我が家の家名に傷をつけるような行いをした場合は別だ。たとえ妻であっても、手心を加えるつもりはない。当主として厳正に対応するため、ゆめゆめ公爵夫人としての品位を忘れぬように」
「かしこまりました……」
家臣のように頭を垂れて返事をしたクリスティーヌに、アルフレッドは軽く頷き背を向けた。
「あ、あの、旦那様、どちらへ……?」
「仕事があるため書斎に行く。念のため言っておくが、共寝は不要だ。公の場でリシャール公爵夫人の名に恥じない行動をしてくれれば、君には他になにも望まない」
話は終わりとばかりにアルフレッドは口を閉ざし、クリスティーヌの返事も聞かぬまま部屋を出ていった。
扉が閉ざされ、室内は真夜中の静寂に包まれる。
緊張から解き放たれたクリスティーヌは、糸の切れた操り人形のようにベッドへと崩れ落ち、力なく項垂れた。
「私はここでも、必要とされないのね……」
悲しげな囁きがセレスティアの耳に届いた次の瞬間、まぶたの裏に映し出されていた光景がかき消え、視界が暗闇に包まれる。
セレスティアはゆっくりと目を開け、そして開口一番──。
「おとうしゃま、サイテイ。くじゅおとこ」
ジト目で思ったことを呟いた。
『アナタ、クズ男なんて言葉、一体どこで覚えてきたんですの?』
「おばあちゃん、いってた。ぼうりょくオトコ、うわきオトコ。かくしご、つくるオトコ。こういう、くじゅオトコにはきをつけなさい、って」
『ま、まぁ、それは真理ではあるけれど……でも、親を悪く言うものじゃありませんわよ』
確かに、いくらクリスティーヌが可哀想だと思ったとはいえ、実の父親にクズ男と言うべきではなかったかもしれない。
セレスティアは素直に反省した。
「あい、ごめんなしゃい……」
『でもまぁ、アナタの気持ちも分からなくはありませんわ。いくら政略結婚だからって、あそこまで突き放さなくてもいいのにとは、アタクシも思いますもの』
「だよね! もっと、いいかた、あるとおもう。くりすちーぬさま、おびえてた。かわいそう……。ハッ、もしかして……おとうしゃまが、こわいから、おそとでない? 『めいわく』って、そういうこと?」
『その可能性は高いでしょうね。自由に過ごしていいとは言われても、あの気弱なクリスティーヌのことですもの。恐ろしくて気楽になんか振る舞えないでしょうからね。……はぁ、このままだと離婚まっしぐらですわねぇ』
「そっか、リコンかぁ…………ん? リコン?」
一度は聞き流したものの、一拍置いて無視できない単語に気が付いた。
「おとうしゃまと、くりすちーぬさま、おわかれ、しちゃう?」
『遅かれ早かれ、そうなるでしょうね。アタクシも既婚者だからよく分かりますけど、夫婦を続けていくには互いの努力と忍耐、そして思いやりが必要ですの。いくら政略結婚だと割り切っていても、情のない関係はいつか破綻するものですわよ』
「そんな……リコンしたら、くりすちーぬさまと……あえなく、なる?」
残念ながらとマリアベルが答えた瞬間、セレスティアは目の前が真っ暗になった。
たとえ血の繋がりがなくとも、セレスティアにとってクリスティーヌは初めてできた〝母親〟だ。
優しく頭を撫でてくれる手のぬくもり。
注がれる陽だまりのような柔らかな眼差し。
抱き締められた時の、あの胸がきゅっとするような嬉しい気持ち。
知らなかった頃には、もう戻れない。
「……おわかれ、イヤだよ。ぜったい」
うつむくセレスティアを見て、泣いてしまったと思ったのだろう。マリアベルが『泣かないで、セレスティア』と囁いて、慰めるように頭をすりすりと擦りつけてくる。
「ありがとう、まりあべる。でも、だいじょうぶ。わたし、ないてないよ」
顔を上げたセレスティアの両目には涙ではなく、確かな決意が滲んでいた。
瑠璃色の瞳は月光を受け、夜空でひときわ強く輝く一番星のようにきらめいている。
「リコン、はんたい! だから、おとうしゃまと、くりすちーぬさま、なかよしにする! わたし、がんばるっ!」
『よく言ったわ、セレスティア! 前向きで偉いわね』
「えへへ」
『それで、具体的にどうするつもりなの?』
「それはねぇ──」
セレスティアは胸を張り、キッパリと告げる。

