幻術師の泡沫花嫁

 窓の外に、ひらひらと桜の花びらが舞っている。澄み渡る青空を背景に揺れる桜の木は、いつまでも眺めていられそうだ。こんな日に外でお昼寝でもしたらさぞ心地がよいだろう。

 のどかな気持ちで窓の外を眺めていると、仕事が一段落したらしいすずさんとりんさんがそばに寄ってきた。

「よく晴れてよかったですね!」

「桜も満開で、本当に麗しい春の日です」

 朝から慌ただしく準備をしてくれていたふたりは、初めて今日の空の美しさに気がついたようだった。このところ自分のことのように張り切ってくれたふたりには、感謝をしてもしきれないくらいだ。

 そう、今日は待ちに待った朔との祝言の日なのだ。

 祝言とは言っても、すでに手続き上わたしと朔は夫婦であるため、あまり格式ばらないかたちで行うことにしていた。兄さまはもちろんのこと、桜木さんやすずさんたちにも参加してもらい、みんなで宴を楽しむささやかな催しだ。

 けれど衣装だけは朔と兄さまの計らいにより、素晴らしい白無垢を準備してもらっていた。これだけでなく、朔は洋装の花嫁衣装も準備してくれたため、先日その衣装を纏って朔と兄さまと写真を撮ったところだった。

 幻術で色付けされた写真は、まるで目の前の光景をそのまま切り取ったかのように生き生きとしていて、兄さまは早速それを浅海邸のご自分のお部屋に飾り付けたらしい。色々な構図で撮った写真をすべて現像してもらったようだから、いまごろ兄さまの部屋はわたしの写真であふれていることだろう。

「皆さま、もうお庭で準備ができているようです。そろそろ参りましょう、千花さま」

「ええ」

 りんさんの案内にこくりと頷き、ふたりの手を借りて立ち上がる。白無垢の重さが、この夢のような日を現実だと知らしめてくれるようで嬉しかった。

 ふたりの手を借りながら、ゆっくりと廊下を歩き、階段を降りる。朧さんとの戦闘で傷ついた壁や床は、冬の前にはすっかり修繕が終わっていた。このあいだ、温室も建て直され、屋敷はすっかり元通りになったと言ってもいい。

 階段を降りたところで、ふと、いつか朔が倒れ込んでいた床を見つめる。あのときは生きた心地がしなかった。今では血の染みひとつ残っていないが、あの悲しい一連の事件をわたしはきっと生涯忘れないだろう。

 朔と打ち解けてからは、悪い夢を見ることはほとんどなくなった。たまに見ることがあっても、もう、現実の朔と混同して彼に怯えることはない。

 すずさんとりんさんに導かれ、ついに庭へ出る。暖かい春の日差しに包まれ、一瞬だけ目を眇めた。こんなに晴れてくれるなんて、わたしも朔も運がいい。

「わああ、千花ちゃん最高にかわいいなあ!! 早く早くこっちに!」

 はしゃいだような桜木さんの声がさっそく聞こえてくる。庭の一際大きな桜の木の下には、赤い布が貼られた簡易的な床が三つ設置され、左端に桜木さんと兄さまの姿があった。右端には、水野さんと瀬戸さんの姿もある。こういう場には慣れていないようで、いつもより肩を縮めていたが、珍しく笑っていた。わたしと朔を祝福してくれているのだ。

 そして真ん中には、朔の姿があった。先日洋装で写真を撮ったときには幻術師の外套姿だったけれど、今日は黒の紋付羽織袴姿だ。

 桜の花びらが舞い散る中でわたしを待つ彼のもとへ、ゆっくりと歩み寄る。彼は、とろけるような甘い笑みを浮かべてわたしの姿をまじまじと見つめていた。

「お嬢さま……まるで天女のようなお美しさです。とてもこの世のものとは思えません……」

 そう言って、彼は悩ましげなため息をついた。まるで本当に神仏でも目の前にしたかのような畏怖すら感じるまなざしで見つめられ、とてもじゃないがこれから花嫁を迎えようとしている新郎には見えない。

「嬉しいけれど、大袈裟だわ……」

 なんだか気恥ずかしくてまともに彼の顔を見られない。ふたりでわずかな距離を空けたまま立ちすくんでいると、朔の隣に兄さまが歩み寄ってきた。

「いつまで見惚れているんだ。早く千花の手を引け。うだうだしていたらぼくが連れ去るぞ」

「冗談じゃない。あなたにも誰にも差し上げませんよ。お嬢さまの隣は、もうぼくだけのものなのですから」

 わたしへの態度とは打って変わって、冷ややかなまなざしで朔は兄さまを見上げた。兄さまの治療を通じて会話をする時間はかなりあったと思うのだが、このふたりは相変わらずだ。おそらく、これが彼らにとって心地よい距離なのだろう。

「お嬢さま、申し訳ございません。さあ、こちらへ」

 朔に差し出された手に、自らの手を重ねる。大切にきゅ、と握り込まれた指先がくすぐったかった。

 そのまま席の真ん中の床の前で、朔と向かいあうように立ち並ぶ。席についていた桜木さんや水野さんたちも立ち上がり、すずさんたちも、水野さんたちと同じ席の前に移動してわたしたちを見守ってくれた。輪になったみんなに囲まれるような構図だ。

 ……きれい。

 春のやわらかな日差しの中に、ひらひらと桜の花びらが時々舞い落ちてくる。思わずほう、と溜息がでるほど、美しい風景だった。

 ……わたしが、こんなすばらしい光景を見ることができるなんて。

 父に殴られ、擦り切れた着物で雪の中に放置されていた幼い日のわたしからは、とても想像できない景色だった。一生人魚の涙を生み出すだけの人形として生きていくのだと覚悟していたのに、こんな幸せをもらえるなんて。

 朔も似たようなことを考えていたのか、どこか遠くを見るような目で彼も微笑んでいた。どちらからともなく、視線が絡んで、笑みが深まる。繋いだままの指先が温かい。

「では、祝言を始めよう。千花、朔、指輪の交換を」

 兄さまの言葉を機に、お互い懐から指輪を取り出す。これも異国の風習らしいが、簡易的な儀式にはちょうどいいと思い取り入れてみることにしたのだ。

 あのあと、朔がわたしに送ってくれた指輪と対になるようにして、朔の指輪も用意した。お揃いの装飾品を身につけるなんて、なんだかどきどきしてしまう。

 恐る恐る、朔の左手の薬指に指輪をつける。朔は、満ち足りたような表情で微笑んで、そのままわたしの薬指にも指輪をつけてくれた。

 物理的に、わたしと朔を繋ぐ証があることが嬉しくてたまらなかった。思わず、朔に寄りかかるようにぎゅう、と抱きしめる

「これで、ずっと一緒よ、朔」

「はい、頼まれても離れません。お嬢さま」

 朔もそっとわたしを抱きしめ返してくれた。主にすずさんと桜木さんが自分のことのようにはしゃいで感情を上げ、それをそれぞれりんさんと兄さまにたしなめられている声が聞こえてきた。

 わたしを取り巻く人々は、こんなにも賑やかだ。朔とふたりで、浅海邸の離れで凍えていたころとはまるで違う。わたしたちはお互いを得ただけでなく、大切な友人たちまでもを手にいれることができたのだ。

 祝福するように桜の花びらがちらちらと舞い降りてくる。緩やかな風に乗って舞うその姿はなんとも優美だった。

「おめでとう! 月雲! 千花ちゃん!!」

「おめでとうございます!」

 桜木さんとすずさんには、嗜められてもなお声を上げ続けていた。なんだか照れてしまうが、朔と寄り添って友人たちの顔を眺めた。

「ありがとうございます、桜木さま、すずさん」

 りんさんと兄さまもわたしたちのそばに歩み寄ってくる。

「どうかお幸せに、千花さま」

「すこしでもこいつが嫌になったらすぐに帰ってきなさい。浅海家はいつでも千花を受け入れるから」

 素直に祝福の言葉を述べないのはなんとも兄さまらしい。思わずくすくすと笑っていると、りんさんが横からどこか意味ありげに微笑んでわたしを見つめてきた。

「ところで千花さま。わたしどもはいつまで千花さまを千花さまとお呼びすればいいのでしょう? 祝言も挙げたことですし、そろそろ奥さまと呼ばせていただきたいのですが……」

 たしかに、初めのころに名前で呼んでほしいと頼んでから、それを修正する機会がなかった。これを機に変えてもらったほうがいいのかもしれない。

「そもそも、なぜ名前で呼ばせていたのですか? 手続き上は一年前にあなたはぼくの妻になっていたというのに」

 朔がどことなく面白くなさそうに告げる。そういえばその事情を朔に伝えたことはなかった。

「あなたはわたしを復讐のために買ったのだろうから……わたしがみんなから『奥さま』と呼ばれて丁重に扱われているのを見るのは嫌かと思ったのよ」

 正直に事情を説明してから、失敗したと思った。背後から苛立ちを含んだ空気を感じ、たちまち長い腕に引き寄せられてしまう。兄さまだ。

「お前……千花がそう思ってしまうような態度をとっていたのか……? お前如きが、千花を妻に迎えておいて……?」

「こればかりは弁明のしようもありません……」

 珍しく朔があっさりと白旗を挙げた。確かに今と比べるとわかりづらかったが、あのころも朔は優しかったと思うのに。

「そんな奴にやはり千花はやれない。連れて帰る」

 わたしを引き寄せる力をいっそう強めた兄さまに、慌てて抗議する。

「兄さま、でも結局わたしの勘違いだったのですから、朔のそばにいさせてください。りんさん、今日からはぜひ『奥さま』と呼んでほしいわ」

 兄さまの腕から逃れ、なんとか息を吐く。兄さまは不満を隠さずに朔を睨みつけていたが、場の空気をとりなすようにそこに桜木さんが割り入ってくる。

「まあまあ、お祝いの席なんだし、言い争いはその辺にしてそろそろおいしいもの食べようよ。今日のためにいいお酒用意してきたんだよ! 早く飲みたい! ほらほら、お兄さんも!」

 はしゃぐ桜木さんは兄さまの腕を掴んで、そのまま料理が並べられた机のほうへ兄さまを引っ張っていった。

「あなたの兄上は相変わらず油断も隙もないですね。ちょっと目を離したらお嬢さまを攫われてしまいそうだ」

 朔はため息混じりに兄さまの後ろ姿を睨みつけていた。こんなやりとりばかりしているふたりだが、浅海邸にいたときのあの殺伐とした空気と比べればずいぶん親しくなったと言えるのかもしれない。

「ふふ、攫われないように朔が見張っていてね」

「もちろんです。大事にしまい込んでおきますよ」

 指先を絡めるように、手を握られる。こんなちょっとしたふれあいにもわたしはいまだに戸惑ってしまう。余裕そうな彼が恨めしいくらいだ。

「そうだ。食事の前に、お嬢さまにお見せしたいものがあったのです」

「見せたいもの? 何かしら」

 朔はどこかいたずらっぽく微笑むと、わたしの手を引いて桜の木のほうへ向かった。料理が並ぶ机とは反対方向だ。

「こちらです」

 朔は、木々の合間にちょこんと植えられた小さな苗木の前にしゃがみ込んだ。わたしも彼にあわせてそっと身を屈める。

「これは……? 小さくてかわいいわ」

 まだ柔らかな新芽をそっと撫でると、朔は頬を緩めて告げた。

「浅海邸の離れにあった、あの桜の木の挿し木です。……ぼくの先輩を悼むための木なら、この家にもあったほうがいいかと思いまして」

「っ……」

 冷たい冬の日に、素手で土を掘って事切れたたまを埋めた日が脳裏に蘇る。たまがいなくなって、朔がいなくなって、ひとりぼっちだったわたしを支えてくれたのは墓標がわりのあの桜の木だった。

「たま……よかったわね、こんな日当たりのいいところにお引越しできて。これなら毎日会いに来られるわね」

 浅海家に立ち寄るときにしか手を合わせられないと思っていたから、朔のこの計らいは嬉しくてたまらなかった。このひとは、どこまで私の心を救えば気が済むのだろう。

「ありがとう、朔。わたし、毎日ここにくるわ」

「あんまり一代目にばかり庇って、ぼくの扱いを疎かにしたら嫌ですよ」

 真剣に拗ねている彼を見ると、思わずくすくすと笑えてしまった。

「朔ったら、まだわたしの猫のつもりでいるの?」

 ついさっき、わたしと指輪を交換したばかりだというのに。

「お嬢さまにとって大切なものの立場はぜんぶ欲しいです。ぼくはお嬢さまの黒猫で、従者で、幼馴染で、恋人で、夫でありたい。……兄の立場だけは、どうしても手に入れられそうにありませんが」

 知らなかった。彼がそんなことを考えていたなんて。間接的にわたしの全部が欲しいと言われているような気になって、なんだか落ち着かない。

「だ、だからあなたは、いまだにわたしをお嬢さまと呼ぶのね。……でも、夫になったのだからわたしのことは呼び捨てにしてもいいと思うわ」

 先ほどりんさんたちからの呼び方を「奥さま」に変更したように、朔にも是非この機会にわたしの呼び方を改めて欲しかった。これは、朔と打ち解けてからずっと考えていたことだ。

「お嬢さまを、呼び捨てにですか……? そんな恐れ多いことはできませんよ」

 あり得ないと言わんばかりに首を横に振る彼に、ずい、と顔を近づける。

「でも、海辺では呼んでくれたわ」

 兄さまを心中を図ろうとしたあのとき、確かに彼はわたしを呼び捨てで呼んで引き留めようとしていたはずだ。しっかりと覚えている。

「あれは……緊急事態ですから」

「そのあと、海辺の別邸で千花さまとも呼んでくれたわ」

 彼と想いが通じあっていることを知ったあの夜のことは忘れない。あの夜わたしは生まれて初めて、喜びで涙を流したのだ。

「お許しください……その、お嬢さまと気持ちが通じあっていることを知って、浮かれていたのです」

 わたしの指摘から逃れるように、彼は視線を逸らし続けていた。負けじと、彼を至近距離で見つめ続ける。

「わたしは嬉しかったのだけれど、呼んでくれないの?」

 こんな言い方はずるいが、朔には有効だとわかっていた。

 案の定、朔はぐ、と葛藤するように息をのんで、絞り出すような声を出す。

「千、花……」

「ええ!」

「……お嬢さま」

「それじゃ変わらないじゃない」

 むう、と思わず唇を尖らせると、朔は慌てたようにわたしをなだめ始めた。

「ぼくの中でお嬢さまは、呼び捨てにしていい方ではないんですよ。努力は、しますが……」

「いいわ。そのうちわたしたちに娘ができたら、紛らわしくなって困っちゃうんだから。『わたしがお嬢さまなのに、どうしてお父さまはお母さまをお嬢さまって呼ぶの?』って聞かれちゃうんだから」

「む、すめ……?」

 朔は、顔をわずかに赤く染めて固まってしまった。はじめてのくちづけ以降も、散々わたしに際どい触れ方をしてきているくせに、今更何を照れているのだろう。
「ぼくと……お嬢さまの……?」

「そうよ……他に誰がいるの」

 改めて口にすると、なんだかこちらまで恥ずかしくなってくる。

 ……わたしが、大胆すぎたかしら。はしたないって思われた?

 思わず顔を熱くして俯いていると、不意に彼に両肩を掴まれた。

「……お嬢さまの出産の際には、三人の幻術師をつけます」

「どうしたの、急に。……お姫さまの出産のときだって、そんなに厳重な体制はとらないと思うわ」

「いいえ、これは最低限の条件です。お嬢さまの身を危険には晒せない」

 有無を言わせぬ圧を感じ、おずおずと頷く。彼は満足げに微笑むと、畳みかけるように続けた。

「それからもし娘が生まれて、その子がお嬢さまと同じように人魚の涙を流す力を持っていた場合は、何に代えても力を秘匿してみせます。そして絶対に泣かせません」

 彼にとっては、当たり前の宣言だったのかもしれない。だがその言葉は、心の奥まで響き渡って、寒空の下で泣いている幼い日のわたしにまで届くような気がした。

 夢の中で描く優しいお父さまは、いま朔が宣言した通りのひとだった。絶対にわたしを守って、力を秘密にして、お金儲けのために涙を搾取しようとしない、そんなお父さまが欲しかった。

 ……よかった。わたしの子は、幸せになれる。

 幼い日のわたしごと掬い上げるような彼の言葉に、自然と涙が滲んでいた。はっとしたように目を見開く朔に、そのままちゅ、とくちづける。

「ありがとう。あなたはいいお父さまになるわね」

 頬を緩めて、間近で彼を見つめる。滲んだ視界に映る彼は、何かを求めるようにじっとわたしを見ていた。

 そのまま彼に引き寄せられたかと思うと、ちゅ、と音を立てて目尻にくちづけられた。人魚の涙を失ってからというもの、わたしが泣いたときにはこうして目もとにくちづけるのが彼のお気に入りのようなのだ。

 そのまま唇が頬に、首筋に移動していく。甘やかな感触に思わず吐息を漏らすと、その息遣いを奪うように唇にくちづけられた。

 散々教え込まれたので、今では呼吸の仕方もわかっている。でも、顔が真っ赤になるほど熱くなるからか、いつでも先にわたしの息が上がってしまうのだ。

「っ……」

 舌先を絡めあうような深いくちづけに、くらくらとめまいがした。吐息が溶けあうようなくちづけは、どこまでも甘い。

 わずかに唇が離れた拍子に、愉悦を帯びたような彼の薄水色の瞳と目があう。ともすれば嗜虐性すらのぞかせるそのまなざしは、頑なにわたしをお嬢さま扱いしている彼と同じひととは思えない。

「千花」

 熱を帯びた微笑みのまま、囁くように名前を呼ばれ、わたしはもう限界だった。頭の中がぐつぐつと沸騰しているかのようだ。

 構わず再びくちづけてこようとする彼の口もとに、慌てて手のひらを当てた。これ以上は、本当に立っていられなくなってしまう。

「もうだめ……みんなも、いるもの」

 頬に帯びた熱のせいで、再び涙がにじむ。どこか不満げな薄水色の瞳が、じっとわたしを見上げていた。

 そのまま手のひらの上を彼の唇が移動したかと思うと、軽く小指を噛まれてしまった。歯の当たる硬い感触に、余計にめまいがしてしまう。

「朔! もう……」

 真っ赤になりながら抗議の声を上げても、まったく様になっていないだろう。その証拠に彼はくすくすと笑いながら、抱き寄せるようにしてわたしを立ち上がらせた。

「わかりました。……では続きはみなさんが帰ったあとにいたしましょう」

「っ……」

 意味ありげな笑みとともに耳打ちされ、ますます顔が熱くなってしまう。これから宴だというのにこんなことを言って、朔はわたしをどうしてしまうつもりなのだろう。

 抗議するように見上げれば、彼は楽しそうに微笑みながらわたしの頬を指先で撫でた。彼には、一生敵う気がしない。

「おおい、月雲! 主役ふたりも早く来いよ!」

 早速料理に手をつけているらしい桜木さんが、わたしたちを呼ぶ。朔はわたしの手を引くと、ひらひらと舞い散る桜の花びらの下に足を踏み出した。

「ではそろそろ参りましょうか、お嬢さま」

「ええ」

 朔とともに、日の光の中に躍り出る。料理が並ぶ机の周りで、わたしの大切なひとたちが笑いあっていた。

 わたしはいま、こんなにも幸せだ。幼い日からは、とても思い描けなかったほどに。

 泡になるはずだった人魚姫は、もういない。

 わたしは今日、最愛のひとの幸せな花嫁になったのだ。

                                     
【終】