「――さて、」
カイは軽く息を吸うと、左手を扉に張られた結界へと向ける。
研究棟全体の空気が震えた。
魔力がカイの左手一点へと引き寄せられていく。
「すごい……」
見ていた研究員が声を漏らした。
膨大な魔力を片手一つで制御するなど常人では考えられない。
カイが右手を軽く握ると、結界の一部だけが細く軋み、一本の光の筋が浮かび上がった。
氷に亀裂が走るような音と共に。
「――そこか」
結界に生まれた一本の裂け目。
同時に、実験室の扉が低い音を立てて隙間程度に開く。
彼の身体は水面を潜るように扉と結界をすり抜けた。
「ぶつかります!」
研究員が叫ぶより素早く、次の瞬間にはカイの姿は消えていた。
結界実験室は再び結界と分厚い扉へと完全に閉ざされてしまう。
「これが国家指定魔術師の実力……」
研究員の一人が茫然とした顔で呟いた。
「あいつは、こんなもんじゃないですよ」
見張りの魔術師は頼むから無事に監査官を救出してくれと祈るような気持ちでカイの消えた重厚な扉を見つめていた。
カイが入室した瞬間、肌を焼くような魔力が怒涛のように押し寄せた。
思わず目を細める。
結界実験室全体を支配している魔力は、外から感じていた以上に濃厚だった。
床一面を多彩な淡い光が走り、壁や柱を巡りながら不規則に脈動している。
カイは視線を室内へ巡らせた。
(――どこに居る……)
ミュヨンは先ほどの場所から移動し、部屋の奥側の壁へと縮こまって身を寄せていた。
ミュヨンのすぐ傍を蒼白い光が駆け抜ける。
柱へ激突した魔力が甲高い音を響かせて、石材を大きく抉った。
あれをまともに受ければ、人の身体などひとたまりもなく潰される。
恐怖を感じながらもミュヨンは逃げ続け、部屋の奥まで追い込まれていったのだろう。
「ミュヨン!」
カイが床を蹴る。
ミュヨンへと一瞬で距離を詰めた。
「――無事? 監査官さん」
窮状にも関わらず、いつもの呑気なカイの声にミュヨンは反射的に顔を上げた。
その瞬間、カイは息を呑む。
カイを映し込むミュヨンの大きな瞳は濡れていた。
「……カイさん……」
「――立てるか?」
カイはミュヨンを抱き締めたくなった衝動をこらえて、手を差し出す。
ミュヨンはその手を素直に掴み、小さく頷きながら立ち上がる。
「きゃっ……!」
二人の足元へ新たな魔力が奔る。
カイはミュヨンの肩を自分へと引き寄せ、左手をかざす。
瞬時にカイの掌の前に魔力を行使した透明のシールドが出来上がる。
激突した魔力が轟音を響かせ激しく火花を散らした。
衝撃が実験室全体を揺らす。
ミュヨンは思わず瞼をギュッと閉じて、無意識のうちにカイの胸に顔を埋めた。
カイの心臓の鼓動が、服越しに伝わってくる。
「――大丈夫」
カイの低い美声と心音に不思議と張り詰めていたミュヨンの緊張が解ける。
先ほどまでミュヨンを追い詰めていた強大な魔力をカイは鼻先であしらうように左手で捌いていく。
次々と襲い掛かる光を伴う魔力を受け止め、逸らして、流す。
力任せに消し去るのではない。
(きっと私が居るから……)
ミュヨンを守りながら、カイは片手だけで実験室内の暴れ回る魔力の流れを読み最小限の力で軌道だけを変えていく。
(やっぱり、この人は只者ではない……)
レオニス王国に7名しか存在しない国家指定魔術師のうちの一人。
――カイ・レイヴンクラウド。
ピンチは変わっていないのに、それでもミュヨンはカイの顔を見た瞬間に恐怖や不安は解けていった。
「――どうして、こうなったわけ?」
「わかりません。どこにも触れていないのに突然、実験室内の魔力が発動し始めて閉じ込められました」
「どこにも触っていないのに――か」
カイに引き寄せられたまま、顔を上げる。
下からのアングルでカイの顔を確認した途端に、どくりと胸が高鳴った。
ミュヨンを茶化し、余裕げな態度が多いだけに、真顔なカイはギャップが大きくて、いたずらに心臓を刺激してくる。
「そんな胸、押し付けられたら、俺も困るんだけど」
「なっ……!?」
衝動的に離れようとするミュヨンをカイはグッと肩で抑える。
「暴れないで。死ぬよ」
「だって……」
「これ何とかしないとって思ってたけど、監査官さんともう少し、くっついていたいからこのままにしとく?」
「真面目に早く何とかしてください!」
ミュヨンは白い肌を朱く染めながら、カイに抗議する。
(どうして、こうも余裕綽々なの?)
カイに密着している身体を離したくても離れられない。
実際カイから離れたら、すぐさま実験室内で暴走する魔力の餌食になる。
命を落としかねない切羽詰まった状況なのに、この国家指定魔術師の男は動じていない。
(違う……。この危機を見極めたうえで、どうにかできると踏んでいる)
態度は堂々としていても、ミュヨンを引き寄せる腕の力は一切緩めなかった。
カイが身を挺して守ろうとしてくれているのが伝わるほどに。
「まずいな。結界の均衡、崩れてきている」
カイは軽く息を吸うと、左手を扉に張られた結界へと向ける。
研究棟全体の空気が震えた。
魔力がカイの左手一点へと引き寄せられていく。
「すごい……」
見ていた研究員が声を漏らした。
膨大な魔力を片手一つで制御するなど常人では考えられない。
カイが右手を軽く握ると、結界の一部だけが細く軋み、一本の光の筋が浮かび上がった。
氷に亀裂が走るような音と共に。
「――そこか」
結界に生まれた一本の裂け目。
同時に、実験室の扉が低い音を立てて隙間程度に開く。
彼の身体は水面を潜るように扉と結界をすり抜けた。
「ぶつかります!」
研究員が叫ぶより素早く、次の瞬間にはカイの姿は消えていた。
結界実験室は再び結界と分厚い扉へと完全に閉ざされてしまう。
「これが国家指定魔術師の実力……」
研究員の一人が茫然とした顔で呟いた。
「あいつは、こんなもんじゃないですよ」
見張りの魔術師は頼むから無事に監査官を救出してくれと祈るような気持ちでカイの消えた重厚な扉を見つめていた。
カイが入室した瞬間、肌を焼くような魔力が怒涛のように押し寄せた。
思わず目を細める。
結界実験室全体を支配している魔力は、外から感じていた以上に濃厚だった。
床一面を多彩な淡い光が走り、壁や柱を巡りながら不規則に脈動している。
カイは視線を室内へ巡らせた。
(――どこに居る……)
ミュヨンは先ほどの場所から移動し、部屋の奥側の壁へと縮こまって身を寄せていた。
ミュヨンのすぐ傍を蒼白い光が駆け抜ける。
柱へ激突した魔力が甲高い音を響かせて、石材を大きく抉った。
あれをまともに受ければ、人の身体などひとたまりもなく潰される。
恐怖を感じながらもミュヨンは逃げ続け、部屋の奥まで追い込まれていったのだろう。
「ミュヨン!」
カイが床を蹴る。
ミュヨンへと一瞬で距離を詰めた。
「――無事? 監査官さん」
窮状にも関わらず、いつもの呑気なカイの声にミュヨンは反射的に顔を上げた。
その瞬間、カイは息を呑む。
カイを映し込むミュヨンの大きな瞳は濡れていた。
「……カイさん……」
「――立てるか?」
カイはミュヨンを抱き締めたくなった衝動をこらえて、手を差し出す。
ミュヨンはその手を素直に掴み、小さく頷きながら立ち上がる。
「きゃっ……!」
二人の足元へ新たな魔力が奔る。
カイはミュヨンの肩を自分へと引き寄せ、左手をかざす。
瞬時にカイの掌の前に魔力を行使した透明のシールドが出来上がる。
激突した魔力が轟音を響かせ激しく火花を散らした。
衝撃が実験室全体を揺らす。
ミュヨンは思わず瞼をギュッと閉じて、無意識のうちにカイの胸に顔を埋めた。
カイの心臓の鼓動が、服越しに伝わってくる。
「――大丈夫」
カイの低い美声と心音に不思議と張り詰めていたミュヨンの緊張が解ける。
先ほどまでミュヨンを追い詰めていた強大な魔力をカイは鼻先であしらうように左手で捌いていく。
次々と襲い掛かる光を伴う魔力を受け止め、逸らして、流す。
力任せに消し去るのではない。
(きっと私が居るから……)
ミュヨンを守りながら、カイは片手だけで実験室内の暴れ回る魔力の流れを読み最小限の力で軌道だけを変えていく。
(やっぱり、この人は只者ではない……)
レオニス王国に7名しか存在しない国家指定魔術師のうちの一人。
――カイ・レイヴンクラウド。
ピンチは変わっていないのに、それでもミュヨンはカイの顔を見た瞬間に恐怖や不安は解けていった。
「――どうして、こうなったわけ?」
「わかりません。どこにも触れていないのに突然、実験室内の魔力が発動し始めて閉じ込められました」
「どこにも触っていないのに――か」
カイに引き寄せられたまま、顔を上げる。
下からのアングルでカイの顔を確認した途端に、どくりと胸が高鳴った。
ミュヨンを茶化し、余裕げな態度が多いだけに、真顔なカイはギャップが大きくて、いたずらに心臓を刺激してくる。
「そんな胸、押し付けられたら、俺も困るんだけど」
「なっ……!?」
衝動的に離れようとするミュヨンをカイはグッと肩で抑える。
「暴れないで。死ぬよ」
「だって……」
「これ何とかしないとって思ってたけど、監査官さんともう少し、くっついていたいからこのままにしとく?」
「真面目に早く何とかしてください!」
ミュヨンは白い肌を朱く染めながら、カイに抗議する。
(どうして、こうも余裕綽々なの?)
カイに密着している身体を離したくても離れられない。
実際カイから離れたら、すぐさま実験室内で暴走する魔力の餌食になる。
命を落としかねない切羽詰まった状況なのに、この国家指定魔術師の男は動じていない。
(違う……。この危機を見極めたうえで、どうにかできると踏んでいる)
態度は堂々としていても、ミュヨンを引き寄せる腕の力は一切緩めなかった。
カイが身を挺して守ろうとしてくれているのが伝わるほどに。
「まずいな。結界の均衡、崩れてきている」



