「……い、おーい、小鳩真尋」
遠くで聞こえていた声とともに、ぐわっと目の前に現れたのは白井だった。
「えっ!?」
「なにボーっとしてんだよ」
白井は、俺が見ていた場所へ視線を移そうとしていた。それをすかさず引き留める。
「い、いや、なんでも?」
あぶねー、大神を見てたってバレる。
――あの日。
バス停で過ごした俺らは、バスが来ると壁ドンならぬフェンスドンを呆気なく終わらせ、何事もなかったかのようにバスへ乗り込んだ。
いつも通り大神の後ろに座って、あれは一体なんだったのだろうかと考えたけど、答えなんて出るはずもなかった。
あれから一週間。大神からなにか言われることもなければ、俺から聞くこともできずに、答えが見つからないまま高校生活を続けている。
振り出しに戻ったように、また接点が薄れてしまった。
「なんだよ、どうせ女子を見てたんだろ」
「女子いないだろ、ここに」
「あ、そっか」
男子校には男ばかりだ。定期的に「来年からは共学になるらしい」という噂が流れ始めては一喜一憂している。
「まあ女子がいても俺は姫一筋」
「そう言われてもべつにうれしくもなんともないけど」
「なんだよ、喜べや」
白井から向けられる好意は、あくまで友達としての好意だと分かる。
『姫は可愛いと思うけど、恋愛対象はあくまで女だから』と以前、なにかのときに言っていた。
けれど、大神の場合はどうだったんだろうか。
俺だから山田とキスさせなかった。
聞き間違いでなければ、そんなことを言っていたような気もする。
でも俺は男だ。大神も男だ。つまり、お互い男同士ってことだ。
もしかして大神には俺が女の子みたいに見えているってことか。
そうだとしたら、それは不本意ではあるものの納得できる。
山田たちとはキスができないってことだったのかも。
……うん、どう考えてもそうだろ。
「なんかひとりで頷いてるけど、どうした」
「ちょっと腑に落ちさせてたとこ」
「それ、使い方間違ってね?」
「べつに? つか、なんか用あったんじゃん?」
「ああ、忘れてたわ」
白井が廊下を見た。
「呼び出しくらってたぞ」
「……え?」
放課後。俺は誰もいない廊下に残っていた。
「あのじいさん……人をコキ使いすぎだろ」
白井が言っていた呼び出しとは、「文化祭のチラシを校内の掲示板に貼っておいてほしい」というものだった。
地理教科のじいさんは、噂だと七十とか八十とか。正確な年齢は本人でさえ覚えていないらしく、齢を数えるのはもうやめたと口ぐせのように言っている。
「これ終わったらすぐ帰ってやる」
「なにしてんの」
耳元で囁かれたその声に、うひゃいと奇声とともに顔を上げた。
「お、大神!? なんでここに」
「委員会あったから」
「それはご苦労様でした」
クラスの委員長だもんな。
……というか、俺たちの会話、あのバス停以来初なんだけど。
なんかもっときっかけがあるんだと思っていたのに、大神からあっさりと声をかけられたものだから拍子抜けしてしまう。
「で、また雑用頼まれてんの?」
大神が、俺の手元にあるチラシを見て苦笑する。
「あのじいさん、小鳩のことお気に入りだもんな」
俺が孫に見えると言ったあのじいさんには、実際、三歳になる孫がいるらしい。つまり俺は三歳児に見えているというわけだ。
「お気に入りという名目で仕事を押し付けられてるだけ」
「でも小鳩は引き受けるじゃん」
「そうなんだよ、じいさん腰とか膝が痛いって、会うたびに腰とか膝が痛いって言ってるから」
そんなことを聞いたら、放っておけなくてつい引き受けてしまう。
俺が引き受けると分かっているから、呼び出してくるんだよな。
だからって頼まれたら断れない。痛いのは可哀想だ。
「ん」
大神が、なぜか手を出してくる。
「手伝うよ、それ」
「え、いやいや、大丈夫だよ。俺が引き受けたんだから」
「俺、結構役に立てると思うけど」
「大神を役立てるなんて滅相もない……!」
そんなことしたら、バチが当たるような気がする。
「俺のことは気にしなくていいからさ」
「うーん、断られる選択肢は最初からないんだけどなあ」
なんだその男前の回答は。俺からは人生で一度だって口にできないような答え方だ。
性格がいいとは知っていたけど、困っているクラスメイトを助けようとしてくれるなんて、とんでもなくいい奴だ。感謝しか生まれない。
「ほら、さっさと終わらせようぜ」
ほんの少しだけ大神が強引にチラシを奪っていく。有無を言わさないスピード感で、結局俺の雑用に巻き込む形になってしまった。
「この辺?」
大神が肩越しに振り返りながら、チラシを掲示板に貼る。
「あー……もうちょっと左かな」
「ここ?」
「あ、まちがえた。右だった」
「俺も左右間違える」
イケメン様が笑っている。いいな、大神は男らしくて。
「右ってことはこっちだよな」
大神が話すたびに、形のいい唇に目がいった。
「小鳩」
「えっ」
「ここでいい?」
なんの話をしていたんだっけ。急いで考えていると、大神がふっと笑った。
「意識しすぎじゃない?」
「い、意識って……」
「あれから、俺のことよく見てるよね」
大神はチラシを一旦下げる。
あれからが、一体いつからのことなのか。
遠くで聞こえていた声とともに、ぐわっと目の前に現れたのは白井だった。
「えっ!?」
「なにボーっとしてんだよ」
白井は、俺が見ていた場所へ視線を移そうとしていた。それをすかさず引き留める。
「い、いや、なんでも?」
あぶねー、大神を見てたってバレる。
――あの日。
バス停で過ごした俺らは、バスが来ると壁ドンならぬフェンスドンを呆気なく終わらせ、何事もなかったかのようにバスへ乗り込んだ。
いつも通り大神の後ろに座って、あれは一体なんだったのだろうかと考えたけど、答えなんて出るはずもなかった。
あれから一週間。大神からなにか言われることもなければ、俺から聞くこともできずに、答えが見つからないまま高校生活を続けている。
振り出しに戻ったように、また接点が薄れてしまった。
「なんだよ、どうせ女子を見てたんだろ」
「女子いないだろ、ここに」
「あ、そっか」
男子校には男ばかりだ。定期的に「来年からは共学になるらしい」という噂が流れ始めては一喜一憂している。
「まあ女子がいても俺は姫一筋」
「そう言われてもべつにうれしくもなんともないけど」
「なんだよ、喜べや」
白井から向けられる好意は、あくまで友達としての好意だと分かる。
『姫は可愛いと思うけど、恋愛対象はあくまで女だから』と以前、なにかのときに言っていた。
けれど、大神の場合はどうだったんだろうか。
俺だから山田とキスさせなかった。
聞き間違いでなければ、そんなことを言っていたような気もする。
でも俺は男だ。大神も男だ。つまり、お互い男同士ってことだ。
もしかして大神には俺が女の子みたいに見えているってことか。
そうだとしたら、それは不本意ではあるものの納得できる。
山田たちとはキスができないってことだったのかも。
……うん、どう考えてもそうだろ。
「なんかひとりで頷いてるけど、どうした」
「ちょっと腑に落ちさせてたとこ」
「それ、使い方間違ってね?」
「べつに? つか、なんか用あったんじゃん?」
「ああ、忘れてたわ」
白井が廊下を見た。
「呼び出しくらってたぞ」
「……え?」
放課後。俺は誰もいない廊下に残っていた。
「あのじいさん……人をコキ使いすぎだろ」
白井が言っていた呼び出しとは、「文化祭のチラシを校内の掲示板に貼っておいてほしい」というものだった。
地理教科のじいさんは、噂だと七十とか八十とか。正確な年齢は本人でさえ覚えていないらしく、齢を数えるのはもうやめたと口ぐせのように言っている。
「これ終わったらすぐ帰ってやる」
「なにしてんの」
耳元で囁かれたその声に、うひゃいと奇声とともに顔を上げた。
「お、大神!? なんでここに」
「委員会あったから」
「それはご苦労様でした」
クラスの委員長だもんな。
……というか、俺たちの会話、あのバス停以来初なんだけど。
なんかもっときっかけがあるんだと思っていたのに、大神からあっさりと声をかけられたものだから拍子抜けしてしまう。
「で、また雑用頼まれてんの?」
大神が、俺の手元にあるチラシを見て苦笑する。
「あのじいさん、小鳩のことお気に入りだもんな」
俺が孫に見えると言ったあのじいさんには、実際、三歳になる孫がいるらしい。つまり俺は三歳児に見えているというわけだ。
「お気に入りという名目で仕事を押し付けられてるだけ」
「でも小鳩は引き受けるじゃん」
「そうなんだよ、じいさん腰とか膝が痛いって、会うたびに腰とか膝が痛いって言ってるから」
そんなことを聞いたら、放っておけなくてつい引き受けてしまう。
俺が引き受けると分かっているから、呼び出してくるんだよな。
だからって頼まれたら断れない。痛いのは可哀想だ。
「ん」
大神が、なぜか手を出してくる。
「手伝うよ、それ」
「え、いやいや、大丈夫だよ。俺が引き受けたんだから」
「俺、結構役に立てると思うけど」
「大神を役立てるなんて滅相もない……!」
そんなことしたら、バチが当たるような気がする。
「俺のことは気にしなくていいからさ」
「うーん、断られる選択肢は最初からないんだけどなあ」
なんだその男前の回答は。俺からは人生で一度だって口にできないような答え方だ。
性格がいいとは知っていたけど、困っているクラスメイトを助けようとしてくれるなんて、とんでもなくいい奴だ。感謝しか生まれない。
「ほら、さっさと終わらせようぜ」
ほんの少しだけ大神が強引にチラシを奪っていく。有無を言わさないスピード感で、結局俺の雑用に巻き込む形になってしまった。
「この辺?」
大神が肩越しに振り返りながら、チラシを掲示板に貼る。
「あー……もうちょっと左かな」
「ここ?」
「あ、まちがえた。右だった」
「俺も左右間違える」
イケメン様が笑っている。いいな、大神は男らしくて。
「右ってことはこっちだよな」
大神が話すたびに、形のいい唇に目がいった。
「小鳩」
「えっ」
「ここでいい?」
なんの話をしていたんだっけ。急いで考えていると、大神がふっと笑った。
「意識しすぎじゃない?」
「い、意識って……」
「あれから、俺のことよく見てるよね」
大神はチラシを一旦下げる。
あれからが、一体いつからのことなのか。


