「まだ仮説の段階」
「共有してください」
「焦んないの。監査官さん」
唇に人差し指を添えて意味ありげな視線をオッドアイから放たれる。
ミュヨンは内心、苛立ったのを表情に出さず、レミリアの聴取を続けることにした。
「些細な点でも構いません。ヤニス氏には焦りや苛立ちがあったようだとおっしゃっていましたが、他にお気づきになられたことはありますか?」
レミリアは記憶を辿っているのか沈黙していた。
「……何かを調べているようでした」
「何か?」
「研究ログを何度も繰り返し確認していまして……」
「ログとは?」
「魔力測定の記録ノートです。ヤニス副主任の机上に置いてあるかと……」
それは先ほどまでカイが真剣に読み込んでいたものだ。
(やっぱり私が気づいていない何かにカイさんは気がついている……)
カイはゆっくりとした足取りでヤニスの机まで進むと、該当のノートを持ち上げた。
「それって、このノートでしょ?」
「はい、それです」
「監査官さん」
「はい」
「これ、見て」
カイはミュヨンに開いたノートを渡す。
整然と数字が並んでいる。
「ここ変だと思わない?」
カイは長い指先であるノートに書かれた数字をトントンと叩く。
言われてみれば違うような気もするが、誤差の範囲内だとも受け取れる。
「やっぱり、これ事故じゃないって」
カイの一声に研究室の空気が、また一段重くなった。
誰も唇を固く閉ざしている。
ミュヨンはノートのページをもう一度見た。
几帳面なほどに整然と並んだ数字。
魔力出力の測定値。
確かに、その一箇所だけが、わずかに違う。
誤差と言われれば誤差だ。
ただ、ここまで几帳面で完璧主義者であろう被害者ヤニス・アレクスが誤差を記録するだろうか。
「ヤニス氏は、この値を何度も確認していたのですか?」
「ええ。昨日も実験前に確認していたように思います。あとは隣の資料室にも頻繁に出入りしていました」
レミリアは静かに頷いた。
カイは再びオッドアイの視線の先をホワイトボードへと放つ。
アクアマリンとゴールドの瞳。
その双眸が鋭く細められた。
ホワイトボードいっぱいに黒マーカーで書かれた魔術式。
書き直された線。
重ねられた符号。
研究者の思考の軌跡。
「監査官さん」
カイは再びホワイトボードの前に向かう。
「はい」
「監査官さんもさ、監査官になれたってことは魔術方程式の基礎くらいは学んでるでしょ?」
「ええ。魔術師ではないので基礎も基礎ですが」
「それだけわかっていれば上等。この式は?」
「先ほどレミリアさんも説明してくださいましたが増幅係数です」
カイが指さした先をミュヨンが回答した。
「そ。でも、よく見て」
ミュヨンは椅子に座ったままホワイトボードに目を凝らす。
「補助式の位置がずれている……?」
「ご名答」
「計算ミスでしょうか?」
「優秀と名高い副主任様が?」
軽く首を傾げたカイのオッドアイの眼光がいたずらに輝く。
「――確かに妙ですね」
研究室の誰もが口を挟まなかった。
ミュヨンもカイの隣に立ち、修正の跡を指で追った。
線は何度も消され、書き直されている。
その中で一箇所だけ明らかに後から書き足された式があった。
それはヤニスのものだとボルトラもレミリアも証言している。
亡くなったヤニス・アレクスが最後に書いた式。
基礎しか履修していないミュヨンでさえ気づくミスを優秀な研究者であるヤニスがおかすとは思えなかった。
そして、机の上の魔力測定記録ノート。
「監査官さん」
「何でしょうか?」
「この人、何かに気づいてたんじゃない?」
カイはホワイトボードを指さして言った。
「……同感です」
研究室の窓の外では、雲がゆっくり流れている。
静かな昼だった。
だがこの研究室の中で、何かが確実に動き始めている。
亡くなったヤニスが気づいていたもの。
それが何なのか。
ミュヨンはホワイトボードから視線を外し、研究室を見渡した。
亡くなった副主任ヤニス・アレクスの机。
研究員3名の机。
窓際の研究助手ルーレンの机。
日常的に集っていた同じラボのメンバー。
決して友好的なだけではなく、それぞれに様々な想いを抱いて顔を合わせていたのだろう。
「もう1名の研究員にお話をお聞きしたいのですが」
「承知いたしました。私が呼んでまいります」
レミリアが会釈をして早足で研究室を退室していく。
研究室には席に座ったまま、まるで石化したように動かないボルトラとホワイトボードの前に立つミュヨンとカイだけが残された。
「本当に計算ミスではないのでしょうか?」
「ない」
カイは即答だった。
「天下の王立魔術師団に属する研究部の副主任が、こんなミスをするのはありえない」
(天下かどうかはさておいて……。質問しておきながら、亡くなったヤニス氏が魔術式のミスをするとは私も考えにくいわ。供述を聞いていると、とても神経質で優秀な人となりが見えてきているし……)
「共有してください」
「焦んないの。監査官さん」
唇に人差し指を添えて意味ありげな視線をオッドアイから放たれる。
ミュヨンは内心、苛立ったのを表情に出さず、レミリアの聴取を続けることにした。
「些細な点でも構いません。ヤニス氏には焦りや苛立ちがあったようだとおっしゃっていましたが、他にお気づきになられたことはありますか?」
レミリアは記憶を辿っているのか沈黙していた。
「……何かを調べているようでした」
「何か?」
「研究ログを何度も繰り返し確認していまして……」
「ログとは?」
「魔力測定の記録ノートです。ヤニス副主任の机上に置いてあるかと……」
それは先ほどまでカイが真剣に読み込んでいたものだ。
(やっぱり私が気づいていない何かにカイさんは気がついている……)
カイはゆっくりとした足取りでヤニスの机まで進むと、該当のノートを持ち上げた。
「それって、このノートでしょ?」
「はい、それです」
「監査官さん」
「はい」
「これ、見て」
カイはミュヨンに開いたノートを渡す。
整然と数字が並んでいる。
「ここ変だと思わない?」
カイは長い指先であるノートに書かれた数字をトントンと叩く。
言われてみれば違うような気もするが、誤差の範囲内だとも受け取れる。
「やっぱり、これ事故じゃないって」
カイの一声に研究室の空気が、また一段重くなった。
誰も唇を固く閉ざしている。
ミュヨンはノートのページをもう一度見た。
几帳面なほどに整然と並んだ数字。
魔力出力の測定値。
確かに、その一箇所だけが、わずかに違う。
誤差と言われれば誤差だ。
ただ、ここまで几帳面で完璧主義者であろう被害者ヤニス・アレクスが誤差を記録するだろうか。
「ヤニス氏は、この値を何度も確認していたのですか?」
「ええ。昨日も実験前に確認していたように思います。あとは隣の資料室にも頻繁に出入りしていました」
レミリアは静かに頷いた。
カイは再びオッドアイの視線の先をホワイトボードへと放つ。
アクアマリンとゴールドの瞳。
その双眸が鋭く細められた。
ホワイトボードいっぱいに黒マーカーで書かれた魔術式。
書き直された線。
重ねられた符号。
研究者の思考の軌跡。
「監査官さん」
カイは再びホワイトボードの前に向かう。
「はい」
「監査官さんもさ、監査官になれたってことは魔術方程式の基礎くらいは学んでるでしょ?」
「ええ。魔術師ではないので基礎も基礎ですが」
「それだけわかっていれば上等。この式は?」
「先ほどレミリアさんも説明してくださいましたが増幅係数です」
カイが指さした先をミュヨンが回答した。
「そ。でも、よく見て」
ミュヨンは椅子に座ったままホワイトボードに目を凝らす。
「補助式の位置がずれている……?」
「ご名答」
「計算ミスでしょうか?」
「優秀と名高い副主任様が?」
軽く首を傾げたカイのオッドアイの眼光がいたずらに輝く。
「――確かに妙ですね」
研究室の誰もが口を挟まなかった。
ミュヨンもカイの隣に立ち、修正の跡を指で追った。
線は何度も消され、書き直されている。
その中で一箇所だけ明らかに後から書き足された式があった。
それはヤニスのものだとボルトラもレミリアも証言している。
亡くなったヤニス・アレクスが最後に書いた式。
基礎しか履修していないミュヨンでさえ気づくミスを優秀な研究者であるヤニスがおかすとは思えなかった。
そして、机の上の魔力測定記録ノート。
「監査官さん」
「何でしょうか?」
「この人、何かに気づいてたんじゃない?」
カイはホワイトボードを指さして言った。
「……同感です」
研究室の窓の外では、雲がゆっくり流れている。
静かな昼だった。
だがこの研究室の中で、何かが確実に動き始めている。
亡くなったヤニスが気づいていたもの。
それが何なのか。
ミュヨンはホワイトボードから視線を外し、研究室を見渡した。
亡くなった副主任ヤニス・アレクスの机。
研究員3名の机。
窓際の研究助手ルーレンの机。
日常的に集っていた同じラボのメンバー。
決して友好的なだけではなく、それぞれに様々な想いを抱いて顔を合わせていたのだろう。
「もう1名の研究員にお話をお聞きしたいのですが」
「承知いたしました。私が呼んでまいります」
レミリアが会釈をして早足で研究室を退室していく。
研究室には席に座ったまま、まるで石化したように動かないボルトラとホワイトボードの前に立つミュヨンとカイだけが残された。
「本当に計算ミスではないのでしょうか?」
「ない」
カイは即答だった。
「天下の王立魔術師団に属する研究部の副主任が、こんなミスをするのはありえない」
(天下かどうかはさておいて……。質問しておきながら、亡くなったヤニス氏が魔術式のミスをするとは私も考えにくいわ。供述を聞いていると、とても神経質で優秀な人となりが見えてきているし……)



