「そろそろ、クリスティーヌ様がお見えになる頃ですね。セレスティアお嬢様、一緒にお出迎えにまいりましょうか」
乳母の言葉に、セレスティアは大きな瑠璃色の瞳をパチパチと瞬かせた。
小首を傾げた拍子にマリーゴールド色の長髪がふわりと揺れ、蕾を彷彿とさせる薄桃色の唇がゆっくりと開かれる。
「くりす、ちーぬ、さま? だあれ?」
人形のように愛らしい顔で見上げてくるセレスティアに、乳母は「ふふっ」と優しく微笑んだ。
「お嬢様の新しいお母様になる方でございますよ」
「セティの……おかあしゃま……? おかあしゃまっ! かえってきた!」
「あっ、お嬢様⁉ お待ちください!」
ぴょんと椅子から下りたセレスティアは、焦りを帯びた乳母の声を背に子供部屋を飛び出した。
(おかあしゃま! おかあしゃまっ!)
セレスティアの母親は出産後まもなく亡くなっているが、三歳の幼子が〝死〟を正しく理解できるはずもない。
乳母が口にした『新しい』という前置きはすっぽりと抜け落ち、『お母様』という単語だけが脳内を占めていたのだ。
ずっと不在だった母親が帰ってきてくれた──。
そんな思い込みに突き動かされるまま、短い足を懸命に動かして廊下をひた走る。
するとその時、爪先がツンッと床に引っかかった。
「わっ、わわっ。──あうっ!」
足がもつれて勢いよく倒れ込んだセレスティアは、視界が揺れてそのまま目を閉じた。
「お嬢様! 大丈夫ですか、お嬢様! あぁ……大変だわ……。早く医者を呼んでちょうだい! それと旦那様にもご連絡を!」
「はっ、はい!」
「かしこまりました!」
駆け寄ってきた乳母がメイドたちへ指示を飛ばす声を最後に、セレスティアの意識は急速に遠ざかっていった。
꙳✧˖°⌖꙳✧˖°⌖ ꙳✧˖°⌖꙳✧˖°⌖
頭の中に流れ込んでくる、セレスティアのものではない誰かの記憶。
その持ち主は森の集落で祖母や同胞たちと暮らす、十三歳の少女だった。
少女は日の出とともに起き、午前中は家事や薬草摘み。洗濯の合間に川で魚を捕り、午後には村の男衆が狩ってきた獣をさばいて夕食を作る。
夜が来れば眠りにつき、朝になればまた同じ一日の始まりだ。
代わり映えしない生活に飽き、外の世界に夢を見るようになったのは、好奇心旺盛な少女にとって自然な流れだったのかもしれない。
『あのね、おばあちゃん。わたし、森の外に行ってみたいんだ』
ある夜、少女がそう切り出すと、振り返った祖母はいつになく険しい顔をしていた。
『あんた、あたし以外の誰かにそれを言ったかい?』
『ううん、言わないよ。だってみんな、外の人間が大嫌いだもん。言ったら変人扱いされちゃう』
『当然さ。外の奴らは見境なく森を切り拓いて、妖精を戦争に利用しようとする野蛮な輩さね。妖精たちと暮らす《緑の民》のあたしらとは、真逆の人種だよ』
『でもね、おばあちゃん』
『悪いことは言わない。外の世界に夢を見るのは、およし』
唇を尖らせてうつむく少女に、祖母は手元の編み物に視線を落としながら言った。
『いずれ大人になったら、あたしの言っていることが嫌でも分かるさ。それでもまだ外に出たいと思うのなら、その時は好きにしなさい』
その日の真夜中、少女は祖母の言葉の意味を思い知ることになる。
『邪悪な術を使う異端者どもめ!』
『貴様らは全員死罪である。──ひとり残らず、殺せ!』
突如として、鎧をまとった兵士の大軍が集落になだれ込んできたのだ。
村には火矢が放たれ、少女が祖母とともに家を飛び出した時には、辺り一面が業火に包まれていた。
武装した兵士らは逃げ惑う人々を手当たり次第に襲い、その命を容赦なく狩り取っていく。
ついに兵士のひとりが少女に狙いを定め、勢いよく剣を振りかぶった。
『おのれ、忌まわしい魔女め!』
鋭利な刃が燃え盛る炎に照らされギラリと光る。
剣が振り下ろされた瞬間、セレスティアはハッと目を覚ました。
はぁはぁと小さな胸を上下させて荒い息をつくセレスティアの顔を、エプロンドレスを着た四十代ほどの優しげな女性──乳母のポーラが心配そうな面持ちで覗き込んでくる。
「お嬢様! あぁ……お目覚めになってよかった……」
「……ぽーら? ここ……」
「ここは、お嬢様のお部屋ですよ」
ああ、そうだ。母に会いたい一心で駆け出し、転んで意識を失っていたのだと、セレスティアは思い出した。
(お母様には、もう会えないのね……)
十三年間分の記憶と知識を得てしまった今のセレスティアは、実母がこの世にいないことを正しく理解してしまっていた。
寂しさがこみ上げ唇をきゅっと噛みしめれば、ポーラがいっそう気遣わしげな顔をした。
「お医者様は、特に大きな怪我もなく、眠っているだけだとおっしゃっていましたが……。どこか痛むところはございますか?」
「んーん、だいじょぶ! ありがと、ぽーら!」
セレスティアは笑顔を浮かべ、一生懸命に返事をした。
三歳児の身体は思った以上に動かしにくく、どうしても舌足らずな発音になってしまう。少し会話をするだけでも大変だ。
なおも心配そうな顔をするポーラを安心させようと、セレスティアはベッドの上で上半身を起こした。
そして元気だとアピールするべく両手を上げたり、シュッシュッとパンチをするような仕草をしたりしてみせる。
すると、お腹が「きゅるぅ~。くりゅりゅりゅ~ん」と、なんとも間抜けな音を奏ではじめた。
「ぁ……あぅ……」
みぞおちを押えて『お願い、止まってぇ……!』と祈るものの、腹の虫は鳴き止まない。
それどころか、ますますうるさくなっていく。
えぇ、どれだけ腹ぺこなのさ。この食いしん坊めっ!と、セレスティアは自分のお腹にツッコミを入れたくなった。
「あらあら、ふふふっ。食欲があるのはいいことですね。起きたばかりですので、消化にいいものを持ってまいりますね」
安堵の微笑を浮かべたポーラがベッドサイドの椅子から立ち上がり、部屋を出ていった。
足音が遠ざかっていくのを聞き届けたセレスティアは、左手で目元を覆い、心の中で前世の祖母から教わった呪文を唱えはじめる。
──〝我らの隣人、≪緑の民≫の古き友らよ。
この世を隔てるくさびをほどき、汝らの姿をこの目に映せ〟
その瞬間、神経が一気に通ったような、ツンとした痛みが目の裏を駆け抜けた。
しかし苦痛を感じたのはほんの一瞬で、すぐに幻のように引いていく。
目隠しを取り払ったセレスティアの視界には、まさに別世界のような光景が広がっていた。
乳母の言葉に、セレスティアは大きな瑠璃色の瞳をパチパチと瞬かせた。
小首を傾げた拍子にマリーゴールド色の長髪がふわりと揺れ、蕾を彷彿とさせる薄桃色の唇がゆっくりと開かれる。
「くりす、ちーぬ、さま? だあれ?」
人形のように愛らしい顔で見上げてくるセレスティアに、乳母は「ふふっ」と優しく微笑んだ。
「お嬢様の新しいお母様になる方でございますよ」
「セティの……おかあしゃま……? おかあしゃまっ! かえってきた!」
「あっ、お嬢様⁉ お待ちください!」
ぴょんと椅子から下りたセレスティアは、焦りを帯びた乳母の声を背に子供部屋を飛び出した。
(おかあしゃま! おかあしゃまっ!)
セレスティアの母親は出産後まもなく亡くなっているが、三歳の幼子が〝死〟を正しく理解できるはずもない。
乳母が口にした『新しい』という前置きはすっぽりと抜け落ち、『お母様』という単語だけが脳内を占めていたのだ。
ずっと不在だった母親が帰ってきてくれた──。
そんな思い込みに突き動かされるまま、短い足を懸命に動かして廊下をひた走る。
するとその時、爪先がツンッと床に引っかかった。
「わっ、わわっ。──あうっ!」
足がもつれて勢いよく倒れ込んだセレスティアは、視界が揺れてそのまま目を閉じた。
「お嬢様! 大丈夫ですか、お嬢様! あぁ……大変だわ……。早く医者を呼んでちょうだい! それと旦那様にもご連絡を!」
「はっ、はい!」
「かしこまりました!」
駆け寄ってきた乳母がメイドたちへ指示を飛ばす声を最後に、セレスティアの意識は急速に遠ざかっていった。
꙳✧˖°⌖꙳✧˖°⌖ ꙳✧˖°⌖꙳✧˖°⌖
頭の中に流れ込んでくる、セレスティアのものではない誰かの記憶。
その持ち主は森の集落で祖母や同胞たちと暮らす、十三歳の少女だった。
少女は日の出とともに起き、午前中は家事や薬草摘み。洗濯の合間に川で魚を捕り、午後には村の男衆が狩ってきた獣をさばいて夕食を作る。
夜が来れば眠りにつき、朝になればまた同じ一日の始まりだ。
代わり映えしない生活に飽き、外の世界に夢を見るようになったのは、好奇心旺盛な少女にとって自然な流れだったのかもしれない。
『あのね、おばあちゃん。わたし、森の外に行ってみたいんだ』
ある夜、少女がそう切り出すと、振り返った祖母はいつになく険しい顔をしていた。
『あんた、あたし以外の誰かにそれを言ったかい?』
『ううん、言わないよ。だってみんな、外の人間が大嫌いだもん。言ったら変人扱いされちゃう』
『当然さ。外の奴らは見境なく森を切り拓いて、妖精を戦争に利用しようとする野蛮な輩さね。妖精たちと暮らす《緑の民》のあたしらとは、真逆の人種だよ』
『でもね、おばあちゃん』
『悪いことは言わない。外の世界に夢を見るのは、およし』
唇を尖らせてうつむく少女に、祖母は手元の編み物に視線を落としながら言った。
『いずれ大人になったら、あたしの言っていることが嫌でも分かるさ。それでもまだ外に出たいと思うのなら、その時は好きにしなさい』
その日の真夜中、少女は祖母の言葉の意味を思い知ることになる。
『邪悪な術を使う異端者どもめ!』
『貴様らは全員死罪である。──ひとり残らず、殺せ!』
突如として、鎧をまとった兵士の大軍が集落になだれ込んできたのだ。
村には火矢が放たれ、少女が祖母とともに家を飛び出した時には、辺り一面が業火に包まれていた。
武装した兵士らは逃げ惑う人々を手当たり次第に襲い、その命を容赦なく狩り取っていく。
ついに兵士のひとりが少女に狙いを定め、勢いよく剣を振りかぶった。
『おのれ、忌まわしい魔女め!』
鋭利な刃が燃え盛る炎に照らされギラリと光る。
剣が振り下ろされた瞬間、セレスティアはハッと目を覚ました。
はぁはぁと小さな胸を上下させて荒い息をつくセレスティアの顔を、エプロンドレスを着た四十代ほどの優しげな女性──乳母のポーラが心配そうな面持ちで覗き込んでくる。
「お嬢様! あぁ……お目覚めになってよかった……」
「……ぽーら? ここ……」
「ここは、お嬢様のお部屋ですよ」
ああ、そうだ。母に会いたい一心で駆け出し、転んで意識を失っていたのだと、セレスティアは思い出した。
(お母様には、もう会えないのね……)
十三年間分の記憶と知識を得てしまった今のセレスティアは、実母がこの世にいないことを正しく理解してしまっていた。
寂しさがこみ上げ唇をきゅっと噛みしめれば、ポーラがいっそう気遣わしげな顔をした。
「お医者様は、特に大きな怪我もなく、眠っているだけだとおっしゃっていましたが……。どこか痛むところはございますか?」
「んーん、だいじょぶ! ありがと、ぽーら!」
セレスティアは笑顔を浮かべ、一生懸命に返事をした。
三歳児の身体は思った以上に動かしにくく、どうしても舌足らずな発音になってしまう。少し会話をするだけでも大変だ。
なおも心配そうな顔をするポーラを安心させようと、セレスティアはベッドの上で上半身を起こした。
そして元気だとアピールするべく両手を上げたり、シュッシュッとパンチをするような仕草をしたりしてみせる。
すると、お腹が「きゅるぅ~。くりゅりゅりゅ~ん」と、なんとも間抜けな音を奏ではじめた。
「ぁ……あぅ……」
みぞおちを押えて『お願い、止まってぇ……!』と祈るものの、腹の虫は鳴き止まない。
それどころか、ますますうるさくなっていく。
えぇ、どれだけ腹ぺこなのさ。この食いしん坊めっ!と、セレスティアは自分のお腹にツッコミを入れたくなった。
「あらあら、ふふふっ。食欲があるのはいいことですね。起きたばかりですので、消化にいいものを持ってまいりますね」
安堵の微笑を浮かべたポーラがベッドサイドの椅子から立ち上がり、部屋を出ていった。
足音が遠ざかっていくのを聞き届けたセレスティアは、左手で目元を覆い、心の中で前世の祖母から教わった呪文を唱えはじめる。
──〝我らの隣人、≪緑の民≫の古き友らよ。
この世を隔てるくさびをほどき、汝らの姿をこの目に映せ〟
その瞬間、神経が一気に通ったような、ツンとした痛みが目の裏を駆け抜けた。
しかし苦痛を感じたのはほんの一瞬で、すぐに幻のように引いていく。
目隠しを取り払ったセレスティアの視界には、まさに別世界のような光景が広がっていた。

