初対面の日から、セレスティアは毎日クリスティーヌの部屋を訪れるようになった。
彼女はいつも温かな微笑みでセレスティアを迎え、本を読み聞かせてくれたり一緒に歌を歌ったり、淑女のマナーや文字の読み書きを優しく教えてくれる。
前世でも今世でも実母との思い出のないセレスティアにとって、初めて過ごす〝母親〟との時間はとても新鮮で、そしてかけがえのないものだった。
──もっと一緒にいたい。
一週間も過ぎる頃には、そんな想いが自然と心の中に芽吹いていた。
「くりすちーぬさま。きょうも、おさんぽ、いけない?」
「ええ。ごめんなさいね」
「それじゃあ、ごはんは? いっしょに、よるごはん、たべよう?」
セレスティアの誘いにクリスティーヌは申し訳なさそうに眉を下げ、首を横に振った。
「ごめんなさい。勝手な行動をして、ご迷惑をおかけしたくないので……」
「ごめいわく?」
訊き返しても、クリスティーヌは曖昧な微笑みを浮かべるばかりで、それ以上なにも答えてはくれなかった。
なぜか分からないが、セレスティアの継母は頑なに自室の外へ出ようとしない。
ポーラに聞いたところ、到着した初日は家令に案内されて屋敷全体を見て回ったものの、翌日からは引きこもるようになってしまったそうだ。
その夜、寝かしつけを終えたポーラが静かに部屋を出ていき、扉の向こうの気配が消えた頃。
寝たふりをしていたセレスティアはベッドからモゾモゾと起き上がり、月明かりが差し込む窓辺の椅子に腰かけた。
膝の上に飛び乗ってきたマリアベルを撫でながら、ため息まじりに問いかける。
「くりすちーぬさま、なんでおそと、でないんだろう……」
『気弱そうな感じの方ですもの。外に出るのが苦手なのではなくって?』
「でも、じっかにいたときは、おにわのていれ、すきだったって。マチのことにも、くわしいし……」
『ふぅん。根っからの引きこもりじゃないってことですわね。……じゃあやっぱり、初夜のあの言葉が原因なのかしら?』
「サヤのコトバ?」
『鞘じゃなくて、初夜。クリスティーヌが初めてこの屋敷に来た日の夜のことよ』
「ほう」
『……【ほう】ってアナタね。絶対ピンときてないでしょう。まったく、お子様なんだから』
マリアベルが、やれやれとため息をつく。
子供じゃないもんと言い返そうとしたセレスティアだったが、前世でも決して大人と呼べる年齢ではなく、今世に至っては幼児。
しかも『初夜』が如何なるものなのか想像できないのは事実のため、ぷくっと頬を膨らませるだけに留めた。
「そのショヤが、なに?」
『だから、アルフレッドがクリスティーヌに言い放った言葉が……。って、説明するより見せた方が早いわね。確か《緑の民》は、記憶を共有する術を妖精王から授かったと聞いたことがあるんですけど、セレスティア、アナタ使えるの?』
「う、うん。たぶん……。え、まって。まりあべる、のぞきみしたの? わるいこだね」
『人聞きの悪いこと言わないでくださいまし! アタクシは覗きなんて悪趣味なことしませんわよ! これは……そう! 通りかかったら、たまたま見かけてしまっただけですの!』
(えぇ? そんなことある?)
偶然と言い張るにはあまりにも苦しい言い訳だが、ここで追及したら確実にマリアベルの機嫌を損ねてしまう。
そのためセレスティアは空気を読み、疑いの眼差しを向けながらも「ふーん」と頷くだけにした。
『さあ! 記憶、共有するんですの? しないんですの?』
「するっ!」
『それなら、さっさとしなさいな。ほら!』
マリアベルはテーブルの上にぴょんと飛び移ると、オッドアイの目を閉じた。
「じゃあ、いくよ……!」
『ええ、いつでもどうぞ』
セレスティアは深呼吸をして、マリアベルのもふもふの頭に自身の額を優しく押し当てた。
柔らかな毛がまぶたに触れてくすぐったい。
「くふふっ。ふわふわぁ」
『こら、集中なさい、ノーテンキ娘』
「あい。ごめんなしゃい」
ぴしゃりと叱られてしまった。
セレスティアは小さく肩をすくめて目をつむり、今度こそ意識を集中させる。
──〝我、ここに、こいねがう。
夢幻のごとく儚きうつつ。
脳裏に刻まれし消えゆく光景。
かつてその目に映りしものを、我が目にも明らかにしたまえ〟
記憶共有の呪文を念じた瞬間、閉ざされた真っ暗な視界に淡い光がじわじわと広がっていく。
見えてきたのは、曇りガラスを隔てたようなぼやけた光景。
さらに感覚を研ぎ澄ませてゆけば、おぼろげな輪郭が次第に鮮明になっていく。
最初にはっきりと目に映ったのは、白くきめ細やかな肌。
なめらかな曲線を描くそれは、どうやら誰かのふくらはぎのようだった。
(うぅ~ん、見にくいなぁ……)
マリアベルの記憶を追体験しているため、視点が低いのが難点だ。
状況が分からずもどかしい気持ちでいると、床にいたマリアベルがベッドに飛び乗ってくれたおかげで、先程よりも室内をよく見渡せるようになった。
就寝間際の薄暗い室内。
静まり返った公爵夫人の寝室でひとり、夜着に身を包んだクリスティーヌがベッドの縁に腰かけ、うつむいていた。
最初に見えた足は彼女のものだったらしい。
ベッドサイドにある燭台の灯りがゆらゆらと揺れるたび、彼女の翡翠の瞳も不安げにゆらめく。
やがて部屋の外から聞こえてきたかすかな足音。
クリスティーヌが顔を上げて目を向けるのとほぼ同時に、ノックの音が響いた。
「は、はい。どうぞ」
緊張を滲ませながら応えれば、寝室の扉が静かに開かれる。
現れたアルフレッドは、夜着をまとうクリスティーヌに対し、黒地に金色の刺繍が施された貴族服を着込んでいる。
夫婦の時間をリラックスして過ごすつもりがないのは一目瞭然。
むしろ新妻との初めての夜を拒むかのような、一分の隙もない完璧な貴公子の姿がそこにはあった。
彼女はいつも温かな微笑みでセレスティアを迎え、本を読み聞かせてくれたり一緒に歌を歌ったり、淑女のマナーや文字の読み書きを優しく教えてくれる。
前世でも今世でも実母との思い出のないセレスティアにとって、初めて過ごす〝母親〟との時間はとても新鮮で、そしてかけがえのないものだった。
──もっと一緒にいたい。
一週間も過ぎる頃には、そんな想いが自然と心の中に芽吹いていた。
「くりすちーぬさま。きょうも、おさんぽ、いけない?」
「ええ。ごめんなさいね」
「それじゃあ、ごはんは? いっしょに、よるごはん、たべよう?」
セレスティアの誘いにクリスティーヌは申し訳なさそうに眉を下げ、首を横に振った。
「ごめんなさい。勝手な行動をして、ご迷惑をおかけしたくないので……」
「ごめいわく?」
訊き返しても、クリスティーヌは曖昧な微笑みを浮かべるばかりで、それ以上なにも答えてはくれなかった。
なぜか分からないが、セレスティアの継母は頑なに自室の外へ出ようとしない。
ポーラに聞いたところ、到着した初日は家令に案内されて屋敷全体を見て回ったものの、翌日からは引きこもるようになってしまったそうだ。
その夜、寝かしつけを終えたポーラが静かに部屋を出ていき、扉の向こうの気配が消えた頃。
寝たふりをしていたセレスティアはベッドからモゾモゾと起き上がり、月明かりが差し込む窓辺の椅子に腰かけた。
膝の上に飛び乗ってきたマリアベルを撫でながら、ため息まじりに問いかける。
「くりすちーぬさま、なんでおそと、でないんだろう……」
『気弱そうな感じの方ですもの。外に出るのが苦手なのではなくって?』
「でも、じっかにいたときは、おにわのていれ、すきだったって。マチのことにも、くわしいし……」
『ふぅん。根っからの引きこもりじゃないってことですわね。……じゃあやっぱり、初夜のあの言葉が原因なのかしら?』
「サヤのコトバ?」
『鞘じゃなくて、初夜。クリスティーヌが初めてこの屋敷に来た日の夜のことよ』
「ほう」
『……【ほう】ってアナタね。絶対ピンときてないでしょう。まったく、お子様なんだから』
マリアベルが、やれやれとため息をつく。
子供じゃないもんと言い返そうとしたセレスティアだったが、前世でも決して大人と呼べる年齢ではなく、今世に至っては幼児。
しかも『初夜』が如何なるものなのか想像できないのは事実のため、ぷくっと頬を膨らませるだけに留めた。
「そのショヤが、なに?」
『だから、アルフレッドがクリスティーヌに言い放った言葉が……。って、説明するより見せた方が早いわね。確か《緑の民》は、記憶を共有する術を妖精王から授かったと聞いたことがあるんですけど、セレスティア、アナタ使えるの?』
「う、うん。たぶん……。え、まって。まりあべる、のぞきみしたの? わるいこだね」
『人聞きの悪いこと言わないでくださいまし! アタクシは覗きなんて悪趣味なことしませんわよ! これは……そう! 通りかかったら、たまたま見かけてしまっただけですの!』
(えぇ? そんなことある?)
偶然と言い張るにはあまりにも苦しい言い訳だが、ここで追及したら確実にマリアベルの機嫌を損ねてしまう。
そのためセレスティアは空気を読み、疑いの眼差しを向けながらも「ふーん」と頷くだけにした。
『さあ! 記憶、共有するんですの? しないんですの?』
「するっ!」
『それなら、さっさとしなさいな。ほら!』
マリアベルはテーブルの上にぴょんと飛び移ると、オッドアイの目を閉じた。
「じゃあ、いくよ……!」
『ええ、いつでもどうぞ』
セレスティアは深呼吸をして、マリアベルのもふもふの頭に自身の額を優しく押し当てた。
柔らかな毛がまぶたに触れてくすぐったい。
「くふふっ。ふわふわぁ」
『こら、集中なさい、ノーテンキ娘』
「あい。ごめんなしゃい」
ぴしゃりと叱られてしまった。
セレスティアは小さく肩をすくめて目をつむり、今度こそ意識を集中させる。
──〝我、ここに、こいねがう。
夢幻のごとく儚きうつつ。
脳裏に刻まれし消えゆく光景。
かつてその目に映りしものを、我が目にも明らかにしたまえ〟
記憶共有の呪文を念じた瞬間、閉ざされた真っ暗な視界に淡い光がじわじわと広がっていく。
見えてきたのは、曇りガラスを隔てたようなぼやけた光景。
さらに感覚を研ぎ澄ませてゆけば、おぼろげな輪郭が次第に鮮明になっていく。
最初にはっきりと目に映ったのは、白くきめ細やかな肌。
なめらかな曲線を描くそれは、どうやら誰かのふくらはぎのようだった。
(うぅ~ん、見にくいなぁ……)
マリアベルの記憶を追体験しているため、視点が低いのが難点だ。
状況が分からずもどかしい気持ちでいると、床にいたマリアベルがベッドに飛び乗ってくれたおかげで、先程よりも室内をよく見渡せるようになった。
就寝間際の薄暗い室内。
静まり返った公爵夫人の寝室でひとり、夜着に身を包んだクリスティーヌがベッドの縁に腰かけ、うつむいていた。
最初に見えた足は彼女のものだったらしい。
ベッドサイドにある燭台の灯りがゆらゆらと揺れるたび、彼女の翡翠の瞳も不安げにゆらめく。
やがて部屋の外から聞こえてきたかすかな足音。
クリスティーヌが顔を上げて目を向けるのとほぼ同時に、ノックの音が響いた。
「は、はい。どうぞ」
緊張を滲ませながら応えれば、寝室の扉が静かに開かれる。
現れたアルフレッドは、夜着をまとうクリスティーヌに対し、黒地に金色の刺繍が施された貴族服を着込んでいる。
夫婦の時間をリラックスして過ごすつもりがないのは一目瞭然。
むしろ新妻との初めての夜を拒むかのような、一分の隙もない完璧な貴公子の姿がそこにはあった。

