俺のたまんなく可愛い後輩の朝日奈くんは、猫を描く

スマホを持った手をだらりと伏せて、机に突っ伏す。

「既読つかない……」
「どした、佑月」
「アサヒナくんから返事こない……」
「どれ、何分前よ?」
「5分前……」
「こわっ、激重彼氏かよ」

吉野の引いた声に、のそりと顔を上げる。
口元を引きつらせた友人は、神妙そうに言葉を選んだ。

「お前ってもしかして、好きな子束縛する感じ?」
「俺もしかして、束縛してる……?」
「チャット5分放置で病みだす男、イヤくない?」
「誰、その激ヤバ男。……まさか俺!? やっば!!」

友人のありがたい説法によって、黒ずんでいた思考を振り払う。
危ない! もう少しでアサヒナくんの教室へ突撃して、直接対面を申し込むところだった!!
けれどもアサヒナくんから連絡が来ないことも現実で、情けなくも俺は友人に縋ることにした。

「俺、アサヒナくんに食べてほしくて料理始めたんだけどさあ。すっごくムズかったんだよ! ほんと!」
「えっ、もしかしてお前、好きな子に尽くす系?」
「みじん切りとかマジで意味わからん! 玉ねぎめっちゃしみるじゃん、なにアイツ!?」
「た、助けてくれ東雲、鮎川! こいつの進路変更極端すぎる!!」

吉野の悲鳴に触発されて、いつものメンツが揃う。
これ幸いと初料理の感想を訴えるも、友人たちはそれぞれ驚愕の表情を浮かべていた。

「マジ涙ボロボロだし、手べとべとだし、黒焦げ生産機になるし! 俺今度からもっとありがたがってハンバーグ食べる!!」
「お前が料理したの? 調理実習で卵握りつぶして、皿洗い担当になった佑月が?」
「握りつぶしてない! 割ろうとしたら砕けたんだ!」

中学からつるんでる東雲が震える手で俺を指差し、忘れていた過去を掘り起こす。
ちなみにキッチンに立った俺を、母親は5度見した。すごく背後をウロウロされたし、ものすごく口出しされた。
完成品を「アサヒナくんにあげる!」とタッパーへ詰めようとしたら、必死な顔で「お腹壊しちゃうからやめなさい!」と止められて流石にショックだった。
息子の自立だと思って、もっと応援してくれてもいいのに!!

「信じられるか? 佑月のこれ、全部朝日奈くんのためなんだぜ……」
「マジか、愛が重いな」
「佑月、朝日奈くんのどこがそんなに好きなん?」

三人から問われ、それ以前にむっとするポイントが発生してしまい、眉間にシワがよる。

「……お前らにアサヒナくんのこと軽々しく呼ばれるの、すんごく嫌なんだけど」
「朝日奈くんを朝日奈くんって呼ぶ以外で、どう朝日奈くんと形容すんだよ!?」
「仮にAくんとしよう」
「だったら鮎川もAくんだわ!」

確かにそれはそうだし、そうすると芦川くんもAくんか……と思い至ったことで、アサヒナくんと芦川くんは出席番号で席が近いのかも? と名推理を展開してしまい、心が澱んでしまった。
入学したての初々しいアサヒナくんと真っ先におしゃべりしたり、プリントを回してもらったり、そんな景色を想像するだけで、お腹の中に不快感が蓄積する。
俺だって24時間365日アサヒナくんといたいのに、俺が先輩であるばかりにアサヒナくんと同クラスになれなくて、けれどもアサヒナくんが後輩であるおかげで「先輩」と呼んでもらえる。
どちらの欲求も同時に満たすことのできないこの現象は、もはやパラドックスでは? と新しい理論を提唱した。

「……俺の方が確実にアサヒナくんと仲良しなのに、友好度低いお前らと同じ呼び方してる現実を受け入れられない」
「あんなに一緒にいて、下の名前教えてもらってねぇの?」
「鮎川、その一撃は重いって」

鮎川のAくんに図星を刺されて、胸を押さえて呻く。
そうか、俺、アサヒナくんのフルネームを教えてもらってないんだ……!!

「つらい……」
「ちょっと男子ぃ! 佑月泣いちゃったじゃーん!」
「そもそもだけど、佑月って朝日奈くんとどうなりたいんだ?」

鮎川の率直な疑問を受けて、痛みに震えていた状態から顔を上げた。
彼は他の友人たちより、怪訝そうな表情をしている。
——どうなりたい? どういう意味だ?

「なんつうか、今佑月のやってることって、隣に住んでる幼馴染の女の子が、気になる主人公にお弁当作って『べ、別にアンタのためじゃないし!』って渡すヤツじゃん」
「佑月はツンデレ幼馴染だった……?」
「姉ちゃんのマンガでそういうの読んだな……」
「俺は素直にアサヒナくんに渡すが?????」
「そうじゃなくて」

俺、ツンデレ説が浮上しかかったが、難しい顔をした鮎川が唸りながら顎をさする。

「だからさ、このツンデレ幼馴染は、主人公に振り向いてほしくて弁当渡してるじゃん」
「うんうん」
「例えばさ、吉野とか東雲から『佑月、お前のために弁当作ったんだ。食えよ』って弁当差し出されたら、こわくね?」
「ビビって保健室連れてく」
「おれもそんな自分嫌だわ。想像させんなや」
「鮎川てめぇ……」

吉野と東雲からのヘイトをためながら、鮎川は演説者のように両手をあげ、ふたりをどうどうと宥めた。

「俺が伝えたいのは、朝日奈くんと友達したいなら、距離感考えた方がいいぞってハナシ」

プロレスを始めた三人を眺めて、鮎川の話を反芻する。
確かに、友人だと思っている人から弁当を渡されたらビビる。それも毎日渡そうと思っていたのだから、受け取る側は困惑するだろう。
アサヒナくんは、とても困った顔で、金銭の支払いを提案していた。
——その提案は妥当だろう。なにか対価を支払わないと、友人として対等でいられなくなる。もらってばかりでは、フェアじゃない。
つまり俺は、友人という関係を切り出しておきながら、対等でない状況を作ろうとしているんだ。
……俺、空回ってばっかりじゃね?
導き出された事実に、流石に落ち込んだ。
不意に暗かったスマホの画面が灯り、慌ててスマホを凝視する。

「アサヒナくんからだ! 俺、行ってくる!」

浮かんだポップアップを親指でタップして、高鳴る思いのまま、カバンを引っ掴んで大慌てで教室を飛び出す。
頭の中は、アサヒナくんとしたい話題でいっぱいで、すっかり心が浮き足立っていた。



階段を上って、第2美術室を目指す。
引き戸に手をかけると、中から話し声が聞こえた。構わずがらら、と扉を鳴らす。

「——全てを細かく描写したら、全部見てもらえないよ。もっと意識して取捨選択して」
「はい」

窓際に立って、先生と思しき背の高い男性と、アサヒナくんが並んでいる。
ひとつの板を抱えるアサヒナくんの手元を見て、先生は俺にはよくわからない話をしていた。
その様子に何故だかモヤモヤしてしまって、はたと我に返って胸をさする。
――なんだ? この不快感。
俺が戸惑っている間も先生の話は流れていて、やっぱり面白くない気分に浸る。

「君が一番見せたいところに、視線が向くよう調整して。このままだと視線が散っちゃうよ」
「はい」
「じゃあ僕はごはんに行くよ。朝日奈もお昼にするんだよ」
「ありがとうございます、先生」

最後にアサヒナくんの頭を、ぽんと撫でて、先生は俺の横を通って廊下へ出て行った。
――頭ぽん!?!? 俺でさえやったことないのに!?!? あいつアサヒナくんの頭に触ったのか!?
目の前の光景が衝撃的すぎて、とんでもない不快感が腹の中で爆発しそうになる。
肩越しに廊下を睨むも、やり場のない苛立ちは治らない。今もどろどろと渦を巻いている。
なにあれ! 親しいアピールか!? 俺の方がアサヒナくんと仲良しだが!!
ちょっと背が高いからって、いい気になられたら困るんですが!! ちくしょう!!

「先輩? どうしたんですか?」
「……なんでもない」

不思議そうにこちらへかけられた声に、低く押し込めた返事をしてしまう。
いけない、と慌てて笑顔を取り繕うも、若干引きつった歪な笑みを自覚した。
席についたアサヒナくんは、怪訝そうな顔をしている。
そのまま筆を取る姿に、あれ!? 俺、お昼誘いに来たのに! と本懐を思い出した。

「アサヒナくん、お昼にしようよ」
「おともだちとどうぞ」
「アサヒナくんと食べたいんだけど」
「食堂は混雑してますし、ここから遠いので、ご遠慮します」

素っ気ない言葉に、先ほどのムカムカも相まって、ツカツカとアサヒナくんの背後に立つ。
丸い頭越しに見えたのは、色鮮やかな猫の絵だった。
その絵を見た途端、ウソのようにイライラが吹き飛んだ。

「うわっ、すご!! アサヒナくん、絵がうまいね!!」
「……先輩って、なに見ても驚いてくれますよね」

呆れた声が耳をくすぐるが、俺はこの感動に驚いている。
光に照らされたネコチャンは日向ぼっこしているようで、安心しきった顔で寝転んでいた。
とろけたような寝相も、こちらへ向けられたお腹のもふもふも、手を伸ばせば撫でられそうなほどにそこにいる。
キラキラと輝くヒゲや、透けた毛並みは柔らかそうで、それをこの少年が描いたのだからますます感動した。
すごい、すごいと騒ぐ俺に、アサヒナくんは苦笑いを浮かべている。

「……本当は、油絵がやりたかったんです」
「絵に種類ってあるんだ???」
「ぼくが今描いてるのは、アクリル絵具です」

手渡されたチューブを見下ろすと、確かに英字で『アクリルガッシュ』と書かれている。
俺には小中で使った12色の絵具しか該当するアイテムを知らないから、アサヒナくんは物知りだなあとしみじみ思った。

「油絵、なんでやらなかったの?」
「画材が、高いから」

アサヒナくんの筆を持つ手に、キュッと力がこもる。

「ほんと、お金のかかる趣味ですよ。デッサンにはケント紙が必要で、失敗したら買い直さないといけない。この水張りだってシワが寄ったらやり直しです。アクリル絵具だって、画材の中では安価でも、そこまで安いワケじゃない。……バイトしても、追いつかないんです」

アサヒナくんの早口は自嘲的で、彼がなんのためにバイトをがんばっているのか、ようやく理解した。
最初に出会ったとき、バイト仲間の春風さんが『また節約?』とたずねていた。
ずっと周りは知っていただろうに、俺は知らなかった。知ろうともしていなかった。
——それが、除け者にされたように錯覚してしまって、ひどく恨めしいような、寂しい心地へ陥る。
アサヒナくんの言葉は止まらない。悔しそうに、暗く沈んだ声で吐き捨てた。

「……凡人が必死になって、バカみたい」

俺には、どうしてアサヒナくんがこんなに必死なのか、わからなかった。
そんなに憎悪を込めて自分を苛めるくらいなら、絵なんてやめてしまえばいいのにと思った。
他の、もっと楽しいことを選べばいいのに、どうしてわざわざ自分を傷つけるんだろう?
俺ならそんな苦しいことなんて、すぐに辞めるのに。

「そんなに嫌なら、辞めたらいいじゃん?」

疑問をそのまま口先に載せる。
微かな呼吸音を立てた小柄は数秒沈黙し、スモックの袖をかたく握った。

「……すみません。誰かに話す内容ではなかったですね」

俺がしたのは問いかけだったのに、返ってきたのは、聞き逃してしまいそうなほどの小さな謝罪だった。
言葉のキャッチボールが成立しなかったことに困惑する。
……謝らせたかったわけじゃない。ただ不思議に思ったから、聞いただけだ。
アサヒナくんは小さなバケツの中を、筆でバシャバシャとかき混ぜた。
そして絵具でぐちゃぐちゃになったタオルに筆先を乗せ、紙に散らばった絵具を新たに掬う。

「先輩、ぼくあまり食欲がありません」
「えっ、具合悪いの!? 大丈夫!?」

肩越しに振り返ったアサヒナくんは、確かに顔色が青ざめて見えた。
屈んで小さな額に手のひらを当てる。
ぬるい体温は低く感じられて、余計に心配になった。

「保健室行く? 立てそう?」
「大丈夫です。……ここまで来ていただいて申し訳ありませんが、お昼は無理そうです」
「そっか……」

アサヒナくんの申し訳なさそうな声音に、心から落ち込む。
足元に置いたカバンを手繰り寄せて、今日話したかった一番の話題を口にした。

「俺、昨日料理したんだ」
「……え」
「すっごく難しくって、めちゃくちゃ失敗したんだけど、唯一成功したのあるから、アサヒナくんに食べてもらいたかったんだ」

母さんにハンバーグは止められたけど、その後母監修のもと作った卵焼きは、炒り卵へ生まれ変わった。
……うまく巻けなかったともいう。
けれども味は母監修ともあってしっかりしてるので、宣言通りアサヒナくんに食べてもらおうと思っていた。
しかし体調の悪い子に、無理して食べさせるワケにもいかない。
落ち込む俺をどう思ったのか、アサヒナくんは更に悪くなった顔色で、慌てたようにこちらを窺った。

「そのっ、……おうちでいただいても、いいでしょうか?」
「いいの!? 勿論!!」

申し訳なさそうなアサヒナくんへ、タッパーの入った包みを手渡す。
母さんに助言されて、保冷剤入れててよかった!
にこにこと「食べたら感想聞かせてね」と告げて、小さくまるっとした頭を撫でる。
アサヒナくんは驚いたように肩を跳ねさせて、染まった目元を俯けた。