「おとうしゃま。まだかなぁ、まだかなぁ」
リビングの窓にかじり付き、そわそわと外を見やるセレスティア。
父の帰宅を待ちわびる幼子の姿に、クリスティーヌとポーラが顔を見合わせて微笑んだ。
「予定では、そろそろご到着する頃ですが……」
ポーラが時刻を確認しながらそう呟いた直後、セレスティアは「あっ」と声を上げた。
四頭立ての長距離馬車が門をくぐって屋敷に近づいてくるのが見えたのだ。
「かえってきた! おでむかえ、するっ!」
「ええ、行きましょうか」
クリスティーヌと手を繋ぎ、リビングを出て廊下を進む。
エントランスホールにつくと、ちょうど玄関扉が開かれた。
「おとうしゃま、おかえりなしゃ……ええっ⁉」
視界に飛び込んできたアルフレッドのやつれた顔に、セレスティアはギョッとした。
まるで幽鬼のような青白い顔に、目の下にはびっしりと隈が張り付いている。
もとから引き締まった精悍な顔つきをしているが、それにしても今は頬が少しばかりこけている気がした。
だが疲れ果てていてもなお、人目を引く美しさが損なわれていないのが、アルフレッドのすごいところだ。
気怠げな表情や仕草が、常とは違うあやうい雰囲気を醸し出している。一般的にそれは『大人の男の色香』というものなのだが、前世十三歳、現世三歳のセレスティアが正しく感じ取れるはずもない。
(なんか、すっごく疲れてる……!)
そんな印象を受けたセレスティアは、眉をハの字に下げ、クリスティーヌと挨拶を交わしているアルフレッドを上目遣いで見上げた。
「おとうしゃま、だいじょうぶ?」
「ああ、問題ない。長らく留守にしてすまなかったな。誕生の祝祭に間に合ってよかった」
「えっ」
意図せぬ言葉にセレスティアは目をパチパチと瞬かせる。
確かに誕生の祝祭は十日後に迫っているが、まさかアルフレッドがそれを覚えており、なおかつ間に合うように出張から戻ってくるとは思わなかったのだ。
「おとうしゃま、おぼえてた?」
「当たり前だろう」
子供の幸福を願う日を忘れる親はいないと、アルフレッドは常の淡々とした口調で答えた。
そういえばクローゼットの中には、去年、おととしに彼から贈られたというドレスが入っている。幼すぎてもらった時の記憶はかなり曖昧ではあるものの、「おめでとう」と毎年祝いの言葉を告げられていた気もする。
仕事第一で、娘のことは後回しにしている父。
そう思っていたけれど……。
忘れていた、あるいは気付かなかっただけで、セレスティアは今までもちゃんと、父からたくさんの愛情をもらっていたのかもしれない。
「えへへ! おとうしゃま、だーいすきっ!」
喜びがこみ上げ、セレスティアは両手を広げて勢いよくアルフレッドの腰に抱きついた。
ドン!とぶつかった瞬間、目の前の大きな身体がぐらりとよろめく。
「ふぇ? わっ、わわっ!」
一瞬の浮遊感の後、襲い来るわずかな衝撃。
ギュッと閉じていた目を開くと、そこにあったのはまぶたを閉じるアルフレッドの顔。
彼はセレスティアを抱き留めた姿勢のまま、エントランスホールの床に仰向けで倒れていた。
すぐさまクリスティーヌとジェラール、そしてポーラが駆け寄り、一瞬反応が遅れた他の使用人らも「旦那様! お嬢様!」と言って近づいてくる。
「セレスティアさん、大丈夫ですか?」
「う、うん……わたしは、だいじょぶ。でも、おとうしゃまが……わたしの、せいで……。おとうしゃま、おきてぇ! タックルして、ごめんなしゃい……! ふえぇえ、しんじゃ、いやぁ~!」
半泣きで名前を呼べば、アルフレッドのまぶたがピクッと動き、ゆっくりと持ち上がる。
「……生きている。問題は、ない……が、さすがに……」
眠い──そう小声で呟いたきり、アルフレッドは目を閉じて沈黙してしまった。
そばに片膝をつき様子を確かめたジェラールが、セレスティアの方へと顔を向けて微笑む。
「ご安心ください、お嬢様。旦那様はお眠りになっているだけでございます」
「そうなの? よかったぁ……」
ホッと詰めていた息を吐き出すセレスティア。その隣で同じように安堵の表情を浮かべたクリスティーヌが、使用人らに向き直った。
「旦那様を寝室へお願いします。かなりお疲れのご様子ですし、頭を打っているかもしれません。ジェラールさん、念のため先生に往診に来ていただきたいのですが、お任せしてもよろしいでしょうか?」
「もちろんでございます、奥様。すぐに手配いたします」
丁寧かつ迅速なクリスティーヌの差配を受けて、使用人らが素早く行動を開始する。
まだわずかに意識のあったアルフレッドは、男性使用人の肩を借りて自力で寝室へと歩いていった。
その後ろ姿を見送りながら、セレスティアは果てしない衝撃を受けていた。
いついかなる時も、まるで大樹のように揺らがないアルフレッドが、まさか三歳児の突進程度で倒れてしまうなんて。
それほどまでに彼を追い詰め、疲弊させる問題が発生しているに違いない。
思い当たるとすれば、大量発生が予想されている死骸虫の問題。
不眠不休で事に当たるほど、対策が難航しているのだろうか。
セレスティアは手をきゅっと握り締め、クリスティーヌのドレスの裾をきゅっと摘まみ、ちょんちょんと控えめに引っ張った。
「セレスティアさん?」
「あのね。おとうしゃまのおそばに、いたいの。うるしゃくしないから、おねがい、しますっ!」
目に涙を溜めながら見上げれば、クリスティーヌは慰めるようにセレスティアの頭を撫でた。
「分かりました。お目覚めになるまで、一緒におそばにいましょうか」
「うん!」
大きく頷いたセレスティアは、クリスティーヌと手を繋いで歩き出す。
(マリアベル。ひとつお願い事があるの)
念話で声をかけると、隣をついてくるマリアベルが小首を傾げた。
『なにかしら?』
(あのね──)
セレスティアの頼みを聞き届けたマリアベルが『任せてちょうだいな』と答え、分かれ道で逆の方向へと進んでいく。
(任せたよ、マリアベル)
頼れる相棒猫に願いを託したセレスティアは、クリスティーヌとともにアルフレッドの寝室に足を踏み入れた。

