「今日の月見た?」
「ワームムーンだって」
LINEに二件のメッセージが届いた。
「見た」
「今日は月が綺麗だね」
と、返信しようとしたが、ある記憶がそれを妨げた。
悩んだ末、
「見た」
「今日は月が一段と輝いてる」
と、返信した。
ーーーーーーーー
電車は二つの光で前方を照らし、暗闇の中を突き進む。
「ガタンゴトン、ガタンゴトン」
レールの小さなつなぎ目を通り、音を立てる。
電車は数十分走った後に、小さな駅に止まった。
ドアが開き、乗客が一斉に降りる。
駅舎を抜けると、小さな駅には似つかわしくない広大な駐車場が広がり、人々はそれぞれに散らばっていく。
その中、僕は駅舎の出入口で同級生を待っている。
僕は文化部で、この時間の電車に乗るのは週一回。
彼女は運動部で、学校のある日はいつもこの電車。
今日は、そんな週一回の部活の日。
次々に駅舎から出てくる人波の中で彼女を探していると、目が合った。
他の人は顔すら分からずじまいだったが、彼女だけはすぐに分かった。
僕のそばまで来た彼女に尋ねる。
「お疲れさま。今日、自転車?」
「お疲れ。うん、自転車」
「一緒に帰る?」
「うん。帰ろう!」
彼女は少し笑って、そう言った。
二人は駐車場の端にある駐輪場に向かった。
この時間になると、そこに駐められている自転車は少ない。
そのせいか、彼女の自転車が遠くに思えた。
使い慣れた自転車のカゴに、スクールバッグを雑に積む。
自転車を取り出すと、彼女へ向かう足取りは自然と早くなっていた。
「ごめん、ちょっと待っててね」
そんな僕に対して、悠然と帰り支度をする彼女。
マフラーを丁寧に巻き直し、指先で前髪を整える。
その光景を見ていると、足早に来た自分が恥ずかしくなった。
僕も、スマホの黒い画面に自分の顔を反射させ、前髪を整える。
それを見て、彼女は微笑んだ。
「今直しても、すぐに前髪乱れるよ」
「え、君もやってたじゃん」
「女子は、いつでも着飾るものなの。それが女の子なの」
強い言葉に促され、僕は首を縦に振った。
澄んだ空気は、肌を撫で、体を冷やす。
「今日も寒いね」
僕は体を縮こませる。
「寒いー、今は春隣のはずなのに」
「まあ、まだ真冬だからね。ちょっと待ってね。カイロあったかな?」
僕はスクールバッグの外側のポケットを探る。
「ごめん、カイロ持ってなかった。今日は寒いから自転車に乗って……」
「寒いの、得意だから全然平気!それに、私は自転車押して歩くの好きだなぁ」
僕が不思議がると、彼女が続けて話した。
「早く進めるのに、ゆっくり帰るの……。そのほうが、帰り道が愛おしく思えない?」
茶褐色の瞳が僕を映す。
いつもと違って、少し不安気な彼女。
「愛おしい」なんて口に出せず、
「うん、僕もそう思う……。ゆっくり、一緒に帰りたい」
彼女の顔から、不安が解け、笑みが生まれた。
彼女は帰り支度を終えると、この瞬間を噛みしめるように、ゆっくりと自転車を転がした。
二人は自転車を押しながら、帰り道を歩く。
腕を伸ばせば触れられる距離。
自転車を挟んだこの距離が心地よかった。
彼女は体を縮こませる。
「今日も寒いね……。あ、さっきもこの話したよね」
「寒い?……じゃあ、やっぱり自転車乗って帰る?」
「君がゆっくり帰りたいって言ったんじゃん。今日はゆっくり帰るの」
彼女は満足げな顔になる。
そんな彼女が幼く思えて、つい口元が緩んだ。
「カンカンカンカン」
踏切は音を鳴らし、赤い光を点滅させ、遮断桿を降ろす。
それを見て、二人は歩道に止まる。
後ろにいた自転車に乗った男性は、車道に止まった。
暗闇の先から小さな光が現れる。
それは徐々に大きくなり、刹那的に辺りを覆い、また暗闇へ消えていった。
音が止み、遮断桿が上がる。
自転車に乗った男性は勢いよくペダルを踏み込み、暗闇の向こうへ吸い込まれていった。
「誰もいなくなっちゃったね」
彼女はアスファルトが続く道を眺めている。
「……うん、そうだね」
二人は自転車を押し、ゆっくりと車輪を回す。
「はぁ〜っ」
彼女が大きく息を吐くと、それは白くなり、僕へ届く前に霧散した。
「石灰水ないのに、息が白くなるのすごいよね」
彼女は冗談めかして言った。
「違うよ、寒いからでしょ。でも、この時期は火を吹けるようになった気分だよね」
僕も大きく息を吐くが、何も起こらない。
「あれ……」と、首を傾げる。
「まあ、君はドラゴンじゃないからね」
彼女は息を白くして笑った。
橋に差しかかると、道に僅かな傾斜。
自転車が少し重くなり、ハンドルを握る手に、自然と力が入る。
見下ろすと、水は石を避け、右から左へ流れ続ける。
見上げると、空は吸い込まれるように黒く、星は自分が一番だと言わんばかりに光り輝く。
その中で、スノームーンは、白く穏やかに輝いている。
月に見惚れていた僕は、口をついて出た。
「今日は月が綺麗だね」
「えっ」
「月を見てみてよ。今日の月は……」
隣を見ると、彼女はいない。
振り向くと、
彼女との距離。歩幅三歩。
彼女は縋るような目で見つめる。
「ねぇ、それってどういう意味?」
「意味って、月が綺麗の?」
彼女は、自転車のハンドルを握る手に力を入れ、首を縦に振る。
初めは粉雪だった。
それは積もりに積もり、積もった想いは、来るはずの春を覆い隠した。
「今日は満月だから、だから……」
彼女は白いため息をついた。
「そっか……。私は、今日の月は綺麗に見えないかな」
「ごめん……」
三歩先の彼女には、微かな声は届かなかった。
しばらく、二人は歩幅の差を埋められなかった。
ーーーーーーーー
暗闇に一際輝くワームムーンは沈み、悠久に思えた夜が明けた。
「ピロン」
スマホの通知音で夢から覚める。
重い瞼を開け、スマホを見ると、
LINEに二件のメッセージが届いていた。
「昨日の月良かったね!」
「今日の月はどうだろう?」
言えずじまい。
一ヶ月前、いやずっと前から、言えなかった想いを伝えたい、そう思った。
「月が綺麗ですね」と入力する。
思ったより、指は軽い。
送信ボタンを押す直前、僕は入力した文字を全て削除した。
彼女が踏み出した一歩はもっと重いだろう――。
重くなった指で画面上部の通話ボタンを押す。
聞き慣れたはずの着信音は、胸を強く締め付ける。
「もしもし、急にごめん。今大丈夫?」
「突然どうしたの。うん、大丈夫だよ」
僕の震えた声を、彼女は優しく受け止めた。
「……LINEの返信、直接言いたくて」
「え、あ、うん。……聞きたい。」
僕は、月並みな言葉で言った。
「君が好きです」
「ワームムーンだって」
LINEに二件のメッセージが届いた。
「見た」
「今日は月が綺麗だね」
と、返信しようとしたが、ある記憶がそれを妨げた。
悩んだ末、
「見た」
「今日は月が一段と輝いてる」
と、返信した。
ーーーーーーーー
電車は二つの光で前方を照らし、暗闇の中を突き進む。
「ガタンゴトン、ガタンゴトン」
レールの小さなつなぎ目を通り、音を立てる。
電車は数十分走った後に、小さな駅に止まった。
ドアが開き、乗客が一斉に降りる。
駅舎を抜けると、小さな駅には似つかわしくない広大な駐車場が広がり、人々はそれぞれに散らばっていく。
その中、僕は駅舎の出入口で同級生を待っている。
僕は文化部で、この時間の電車に乗るのは週一回。
彼女は運動部で、学校のある日はいつもこの電車。
今日は、そんな週一回の部活の日。
次々に駅舎から出てくる人波の中で彼女を探していると、目が合った。
他の人は顔すら分からずじまいだったが、彼女だけはすぐに分かった。
僕のそばまで来た彼女に尋ねる。
「お疲れさま。今日、自転車?」
「お疲れ。うん、自転車」
「一緒に帰る?」
「うん。帰ろう!」
彼女は少し笑って、そう言った。
二人は駐車場の端にある駐輪場に向かった。
この時間になると、そこに駐められている自転車は少ない。
そのせいか、彼女の自転車が遠くに思えた。
使い慣れた自転車のカゴに、スクールバッグを雑に積む。
自転車を取り出すと、彼女へ向かう足取りは自然と早くなっていた。
「ごめん、ちょっと待っててね」
そんな僕に対して、悠然と帰り支度をする彼女。
マフラーを丁寧に巻き直し、指先で前髪を整える。
その光景を見ていると、足早に来た自分が恥ずかしくなった。
僕も、スマホの黒い画面に自分の顔を反射させ、前髪を整える。
それを見て、彼女は微笑んだ。
「今直しても、すぐに前髪乱れるよ」
「え、君もやってたじゃん」
「女子は、いつでも着飾るものなの。それが女の子なの」
強い言葉に促され、僕は首を縦に振った。
澄んだ空気は、肌を撫で、体を冷やす。
「今日も寒いね」
僕は体を縮こませる。
「寒いー、今は春隣のはずなのに」
「まあ、まだ真冬だからね。ちょっと待ってね。カイロあったかな?」
僕はスクールバッグの外側のポケットを探る。
「ごめん、カイロ持ってなかった。今日は寒いから自転車に乗って……」
「寒いの、得意だから全然平気!それに、私は自転車押して歩くの好きだなぁ」
僕が不思議がると、彼女が続けて話した。
「早く進めるのに、ゆっくり帰るの……。そのほうが、帰り道が愛おしく思えない?」
茶褐色の瞳が僕を映す。
いつもと違って、少し不安気な彼女。
「愛おしい」なんて口に出せず、
「うん、僕もそう思う……。ゆっくり、一緒に帰りたい」
彼女の顔から、不安が解け、笑みが生まれた。
彼女は帰り支度を終えると、この瞬間を噛みしめるように、ゆっくりと自転車を転がした。
二人は自転車を押しながら、帰り道を歩く。
腕を伸ばせば触れられる距離。
自転車を挟んだこの距離が心地よかった。
彼女は体を縮こませる。
「今日も寒いね……。あ、さっきもこの話したよね」
「寒い?……じゃあ、やっぱり自転車乗って帰る?」
「君がゆっくり帰りたいって言ったんじゃん。今日はゆっくり帰るの」
彼女は満足げな顔になる。
そんな彼女が幼く思えて、つい口元が緩んだ。
「カンカンカンカン」
踏切は音を鳴らし、赤い光を点滅させ、遮断桿を降ろす。
それを見て、二人は歩道に止まる。
後ろにいた自転車に乗った男性は、車道に止まった。
暗闇の先から小さな光が現れる。
それは徐々に大きくなり、刹那的に辺りを覆い、また暗闇へ消えていった。
音が止み、遮断桿が上がる。
自転車に乗った男性は勢いよくペダルを踏み込み、暗闇の向こうへ吸い込まれていった。
「誰もいなくなっちゃったね」
彼女はアスファルトが続く道を眺めている。
「……うん、そうだね」
二人は自転車を押し、ゆっくりと車輪を回す。
「はぁ〜っ」
彼女が大きく息を吐くと、それは白くなり、僕へ届く前に霧散した。
「石灰水ないのに、息が白くなるのすごいよね」
彼女は冗談めかして言った。
「違うよ、寒いからでしょ。でも、この時期は火を吹けるようになった気分だよね」
僕も大きく息を吐くが、何も起こらない。
「あれ……」と、首を傾げる。
「まあ、君はドラゴンじゃないからね」
彼女は息を白くして笑った。
橋に差しかかると、道に僅かな傾斜。
自転車が少し重くなり、ハンドルを握る手に、自然と力が入る。
見下ろすと、水は石を避け、右から左へ流れ続ける。
見上げると、空は吸い込まれるように黒く、星は自分が一番だと言わんばかりに光り輝く。
その中で、スノームーンは、白く穏やかに輝いている。
月に見惚れていた僕は、口をついて出た。
「今日は月が綺麗だね」
「えっ」
「月を見てみてよ。今日の月は……」
隣を見ると、彼女はいない。
振り向くと、
彼女との距離。歩幅三歩。
彼女は縋るような目で見つめる。
「ねぇ、それってどういう意味?」
「意味って、月が綺麗の?」
彼女は、自転車のハンドルを握る手に力を入れ、首を縦に振る。
初めは粉雪だった。
それは積もりに積もり、積もった想いは、来るはずの春を覆い隠した。
「今日は満月だから、だから……」
彼女は白いため息をついた。
「そっか……。私は、今日の月は綺麗に見えないかな」
「ごめん……」
三歩先の彼女には、微かな声は届かなかった。
しばらく、二人は歩幅の差を埋められなかった。
ーーーーーーーー
暗闇に一際輝くワームムーンは沈み、悠久に思えた夜が明けた。
「ピロン」
スマホの通知音で夢から覚める。
重い瞼を開け、スマホを見ると、
LINEに二件のメッセージが届いていた。
「昨日の月良かったね!」
「今日の月はどうだろう?」
言えずじまい。
一ヶ月前、いやずっと前から、言えなかった想いを伝えたい、そう思った。
「月が綺麗ですね」と入力する。
思ったより、指は軽い。
送信ボタンを押す直前、僕は入力した文字を全て削除した。
彼女が踏み出した一歩はもっと重いだろう――。
重くなった指で画面上部の通話ボタンを押す。
聞き慣れたはずの着信音は、胸を強く締め付ける。
「もしもし、急にごめん。今大丈夫?」
「突然どうしたの。うん、大丈夫だよ」
僕の震えた声を、彼女は優しく受け止めた。
「……LINEの返信、直接言いたくて」
「え、あ、うん。……聞きたい。」
僕は、月並みな言葉で言った。
「君が好きです」
