俺のたまんなく可愛い後輩の朝日奈くんは、猫を描く

いつか俺がしたときと同じように、俺の肩にブランケットをかけたユウヒくんが、あたたかなマグカップを差し出してくれる。
エンジン音を立てるくつしたは、電源を入れたばかりのこたつの中へ吸い込まれていった。
受け取ったマグカップを両手で包めば、いかに自分の体が冷え込んでいたのかがわかる。
一口すすると、冬休み中に馴染んだお茶がしみた。

「今日はスマホを忘れてバイトへ出たので、……連絡気づかなくて、すみませんでした」

描きかけのスケッチの隣に放置されたスマホを確認し、ユウヒくんがつぶやく。
たったそれだけで、俺が悲観的な妄想に囚われていたことを証明し、安堵とともに羞恥も生んだ。

「俺も、急に来てごめん。……話がしたくて」
「どうぞ」

稼働し始めたこたつは、じわじわと凍えた足先をほぐしていく。
何度か唇を開閉させ、……結局頭を下げた。

「ごめん。ユウヒくんのこと傷つけた」
「先輩は、どちらでぼくの名前を?」
「ユウヒくんに教えてもらった。夕方に、高校まで案内したときに」
「……はい」
「ッ、本当にごめん、忘れて、……ごめんなさい」

膝の上に置いた手を、かたく握りしめる。爪が食い込む感触は痛いはずなのに、鈍く感じた。
ユウヒくんは小さく呼吸音を立てて、ことりとマグカップを置く。
僅かな衣擦れの音に、心臓がすくみ上がった。

「……もう、いいんですよ。先輩」
「よくない!」
「……ぼくの大事な思い出が、なかったことにされなかっただけで、十分なんです」

ユウヒくんの声音が穏やかなことに気づき、恐る恐る顔を上げる。
正面の彼は、声音同様やさしげで、どこか困ったような表情をしていた。

「思い出してくれて、ありがとうございます。佑月先輩」
「ッ、ごめん、……本当にごめん……ッ」
「先輩、情緒が複雑骨折してますよ。大丈夫ですか?」
「だいじょぶじゃない……」

はにかんだ笑顔でお礼をいわれて、こんなにもあたたかな人を突き飛ばした自分が最低に思えて、自分で自分を滅多打ちにしたくなる。
再びバカになった涙腺が活動を始めるものだから、こたつを抜けたユウヒくんは戸棚を開け、俺の隣で膝をついて、タオルを差し出した。
受け取ったそれはふかふかで、ユウヒくんのにおいがする。
タオルに顔を押しつけて、嗚咽が不規則な収縮をするたびに声がひっくり返って、それでも精一杯訴えた。
自分の最低さが許せない。
ユウヒくんの信頼を損ねた自分が憎い。
謝ることしかできない自分が恥ずかしい。
ユウヒくんは無理に許さなくていい。
……くぐもっている上に聞きづらいだろうに、俺の背中をさすって、ユウヒくんは静かに聞いてくれる。
一通り伝え切って、呼吸も落ち着いたところで、静かな声が「先輩」と呼んだ。

「まず、先輩は勘違いしています」
「勘違い……?」
「先輩に忘れられたことは確かにショックで、先輩への信頼を失いましたが、だからといって、ぼくは先輩になにかしてほしかったワケではありません」
「ッ!!!!」

本人の口から直接懸念事項を事実と認定されて、ねじ切れそうなほど心臓が痛くなる。
息を呑んだ俺に慌てたユウヒくんは、「ええと」と言葉を捻り出した。

「思い出してもらえたことは、本当にうれしかったんです。ですから『もういい』とお伝えしました。先輩はもう、これ以上ぼくについて思い悩まなくていいんですよ」
「よくない……大事な子を傷つけて、へらへらできない……」
「ぼくもくさくさして、先輩にひどいこといってますよ」

俺の肩にかかったブランケットをぺらりとめくったユウヒくんは、そのまますっぽりと一緒のブランケットに包まった。
突然密着した体温に、急激に心音がドラムロールのように忙しくなる。
ほんのりほっぺを染めたユウヒくんは、少し困った顔をしていた。

「先輩が忘れている間も、一緒にいることを選んだのは、ぼくです」
「イヤイヤ一緒にいたとか……?」
「急にこわがりさんになりましたね。ぼくが嫌いな人と、こうしていられる器用な人間に見えますか?」

体温を取り戻した俺の手に、一段低い温度の手のひらが重ねられる。
こちらを真っ直ぐ見詰める瞳も、ユウヒくんから触れられる経験も免疫がなくて、急激に耳まで熱くなった。
ぎこちなく首を横に振る。
ほんのり微笑んだユウヒくんは、体勢を戻した。——がっかりしてる自分がいる。

「あの日、親から連絡があったんです」
「え」
「それで、先輩の環境を見たら、とても虚しくなったんです」

ユウヒくんの家庭事情は複雑だ。
こうして家にユウヒくんとくつしたしかいないことが、その事実を物語っている。
ユウヒくんは苦笑いを浮かべていた。

「努力は評価対象にないのに、『こんなにがんばったのに』と喚いていて。母のしあわせに、ぼくはいらないんだって思ったら、自分が惨めで。感情は燃料で」

ぽつぽつとした声は、どこか疲れた色をしている。

「マッチ売りの少女みたいに、あたたかな家庭を垣間見てしまって。でも、ぼくにはマッチもなくて」
「……うん」
「勝手に傷ついて、そんな自分が面倒で。先輩に八つ当たりしそうだったので、距離を置こうとしました」
「今生の別れだったじゃん、あれ……」
「ぼくの問題が解決しない限り、簡単に同様の状況に追い込まれます。なので過言ではなかったかと」
「過言だよ……」

思い返しただけでも胃の底が凍るような言葉に、顔をしかめる。
ユウヒくんは淡々としていて、それも面白くなかった。

「先輩を傷つけたくなくてああいったのに、結果的に先輩にひどいことをいいました。……ごめんなさい」
「ユウヒくん、もっと思ってること口に出して。びっくりするから」
「……気をつけます」

突然の極論に、こうして心身ともに参ってしまった俺を見て、思うところがあったのか、おとなしく頷いている。
ユウヒくんは俺にもたれて、ふんわりといたずらっ子のような笑みを浮かべた。

「先輩、これでどっちもどっち。痛み分けにしませんか?」
「本当に? ユウヒくんはこれからも俺と一緒にいてくれるの? 俺、ユウヒくんが他の誰かとつきあったら、全国報道されるようなこと仕出かすよ」
「先輩、脅迫って言葉をご存知ですか?」

呆れたように振り返ったユウヒくんは、僅かに目線を彷徨わせたあと、内緒話をするように俺の耳に手をそえた。
吐息と潜めた小声がくすぐったい。心臓が破裂しそうなくらい脈打つ。

「佑月先輩は知らないかもしれませんが」
「う、うん」
「実はぼく、先輩のことが、だいすきなんです」
「え」

パッと離れたユウヒくんは真っ赤な顔を俯けていて、その顔を見てしまえば、言葉の意味も読み解けるもので。
けれども勘違いでいたくないから、薄い両肩を掴んで顔を覗き込む。

「すきって、本当!? いつから!?」
「いっておきますけど、片思い歴はぼくの方が長いですからね」
「じゃあなんで断ったの!?」
「だって先輩、11月に認知してから怒涛のように来たじゃないですか。感情は燃料なので、飽きたら捨てられると思って」
「原罪!! 過去の俺がほんとに憎い!!」

きっとタイムマシンがあれば、間違いなく俺は過去へ戻って、過去の俺自身の頬を張り飛ばしていただろう。
そして胸ぐらを掴んで、未来からの忠告をしたはずだ。
現実ではそんなことできないので、これからユウヒくんの信頼を回復できるように、誰よりも大切にすると心に決める。
ユウヒくんは、困ったように眉尻を下げた。

「まさか先輩が、こんなにも落ち込むなんて思いませんでした。……ぼくのこと、いっぱい考えてくれて、ありがとうございます」
「待って泣きそう……泣いちゃう……」
「ええ!? 涙腺刺激してしまいましたか!? えっと、じゃあ」

滲んだ視界を慌てて拭う俺のふとももに手をつき、ユウヒくんが距離を詰める。
長いまつ毛が伏せられた先は、ピントがボケて見えなかったけれど、ちょんと唇にぬくもりが触れた。
柔らかな感触に一拍心音が弾み、瞬きのうちに離れていく。
首まで真っ赤になったユウヒくんの姿を目にしたときには、小柄を抱き込んでいた。

「わっ、先輩!?」
「俺がユウヒくんをしあわせにする! 誰にもあげない! ずっと大事にする!!」
「先輩ってば、もう、泣かないでくださいよ」
「泣いてないッ」
「あはは!」

ぎゅうぎゅうに抱きしめたユウヒくんは、どこか上品にころころ笑って、俺の背をやさしく撫でた。
そして小さな頭が胸に擦り寄って、ほんの微かな声で「あったかい」とつぶやくものだから、余計に情緒がぐちゃぐちゃになる。
多分この数日間で、俺は一生分泣いただろう。
起きたら朝で、びっくりした。
慌ててユウヒくんに謝ったし、大慌てで家にも連絡を入れた。友人たちにもチャットで謝罪した。
きっと安心したのと、泣き疲れたのが重なったのだろうけど、それってまさに赤ちゃんの行動で、心から恥ずかしい。
悶える俺へ、ユウヒくんは昨日の晩ごはんのシャケのホイル焼きと、お味噌汁とごはんを出してくれた。
あんまりにも胸がきゅうきゅうして、反射的に「結婚して」と告げると、「同性婚が制定されてからですね」と微笑まれる。
これまで逸らされていた返事が明確に返ってきて、じんわりと胸があたたかくなった。