レオニス王立魔術師団の研究棟の廊下は、日が沈めば人通りがほぼ無い静けさに包まれた場所だった。
だが、月が満ちている今夜は様相が違っていた。
「まだ安定しないのか」
「再起動が途中で止まっています」
「結界が正常に同期しません」
焦りを含んだ種々の声という声が響き渡り、白衣に身を包んだ研究職に従事する魔術師たちが突き当たりの部屋の前に集っている。
そこは結界実験室。
魔術研究のために作られた特殊な部屋。
この管理区画である3階フロアに入るためには生体の二重認証が必須であり、各部屋に入る時にも同様のセキュリティシステムを通過しなければならない。
先刻、この部屋で事故が起きた。
王立魔術師団の研究部に属する副主任ヤレス・アレクスが室内で倒れているのが外部観測装置で確認されたのだ。
結界は一度、外部解除された。
第一発見者の研究助手と研究員2名が内部に入り、倒れている副主任を確認したのみで、現場保存のために退室して結界を再封鎖したところで制御が不安定になった。
厚い扉の前には防御結界の淡く青い光が不安定に揺らめいている。
実験中、外部からの魔術干渉を遮断するために張られているもの。
物理的にも外からは扉を開けることが出来ない。
不安定なままの結界と閉ざされた扉の観察窓の奥で、今回の被害者である白衣を着用したヤニス・アレクスがうつ伏せで倒れている。
真面目すぎると定評のある彼は無残にも肉の塊へと変わり果てていた。
「……魔力暴走が起きたのか?」
「実験に失敗したんでしょう……ヤニスさんもお気の毒に」
「些細なことにも細心の注意を払っていたヤニスさんに限って事故とは……」
「他に考えられません。どちらにしてもさっきまで結界は正常に作動していましたから」
集った魔術師たちの誰もが同じ結論にいたっていた。
実験中の不慮の魔力暴走事故。
魔術研究では珍しいことでもない。
「――へえ……」
廊下の端で、ひとりの男が壁にもたれて立っていた。
誰もが沈痛な面持ちで佇んでいる中、ひとりだけ口の端を僅かに持ち上げている。
――黒髪の長躯な美青年。
魔術師団の黒い制服を着ているが、どこか着崩していて、美貌の彼に誂えたように馴染んでいる。
何より人目を引くのは、その切れ長の目に宿された瞳だった。
左目が淡いアクアマリン。
右目は光を帯びたゴールド。
蒼と金、どちらも決して人工では作り出せない天然石のような美しい発色をしている。
彼は生まれながらにオッドアイの持ち主であった。
この国の魔術師は皆が、その意味を察し視線を逸らす。
――魔力過剰体質。
この国で最も強大であり危険な才能の証。
先天的に魔力が多すぎると身体の一部に特徴が出る。
彼の場合は虹彩変化だった。
「――カイ。わざわざ、お前が呼ばれたのか?」
魔術師の一人がオッドアイの彼に声をかける。
「そ。俺が一番暇そうだったんじゃない?」
カイ――カイ・レイヴンクラウドは肩を竦めて答えた。
カイの態度は、あまり乗り気には見えない。
「国家指定魔術師の一人がわざわざ身内の魔力暴走事故現場に派遣されるものなのか……」
「――ただの事故ならもう帰りたいんだけど」
カイは結界実験室の扉にはられている不安定な青白い結界を眺めて、意味深長に目を細めた。
空気の残滓。
恐らくカイ以外は感じとることが出来ないほど、ほんの微量の僅かな違和感。
カイは長い足をゆったりとした足取りで運び、扉の前まで距離を寄せた。
「結界トラブル?」
「一度解除してから制御が不安定になったらしい。おい。カイ、危ないぞ」
「大丈夫」
カイは指先で光の表面に触れる。
小さな火花が触れた場所から飛び散った。
「おい、カイ……」
「――わかってる。現場保存だろ。壊す気はない」
しばらく沈黙が続く。
集っている研究員たちも稀少な国家指定魔術師の一人カイの一挙手一投足に口を噤んだまま注視していた。
「――これは事故じゃない」
断言するようなカイの物言いに廊下の空気が凍りつく。
「どう見たって魔力暴走事故じゃないか」
「実験室に結界は完全にかかっていた」
「外から魔術は使えない」
研究員たちが口々と異を唱える。
「――外からは、ね」
異質かつ軽薄な口調でカイは答える。
しかし、その虹彩の違う両眼は静かに冷えていた。
研究員たちの顔色が変わる。
「痕跡って消そうとしても、案外残るんだよ」
カイはすべて分かっているような笑みで研究員たちに視線を流す。
誰も言葉を返せなかった。
カイは観察窓の向こう側を確認する。
倒れた研究者。
暴走した魔力の轍。
わずかに残されている、異質な魔力の痕跡。
(普通は気づけないな……)
「うん。――密室殺人ってやつ?」
カイが低く落とした一声が月夜の晩へと溶けていった。
その数分後、王立魔術師団から王国魔術監査局へと一本の事故速報が送られた。



