薄く開いた窓から吹き込む風に乗り、手のひらほどの背丈の女性たちが部屋の中をたゆたうように舞っている。
背にある半透明の羽がはばたくたび、星屑のような鱗粉がキラキラと散り、空気に溶けて消えていく──。
きゃらきゃらと笑いながら飛び回る彼女らは、風の精〝シルフ〟。
木の梢を住処とする妖精なので、おそらく屋敷の裏手に広がる森から来たのだろう。
そこから下へと視線を移すと、日当たりのよいテーブルの上では三角帽子をかぶった親指サイズの小さなおじいちゃんが三人。身を寄せ合ってうたた寝していた。
赤茶色の豊かな顎髭をたくわえた彼らは、家に住み着く〝ブラウニー〟という小人だ。
昼下がりのうららかな陽気に誘われ、こくりこくりと舟をこぐ姿がなんとも愛らしい。
目の前にいる人ならざる者たちは、古来よりこのグランフェリシア王国に住まう〝妖精〟。
彼らは人間が入植する遙か昔からこの地に根を張っていた、いわゆる先住民族とも言える存在である。
しかし人間たちが王国を築き、武器を作り、国内外で争いを起すようになるにつれ、迫害を恐れた妖精たちは魔法で姿を隠すようになっていった。
そんな妖精たちを認識する術を持っていたのが《緑の民》。
初代の民長は妖精たちとの共存を望み、決して彼らを傷つけないと妖精王に魂の誓いを立てた。
その覚悟と信念が認められ、人ならざる者たちと交流する呪文と知恵を特別に授けられたのだ。
(ありゃ、本当に《緑の民》の呪文が使えちゃった……)
ということは、あれはただの夢ではなく、セレスティアとして生まれる前の経験──いわゆる前世の記憶というやつなのだろうか。
そんなことをぼんやり考えていると、床から小さな足音が聞こえ、次いで白い毛玉がぴょんとベッドに飛び乗ってきた。
見るからにふわっふわで柔らかそうな純白の毛並み。
小さな耳の生えた丸い顔に、つぶらな瞳は紫と金の神秘的なオッドアイ。
身体つきはむっちりとしており、お世辞にも細身とは言いがたい。
毛量が多いせいか、それとも単に短足だからなのか。
四肢はほとんど見えず、丸くなって寝そべる姿はまさに──。
「しろたぬき?」
思ったことをついポロッと呟けば、眠りにつこうとしていた白い毛玉の謎妖精がクワッと目を見開いた。
『なんですって? 白タヌキ? ちょいとお待ちなさい、このちんちくりん娘。まさかその言葉、アタクシに言ったんじゃありませんわよね?』
「わたし、ちんちくりんじゃないもん」
『アタクシだって、タヌキじゃありませんことよ!』
じゃあ、なんの妖精なのだろうと首を傾げれば、白い毛玉の謎妖精は『ふんっ』と鼻を鳴らし、二本足で立ち上がった。
腕を組むように前足を胸の前で重ね、もふもふの豊満ボディを揺らしながら短い足でのっし、のっしと詰め寄ってくる。
『いいこと、よーく、お聞き! アタクシはマリアベル・フワルンティ。夫は猫妖精界の三大公爵家のひとつ、フワルンティ公爵家の前当主ざます! ミセス・フワルンティとお呼びなさい』
どう見ても外見はたぬき寄りだが、正体は猫の妖精〝ケットシー〟だったらしい。
失礼なことを言ってしまったと、セレスティアは居住まいを正して頭を下げた。
「まちがえて、ごめんなしゃい。みせ、みせしゅ、ふわりゅん……ふわるん……」
どう頑張っても口がうまく回らない。
特にサ行とラ行の発音がセレスティアは苦手なようだ。
きちんと名前すら呼べず、さらに申し訳なくなって「ごめん、なさい」ともう一度丁寧に謝ると、マリアベルがふわふわの手でセレスティアの頭に触れた。
『マリアベルでいいわ。アタクシも、ちんちくりんなんて言ってごめんなさいね、セレスティア。仲直りしてくれるかしら?』
「もちろん! あれ? なんで、わたしのなまえ、しってるの?」
『アナタたち人間はアタクシたち妖精が見えていないでしょうけれど、こちらには丸見えですもの。……あら? そういえばアナタ、なぜアタクシが見えているんですの?』
問いかけられたセレスティアは、前世の記憶と思われる夢の内容を打ち明けた。
相変わらず発音はたどたどしく、何度も言葉がつかえてしまう。
それでもマリアベルは急かすことも嫌な顔をすることもなく、真剣に話を聞いてくれていた。
そしてそれは他の妖精たちも同様だ。
宙をたゆたっていたシルフたちは静かにセレスティアの肩に止まり、日向でうたた寝をしていたブラウニー三人衆もベッドによじ登り、うんうんと相槌を打ちながら耳を傾けてくれている。
すべてを話し終えると、妖精たちは自分のことのように傷ついた面持ちでうつむき、黙り込んだ。
シルフとブラウニー三人衆はぴったりとセレスティアに寄り添い、マリアベルはこぼれた涙をそっと拭ってくれる。
「ねぇ、まりあべる。みどりのたみ、どうなったか、しってる?」
『……アタクシは、随分長いこと見かけていないわね。アナタたちは?』
マリアベルに問いかけられた妖精たちも、みな首を横に振る。
彼らはなにも言わなかったが、暗い表情から察するに《緑の民》はあの夜を最後に、全員この世を去ってしまったのだろう。
セレスティアの目から止めどなく涙がこぼれ落ちる。
前世の記憶は〝知識〟として残り、感情の核は今世のセレスティアだ。
それでも魂の中に、あの少女の心もわずかながら残っているのだろう。
まるでセレスティア自身が大切な人を奪われたかのように、悲しくて堪らなかった。
『泣きたい時は思う存分お泣きなさい。けれどね、セレスティア。いつまでもメソメソしていたら、いけませんわよ。アタクシたちと違って、アナタたち人間の寿命はうんと短いんですからね』
マリアベルがぷにぷにの肉球でセレスティアの頬を撫でながら、優しい声でそう告げた。
その励まし方は、厳しくも優しかった祖母を彷彿とさせるもので、泣き止みたいと思うのに涙が次から次へと溢れて止まらない。
えぐっ、えぐっと、しゃくり上げていると、再びマリアベルがゆったりとした口調で話しかけてくる。
『アタクシたち妖精もね、命を終えたら妖精王のお力で生まれ変わるんですの。たまに、アナタみたいに前の記憶を持って、またこの地に生まれ落ちる者もいるんですのよ』
「そうなの?」
『ええ。昔、前世の記憶があるアタクシの知り合いが言っていたんですの。──【人生をやり直せる、奇跡みたいなこの機会。めいっぱい楽しまなきゃ損だ】って』
「やりなおせる……きせき……」
『そうよ。せっかく生まれ変わったんですもの。前回の人生でできなかったこと、今世でたくさんおやりなさい。いのち短し、人生を謳歌せよ、ですわよ!』
「うん……そうだね!」
悲しみに沈んでいたセレスティアの心に光がともり、身体の奥底から力が湧いてくる。
散っていった《緑の民》の分まで頑張って生きようと、前世の自分の心も前向きになってくれたのかもしれない。
「ありがとう、まりあべる。みんなもね! ──わたし、きめたよ」
セレスティアは目尻に引っかかっていた涙を拭うと、両手をぎゅっと握り締めた。
「こんどこそ、いきのびる! たくさん、しあわせに、なるっ!」
願いは声に出した方が叶うのだと前世の祖母が言っていた。
その言葉を信じ、セレスティアは小さな指を折りたたんで数えながら、今世でしたいことを思いつくまま口にしていく。
「あのね、わたし、ひとがたくさんいるマチに、いってみたいの! あと、がっこうも、いってみたい! それと、いろんなもの、みて、たべて……あっ、おさけ! おさけも、のんでみたい!」
『ふぉっ、ふぉっ、ふぉ。酒は大人になってからじゃぞ、お嬢ちゃん』
『頑張って長生きしないといけんのぉ』
『飲める年になったら、わしらがいい酒とツマミを用意してやろう』
ブラウニーのお爺さんらが朗らかな微笑みを浮かべ、三人声を揃えて『将来が楽しみじゃのぉ』としみじみ呟いた。
シルフたちも『応援しているワ、セレスティア』と歌うように囁き、マリアベルも『頑張りなさいな』とエールを送ってくれる。
気のいい隣人たちの声援に笑顔で頷いたその時、室内にコンコンとノックの音が響きわたった。
ポーラが食事を持ってきてくれたのだろう。
肩に止まっていたシルフたちが飛び去り、マリアベルとブラウニー三人衆もいそいそとベッドを下りていく。
「はーい!」
元気よく返事をしたセレスティアは、扉が開いた瞬間、時が止まったかのようにその場で固まった。
背にある半透明の羽がはばたくたび、星屑のような鱗粉がキラキラと散り、空気に溶けて消えていく──。
きゃらきゃらと笑いながら飛び回る彼女らは、風の精〝シルフ〟。
木の梢を住処とする妖精なので、おそらく屋敷の裏手に広がる森から来たのだろう。
そこから下へと視線を移すと、日当たりのよいテーブルの上では三角帽子をかぶった親指サイズの小さなおじいちゃんが三人。身を寄せ合ってうたた寝していた。
赤茶色の豊かな顎髭をたくわえた彼らは、家に住み着く〝ブラウニー〟という小人だ。
昼下がりのうららかな陽気に誘われ、こくりこくりと舟をこぐ姿がなんとも愛らしい。
目の前にいる人ならざる者たちは、古来よりこのグランフェリシア王国に住まう〝妖精〟。
彼らは人間が入植する遙か昔からこの地に根を張っていた、いわゆる先住民族とも言える存在である。
しかし人間たちが王国を築き、武器を作り、国内外で争いを起すようになるにつれ、迫害を恐れた妖精たちは魔法で姿を隠すようになっていった。
そんな妖精たちを認識する術を持っていたのが《緑の民》。
初代の民長は妖精たちとの共存を望み、決して彼らを傷つけないと妖精王に魂の誓いを立てた。
その覚悟と信念が認められ、人ならざる者たちと交流する呪文と知恵を特別に授けられたのだ。
(ありゃ、本当に《緑の民》の呪文が使えちゃった……)
ということは、あれはただの夢ではなく、セレスティアとして生まれる前の経験──いわゆる前世の記憶というやつなのだろうか。
そんなことをぼんやり考えていると、床から小さな足音が聞こえ、次いで白い毛玉がぴょんとベッドに飛び乗ってきた。
見るからにふわっふわで柔らかそうな純白の毛並み。
小さな耳の生えた丸い顔に、つぶらな瞳は紫と金の神秘的なオッドアイ。
身体つきはむっちりとしており、お世辞にも細身とは言いがたい。
毛量が多いせいか、それとも単に短足だからなのか。
四肢はほとんど見えず、丸くなって寝そべる姿はまさに──。
「しろたぬき?」
思ったことをついポロッと呟けば、眠りにつこうとしていた白い毛玉の謎妖精がクワッと目を見開いた。
『なんですって? 白タヌキ? ちょいとお待ちなさい、このちんちくりん娘。まさかその言葉、アタクシに言ったんじゃありませんわよね?』
「わたし、ちんちくりんじゃないもん」
『アタクシだって、タヌキじゃありませんことよ!』
じゃあ、なんの妖精なのだろうと首を傾げれば、白い毛玉の謎妖精は『ふんっ』と鼻を鳴らし、二本足で立ち上がった。
腕を組むように前足を胸の前で重ね、もふもふの豊満ボディを揺らしながら短い足でのっし、のっしと詰め寄ってくる。
『いいこと、よーく、お聞き! アタクシはマリアベル・フワルンティ。夫は猫妖精界の三大公爵家のひとつ、フワルンティ公爵家の前当主ざます! ミセス・フワルンティとお呼びなさい』
どう見ても外見はたぬき寄りだが、正体は猫の妖精〝ケットシー〟だったらしい。
失礼なことを言ってしまったと、セレスティアは居住まいを正して頭を下げた。
「まちがえて、ごめんなしゃい。みせ、みせしゅ、ふわりゅん……ふわるん……」
どう頑張っても口がうまく回らない。
特にサ行とラ行の発音がセレスティアは苦手なようだ。
きちんと名前すら呼べず、さらに申し訳なくなって「ごめん、なさい」ともう一度丁寧に謝ると、マリアベルがふわふわの手でセレスティアの頭に触れた。
『マリアベルでいいわ。アタクシも、ちんちくりんなんて言ってごめんなさいね、セレスティア。仲直りしてくれるかしら?』
「もちろん! あれ? なんで、わたしのなまえ、しってるの?」
『アナタたち人間はアタクシたち妖精が見えていないでしょうけれど、こちらには丸見えですもの。……あら? そういえばアナタ、なぜアタクシが見えているんですの?』
問いかけられたセレスティアは、前世の記憶と思われる夢の内容を打ち明けた。
相変わらず発音はたどたどしく、何度も言葉がつかえてしまう。
それでもマリアベルは急かすことも嫌な顔をすることもなく、真剣に話を聞いてくれていた。
そしてそれは他の妖精たちも同様だ。
宙をたゆたっていたシルフたちは静かにセレスティアの肩に止まり、日向でうたた寝をしていたブラウニー三人衆もベッドによじ登り、うんうんと相槌を打ちながら耳を傾けてくれている。
すべてを話し終えると、妖精たちは自分のことのように傷ついた面持ちでうつむき、黙り込んだ。
シルフとブラウニー三人衆はぴったりとセレスティアに寄り添い、マリアベルはこぼれた涙をそっと拭ってくれる。
「ねぇ、まりあべる。みどりのたみ、どうなったか、しってる?」
『……アタクシは、随分長いこと見かけていないわね。アナタたちは?』
マリアベルに問いかけられた妖精たちも、みな首を横に振る。
彼らはなにも言わなかったが、暗い表情から察するに《緑の民》はあの夜を最後に、全員この世を去ってしまったのだろう。
セレスティアの目から止めどなく涙がこぼれ落ちる。
前世の記憶は〝知識〟として残り、感情の核は今世のセレスティアだ。
それでも魂の中に、あの少女の心もわずかながら残っているのだろう。
まるでセレスティア自身が大切な人を奪われたかのように、悲しくて堪らなかった。
『泣きたい時は思う存分お泣きなさい。けれどね、セレスティア。いつまでもメソメソしていたら、いけませんわよ。アタクシたちと違って、アナタたち人間の寿命はうんと短いんですからね』
マリアベルがぷにぷにの肉球でセレスティアの頬を撫でながら、優しい声でそう告げた。
その励まし方は、厳しくも優しかった祖母を彷彿とさせるもので、泣き止みたいと思うのに涙が次から次へと溢れて止まらない。
えぐっ、えぐっと、しゃくり上げていると、再びマリアベルがゆったりとした口調で話しかけてくる。
『アタクシたち妖精もね、命を終えたら妖精王のお力で生まれ変わるんですの。たまに、アナタみたいに前の記憶を持って、またこの地に生まれ落ちる者もいるんですのよ』
「そうなの?」
『ええ。昔、前世の記憶があるアタクシの知り合いが言っていたんですの。──【人生をやり直せる、奇跡みたいなこの機会。めいっぱい楽しまなきゃ損だ】って』
「やりなおせる……きせき……」
『そうよ。せっかく生まれ変わったんですもの。前回の人生でできなかったこと、今世でたくさんおやりなさい。いのち短し、人生を謳歌せよ、ですわよ!』
「うん……そうだね!」
悲しみに沈んでいたセレスティアの心に光がともり、身体の奥底から力が湧いてくる。
散っていった《緑の民》の分まで頑張って生きようと、前世の自分の心も前向きになってくれたのかもしれない。
「ありがとう、まりあべる。みんなもね! ──わたし、きめたよ」
セレスティアは目尻に引っかかっていた涙を拭うと、両手をぎゅっと握り締めた。
「こんどこそ、いきのびる! たくさん、しあわせに、なるっ!」
願いは声に出した方が叶うのだと前世の祖母が言っていた。
その言葉を信じ、セレスティアは小さな指を折りたたんで数えながら、今世でしたいことを思いつくまま口にしていく。
「あのね、わたし、ひとがたくさんいるマチに、いってみたいの! あと、がっこうも、いってみたい! それと、いろんなもの、みて、たべて……あっ、おさけ! おさけも、のんでみたい!」
『ふぉっ、ふぉっ、ふぉ。酒は大人になってからじゃぞ、お嬢ちゃん』
『頑張って長生きしないといけんのぉ』
『飲める年になったら、わしらがいい酒とツマミを用意してやろう』
ブラウニーのお爺さんらが朗らかな微笑みを浮かべ、三人声を揃えて『将来が楽しみじゃのぉ』としみじみ呟いた。
シルフたちも『応援しているワ、セレスティア』と歌うように囁き、マリアベルも『頑張りなさいな』とエールを送ってくれる。
気のいい隣人たちの声援に笑顔で頷いたその時、室内にコンコンとノックの音が響きわたった。
ポーラが食事を持ってきてくれたのだろう。
肩に止まっていたシルフたちが飛び去り、マリアベルとブラウニー三人衆もいそいそとベッドを下りていく。
「はーい!」
元気よく返事をしたセレスティアは、扉が開いた瞬間、時が止まったかのようにその場で固まった。

