王国最強魔術師はお堅い監査官を放っておかないー研究棟で発生した結界密室ミステリーを暴けー

 ミュヨンは結界実験室の扉の周辺に視線を走らせる。
 重厚な扉の縁には、幾重にも結界が刻まれていた。
 これは防御結界として、実験中に外部から魔術干渉されるのを完全に遮断する役割を担う。
 起動中は細い線が複雑に絡み合って光り、まるで扉に刻まれた幾何学模様のように見える。
 結界が解除されてから時間は経ち、今は大人しく佇んでいた。
 
(焦げくさい……)

 金属が焼けた匂いと、熱せられた魔力特有の苦みを伴う残り香が、実験室から漏れだし空気上に薄く漂っていた。

「……魔力の痕跡がまだ残っていますね……」

 ミュヨンはカイに向かって言った。

「実験室ってさ、嫌な事件ばかり起こるよね」
「事故率が高いのは確かです」
「ま、今回のは事故じゃないと思うけど」

 先ほどからカイはこの事件は事故ではないと確信をもっているようにミュヨンには聞こえていた。
 疑惑の段階というレベルではない。

「遺体を運び出し、魔術管理部の現場検証後は保存されています。それ以外は触れていません」

 ミュヨンを案内してくれていた魔術師が声をかけてきた。
 魔術事件では、事故直後の現場を不用意に触ることは禁物である。
 魔力残滓は非常に繊細で、わずかな干渉でも乱れてしまうことがあるからだ。

「ありがとうございます。現場までで大丈夫です」
「はい、他に何かありましたらお声掛けください」

 案内役の魔術師は腰を丁寧に追って、カイとミュヨンから遠ざかった。

「さて、監査官さん。早速、調査といきますか?」

 カイの問いかけにミュヨンは小さく頷いた。
 認証により解除された結界実験室の扉がゆっくりと開いていく。
 機械音が廊下にまで響き渡った。
 結界実験室の内部へとカイとともに足を踏み出す。
 ミュヨンが想像していたよりも室内は広い。
 部屋の中央には広い実験台が鎮座している。
 ミュヨンは入口脇のボードへと目を向けた。
 実験室の使用予定が表示されている。
 事故当日の日付で18:00-19:00 ヤニス・アレクスと黒マーカーで記入されていた。

(入室ログ同様、この日、ここを利用するために入室したのはヤニス氏だけ……)

 周囲には観測装置や制御卓、壁際には結界発生器が設置されていた。
 結界発生器付近に、黒く焦げた跡が残っている。
 ミュヨンはその場所へと歩み寄った。

「被害者が倒れていたのはここ」

 カイが補足する。
 遺体の位置を示すように黒テープで囲われ、床に白い粉が薄く撒かれていた。
 ミュヨンはしゃがみこんでその痕跡に目を凝らす。
 魔力暴走事故の場合、魔力は通常、広い範囲に拡散する。
 爆発に近い現象になることが多い。
 だが、この跡は違う。
 円形に近い。
 焦げの範囲が、明らかに限定されていた。

「おかしい……ですよね?」

 ミュヨンは首を傾げる。

「気づいた? やっぱりいいね。監査官さん」

 カイの気楽な口調にミュヨンは慣れてきていた。
 カイもミュヨンの横にしゃがみ、指が長く無駄のない美しい手で何かを確認するように床の上を触れないギリギリの距離で滑らせていく。

「魔力の散り方が明らかにおかしい」
「どのように……でしょうか?」
「――一点に集中している。魔力がここに集まっている」

 カイは床の黒い焦げ跡を指さした。
 
「確かに魔力暴走の事故は爆発のような現象が起きることが多いです」
「そ。これは事故じゃなくて魔術行使ってやつ」

 カイとミュヨンはどちらか示し合わせるあけでもなく、目を合わせたままゆっくりと立ち上がった。

「――誰かが魔術を使った……可能性が高いということですね」
「ご名答」

 それが本当だとしたら魔術を利用した殺人事件になる。
 カイは確信をもっているようだったけど、ミュヨンはまだそう言い切れる確証がなく、明言を控えていた。
 生真面目な正確ゆえ、ミュヨンは不確実な断言はしない。
 ミュヨンは実験室の中を見回した。
 窓はない。
 換気口はあるが、結界の内側に組み込まれている。
 出入り出来そうな場所は入り口の扉以外に見当たらない。
 外部魔術干渉は不可能。
 
「この部屋は結界で作られた完全な密室ですよね……」
「そ」

 カイはミュヨンの目の前で、三を示して手を掲げた。

「結界発動中は出入り出来ない」
「……」
「外部魔術干渉不可」
「……」
「入室は二重の生体認証のみ。すなわち……」

 カイは状況を楽しんでいるかのように余裕の笑みを向けて続ける。

「完璧な密室」

 ミュヨンはカイの態度に呑まれないように気をつけながら、思考を巡らせて口を開く。

「……現場が不自然なことはわかりました。ただ……」

 ミュヨンは肩にかけていたバッグから資料を取り出す。
 監査局に入ってきた事故速報の資料だ。

「研究棟の管理区画はその危険性ゆえに出入りが厳重に管理されています。ここの入室ログなのですが……」

 ミュヨンは資料の該当箇所を指さしてカイに提示する。
 事故が起きる前の入室の記録が残っているのは今回の被害者であるヤニス・アレクスのみ。

「事故当日、被害者しかここには足を踏み入れていません」
「――へえ」

 落胆するのかと思いきやカイは楽しそうに口角を上げた。

「いいね」
「何が、いいのでしょうか?」
「完全密室。不可能犯罪。楽しくなってこない?」

 やはりカイはこの魔力暴走事故で片づけられるであろう事故を根本から覆そうとしている。
 
「楽しくはなりません」
「監査官さんってさ、見た目はかわいいのにモテないタイプでしょ?」
「……」

 ミュヨンはカイの事故調査とは関係のない質問を流す。
 つれない態度さえカイは面白がっているようにミュヨンは感じていた。

「入室ログは嘘をつきません……」

 この事件は、想像以上に厄介になりそうだった。