***
研究室に人影はなかった。
ミュヨンは監査官権限で研究棟内であれば自由に調査を許可されている。
入室すると、カイは真っ直ぐにヤニスの机へと向かった。
初日からカイが気にしている魔力測定記録ノートを手に取り、魔術式だらけのホワイトボードへと対面する。
黒マーカーでヤニスによって何度も修正されている魔術式。
その中で明らかに後から書き足された――ずれている補助式。
こちらもカイが関心を寄せていたもの。
黙って、ホワイトボードと向き合うカイは普段の飄々とした掴めない態度が嘘のように真剣だった。
カイの真顔は顔が整いすぎているだけに、賛美を集める高級な美術品のよう。
隣に立つミュヨンはカイの横顔に自然と視線を奪われた。
(何だか胸の辺りが熱い気がする……)
「――これ、」
急にカイが口を開き、ミュヨンは必要以上に大きく心音が鳴った。
「たぶん繋がっている」
ホワイトボードのある一点をカイは人差し指の第二関節を折り曲げて、トントンと叩く。
一箇所だけ明らかに書き足された式。
「監査官さん。昨日もらった第一次実証実験の資料って出せる?」
「はい」
ミュヨンはバッグからレミリアから渡されていた資料複写を取り出す。
「これ全部、持ち歩いてるんだ? 肩こらない?」
「監査官のバッグが重いのは、やむを得ません。それよりも……」
「ただでさえ、監査官さん肩こりそうなのに」
「?」
「ま、いいか」
ミュヨンは近くの机に資料を広げる。
カイが第一次実証実験の複写をめくっていくのを隣から覗き込んでいた。
「――あった。このページ」
事故当時の観測値や魔力推移、補助観測記録などが並んでいる。
「――で、これが副主任の机から見つかったメモ」
カイがはらりとメモを資料の上に落とす。
それはカイが見つけてきた第一次実証実験の生データ。
「こちらのメモはこれをヤニス氏が書き写したんですね」
「そ。それで……」
次にカイが長い指先でめくるのはヤニス氏の魔力測定記録ノート。
同じ研究室の面々がヤニスが念入りに確認していたという帳面。
カイはあるページを提示した。
魔力出力の測定値が一箇所だけ違和感があると初日に話した場所だった。
「……誤差のところですよね。特に何かが繋がる箇所は見受けられません……」
「そう、一見ね。けど」
カイがホワイトボードを長い指で指し示す。
「この観測値を、あの補助式へ代入する」
「ヤニス氏に書き足されているものですか」
「そ」
カイから頼まれて、ミュヨンは紙とペンを渡す。
ペンを握ったカイは難解な数式もすらすらと解いていく。
最後の値を書き終えた瞬間、ミュヨンは「あっ」と思わず声を出していた。
「……変動値が一致しています」
「見落としていた条件を入れると、現在の研究と第一次実証実験が同じ現象として読み直せるってわけ」
ひとつひとつはバラバラだった。
魔力測定記録ノート。
ホワイトボード。
十年前の第一次実証実験の記録。
三つを重ね合わせて初めて形が見えてきた。
「……ヤニス氏は実験を止めようとしていました。団長に掛け合っていたと研究員の皆さんが証言しています。ですが危険だと口でいうだけでは止められなかったのだと思います……」
「――頻繁に研究棟へ足を運ぶほど、推進していたらしいしね」
「監査局から研究停止勧告が出されている第一次実証実験との共通点が証明できれば、研究を止める客観的な根拠になるとヤニス氏は考えた……」
「――だろうね。で、それの鍵が、この補助式」
カイのオッドアイが再びホワイトボードを鋭く捉える。
その双眸は恐ろしいほどに真剣だった。
「――この補助式が正しいことを実証できれば、見直し要請は無視できなくなる」
ミュヨンはレミリアの証言を思い出す。
『事故当日の昼過ぎ……だったと思います。同じ研究者なのでわかるのですが、答えに行き当たった時の顔というんでしょうか……』
ヤニスには珍しく浮つき始めたと。
恐らく照合が終わり、証明できると確信ができてきた。
予約していた実験室の予約時刻18時ギリギリまで最後の理論を確かめ、実行に移す。
「それで3分前に実験室へ入った……」
「――可能性は高いね」
事故直前までのヤニスの行動が一本に繋がろうとしている。
「もう一度、結界実験室を確認してきます。今の仮定を基準として、その視点で見たいです」
「ん」
カイはホワイトボードを貫くような鋭い眼差しで見据えていた。
「俺は補助式をもう少し確かめさせて。すぐに追いつく」
「はい。先に行っています」
研究室に人影はなかった。
ミュヨンは監査官権限で研究棟内であれば自由に調査を許可されている。
入室すると、カイは真っ直ぐにヤニスの机へと向かった。
初日からカイが気にしている魔力測定記録ノートを手に取り、魔術式だらけのホワイトボードへと対面する。
黒マーカーでヤニスによって何度も修正されている魔術式。
その中で明らかに後から書き足された――ずれている補助式。
こちらもカイが関心を寄せていたもの。
黙って、ホワイトボードと向き合うカイは普段の飄々とした掴めない態度が嘘のように真剣だった。
カイの真顔は顔が整いすぎているだけに、賛美を集める高級な美術品のよう。
隣に立つミュヨンはカイの横顔に自然と視線を奪われた。
(何だか胸の辺りが熱い気がする……)
「――これ、」
急にカイが口を開き、ミュヨンは必要以上に大きく心音が鳴った。
「たぶん繋がっている」
ホワイトボードのある一点をカイは人差し指の第二関節を折り曲げて、トントンと叩く。
一箇所だけ明らかに書き足された式。
「監査官さん。昨日もらった第一次実証実験の資料って出せる?」
「はい」
ミュヨンはバッグからレミリアから渡されていた資料複写を取り出す。
「これ全部、持ち歩いてるんだ? 肩こらない?」
「監査官のバッグが重いのは、やむを得ません。それよりも……」
「ただでさえ、監査官さん肩こりそうなのに」
「?」
「ま、いいか」
ミュヨンは近くの机に資料を広げる。
カイが第一次実証実験の複写をめくっていくのを隣から覗き込んでいた。
「――あった。このページ」
事故当時の観測値や魔力推移、補助観測記録などが並んでいる。
「――で、これが副主任の机から見つかったメモ」
カイがはらりとメモを資料の上に落とす。
それはカイが見つけてきた第一次実証実験の生データ。
「こちらのメモはこれをヤニス氏が書き写したんですね」
「そ。それで……」
次にカイが長い指先でめくるのはヤニス氏の魔力測定記録ノート。
同じ研究室の面々がヤニスが念入りに確認していたという帳面。
カイはあるページを提示した。
魔力出力の測定値が一箇所だけ違和感があると初日に話した場所だった。
「……誤差のところですよね。特に何かが繋がる箇所は見受けられません……」
「そう、一見ね。けど」
カイがホワイトボードを長い指で指し示す。
「この観測値を、あの補助式へ代入する」
「ヤニス氏に書き足されているものですか」
「そ」
カイから頼まれて、ミュヨンは紙とペンを渡す。
ペンを握ったカイは難解な数式もすらすらと解いていく。
最後の値を書き終えた瞬間、ミュヨンは「あっ」と思わず声を出していた。
「……変動値が一致しています」
「見落としていた条件を入れると、現在の研究と第一次実証実験が同じ現象として読み直せるってわけ」
ひとつひとつはバラバラだった。
魔力測定記録ノート。
ホワイトボード。
十年前の第一次実証実験の記録。
三つを重ね合わせて初めて形が見えてきた。
「……ヤニス氏は実験を止めようとしていました。団長に掛け合っていたと研究員の皆さんが証言しています。ですが危険だと口でいうだけでは止められなかったのだと思います……」
「――頻繁に研究棟へ足を運ぶほど、推進していたらしいしね」
「監査局から研究停止勧告が出されている第一次実証実験との共通点が証明できれば、研究を止める客観的な根拠になるとヤニス氏は考えた……」
「――だろうね。で、それの鍵が、この補助式」
カイのオッドアイが再びホワイトボードを鋭く捉える。
その双眸は恐ろしいほどに真剣だった。
「――この補助式が正しいことを実証できれば、見直し要請は無視できなくなる」
ミュヨンはレミリアの証言を思い出す。
『事故当日の昼過ぎ……だったと思います。同じ研究者なのでわかるのですが、答えに行き当たった時の顔というんでしょうか……』
ヤニスには珍しく浮つき始めたと。
恐らく照合が終わり、証明できると確信ができてきた。
予約していた実験室の予約時刻18時ギリギリまで最後の理論を確かめ、実行に移す。
「それで3分前に実験室へ入った……」
「――可能性は高いね」
事故直前までのヤニスの行動が一本に繋がろうとしている。
「もう一度、結界実験室を確認してきます。今の仮定を基準として、その視点で見たいです」
「ん」
カイはホワイトボードを貫くような鋭い眼差しで見据えていた。
「俺は補助式をもう少し確かめさせて。すぐに追いつく」
「はい。先に行っています」



