薄くあいたセレスティアの口から「……ぇ」と、思わず声がこぼれる。
現れたのは乳母のポーラではなく、ダークブラウンの髪に涼やかな顔立ちの美丈夫。
リシャール公爵家の現当主であり、そしてセレスティアの父親であるアルフレッド・リシャールだった。
「おとう、しゃま……」
仕事が忙しく不在がちで、滅多に娘のもとを訪れない父が、まさか見舞いに来てくれるとは思いもしなかった。
戸惑うセレスティアのそばへ歩み寄ってきたアルフレッドは、凍てつく冬の海を思わせるアイスブルーの瞳で静かに見下ろしてくる。
感情の読み取れない無表情と、威圧感をともなう長身の体躯。
実の父ながら、顔立ちは非の打ち所がないほど整っており、まるで一流の芸術家が創り出した絵画か彫像のよう。
だが完璧に均整の取れたその美しさは、どこか人工物めいた冷たさも帯びている。
寡黙で喜怒哀楽の分かりにくい父を、セレスティアは正直なところ、ずっと苦手だと思っていた。
しかし──。
「体調はどうだ、セレスティア」
訊き方は相変わらず淡々としており、表情にも変化はない。
けれども、その声色には確かに娘を案じる気配があった。
(あれ? いつもより、怖くない……?)
前世の記憶を得て内面がわずかに成長したおかげで、以前は感じ取れなかったことが、ほんの少し理解できるようになったのかもしれない。
「セレスティア? 医者からは問題はないと報告を受けたが……。やはり具合が悪いのか? 待っていろ、もう一度医者を呼ぶ」
「あっ、だいじょぶ、ですっ!」
考え事をしていたせいで、アルフレッドを心配させてしまったようだ。
セレスティアは慌てて首を大きく横に振り、それから笑顔で彼を見上げた。
「わたし、とっても、げんき! おとうしゃま、おいそがしいのに……しんぱい、かけて、ごめんなしゃい……。でも、きてくれて、うれしい! ありがとう、ごじゃい、ますっ!」
想いを言葉に乗せて伝えるにつれ、アルフレッドの両目が見開かれていく。
信じられない──そんな彼の心の声が聞こえてくるようだった。
(こんな顔してるお父様、初めて。そういえば、ちゃんと話したの、すごく久しぶりかも……。ん? というか、初めて?)
思い返せば、今までのセレスティアはアルフレッドと目が合うだけで固まり、返事すらできないでいた。
そんな臆病な三歳時が急にしっかり謝罪とお礼を言いはじめたのだから、驚くのも無理はない。
アルフレッドの流麗な目が、訝しむように細められていく。
(ハッ! もしかして、頭を打って変になったと思われてる⁉ どっ、どどど、どうしよ……!)
動揺のあまりセレスティアはアルフレッドからすっと目をそらし、うつむいたまま固まった。すると、奇しくもその仕草が以前のセレスティアと同じだったからだろう、頭上から安堵の滲む声が降ってくる。
「ひとまず無事なようで安心したが、今後はポーラの言うことをよく聞き、十分に注意するように。分かったな?」
「はいっ!」
「よろしい。医者の見立てでは問題ないとのことだが、頭を打った以上は油断できない。しばらくは大人しく部屋で休みなさい」
セレスティアが元気よく二度目の「はいっ!」を口にすると、アルフレッドはよろしいと言わんばかりに頷き、足早に部屋を出ていった。
扉が閉まるのと同時にセレスティアは「ふぅ」と胸を撫で下ろし、両手を広げてベッドに仰向けで倒れ込む。
ぼんやり天井を眺めていると、ベッドに飛び乗ってきたマリアベルがセレスティアの胸の上に寝そべり、我が物顔で寛ぎはじめた。
豊満ボディのため、ずしりとした重みを感じるけれど、ほんのり温かくて柔らかい。
純白の毛並みはふわふわで、撫で回しているうちに思考がとろけてゆく。
「ふぁ~。気持ちいい……」
『アタクシは抱き枕じゃありませんことよ』
「もふもふぅ……」
『まったく、聞いちゃいないわね。──ところで、前から思っていたのだけれど』
「ん?」
『アナタたち、親子にしては他人行儀すぎじゃありませんこと?』
「んー。しかたないよ。だって、おとうしゃま、おいそがしいし、いっしょにいるジカン、すくないからね」
『だからってねぇ。いくらなんでも、ここまで親子の縁が薄いと、のちのち苦労しますわよ』
「そうなの? どうして?」
『よく考えてごらんなさいな。もしアナタのその力が誰かに知られた時、アルフレッドが守ってくれなかったら?』
マリアベルに導かれ、セレスティアは三歳の小さな頭で必死に考える。
《緑の民》の血がすでに絶えてしまっている以上、妖精と交流する方法を知っている人間は、おそらくセレスティアのみ。
仮に他にも転生者がいるとしても、その数は決して多くはないだろう。
つまりセレスティアの能力は極めて希少なもの。
それが誰かに知られれば、利用しようとする輩につけ狙われ、望まぬ争いに巻き込まれる可能性もある。
最悪の場合、かつての人生と同じように異端者として疎まれ、そして……。
──『おのれ、忌まわしい魔女め!』
脳裏に恐ろしい光景がよみがえり、セレスティアはぶるりと身震いした。
悪い記憶を頭の中から追い出すように首を振り、このままではいけないと強い危機感を抱く。
「おとうしゃまと、なかよくなるっ! もしものとき、まもってもらうっ!」
『ええ、それがいいと思いますわ。けれど父親だけじゃ足りませんわね。もっと重要なのは──そう、継母の攻略ですわ』
「まま、はは……。くりすちーぬさま? え? なんで?」
目を丸くするセレスティアの鼻先に、マリアベルがビシッと指を差すように肉球を押し当ててくる。
『いいこと、セレスティア。アタクシはこれまで色んな家庭を見てきましたけどね。継母の機嫌を損ねた継子は、だいたい不幸になっていますのよ』
「えぇ⁉ そうなの? どんなふうに?」
『そうですわねぇ……。例えば壮絶ないじめにあって心を病んだり、一文無しで屋敷を追い出されたり』
「ひぃ……」
『ひどい嫁ぎ先をあてがわれて、死ぬより辛い目に遭った令嬢もいましたわね』
「あわわわ。たっ、たいへんだぁ……!」
セレスティアは転んで気を失っていたため、クリスティーヌの出迎えができていない。
嫁いできた初日に騒ぎを起こし、挨拶にもこない無作法な娘。
今のところ加点要素はゼロ、むしろ印象としては圧倒的にマイナスだ。
(急いで会いにいかなきゃ……!)
焦りに駆られ、セレスティアが急いでベッドを下りようとした、その時だった。
軽いノックの後、トレイを持ったポーラが扉の向こうから姿を現す。
彼女は片足を床につけたセレスティアの姿を見るなり、驚くほどの早さで歩み寄ってきた。
しかし、トレイに載った器の中身は一滴たりともこぼれていない。
ポーラ、実は結構すごい人なのかもしれない。
「お嬢様、どちらへ行かれるのです? あっ、お手洗いですか?」
「ううん。くりすちーぬさまの、とこ。ごあいさつ」
「そうでしたか。お気持ちは分かりますが、ご挨拶は後日にいたしましょうね。旦那様からも、しばらくはゆっくり身体を休ませるよう仰せつかっておりますので」
「でも……。ごあいさつしないと、くりすちーぬさま、おこっちゃう」
「ふふっ、そのような心の狭い方ではありませんよ。さあ、お食事が冷めてしまいますので、ベッドへお戻りください」
口調は柔らかいもののポーラの目は至って真剣で、なにを言ってもクリスティーヌのもとへは行かせてくれそうにない。
「う、うん……」
セレスティアはしぶしぶベッドに戻り、ポーラが運んできてくれた、優しい甘みのミルク粥とすりおろし林檎を食べはじめるのだった。
現れたのは乳母のポーラではなく、ダークブラウンの髪に涼やかな顔立ちの美丈夫。
リシャール公爵家の現当主であり、そしてセレスティアの父親であるアルフレッド・リシャールだった。
「おとう、しゃま……」
仕事が忙しく不在がちで、滅多に娘のもとを訪れない父が、まさか見舞いに来てくれるとは思いもしなかった。
戸惑うセレスティアのそばへ歩み寄ってきたアルフレッドは、凍てつく冬の海を思わせるアイスブルーの瞳で静かに見下ろしてくる。
感情の読み取れない無表情と、威圧感をともなう長身の体躯。
実の父ながら、顔立ちは非の打ち所がないほど整っており、まるで一流の芸術家が創り出した絵画か彫像のよう。
だが完璧に均整の取れたその美しさは、どこか人工物めいた冷たさも帯びている。
寡黙で喜怒哀楽の分かりにくい父を、セレスティアは正直なところ、ずっと苦手だと思っていた。
しかし──。
「体調はどうだ、セレスティア」
訊き方は相変わらず淡々としており、表情にも変化はない。
けれども、その声色には確かに娘を案じる気配があった。
(あれ? いつもより、怖くない……?)
前世の記憶を得て内面がわずかに成長したおかげで、以前は感じ取れなかったことが、ほんの少し理解できるようになったのかもしれない。
「セレスティア? 医者からは問題はないと報告を受けたが……。やはり具合が悪いのか? 待っていろ、もう一度医者を呼ぶ」
「あっ、だいじょぶ、ですっ!」
考え事をしていたせいで、アルフレッドを心配させてしまったようだ。
セレスティアは慌てて首を大きく横に振り、それから笑顔で彼を見上げた。
「わたし、とっても、げんき! おとうしゃま、おいそがしいのに……しんぱい、かけて、ごめんなしゃい……。でも、きてくれて、うれしい! ありがとう、ごじゃい、ますっ!」
想いを言葉に乗せて伝えるにつれ、アルフレッドの両目が見開かれていく。
信じられない──そんな彼の心の声が聞こえてくるようだった。
(こんな顔してるお父様、初めて。そういえば、ちゃんと話したの、すごく久しぶりかも……。ん? というか、初めて?)
思い返せば、今までのセレスティアはアルフレッドと目が合うだけで固まり、返事すらできないでいた。
そんな臆病な三歳時が急にしっかり謝罪とお礼を言いはじめたのだから、驚くのも無理はない。
アルフレッドの流麗な目が、訝しむように細められていく。
(ハッ! もしかして、頭を打って変になったと思われてる⁉ どっ、どどど、どうしよ……!)
動揺のあまりセレスティアはアルフレッドからすっと目をそらし、うつむいたまま固まった。すると、奇しくもその仕草が以前のセレスティアと同じだったからだろう、頭上から安堵の滲む声が降ってくる。
「ひとまず無事なようで安心したが、今後はポーラの言うことをよく聞き、十分に注意するように。分かったな?」
「はいっ!」
「よろしい。医者の見立てでは問題ないとのことだが、頭を打った以上は油断できない。しばらくは大人しく部屋で休みなさい」
セレスティアが元気よく二度目の「はいっ!」を口にすると、アルフレッドはよろしいと言わんばかりに頷き、足早に部屋を出ていった。
扉が閉まるのと同時にセレスティアは「ふぅ」と胸を撫で下ろし、両手を広げてベッドに仰向けで倒れ込む。
ぼんやり天井を眺めていると、ベッドに飛び乗ってきたマリアベルがセレスティアの胸の上に寝そべり、我が物顔で寛ぎはじめた。
豊満ボディのため、ずしりとした重みを感じるけれど、ほんのり温かくて柔らかい。
純白の毛並みはふわふわで、撫で回しているうちに思考がとろけてゆく。
「ふぁ~。気持ちいい……」
『アタクシは抱き枕じゃありませんことよ』
「もふもふぅ……」
『まったく、聞いちゃいないわね。──ところで、前から思っていたのだけれど』
「ん?」
『アナタたち、親子にしては他人行儀すぎじゃありませんこと?』
「んー。しかたないよ。だって、おとうしゃま、おいそがしいし、いっしょにいるジカン、すくないからね」
『だからってねぇ。いくらなんでも、ここまで親子の縁が薄いと、のちのち苦労しますわよ』
「そうなの? どうして?」
『よく考えてごらんなさいな。もしアナタのその力が誰かに知られた時、アルフレッドが守ってくれなかったら?』
マリアベルに導かれ、セレスティアは三歳の小さな頭で必死に考える。
《緑の民》の血がすでに絶えてしまっている以上、妖精と交流する方法を知っている人間は、おそらくセレスティアのみ。
仮に他にも転生者がいるとしても、その数は決して多くはないだろう。
つまりセレスティアの能力は極めて希少なもの。
それが誰かに知られれば、利用しようとする輩につけ狙われ、望まぬ争いに巻き込まれる可能性もある。
最悪の場合、かつての人生と同じように異端者として疎まれ、そして……。
──『おのれ、忌まわしい魔女め!』
脳裏に恐ろしい光景がよみがえり、セレスティアはぶるりと身震いした。
悪い記憶を頭の中から追い出すように首を振り、このままではいけないと強い危機感を抱く。
「おとうしゃまと、なかよくなるっ! もしものとき、まもってもらうっ!」
『ええ、それがいいと思いますわ。けれど父親だけじゃ足りませんわね。もっと重要なのは──そう、継母の攻略ですわ』
「まま、はは……。くりすちーぬさま? え? なんで?」
目を丸くするセレスティアの鼻先に、マリアベルがビシッと指を差すように肉球を押し当ててくる。
『いいこと、セレスティア。アタクシはこれまで色んな家庭を見てきましたけどね。継母の機嫌を損ねた継子は、だいたい不幸になっていますのよ』
「えぇ⁉ そうなの? どんなふうに?」
『そうですわねぇ……。例えば壮絶ないじめにあって心を病んだり、一文無しで屋敷を追い出されたり』
「ひぃ……」
『ひどい嫁ぎ先をあてがわれて、死ぬより辛い目に遭った令嬢もいましたわね』
「あわわわ。たっ、たいへんだぁ……!」
セレスティアは転んで気を失っていたため、クリスティーヌの出迎えができていない。
嫁いできた初日に騒ぎを起こし、挨拶にもこない無作法な娘。
今のところ加点要素はゼロ、むしろ印象としては圧倒的にマイナスだ。
(急いで会いにいかなきゃ……!)
焦りに駆られ、セレスティアが急いでベッドを下りようとした、その時だった。
軽いノックの後、トレイを持ったポーラが扉の向こうから姿を現す。
彼女は片足を床につけたセレスティアの姿を見るなり、驚くほどの早さで歩み寄ってきた。
しかし、トレイに載った器の中身は一滴たりともこぼれていない。
ポーラ、実は結構すごい人なのかもしれない。
「お嬢様、どちらへ行かれるのです? あっ、お手洗いですか?」
「ううん。くりすちーぬさまの、とこ。ごあいさつ」
「そうでしたか。お気持ちは分かりますが、ご挨拶は後日にいたしましょうね。旦那様からも、しばらくはゆっくり身体を休ませるよう仰せつかっておりますので」
「でも……。ごあいさつしないと、くりすちーぬさま、おこっちゃう」
「ふふっ、そのような心の狭い方ではありませんよ。さあ、お食事が冷めてしまいますので、ベッドへお戻りください」
口調は柔らかいもののポーラの目は至って真剣で、なにを言ってもクリスティーヌのもとへは行かせてくれそうにない。
「う、うん……」
セレスティアはしぶしぶベッドに戻り、ポーラが運んできてくれた、優しい甘みのミルク粥とすりおろし林檎を食べはじめるのだった。

