おれたちの前まで来た太陽は、足を止めるなり、おれの左の手首を取った。
「行こう。もう始まる」
ぐい、と強く手を引かれる。
でも、おれは、走り出せない。
もう片手を醍醐に取られたままだから。
太陽は、おれの手首をつかんだまま、醍醐を見る。
醍醐も、太陽を見る。
おれは、言葉もなく、ふたりの顔を交互に見る。
「行こう」
今度は、醍醐にぐっと手を引かれた。
でも、やっぱりおれは走り出せない。
太陽が、つかんだおれの左手を離そうとしないから。
すると、もう一度醍醐に引かれて、でも、すぐにまた太陽に引かれて、また右に、また左にと、気付けばおれは、綱引き状態の中心になっていた。
力が強くなる一方のふたりの間で、これって肩を脱臼するんじゃ……、と目を白黒させていたら、ふっと右手が自由になった。
醍醐が、手を離してくれたのだ。
「こういうときは、先に手を離した方が勝つんだ!」
「大岡裁きじゃねーんだよ!」
ダッシュしながら、醍醐と太陽がやり合う。
太陽に手を取られたままのおれは、ついていくのに必死だったけれど、息をはずませ、訊かずにはいられなかった。
「……勝った?」
太陽の眼差しが笑った。
「当然」
コートに着くと、すぐに試合が始まった。
いろいろな色のTシャツ姿の生徒たちに混ざって、太陽がこちらを見ている。
その視線を感じるだけで、妙に緊張した。
開始のホイッスルが鳴る。
サーブが飛んでくる。
「佐久間!」
名前を呼ばれて、反射的に前へ出た。
ぼすっ、と鈍い音が響く。
腕がじんと痺れたけれど、なんとかボールは上にあがった。
そのまま味方が返球し、ラリーが続く。
おれは必死にボールを拾う。
拾って、拾いまくる。
いつのまにか緊張なんてすっかり忘れていた。
ただ一心にボールを追って、楽しくさえなってきたときだった。
ネットの向こうで醍醐が高く跳んだ。
次の瞬間だった。
目の前のシーンがスローモーションになった。
ボールを打つ醍醐と視線が合って、あ、と思った。
向こうも、瞬きを止めた。
醍醐のスパイクを打つ手に迷いが入るのがわかった。
それがいけなかったのだろう。
打たれたボールは、一直線におれの顔へ飛んでくる。
避ける暇なんてなかった。
べしっ!
一瞬、視界が白く弾けた。
何が起きたのか、わかっているようでいて、わからなかった。
辺りが、しん……と静まり返る。
おれは、顔を押さえながらうずくまっていた。
鼻の奥がじんじんする。
涙まで勝手ににじんできて、最悪だった。
「律!」
鋭い声が飛ぶ。
太陽が、コートのなかに走り込んできた。
「律──、顔、見せて……」
太陽が言ったけれど、おれは、なかなか手を離せない。
鼻から、あたたかなものが落ちるのがわかった。
「律、保健室行こう」
太陽が、迷いなく言って、立ち上がった。
「あっくん、律についていってやって」
そろそろと立ち上がったおれの肩に、あっくんの片腕がまわされたのがわかった。
おれは、誘導されるまま、おとなしく保健室に向かった。
おれが抜けた穴埋めは誰かがやってくれるだろうから、それは安心だった。
保健室は、負傷者や体調不良の生徒たちで、思ったよりも、混み合っていた。
養護の先生に言われるまま、おれは、スツールに座って、少し下を向き、小鼻を親指と人差し指で押さえていた。
「惜しかったよな。接戦だったのに」
あっくんが言った。
「りっくん、健闘してたな」
「……本当?」
「ほんとほんと。そのサイズで、よくがんばった」
あっくんが、おれの頭をポンポンたたく。
そこへ、
「佐久間くん……」
ぬうっと現れたのは、なんと暗い顔つきの醍醐そのひとだった。
「ごめん。保健室送りになんてして……」
「大丈夫だよ。こういうこともあるって」
鼻から手を離したら、鼻血は止まっていた。
「それより試合は? もう終わったの?」
訊くと、いや、と醍醐は首を振った。
「おれも抜けてきた。あれ以上やってられなかった。なんか、エミリーを自分の手で屠ったような気がして……」
「エミリー?」
あっくんが、首を傾げる。
おれは、あわてて、口を開く。
「屠ってなんかないって。大丈夫大丈夫。じゃあ、試合、まだやってるかな? それとも終わったかな?」
おれたち三人は、連れだって、試合会場に戻った。
ちょうどゲームが終わって、コート内の生徒がバラけているところだった。
そこに、Tシャツの袖をまくりあげて、首にスポーツタオルをかけた太陽の姿があった。
どうやら太陽が、おれの代わりにでていたらしい。
「太陽!」
声をかけたら、太陽が、顔をあげた。
「試合は? 勝った?」
訊けば、太陽の口元が笑った。
「当然」
おれは、ほっと胸をなでおろした。
「醍醐」
太陽が呼んだ。
「敵前逃亡しやがって。律の弔い合戦しようと思ったのに」
「弔い合戦って……」
思わず口を挟んだら、醍醐が、言った。
「おれは、あれ以上できなかったよ。佐久間くんにケガさせたんだから……」
おれは、少ししてから、おどけて言った。
「ケガなんかしてない。ちょっと鼻血ぶーになっただけ」
それでも、こちらを見る醍醐の瞳には、痛みの色がある。
「本当に、ごめん」
「気にすんなって」
軽く言ったおれの頭に、醍醐の片手がそうっと置かれた。
「お詫びは必ずするから」
そう言って、醍醐が離れていった。
おれは、その背中を、じっと見つめてしまった。
と、視線を感じて、振り向いた。
太陽と、目が合った。
けれど、すぐにその視線は、すいっと逸らされた。
え? と思った。
ピンクのTシャツのクラスメイトが、太陽に声ををかける。
今のって──わざと?
穴があきそうなほど見つめても、横顔の太陽がこちらを見ることはなかった。
つづく
「行こう。もう始まる」
ぐい、と強く手を引かれる。
でも、おれは、走り出せない。
もう片手を醍醐に取られたままだから。
太陽は、おれの手首をつかんだまま、醍醐を見る。
醍醐も、太陽を見る。
おれは、言葉もなく、ふたりの顔を交互に見る。
「行こう」
今度は、醍醐にぐっと手を引かれた。
でも、やっぱりおれは走り出せない。
太陽が、つかんだおれの左手を離そうとしないから。
すると、もう一度醍醐に引かれて、でも、すぐにまた太陽に引かれて、また右に、また左にと、気付けばおれは、綱引き状態の中心になっていた。
力が強くなる一方のふたりの間で、これって肩を脱臼するんじゃ……、と目を白黒させていたら、ふっと右手が自由になった。
醍醐が、手を離してくれたのだ。
「こういうときは、先に手を離した方が勝つんだ!」
「大岡裁きじゃねーんだよ!」
ダッシュしながら、醍醐と太陽がやり合う。
太陽に手を取られたままのおれは、ついていくのに必死だったけれど、息をはずませ、訊かずにはいられなかった。
「……勝った?」
太陽の眼差しが笑った。
「当然」
コートに着くと、すぐに試合が始まった。
いろいろな色のTシャツ姿の生徒たちに混ざって、太陽がこちらを見ている。
その視線を感じるだけで、妙に緊張した。
開始のホイッスルが鳴る。
サーブが飛んでくる。
「佐久間!」
名前を呼ばれて、反射的に前へ出た。
ぼすっ、と鈍い音が響く。
腕がじんと痺れたけれど、なんとかボールは上にあがった。
そのまま味方が返球し、ラリーが続く。
おれは必死にボールを拾う。
拾って、拾いまくる。
いつのまにか緊張なんてすっかり忘れていた。
ただ一心にボールを追って、楽しくさえなってきたときだった。
ネットの向こうで醍醐が高く跳んだ。
次の瞬間だった。
目の前のシーンがスローモーションになった。
ボールを打つ醍醐と視線が合って、あ、と思った。
向こうも、瞬きを止めた。
醍醐のスパイクを打つ手に迷いが入るのがわかった。
それがいけなかったのだろう。
打たれたボールは、一直線におれの顔へ飛んでくる。
避ける暇なんてなかった。
べしっ!
一瞬、視界が白く弾けた。
何が起きたのか、わかっているようでいて、わからなかった。
辺りが、しん……と静まり返る。
おれは、顔を押さえながらうずくまっていた。
鼻の奥がじんじんする。
涙まで勝手ににじんできて、最悪だった。
「律!」
鋭い声が飛ぶ。
太陽が、コートのなかに走り込んできた。
「律──、顔、見せて……」
太陽が言ったけれど、おれは、なかなか手を離せない。
鼻から、あたたかなものが落ちるのがわかった。
「律、保健室行こう」
太陽が、迷いなく言って、立ち上がった。
「あっくん、律についていってやって」
そろそろと立ち上がったおれの肩に、あっくんの片腕がまわされたのがわかった。
おれは、誘導されるまま、おとなしく保健室に向かった。
おれが抜けた穴埋めは誰かがやってくれるだろうから、それは安心だった。
保健室は、負傷者や体調不良の生徒たちで、思ったよりも、混み合っていた。
養護の先生に言われるまま、おれは、スツールに座って、少し下を向き、小鼻を親指と人差し指で押さえていた。
「惜しかったよな。接戦だったのに」
あっくんが言った。
「りっくん、健闘してたな」
「……本当?」
「ほんとほんと。そのサイズで、よくがんばった」
あっくんが、おれの頭をポンポンたたく。
そこへ、
「佐久間くん……」
ぬうっと現れたのは、なんと暗い顔つきの醍醐そのひとだった。
「ごめん。保健室送りになんてして……」
「大丈夫だよ。こういうこともあるって」
鼻から手を離したら、鼻血は止まっていた。
「それより試合は? もう終わったの?」
訊くと、いや、と醍醐は首を振った。
「おれも抜けてきた。あれ以上やってられなかった。なんか、エミリーを自分の手で屠ったような気がして……」
「エミリー?」
あっくんが、首を傾げる。
おれは、あわてて、口を開く。
「屠ってなんかないって。大丈夫大丈夫。じゃあ、試合、まだやってるかな? それとも終わったかな?」
おれたち三人は、連れだって、試合会場に戻った。
ちょうどゲームが終わって、コート内の生徒がバラけているところだった。
そこに、Tシャツの袖をまくりあげて、首にスポーツタオルをかけた太陽の姿があった。
どうやら太陽が、おれの代わりにでていたらしい。
「太陽!」
声をかけたら、太陽が、顔をあげた。
「試合は? 勝った?」
訊けば、太陽の口元が笑った。
「当然」
おれは、ほっと胸をなでおろした。
「醍醐」
太陽が呼んだ。
「敵前逃亡しやがって。律の弔い合戦しようと思ったのに」
「弔い合戦って……」
思わず口を挟んだら、醍醐が、言った。
「おれは、あれ以上できなかったよ。佐久間くんにケガさせたんだから……」
おれは、少ししてから、おどけて言った。
「ケガなんかしてない。ちょっと鼻血ぶーになっただけ」
それでも、こちらを見る醍醐の瞳には、痛みの色がある。
「本当に、ごめん」
「気にすんなって」
軽く言ったおれの頭に、醍醐の片手がそうっと置かれた。
「お詫びは必ずするから」
そう言って、醍醐が離れていった。
おれは、その背中を、じっと見つめてしまった。
と、視線を感じて、振り向いた。
太陽と、目が合った。
けれど、すぐにその視線は、すいっと逸らされた。
え? と思った。
ピンクのTシャツのクラスメイトが、太陽に声ををかける。
今のって──わざと?
穴があきそうなほど見つめても、横顔の太陽がこちらを見ることはなかった。
つづく
