俺のたまんなく可愛い後輩の朝日奈くんは、猫を描く

もうじき冬休みを迎える12月。
中々校内でアサヒナくんと会えない日々が続き、アサヒナくんのバイト中にコバタに行ったり、アサヒナくんの教室へも顔を出した。
バイト中のアサヒナくんは、ツンと澄ましていておしゃべりしてくれな……仕事中だからそうなんだけど。
それでも春風さんみたいに、もうちょっと気安く笑いかけてくれてもいいのにと思ってしまう。

アサヒナくんの教室では、声をかけた生徒が目測で30センチくらい飛び上がって、驚いた。
snsで流れてきた、背後にきゅうりを置かれて飛び上がるネコチャンみたいな反応だった。
おまけに、賑やかだった教室もシン、と水を打ったように静まり返ってしまって、流石に焦った。
静止画の世界に迷い込んだのかと、本気で慌てた。
アサヒナくんの予想した『巣箱をひっくり返したスナネズミ』のような反応ではなかったけれど、変に心臓がバクバクして動揺した。
たまたま芦川くんが俺に気づいてくれたから助かったけど、最初に声をかけた生徒はスマホのバイブのように震えてしまって、驚かせたことを申し訳なく思った。

アサヒナくんにこのことを伝えたら、ものすごく嫌そうな顔をされたのも、心が落ち込んだ。
次に会ったアサヒナくんは「ぼくがウェイ系の先輩にタカられてると噂になって、誤解を解くのが大変でした」と言っていて、俺ってそんなに怖く見える? と非常にショックを受けた。
確かにクラスの友人たちと遊ぶときは、バカ笑いして言葉遣いも適当だけど、アサヒナくんの前では俺なりに気をつけてるのに……

しゅん、とした俺に気づいたアサヒナくんは、おろおろと視線を彷徨わせ、キュッと唇を引き結んでこちらを見上げた。
「——先輩はとてもかっこよくて、迫力のある造形をしてるので、多分周りもびっくりしたんだと思います」
「俺ってかっこいい?」
「……っはい」
「ありがとう! うれしい!!」
ほっぺを染めた小柄を思いっきり抱きしめて、サラサラの髪に頬擦りする。
『佑月って顔はいいけど、中身ゆるキャラだよね』と可愛がられてきた俺にとって、可愛い後輩に『かっこいい』といってもらえたことは、非常に心躍る出来事だった。
先ほどまでの落ち込みなんて掻き消えるほどテンションが上がって、アサヒナくんをぎゅうぎゅうに抱き締めた。
そのとき微かに聞こえたアサヒナくんの呻き声は、「いつか刺されちゃえ」だったのだけど、なんで?????

そんなこんなで、土曜日である今日は、アサヒナくんと遊べる日だ!
約束した時間にコバタ前へ行くと、マフラーに埋もれた女の子が「わー! さむーい!!」と身を縮めながら飛び出してきた。

「春風さんじゃん!」
「あっ、ゆづき先輩! 朝日奈くん、もうちょっとしたら来ますよー!」
「ありがとー、今日もお疲れー!」

片手を振って話しかけると、パタパタと手を振り返した彼女が笑みを浮かべる。
コートのポケットをゴソゴソ漁った春風さんは、一台の自転車に鍵を差し込んだ。

「へへへ、表情筋ギシギシですよぉ。もうお腹ぺこぺこー! あたし帰りまぁす!」

そのまま「失礼しまぁす!」と自転車を漕ぎ、「ひゃぁぁっさぶいぃぃぃ!!」と叫びながら、彼女は去って行った。
春風さんが走り去った道路を見詰め、呆然と立ちすくむ。
——お腹ぺこぺこ?
一気に血の気を引かせた俺の背に、「うわっさむ」と耳に馴染んだ声が飛び込んできた。

「アサヒナくん! 俺の家来て!! 今すぐきて!!!!」
「え?」

きょとんとこちらを見上げるアサヒナくんの両肩を掴んで、自分のデリカシーのなさを、頭の中で総叩きした。
アサヒナくんは14時までのシフトに入っていて、春風さんがいったようにお昼ごはんを食べていない。
そして俺とアサヒナくんは、ほぼ毎週土曜日に遊んでいて、その間この小柄な少年はお茶しか飲んでいない。
——なんで! 気づかなかったんだ、俺!!
俺はお昼ごはんをしっかり食べてるけど、アサヒナくん食べてないじゃん! これまでアサヒナくんを見てて、彼がどれだけ食に興味を持っていないか気づいてたじゃん!! あと、アサヒナくんが遠慮深い子だとも知ってたじゃん!!
俺の方が年上なのに、なんにも気を利かせることができなくて、転がりたいほど恥ずかしくなってしまう。
羞恥にのたうつ俺を見上げるアサヒナくんは、困惑した顔で首を傾げた。

「なにか忘れものでもしましたか?」
「この世からアサヒナくんが1グラムずつ消失してる……」
「こわ……先輩、新しい宗教でも始めたんですか?」
「失礼な」

じとりと半眼にむくれる心地になって、アサヒナくんの腕を引く。
たたらを踏んだ少年は大人しく俺の隣を歩き、道なりに街路を進んだ。
俺にとっては慣れ親しんだ道でも、アサヒナくんはキョロキョロと辺りを見回している。
尋ねると、「知らない道は迷いやすいので、目印を探しているんです」と答えてくれた。
どうやらアサヒナくんは方向おんちらしい。絶対に帰りは送ろう!

「俺んちここ! 入って!」
「……お邪魔します」

雑談しながらたどり着いた我が家の玄関を開け、アサヒナくんへ呼びかける。
どことなくぎこちない表情で頭を下げたアサヒナくんは、静々と脱いだ靴を揃えた。
——なんてお行儀の良い子だ! 俺も脱ぎ捨てた靴を、慌てて揃えた。

「母さんただいまー。まだ肉じゃがあったよな?」
「あらシズ、遊びに行ったんじゃないの?」
「俺の部屋で遊ぶ。これ持ってっていい? あっ、この子アサヒナくん! 可愛いでしょ、俺の後輩!」
「あら、寒かったでしょう? シズ、あったかいお茶出してあげて!」
「あとで持ってくから、お湯沸かしててー」

キッチンに顔を出して、冷蔵庫の肉じゃがを電子レンジへ突っ込み、代わりにいくつかお菓子を引っ掴む。
心持ち緊張した顔で会釈するアサヒナくんの背を押して、階段を上った。

「ここ俺の部屋……待って! 一瞬だけ待って!!」

自分の部屋に可愛い後輩を招こうとして、俺の灰色の脳細胞が、今朝脱ぎ捨てた寝巻きがベッドに放置されたままであることを思い出した。
慌てて部屋へ飛び込んで、見られてはマズいものをクローゼットへ押し込み、指差し確認してから扉を開く。
ぽかん、と俺を見上げたアサヒナくんは、どこか上品に笑い出した。

「ふふっ、先輩、顔真っ赤ですよ」
「チラカッテマスガ」

指摘にますます顔が熱くなって、コートを脱ぎながらハッとする。
アサヒナくんが腕に抱えるコートを受け取りながら、彼の肩を掴んで、壁の方へ向けた。

「先輩?」
「ちょっとだけ向こう向いてて! 絶対っ、絶対に振り向かないでね!!」
「はあ……」

俺の指示通りこちらに背中を向けるアサヒナくんを確認し、先ほど様々なものを詰め込んだクローゼットへ向き直る。
意を決して取手を引くと、足元でばらら、と雪崩が起きた。
くしゃくしゃのスウェットとか、ちょっとお色気要素のあるマンガとか、週刊で発行される漫画雑誌の山だとか、片方だけの靴下とか!
あせあせとコートをハンガーへ吊って、あわあわと雪崩れたものを押し込む。
ようやくクローゼットを閉じると、アサヒナくんは肩を震わせて笑っていた。

「っあはは!」
「な、なんだよー! そんな笑わなくてもいいじゃん!」
「ご、ごめんなさいッ、……ふふっ」

落ち着いた印象の多いアサヒナくんが大笑いしている姿が珍しくて、とってもうれしいのに、そのきっかけが自分のダサい姿なのだから非常に恥ずかしい。
むくれながらアサヒナくんのほっぺをつつくと、目に涙を溜めた彼は、絶え絶えの息を紡いだ。

「帰りも、うしろ向きますね……!」
「今後は整理整頓を心がけます!!」

帰りの時間にも起こることが約束された確定イベントに、普段聞き流していた母の「あんたもっとちゃんと片付けなさい」との忠告がしみじみ刺さる。
アサヒナくんに見られても恥ずかしくない部屋を目指そう……! かっこいい先輩でいよう!!
頭の中で横断幕を掲げて、目標を立てた。



折りたたみテーブルに置いた、あったかいお茶と、肉じゃがとおにぎりと、積まれたスナック菓子の袋。
盛りだくさんの食料を前に、アサヒナくんは困惑の表情を浮かべていた。

「……あの、先輩?」
「肉じゃがおいしかったよ。食べて!」

気まずそうに視線を彷徨わせたアサヒナくんは、両手を合わせて小さく「いただきます」とつぶやいた。
恐る恐る肉じゃがを一口運ぶ。

「……やっぱり、人のつくったごはんって、おいしいですよね」

ぽつりと落とされた一言に、ピンとひらめく。
頬杖をついていた姿勢から身を乗り出して、アサヒナくんへ名案をぶつけた。

「じゃあさ、俺がごはん作ったら、食べてくれる!?」
「……先輩って料理できるんですか?」
「やったことない!」
「ええ……」

アサヒナくんは怪訝そうだが、俺はこの名案が最適解だと確信していて、自信に溢れていた。
誰かがいっていたが、人間の細胞は3ヶ月で総入れ替えするらしい。
つまり、俺の料理を3ヶ月間アサヒナくんへ食べさせることで、アサヒナくんは俺が作ったといっても過言ではなくなるということだ。
そうすれば、世界からアサヒナくんが1グラムずつ消えることもなくなるし、アサヒナくんと一緒にいられる時間も増える。いいこと尽くめだ!
しかし浮かれる俺とは正反対に、アサヒナくんは微妙そうな顔をしている。

「その……材料費や作業料をお渡ししないといけなくなるので」
「じゃあ、味見! 味見係やって! 俺、料理やったことない初心者だから!」
「ええ……」

ますます困惑の表情を浮かべたアサヒナくんは、しばし沈黙したあと、本当に僅かに頷いた。

「……先輩の無理のない範囲でしたら」
「やった! 俺がんばるね!」
「……ほどほどに」

それから肉じゃがを食べるアサヒナくんをにこにこ見守り、なにが食べたいか尋ね、食べ終わってからはゲームをやった。
アサヒナくんはゲームをしない子らしく、手渡したコントローラーを不思議そうに眺めていた。

「アサヒナくん、ホラー平気?」
「そこまで親しみがありません」
「ゾンビ倒すやつと、鬼ごっこするやつと、間違い探しだったら、どれがいい?」
「……間違い探しで」
「オッケー!」

ノートパソコンを起動して、モニタにゲームタイトルが表示される。
俺の横から画面を覗き込む仕草に、それでは見にくかろうと懸念が掠めた。即座に解決策がひらめく。

「アサヒナくん、ここ座って」
「え!? ちょっと……!!」

あぐらをかいた自分の膝の間に小柄を連れ込み、薄いお腹に腕を回す。
ギョッとしたように身を捩るアサヒナくんの肩に顎を置いて、ゲームを開始させた。

「これね、最初に表示されるのがデフォルトで、そこからランダムに物の場所とか変わるから、それを見つけてね」
「っこ、この状態でやるんですか!?」
「だって見えにくいじゃん。ほら、覚えて」
「さ、刺されろ!!」

髪から覗く耳の縁を真っ赤に染めたアサヒナくんが、上擦った声で物騒なことをいう。
くっつけた背中から伝わる心音は速くて、それがたまらなく可愛く思えた。

「覚えた? そろそろ異変が起こるからね」
「ばかっ、先輩のばかっ!」
「もしかして、めちゃくちゃホラー苦手?」
「ばか!!」

アサヒナくんが落ち着くまでしばらくの時間がかかったけど、案外この体勢はあったかくて丁度いい。
色づいた耳がチラチラ見えて、その度に口の中へ入れたいなーと、ぼんやり思った。
ハムスターの頬袋みたいに、大事なものを確保できるし、誰にも横取りされることがない、すごく安全な隠し場所だ。
アサヒナくんも、俺だけのになったらいいのに。
——あれ? 俺、もしかして変なこと考えてる?

「——先輩、右下の椅子、向きこっちでしたっけ? ……先輩?」
「あっ、……これな!」

画面を指さすアサヒナくんの声にハッとし、慌ててコントローラーを操作する。
ゲームに慣れてからのアサヒナくんは機敏に異変を指摘して、攻略が捗った。