「……質問に問いで返してしまい恐れ入りますが、旦那様は私の生い立ちを、どの程度ご存じなのでしょうか?」
「おおよそのことは、事前に調べさせてもらった」
王族の計らいにより結ばれた縁談とはいえ、嫁いでくる令嬢がどのような人物か、調査した上で迎え入れるのは貴族として当然だ。
ならば話は早いと、クリスティーヌは軽く頷き、語り出す。
「私はメディス侯爵家の出ではありますが、ご存じの通りの身の上でございます。そのため、リシャール公爵夫人の名に恥じない行動ができるか、正直に申しますと……自信がないのです。ですから、私の行動で万が一にも旦那様にご迷惑をおかけしてはいけないと思い、なるべく外出は控えておりました」
緊張のあまり少々早口になってしまった。
一息で言い切ると、辺りは一瞬しんと静まり返る。
結婚後になって公爵夫人としての振る舞いに自信がないなど、なにを言っているんだと呆れられ、怒りを買ってもおかしくはない。
クリスティーヌは目を落とし、膝の上で両手を握り締めた。
実際には、ほんの数秒程度の間だったのだろう。
しかしクリスティーヌにとっては、ひどく長く感じられる。
まるで裁判官から沙汰を告げられる間際の罪人にでもなったかのような気分だ。生きた心地がしない。
「……そうか」
最初に発せられたアルフレッドの返答はとても静かで、その声色からは感情が窺えない。
怯えながらも、彼の真意を推し量るべく顔を上げたクリスティーヌは、視界に広がる光景に目を見張った。
なんと一度ならず二度も、アルフレッドが頭を下げていたのだ。
「重ね重ね、すまなかった」
「い、いいえ……! 謝罪をいただきたいわけではないのです。どうか……どうか顔を上げてくださいませ、旦那様」
必死に懇願すれば、アルフレッドはゆっくりと伏せていた顔を上げた。そして、クリスティーヌが本音を口にしたからだろう。彼は一瞬だけ目を伏せ、今度は自分の番だと言わんばかりに、胸の内を語りはじめる。
「俺は煩わしい縁談から逃れるため、君は家の呪縛から逃れるため、この結婚は互いに利があってのものだ。ゆえに、君になに不自由のない暮らしを保証できれば、夫としての義務を果たしたことになる。勝手にそう解釈し、君の気持ちをまったく慮っていなかった」
他人の心の機微に疎い、俺の悪癖だ──と、アルフレッドは呟く。
その声色には後悔と、みずからを嫌悪するかのような感情が滲んでいるように、クリスティーヌには思えた。
それに、とアルフレッドが言葉を続ける。
「君の人柄はスチュアート殿下とヒルデガルト様のお墨付きだ。とはいえ、実家がメディス侯爵家であることに変わりはない。正直に言うと、初日は君を歓迎する気持ちより……警戒心が勝ってしまっていた」
「私が父からなんらかの密命を帯び、リシャール家に害を及ぼす存在になりはしないか。危惧なさっていたのですね?」
「ああ。疑うような真似をした」
詫びようとするアルフレッドを、クリスティーヌは慌てて首を振って押し留めた。
公爵家を守る当主の立場だからこそ、家名に傷をつけるような行いをするなと、初日に厳しく釘を刺さざるを得なかったのだろう。
嫌われていたわけではなく、彼には彼なりの事情があったのだと分かり、クリスティーヌの胸の内に安堵が広がっていく。
「どうかお気になさらないでください。旦那様のご不安はもっともです。父は権力を得るためなら、強引な手段も厭わない人ですから」
表向きは娘を同盟の証として送り込みながらも、嫁ぎ先の弱みを握るように命じたり、結婚相手を堕落させて競合貴族家を破滅に追い込んだり。
曾祖父、祖父、そして父──メディス侯爵家の当主に脈々と引き継がれてきた政略結婚という名の謀略は、クリスティーヌが把握している限りでもおぞましい内容ばかり。
そしてなぜそれを知っているかというと、他ならぬクリスティーヌ自身が、その恐ろしい政略結婚を強いられかけたからだ。
「もし旦那様がこの縁談を受け入れてくださらなければ、私は四十以上も年の離れた侯爵様の愛妾にならざるを得ませんでした。そんな私をお救いくださった旦那様には深く、感謝しております」
だからこそ、アルフレッドの迷惑になるような行動はできなかった。
万が一にでもこの屋敷を追い出されたら、クリスティーヌには行く当てがない。
いや、実家へ送り返されたら、それこそ未来すらないのだ。
「縁談を取りまとめてくださったスチュアート殿下とヒルデガルト様にも誓いましたが、家を出た日から私はメディス侯爵家との縁を切りました。恩人である旦那様を裏切るような行いは、決していたしません」
目をまっすぐに見つめ、みずからの意志と決意を告げれば、クリスティーヌの本気が伝わったのだろう。アルフレッドが「分かった」と深く頷いた。
「信じてくださり、ありがとうございます、旦那様」
思いが通じてよかったとクリスティーヌは安堵の微笑を浮かべる。そしてなごやかな雰囲気に背中を押され、思い切ってひとつ相談をしてみることにした。
「その、ひとつお許しをいただきたいことが、あるのですが……」
「なんだ?」
「これからはもっと、セレスティアさんのおそばにいたいと思っております。母として妻として、至らないところも多々あるかと存じますが、精一杯努めますので、挑戦するお許しを……いただけますでしょうか?」
「そのようなこと、俺が許しを与えるまでもない」
もちろんだ、とアルフレッドは力強く答えた。
「俺も父親として至らないところばかりだ。夫としても、気遣いや言葉が足らず苦労をかけることもあるかもしれない。だが、君の覚悟を裏切るような不誠実な行いはしないと誓おう」
アルフレッドは居住まいを正すと、澄んだアイスブルーの瞳でクリスティーヌを見つめ、真摯な口ぶりで告げてくる。
「これからも、よろしく頼む。──〝クリスティーヌ〟」
夫の口から初めて告げられた自身の名前。
それが真に歓迎された証のように思えて、クリスティーヌの胸に喜びが広がっていく。
「はい! こちらこそ、よろしくお願いいたします、旦那様」
湧き上がる歓喜のままクリスティーヌが微笑みを浮かべれば、気のせいかもしれないが、アルフレッドの口角が少し、本当にほんの少しだけ。
上向いたように見えたのだった。

