──タスケテ……タスケテ……。
まどろみの中、かすかな声が耳に届く。
最初は隙間風のように小さな音。
それが段々と大きくなっていき、眠りを妨げられたセレスティアは眉間にしわを寄せて寝返りを打った。
『……オイ! オイ!』
「んんぅ……うるしゃいよぉ……」
『オイ! オキロ! タスケロ! ニンゲン!』
「ふぇ……? ──うわっ⁉」
騒々しさにまぶたを持ち上げた瞬間、セレスティアは至近距離にあった毛むくじゃらの顔面に驚いた。
子供のような丸い顔にぎょろりとしたふたつの目。
口は頬の辺りまで裂けており、ギザギザとした鋭利な牙が覗いている。
耳の形は人間に近いものの、上部がピンと尖っていた。
大きさは小人と同じくらいの親指サイズ。
全身が黒い毛で覆われており、二本の後ろ足で立つ姿は猿にも少し似ているが、まとう雰囲気は普通の動物とは明らかに違う。
見た目からして妖精である。
しかし、ただでさえ前世の記憶はところどころ穴が空いておぼろげなのに、そのうえ寝起きのぼやけた頭ではその種族は判然としない。
「えぇっと……どちらさま?」
セレスティアは目をパチクリさせながら問いかけた。
だが毛むくじゃらの謎妖精はなにも答えず、慌てた様子でベッドから飛び降りると鏡台の方へと走っていく。
『んん……? どうしたの? まだ夜明け前じゃないの……』
隣で寝ていたマリアベルも騒々しさに目が覚めてしまったようだ。
『ふぁ~』と大きなあくびをすると、お尻を高く上げて前足を突き出し、ぐーっと伸びをする。
「あのようせいが、タスケテって」
『えぇ? 妖精?』
セレスティアの視線をたどり、マリアベルもそちらへと目を向ける。
椅子の前脚をよじ登ったその妖精は、そこから鏡台へと身軽にジャンプ。天板部分に見事着地し『ふぅ』と手の甲で額をぬぐうと、白地に金装飾の小物入れを指さし『タスケテ』と連呼している。
セレスティアが近づいてみると、小物入れの中からも『タスケテ』とくぐもった声が聞こえてきた。
蓋を上げると、中には親指サイズの謎妖精がもうひとり。
ピンクのフリルリボンの髪飾りを宝物のようにきゅっと抱き締め、大きな両目にウルウルと涙を溜めて震えていた。
セレスティアの肩に飛び乗ったマリアベルが、合点がいったように『ははぁ~ん。そういうこと』と呟いた。
『小物入れの中を物色していたら、蓋が閉まっちゃって閉じ込められたのね。ふん、悪戯などするからですわよ』
豊満ボディの貫禄ある猫妖精に見下ろされ、毛むくじゃらの妖精たちは肩を跳ねさせた。そして逃げようとしたその瞬間、すかさずマリアベルの制止の声が飛ぶ。
『お待ちなさい! 謝罪も礼もなく立ち去ろうとするなんて、失礼にもほどがありますわ。同じ妖精として見過ごすことはできなくってよ!』
セレスティアに助けを求めた方の謎妖精は、拗ねたように唇を尖らせてうつむいた。
一方、小物入れに閉じ込められていた方の謎妖精は、手にしていた髪飾りを名残惜しそうに箱に戻し、素直に頭を下げた。
『カワイイ、ホシカッタ。ヌスム、シテ、ゴメンナサイ。ホラ、ニィチャンモ』
どうやらこの妖精たちは兄妹のようだ。先程までふて腐れた様子を見せていた『兄ちゃん』は、妹に促されてペコッと会釈した。
『……イモウト、タスケテクレテ、アリガト』
「いいよ。どういたしまして! あっ、ちょっと待って。──はい、これ」
セレスティアは小物入れから例のフリルリボンの髪飾りを取り出すと、妹妖精の前にそっと差し出した。
『ちょっと、セレスティア! それ、あげちゃっていいの?』
「うん。さいきんこれ、あんまりつけてないの。ほしいひとに、つかってもらったほうが、このリボンも、よろこぶとおもうから」
『……ホントニ、イイノ?』
大きなお目々をウルウルさせて尋ねてくる妹妖精に、セレスティアは笑顔で頷いた。
「いいよ。たいせつにしてね」
『ウン!』
「あと、もうおやしきのモノ、ぬすんじゃダメだからね。イタズラも、やめてね」
『ウン!』
『オウ、ワカッタ』
妹妖精はリボンをぎゅっと胸に抱き締め、兄妖精とともに鏡台を下りると、クローゼットの方へと走っていく。
不思議に思いあとを追うと、寝室の壁の隅にネズミが一匹かろうじて通れるほどの穴が空いていた。
大きなクローゼットに隠れて、今の今までまったく気付かなかった。あとで修繕を頼まないと。
『ほんっと、アナタってばお人好しねぇ。ボギーみたいな悪戯妖精に優しくしたって、いいことなんてありませんのに』
「あのふたり、ぼぎーだったんだ」
『あらま、気付いていなかったんですの?』
「うん。ハナシはきいたことあるけど、みたのはハジメテ」
ボギーは屋敷に住み着く妖精で、とんがり帽子に赤茶の髭が特徴の〝ブラウニー〟と同じく小人の一種族である。
近縁種であるブラウニーが温厚な性格なのに対し、ボギーは根っからの悪戯好き。自分たちが楽しければ周囲に迷惑をかけることも厭わない、自己中心的な振る舞いをするものが多い。
そのため、マリアベルのようによく思わない妖精たちも多く、ボギーは嫌われ者の種族として《緑の民》の間でも語り継がれていた。
「んぅ……ねむい……」
『アタクシもよ。もう一眠りしましょう』
うんと頷きベッドの方へと足を向けたその時、背後から『マッテ』と呼び止められた。
振り返れば、そこにいたのは立ち去ったはずのボギーの片割れ。髪飾りを持っているところから、おそらく妹の方だろう。
「ん? どうしたの?」
『オレイ、ワスレテタ』
「お礼?」
なにかくれるのかと思いしゃがんだが、どうやらお礼は物ではなかったらしい。
髪飾りを抱えたボギーはちょこちょこと近づいてくると、一生懸命に訴えはじめた。

