「…………ん、……ぁ」
微かなお香の匂い。そして、どこか懐かしい畳の匂い。
重い瞼をこじ開けると、そこは雨音の代わりに穏やかな陽光が差し込む、見知らぬ和室だった。
(……生きてる。私、生きてるよね……?)
恐る恐る自分の手を確認する。泥だらけだったはずの指先は綺麗に拭われ、体には清潔な布団が掛けられていた。
そして、視界の端。縁側に背を向け、静かに座っている男の姿があった。
逆光の中で、彼は一振りの刀を静かに、けれど丁寧に磨いていた。
「……目覚めたかい」
穏やかだが、どこか一線を画した響きのある声。
男がゆっくりと振り返る。そこにいたのは、生身の、そして息を呑むほどに端正な久我宗介だった。
あまりの至近距離に桜の心臓が爆発しそうになるが、彼の瞳に宿る静かな知性が、それを押し止めた。
「さて。……まずは、改めて礼を言わせてくれ。私の命を繋いでくれたのは、間違いなく君だ。ありがとう」
久我は刀を鞘に納めると、探るような、けれど決して乱暴ではない視線を桜に向けた。
「けれど……納得のいかないことばかりでね。あのような凄惨な戦場に、君のような女性が独りで……あのような奇妙な装束を纏って現れるというのは、どうにも道理に合わない。……話せる範囲で構わない。教えてくれるかな。君は一体、何者なんだ?」
「あ、あの、私は……その……怪しいものじゃ……」
「……怪しくない者は、あのような場に、護身の武器一つ持たずに紛れ込んだりはしないよ。……その死人のように青白く、柔な手もね。とても戦に巻き込まれた民のようには見えない」
久我は一歩、畳を踏みしめて近づくと、桜の目線に合わせて腰を落とした。その距離感に、桜は息を呑む。
「君が何を隠していようと、私は無理に暴こうとはしない。けれど……この村には小さな子供たちもいるんだ。素性のわからない者を、今のまま自由にさせてあげるわけにはいかない」
久我は困ったように眉を下げ、けれど譲れない一線を引くように告げた。
「……疑いが晴れるまで、しばらくの間、君の身を預からせてもらうよ。悪いけれど、この部屋で大人しくしていてくれるかな。何か必要なものがあれば、私に言ってくれればいいから」
「あ……はい……」
久我は一度だけ、彼女を安心させるように小さく頷くと、物音を立てずに部屋を去っていった。
スッ、と静かに閉められた襖。
助かったはずなのに、胸の奥には鉛を飲んだような重苦しさが広がっていた。
彼は優しい。けれど、その優しさは「守るべきもの」を持つ教育者の理性に基づいたものだ。
自分はその中には入っていない。
(……でも。先生が生きている。それだけで、今は十分……)
桜は再び布団に潜り込み、彼が去ったあとの静寂の中で、微かに残る墨の匂いを感じながら目を閉じた。
微かなお香の匂い。そして、どこか懐かしい畳の匂い。
重い瞼をこじ開けると、そこは雨音の代わりに穏やかな陽光が差し込む、見知らぬ和室だった。
(……生きてる。私、生きてるよね……?)
恐る恐る自分の手を確認する。泥だらけだったはずの指先は綺麗に拭われ、体には清潔な布団が掛けられていた。
そして、視界の端。縁側に背を向け、静かに座っている男の姿があった。
逆光の中で、彼は一振りの刀を静かに、けれど丁寧に磨いていた。
「……目覚めたかい」
穏やかだが、どこか一線を画した響きのある声。
男がゆっくりと振り返る。そこにいたのは、生身の、そして息を呑むほどに端正な久我宗介だった。
あまりの至近距離に桜の心臓が爆発しそうになるが、彼の瞳に宿る静かな知性が、それを押し止めた。
「さて。……まずは、改めて礼を言わせてくれ。私の命を繋いでくれたのは、間違いなく君だ。ありがとう」
久我は刀を鞘に納めると、探るような、けれど決して乱暴ではない視線を桜に向けた。
「けれど……納得のいかないことばかりでね。あのような凄惨な戦場に、君のような女性が独りで……あのような奇妙な装束を纏って現れるというのは、どうにも道理に合わない。……話せる範囲で構わない。教えてくれるかな。君は一体、何者なんだ?」
「あ、あの、私は……その……怪しいものじゃ……」
「……怪しくない者は、あのような場に、護身の武器一つ持たずに紛れ込んだりはしないよ。……その死人のように青白く、柔な手もね。とても戦に巻き込まれた民のようには見えない」
久我は一歩、畳を踏みしめて近づくと、桜の目線に合わせて腰を落とした。その距離感に、桜は息を呑む。
「君が何を隠していようと、私は無理に暴こうとはしない。けれど……この村には小さな子供たちもいるんだ。素性のわからない者を、今のまま自由にさせてあげるわけにはいかない」
久我は困ったように眉を下げ、けれど譲れない一線を引くように告げた。
「……疑いが晴れるまで、しばらくの間、君の身を預からせてもらうよ。悪いけれど、この部屋で大人しくしていてくれるかな。何か必要なものがあれば、私に言ってくれればいいから」
「あ……はい……」
久我は一度だけ、彼女を安心させるように小さく頷くと、物音を立てずに部屋を去っていった。
スッ、と静かに閉められた襖。
助かったはずなのに、胸の奥には鉛を飲んだような重苦しさが広がっていた。
彼は優しい。けれど、その優しさは「守るべきもの」を持つ教育者の理性に基づいたものだ。
自分はその中には入っていない。
(……でも。先生が生きている。それだけで、今は十分……)
桜は再び布団に潜り込み、彼が去ったあとの静寂の中で、微かに残る墨の匂いを感じながら目を閉じた。
