王国最強魔術師はお堅い監査官を放っておかないー研究棟で発生した結界密室ミステリーを暴けー

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 ミュヨンが研究室を立ち去ってからも、カイはホワイトボードの数式を見つめていた。
 ヤニスが幾度も書き換えた痕跡。
 几帳面な研究者が消すのも書くのも雑なほどに。
 ヤニスの執念がホワイトボードから伝播してくるようだった。
 ――研究者として残したかったメッセージ。
 カイのオッドアイが挑みかかるように補助式の一節をなぞる。
 現在の増幅研究が十年前の事故と同じ危険性を孕んでいることは充分に説明がつく。

(理論だけじゃ足りなかった――か)

 理論に加えて、実証結果も添える。
 研究の見直し要請は実験を経て完成するはずだった。
 しかし、ヤニスは不慮の魔力暴走事故により命を落とす。
 
(――ってのが、表向きだけど)
 
 その時、カイの眉が僅かに反応した。
 
「!?」

 反射的に振り返る。
 どこかで濃密な魔力が一気に膨れ上がっている。
 レオニス王国に7名しか存在しない国家指定魔術師のカイにとって発信源を特定することはたやすかった。

(結界実験室……)

 ありえなかった。
 ヤニスが亡くなったあの部屋は現場保存のために封鎖されている。
 脳裏に浮かぶ、先ほど別れたばかりの監査官。

「――しまった」

 悪寒が全身を貫く。
 次の瞬間にはカイは研究室を飛び出していた。
 研究棟の廊下を風のように駆け抜ける。
 床を蹴りながらも、膨大な魔力の揺らぎを気配で感知した。
 3階の管理区画の廊下へ足を踏み込むと、突き当たりの部屋から慌ただしい声が耳に飛び込んでくる。
 
「どうして開かないんだ!?」
「外部解除はまだ出来ないのか?」
「中に監査官の女性が入っているんだぞ!」

 結界実験室の前には研究員や見張りの魔術師が血相を変えて固く閉ざされた扉を見つめながら焦っていた。
 奇しくもヤニスが亡くなった日の光景と似通った騒ぎだ。
 防御結界が扉に張られ触れることすら出来ない状態となっていた。

「カイ!」

 見張りについていた魔術師がカイの姿に気が付き、安堵と焦りの入り混じった声を上げる。

「突然、結界が張られて、室内で魔力が暴走して手に負えない。中には監査局の女性が!」

 カイは魔術師に返答する代わりに扉の手前へ駆け寄った。
 異常なほど濃密な魔力が室内に充満している。
 
「外部解除を研究員が試みているが、システムも反応しないらしくて」
「――そんなもん、待ってられないだろ」

 カイは常人では触れられないはずの扉へ手のひらを当て、魔力を流し込む。
 結界は低く震えただけ。
 カイは魔力を加減していた。
 カイが本気で魔力を流し込めば、研究棟ごと消し飛ぶ危険性さえある。
 扉の観察窓の奥で人影が揺れた。
 実験室の実験卓のそばで魔力を避けるようにミュヨンは身を縮めている。
 床を走った魔力が柱へと跳ね上がり、室内を白い閃光が包み込んだ。

「――ミュヨン!」

 カイは思わずミュヨンの名前を叫んでいた。
 見張りだった魔術師は、どんな状況下においても飄々とした態度しか見せたことがなかったカイが焦燥を顕わにしていることに内心で驚いている。
 国家指定魔術師が落ち着いていられないほどの危急。
 ――中にいるのが彼女だからだろうか?
 カイの魔力で押し切って結界も扉も破壊するのは造作もない。
 しかし、それをしてしまえば室内にいるミュヨンが危険である。
 ただ救出が遅れても同様であった。

(らしくない。――落ち着け)

 カイは深く息を吸い込み、オッドアイから放たれる視線を結界全体へ走らせた。
 
(――必ず突破口はある)

 先ほどまで慌てふためいて騒いでいた研究員たちは、固唾を呑んで、カイの様子を見守っている。
 近寄り難いほどに真剣なカイの姿に声を発することすら憚られたのと、カイにしかこの状況を打破できないと依存していた。
 カイは扉へ掌をあてて、ゆっくりと双眸を閉じる。
 指先から静かに魔力を送り込む。
 扉を覆っていた結界が淡く明滅した。

「反応した」
「結界が応答している……?」

 周囲の人間が小声を交し合う。
 全てを拒絶するように張られていた結界が、まるで主を迎えるように揺れを見せた。
 カイが瞼を開ける。
 蒼と金の澄んだ瞳に鋭い光が宿っていた。

「――へえ……」

 短く低く呟く。
 複雑に絡み合う魔力の流れ。
 幾重にも折り重なった結界。

(――これ、元々の防御結界に何か混ざっている)

 だから 外部解除を自動的に跳ね返している。
 国家指定魔術師のカイだからこそ見抜いた事実。
 カイは扉から手を離した。

「――下がってろ」
「え? で、ですが……」
「巻き込まれても知らないよ」

 カイが後ろを一瞥して不敵に笑う。
 その場の空気が凍りつき、見張りの魔術師は研究員たちを庇うように手を広げて後退した。
 ――いつものカイに戻った。