王国最強魔術師はお堅い監査官を放っておかないー研究棟で発生した結界密室ミステリーを暴けー

 ヤニスが死亡した事故が起きてから、結界実験室は現場保存の名目のうえで封鎖されている。
 別の魔力が干渉できる余地などなかった。

「事故後に誰かが?」
「だとすると、調査で頻繁に出入りしていた俺と監査官さんが一番あやしくなるけど」
「……」
「冗談だって。あの部屋が副主任の死亡事故発生直後のままなのは確実」

 ミュヨンの胸がざわつきだす。
 事故以降に入り込んだものではないとすると、回答は一つしかなかった。

「事故の前……」

 ミュヨンの強張った声色にカイは口角を意味深げにつり上げた。

「俺が副主任の事故直後にかけつけた時、空気の残滓に違和感があった」
「違和感ですか?」
「そ。気のせいで済まそうと思えば忘れられる程度」

 国家指定魔術師のカイでなければ気づけないレベルには微量だということだろう。

「――あの日、考えていたことがある」
「ヤニス氏の事故が発生した直後ですね」
「ん。結界が張られる前に仕込まれていたとしたら――って」

 カイと目を合わせたままミュヨンの表情が強張る。

「そんなこと出来るのですか? 魔術師団の現場検証でも引っかかってきていません」
「時間を置いて発動する魔術式はある」
「それは禁術指定されています。仮にそれが仕込まれていたとしたなら、普通は事故後の調査の段階で気づけるはずです」
「――そう。普通ならね」

 カイは秘密めいた笑みを美貌に浮かべる。

「さっき、監査官さんは何にも触れていないと言った」
「はい。どこにも触れずに現場を見ていたら突然……」

 ミュヨンは、はっと口を噤む。
 あの時、魔力は何の前触れもなく起動し始めた。
 そうして、ミュヨンは実験室から出られなくなり、魔力暴走の餌食となる寸前だった。

「何らかの条件が揃うまで、魔力が動かないようにされていたということですか?」
「そ。知らないうちに、監査官さんがトリガーひいちゃった可能性は高い」

 魔力の発動する条件をミュヨンが満たしていた。
 いったい、自分の行動のどれが該当するのかミュヨンは記憶を手繰り寄せながら、カイに問いを重ねる。

「ヤニス氏も……ということですか?」
「副主任の場合は偶然じゃない」

 カイが言い切る。
 
「あの事故は故意に引き起こされた」
「故意に……? ヤニス氏が亡くなった日、事故前の実験室への入室記録はヤニス氏だけでした」
「仕込むのは当日じゃなくていい」

 ヤニスが亡くなった魔力暴走事故が起きた時、結界実験室は完全な密室であった。
 結界発動中出入りは出来ず、外部魔術干渉不可、入室は二重の生体認証のみ。
 魔力暴走による不慮の事故として処理されるはずだった事案は今、大きな局面を迎えている。
 ――第三者が関わった事件として。
 しかし、まだミュヨンは断定しない。
 
「結界実験室の入退室記録を事故が起こった当日より以前のものを確認したいと思います」
「どこまで遡ろうか」
「まずは一週間程度。それから今日の分も」
「今日?」
「私の入室記録があるはずです。異常が発生するまでの正確な時間を確認します」
「死にかけた直後にそれ?」
「時間が経てば記憶は曖昧になりますので、依頼してきます」
「待って」

 立ち上がったミュヨンの腕を正面からカイが掴む。

「それは俺が頼んでくる」
「え?」
「監査官さんは少しここで休んでな」
「でも……」
「顔色悪い」

 ミュヨンはカイに指摘されて気づかない振りをしていた頭痛を自覚する。
 身体への疲労の蓄積も。

「5分でいいから休め」
「私、大丈夫です」
「――いいから」

 カイに掴まれている腕から何か温かい感覚がミュヨンの全身へと広がった。

「何したんですか?」
「俺以外の人間が監査官さんに触れたら相手がどうにかなっちゃう魔術」
「どうにかって……」
「いくら記録保管室だからって監査官さんを無防備に休ませておけない」

 カイは、ゆっくりと立ち上がる。

「10分で戻ってくるから安心して休んでな」
「時間、増えていますけど」
「交渉成立。またね」

 カイは振り向かないまま、ひらひらと手のひらを振って退室していく。

(気遣われてしまった……)

 一人、残されたミュヨンはカイが退室していった扉をしばらく眺めていた。
 ――何が起きたのか真実を解明する。
 同じ目的の元に一緒に調査をすることになった途方もない実力を備える国家指定魔術師。
 飄々としていて、真剣さに欠けるように見える余裕げな態度も、自分とは合わないと思っていた。
 けれど、それは自分の実力にちゃんと裏打ちされているもので、実は理知的で、責任感もあって。
 カイを信頼している自分が不思議でたまらなかった。

(カイさんが助けてくれなかったら私は今ごろ……)

 ミュヨンは改めて今しがたまで自分に起こっていた出来事に身を震わせた。