***
監査局へとミュヨンが到着した頃には、日は沈んでいた。
しかし、官庁街の建造物の窓はどこも灯りが煌々と照らしていて、まだまだ眠る様子は見せない。
残業は常で誰もが公務に追われている。
それがレオニス王国の役人の常識だった。
「――戻りました」
「お疲れさまです」
ミュヨンが3階の執務室へ入室すると、同じく監査官の同僚たちから次々に声がかかる。
自席へと帰りついてバッグを置くと向かいのトーマが顔を上げた。
「お疲れさま、ミュヨン。どうだった?」
「まだ、わからないことだらけ」
「大変そうな案件だな」
「トーマは?」
「こっちも似たようなもの」
ローマは肩を竦めてから、顔つきを引き締めた。
「――アラン局長が報告を待ってる」
「私を呼び出したのってアラン局長?」
「そう。連絡いれないと、ミュヨンのことだから、日が暮れても調査し続けるだろ」
「そんなこと……ないとは言えないかもしれないけど」
ミュヨンは監査局に戻ってから座りもしていない。
今も早くアランに報告しなければと気が逸っている。
バッグからノートを取り出していると、ふと自分の机上に置いてあった紙袋へとミュヨンの目が留まった。
「これ、トーマから……?」
「どうせミュヨンは調査に夢中になって何も食べてないだろ」
トーマは苦笑していた。
官庁街にあるサンドイッチ店の紙袋だ。
ここのサンドイッチは昼前には売り切れてしまうほどの人気店。
忙しいトーマが足を運んでくれたのだろうか。
自分が食べたかったから、ミュヨンの分はついでだったかもしれない。
けれどミュヨンは疲労が濃かっただけにトーマの優しさが胸に染みた。
『何か食べた?』
(カイさんにも指摘されたっけ……)
「トーマ、ありがとう。アラン局長への報告が終わったら食べるの楽しみにしとく」
ミュヨンはトーマへと笑いかけるとノートを持って足早に立ち去った。
「報われないね、トーマくん」
「ミュヨンはトーマの気持ちに何一つ気づいていないだろ」
「仕事では鋭いのにね」
「うるさいな。俺は長期戦覚悟してるからいいの。気のおける同僚ポジションを崩したくない」
「そんな悠長なこと言ってると、どこぞの男にミュヨンを掻っ攫われるって」
「性格はお堅いけど、見た目は神がかって美少女だからな」
「まあ、ミュヨン立派に成人してるけどね」
「黙って仕事しろよ、仕事!」
ミュヨンの姿が消えた後の執務室ではトーマが監査官の同僚にからかわれ、顔を赤くしていた。
「失礼します」
「入れ」
ミュヨンが局長室の扉をノックするとアランのバリトンボイスが返ってきた。
「――アラン局長。お疲れさまです」
局長室へ足を踏み入れると、魔術監査局長のアラン・ルーカスが執務机ではなく、手前の応接セットへと腰を下ろしていた。
センターテーブルには書類の束や一冊の古いファイルが置かれている。
「お疲れ、ミュヨン。早速だが、事故の調査は進んだか?」
アランに促され、自分も応接セットの椅子に座ると、ミュヨンはノートを開いて今日の調査を簡潔に報告した。
最後に第一次実証実験報告書の閲覧履歴の話を伝えると、アランの表情が僅かに変化を見せる。
「――やはり出てきたか」
バリトンの心地よい低音だった。
ミュヨンはノートから顔を上げた。
「やはり……とは?」
「今回、亡くなったヤニス・アレクスだが二週間前に監査局へ監査記録の閲覧申請を出している」
ミュヨンの鼓動がひと際、大きく鳴った。
「それが十年前の第一次実証実験の監査記録だ」
また点と点が繋がる。
ヤニスは研究棟の第一次実証実験の資料だけではなく、監査局に保管されている資料も確認していた。
「ヤニス氏の申請は承認されているんですか?」
「ああ。否認する理由がないからな。だが、監査記録はあくまで監査記録にしか過ぎない」
「どういうことですか?」
「ヤニス・アレクスが何に気づいたのかまでは不明だということだ」
ミュヨンは同意した。
監査記録は行政資料。
事故後の対応や処理、研究停止勧告が出たことはわかっても、研究内容そのものを追うには限界がある。
けれど、監査局に照会してまで、ヤニスが第一次実証実験について深く調べたがっていたことは疑いようがなかった。
「関連資料は複写しておいた」
アランが机上に置かれた封筒の一つを指さす。
「明日の調査に持って行け。研究棟の資料と突き合わせた方が早いだろう」
「ありがとうございます」
封筒を手にとろうとしたミュヨンに対して、アランが封筒へと手を乗せた。
アランの節ばった長い指がミュヨンが封筒を持っていくのを阻止するように置かれて、ミュヨンは伸ばしかけていた手を止める。
「これは明日、渡す」
「……え?」
「今日はもう上がれ」
目の前でおやつのお預けを食らった小型犬のように困惑しているミュヨンにアランは苦笑を返す。
「ミュヨンのことだから今から資料を読み込み始めるだろ。続きは明日だ」
「……わかりました。お疲れさまです」
ミュヨンは立ち上がってアランに一礼し、局長室を出た。
(結界準備室で起きた死亡事故にはどんな真相が隠れているのか……)
副主任ヤニス・アレクスの死。
十年前の第一次実証実験。
書き直された数式……。
ミュヨンは廊下の窓から夜の空を見上げる。
満ちている月がやけに妖しく光っていた。
監査局へとミュヨンが到着した頃には、日は沈んでいた。
しかし、官庁街の建造物の窓はどこも灯りが煌々と照らしていて、まだまだ眠る様子は見せない。
残業は常で誰もが公務に追われている。
それがレオニス王国の役人の常識だった。
「――戻りました」
「お疲れさまです」
ミュヨンが3階の執務室へ入室すると、同じく監査官の同僚たちから次々に声がかかる。
自席へと帰りついてバッグを置くと向かいのトーマが顔を上げた。
「お疲れさま、ミュヨン。どうだった?」
「まだ、わからないことだらけ」
「大変そうな案件だな」
「トーマは?」
「こっちも似たようなもの」
ローマは肩を竦めてから、顔つきを引き締めた。
「――アラン局長が報告を待ってる」
「私を呼び出したのってアラン局長?」
「そう。連絡いれないと、ミュヨンのことだから、日が暮れても調査し続けるだろ」
「そんなこと……ないとは言えないかもしれないけど」
ミュヨンは監査局に戻ってから座りもしていない。
今も早くアランに報告しなければと気が逸っている。
バッグからノートを取り出していると、ふと自分の机上に置いてあった紙袋へとミュヨンの目が留まった。
「これ、トーマから……?」
「どうせミュヨンは調査に夢中になって何も食べてないだろ」
トーマは苦笑していた。
官庁街にあるサンドイッチ店の紙袋だ。
ここのサンドイッチは昼前には売り切れてしまうほどの人気店。
忙しいトーマが足を運んでくれたのだろうか。
自分が食べたかったから、ミュヨンの分はついでだったかもしれない。
けれどミュヨンは疲労が濃かっただけにトーマの優しさが胸に染みた。
『何か食べた?』
(カイさんにも指摘されたっけ……)
「トーマ、ありがとう。アラン局長への報告が終わったら食べるの楽しみにしとく」
ミュヨンはトーマへと笑いかけるとノートを持って足早に立ち去った。
「報われないね、トーマくん」
「ミュヨンはトーマの気持ちに何一つ気づいていないだろ」
「仕事では鋭いのにね」
「うるさいな。俺は長期戦覚悟してるからいいの。気のおける同僚ポジションを崩したくない」
「そんな悠長なこと言ってると、どこぞの男にミュヨンを掻っ攫われるって」
「性格はお堅いけど、見た目は神がかって美少女だからな」
「まあ、ミュヨン立派に成人してるけどね」
「黙って仕事しろよ、仕事!」
ミュヨンの姿が消えた後の執務室ではトーマが監査官の同僚にからかわれ、顔を赤くしていた。
「失礼します」
「入れ」
ミュヨンが局長室の扉をノックするとアランのバリトンボイスが返ってきた。
「――アラン局長。お疲れさまです」
局長室へ足を踏み入れると、魔術監査局長のアラン・ルーカスが執務机ではなく、手前の応接セットへと腰を下ろしていた。
センターテーブルには書類の束や一冊の古いファイルが置かれている。
「お疲れ、ミュヨン。早速だが、事故の調査は進んだか?」
アランに促され、自分も応接セットの椅子に座ると、ミュヨンはノートを開いて今日の調査を簡潔に報告した。
最後に第一次実証実験報告書の閲覧履歴の話を伝えると、アランの表情が僅かに変化を見せる。
「――やはり出てきたか」
バリトンの心地よい低音だった。
ミュヨンはノートから顔を上げた。
「やはり……とは?」
「今回、亡くなったヤニス・アレクスだが二週間前に監査局へ監査記録の閲覧申請を出している」
ミュヨンの鼓動がひと際、大きく鳴った。
「それが十年前の第一次実証実験の監査記録だ」
また点と点が繋がる。
ヤニスは研究棟の第一次実証実験の資料だけではなく、監査局に保管されている資料も確認していた。
「ヤニス氏の申請は承認されているんですか?」
「ああ。否認する理由がないからな。だが、監査記録はあくまで監査記録にしか過ぎない」
「どういうことですか?」
「ヤニス・アレクスが何に気づいたのかまでは不明だということだ」
ミュヨンは同意した。
監査記録は行政資料。
事故後の対応や処理、研究停止勧告が出たことはわかっても、研究内容そのものを追うには限界がある。
けれど、監査局に照会してまで、ヤニスが第一次実証実験について深く調べたがっていたことは疑いようがなかった。
「関連資料は複写しておいた」
アランが机上に置かれた封筒の一つを指さす。
「明日の調査に持って行け。研究棟の資料と突き合わせた方が早いだろう」
「ありがとうございます」
封筒を手にとろうとしたミュヨンに対して、アランが封筒へと手を乗せた。
アランの節ばった長い指がミュヨンが封筒を持っていくのを阻止するように置かれて、ミュヨンは伸ばしかけていた手を止める。
「これは明日、渡す」
「……え?」
「今日はもう上がれ」
目の前でおやつのお預けを食らった小型犬のように困惑しているミュヨンにアランは苦笑を返す。
「ミュヨンのことだから今から資料を読み込み始めるだろ。続きは明日だ」
「……わかりました。お疲れさまです」
ミュヨンは立ち上がってアランに一礼し、局長室を出た。
(結界準備室で起きた死亡事故にはどんな真相が隠れているのか……)
副主任ヤニス・アレクスの死。
十年前の第一次実証実験。
書き直された数式……。
ミュヨンは廊下の窓から夜の空を見上げる。
満ちている月がやけに妖しく光っていた。



