アルフレッドが書斎で各所の報告書に目を通していると、ノックの後にジェラールの声が聞こえてくる。
「旦那様、夜分遅くに申し訳ございません。研究支部からガスパール様がお見えに……おっ、お待ちください!」
部屋の外がにわかに騒がしくなったかと思えば、次の瞬間、扉がバンッと開け放たれた。
現れたのは、しわだらけの白衣を着込み、伸ばし放題の赤茶の髪を後ろで無造作に束ねた猫背の男。
死骸虫研究のため、リシャール領都に臨時で設けた研究支部の若き所長──グレゴリウス・ガスパールが、丸眼鏡をキランと光らせて猛然と詰め寄ってくる。
「聞いてください、リシャール公爵閣下! ついに、ついに……! 死骸虫に有効な薬草が見つかったのです!!」
「よくやった、ガスパール。詳しく聞かせてくれ」
「はい! わたくしは常々、閣下に申し上げておりました! 霊脈の影響を受けた死骸虫に対抗するには、霊的な干渉力のある薬材が必要だと。しかし閣下からは、こうもご意見をいただいておりました。『そのようなものは一体どこにあるのか』と。ごもっともでございます! わたくしめも、何度も何度も思いました。己の仮説が間違いなのではと。このまま一生、そのようなものは見つからないのではと!」
「ガスパール。興奮する気持ちはよく分かる。だが、一度落ち着いて話を──」
「しかーし! この天才グレゴリウス・ガスパール! 手をこまねいていたのは今日まででございます! ここから一気に完成までこぎ着けてみせますぞ! なにせ気力体力・やる気、すべてにおいて漲っており、今日も朝からステーキを三枚食べましたからなッ! 『三十代後半は健康の曲がり角』などと言う輩もおりますが、わたくしはそうは思いません。今が最盛期! そしてこれからも最高を更新し続ける男、それがわたくしでございます! はーっ、ははははっ!! …………あれ? わたくしは一体、なんの話をしていたんでしたっけ?」
上機嫌な高笑いから一転。急に真顔になり、首をかしげて問いかけてくるガスパール。
相変わらず、この男の情緒はよく分からない。
アルフレッドはこめかみを押さえ、頭痛を堪えながら答えた。
「死骸虫研究の話だ。有効な薬草が見つかったそうだな?」
「あっ、そうでした、そうでした。閣下から頂戴したホシツユクサを被検体の死骸虫に試しましたところ、みるみるうちに衰弱し、そのまま息絶える個体もおりました。いやぁ、こんなにも効き目のある薬材がこの世に存在するとは驚きです。どこで見つけたんです?」
「娘の花壇だ」
「……はい?」
ガスパールがきょとんとした顔で目を瞬かせる。
思考停止とは、まさにこのこと。
だが、こうなるのも致し方ないだろう。
なにしろ研究者らが血眼になって探し求めていたものが花壇から偶然見つかったなど、にわかに信じがたい話だ。
とはいえ、事実なのだから仕方ない。
「娘によると、いつの間にか花壇に生えており、水を与えたら驚くべき繁殖力で増えたそうだ」
「ほ、ほう……それはなんとも興味深い。セレスティア様にじっくり話を伺ってきてもよろしいですか?」
「いいわけないだろう、真夜中だぞ。娘はとうに寝ている。それに訊いたところで、これ以外のことは分からないと思うぞ」
「それは残念。うむ……考えられる仮説としては、やはり霊脈か……。そういえば、ここの近くの森には大きな霊脈が走っていたような……。霊的エネルギーによって薬草が突然変異した……? ありえる、ありえるな!」
腕組みをして独り言を呟きはじめたガスパール。
この男は放置すれば、何時間でも思考の海に沈み続ける。
それを今までの経験上よく分かっているアルフレッドは、手を強く叩いてガスパールの意識を引き戻した。
「ガスパール! 話は終わっていないぞ。戻ってこい、ガスパール!」
「おっと、失礼いたしました」
「それで? 駆除剤は何日ほどで完成できる?」
「そうですねぇ。二ヶ月もあれば」
「三週間だ」
「えぇっ⁉」
そんな無茶なぁ!と、ガスパールは泣きそうな顔で悲鳴を上げた。
「支部全員が徹夜しても、三週間は無理ですよ」
「ではスチュアート殿下に協力を仰ぎ、王都の研究本部に最高の設備と人員を用意する。それであれば可能か?」
「それは……やってみないと、なんとも……」
珍しく歯切れの悪い返答だ。
アルフレッドは薬品開発には詳しくはないが、ガスパールの様子を見る限り、たとえ材料が揃っていたとしても、それを完成品にまで高めるのは至難の業なのだろう。
できることなら十分な時間を与えてやりたいが、この研究には国の行く末と多くの国民の命がかかっている。
もはや悠長に構えてはいられない。
「三週間。それ以上は待てない。やり遂げてくれるな? ──〝天才〟研究者殿?」
わざと天才を強調して煽るように言えば、ガスパールは丸眼鏡の奥の目を細め、ニヤリと笑った。
「相変わらず、人のやる気を引き出すのがうまい御方だ。いいでしょう。三週間でやってやりますよ。なんてったってわたくしは、この国一番の天才なのでね!」
では失礼!と、白衣をひるがえし、ガスパールは書斎を出て行った。
バタンと強めに扉が閉められる。
室内に控え、アルフレッドとガスパールの会話を聞いていたジェラールが苦笑いを浮かべた。
「いつもながら賑やかで愉快な方ですね、ガスパール様は」
「賑やかではあるが愉快ではない。まったく、話しているだけで疲れる男だ」
「ふふっ、またそのようなことをおっしゃって。王都の研究所でくすぶっていたガスパール様を引き抜き、あのように天才と自称するまでに能力を引き出したのは、他ならぬ旦那様ではありませんか」
「……まぁ。あいつは社交性も協調性もないが、研究への熱意と根性、それに才能だけはあるからな。研究所の片隅で雑用係をさせておくには、勿体ない人材だった」
「旦那様の慧眼には感服いたします」
「褒めてもなにも出ないぞ。それより深夜にすまないが、出立の手配を頼む」
「このような夜分に王都へ向かわれるのですか?」
「ああ。ガスパールに最高の設備と人材を約束してしまった手前、破るわけにはいかないからな」
承知いたしましたと頭を下げて、ジェラールが足早に書斎を退室する。
手早く身支度と荷造りを終えたアルフレッドは、屋敷を出る前に娘の顔を一目見ようと、セレスティアの部屋を訪れた。
子供はとうに寝る時間だ。
寝室はすでに灯りが落とされ、しんと寝静まっている。
足音を消してベッドに近づくと、愛娘が「すぴぃ~、すぴぃ~」と安らかな寝息を立てていた。
「んぅ~……。ふへへへ……」
遊んでいる夢でも見ているのか、セレスティアは手足をモゾモゾと動かし、ふにゃりと笑顔を浮かべた。
なんとも愛らしい表情だ。この光景を思い出せば、これからの激務にも耐えられそうな気がする。
アルフレッドは目を細め、ずれた薄手の毛布を丁寧にかけ直した。そしてそっと、セレスティアの頭を撫でる。
(おやすみ、セレスティア。──いってきます)
心の中でそう告げて、アルフレッドは静かに寝室を出た。
エントランスホールへ向かうと、そこにはジェラールと、夜着の上にローブを羽織ったクリスティーヌが佇んでいた。
使用人の見送りはいらないとジェラールにあらかじめ伝えておいたため、玄関前にいるのはそのふたりだけだ。
静まり返った空間にアルフレッドの靴音が大きく響き渡った。その音で、クリスティーヌがハッとして振り返る。
「旦那様……! 王都へ発つと伺い驚きました。先日お倒れになったばかりですのに……。心配ですが、それほど重要なお仕事なのですね?」
「ああ。気を揉ませてすまない。戻ったらすべてを話す。それまで屋敷の留守とセレスティアのことを頼む」
「はい、お任せください。どうかお気をつけて、いってらっしゃいませ」
頭を下げるクリスティーヌとジェラールに見送られ、アルフレッドは馬車に乗り込み、王都へ向かって出発したのだった。

