俺は今、好きな人と一緒に写真を撮っています

 染谷に正体を明かせないまま、かなりの日数が経過していた。
 その間に桜色だった木々は見事に緑色へと変わり、気温もブレザー姿だったのが、ただのカッターシャツだけになるほど上昇していた。

 俺は下敷きをうちわのように仰ぎながら、なんとなく身体のダルさを感じていた。
 きっとこのダルさはきっと夏が来たことによる急激な暑さのせいで、身体がやられているだけだと思っていた。現にクラスメイトに目を向けると大半の生徒が下敷きを同じようにうちわとして活用しているのがわかる。下敷きを使用していない生徒もいるが、そういう生徒は大抵ハンディファンを持っている人間だ。

 実はバイト代が多少ではあるものの溜まりつつあるため、たまには自分に使ってみるのもいいのではないかと思い始めていたころだった。
 今までのバイト代では、食べ盛りである男子高校生の胃袋を満たすために使ったり、勉強道具に使用したり、あとはかぁさんとの約束で月に一度おいしいものを食べに行くのに使用している。最初こそかぁさんは遠慮してあまり食べようとはしなかったが、「食事くらいは好きなものを好きなだけ食べようよ」とアルバイトを始めた意味を説いてあげると、観念したのか今では「次はここに行くのはどう?」と提案をしてくれるまでになった。

 そんな感じに案外お金自体は使ってはいるものの、嬉しいことにアルバイトをかなりの頻度で行っているため貯金ができている。そんなわけでそろそろ自分に少しくらいは使ってもよいと思い始めていたが、この暑さのせいで俺の思考はそれどころではなくなっていた。

 中学生のときに、あの蒸し暑い道場の中を剣道着や面を身にまとっていた身からすれば、本来ここまで暑さには弱いわけではなく、強い部類なのではないかと自分では思っていたが、実際にはそうではないらしい。
 いや、そうだったのかもしれないが、剣道を辞めてからというもの身体を動かすことがめっきりなくなってしまったため体力が衰えているのかもしれない。
 きっとそのせいで暑さにも弱くなっているのだろうと、そう考えていた。

 「しっきー、顔赤くない? 熱でもある?」

 そんな俺の考えは、佐伯の一言で一瞬にして否定された。

 「……えぇ?」
 「いや声にも覇気がねーじゃん。ほんとに大丈夫か? 保健室行くか?」
 「……大丈夫。ただ暑いだけ」
 「そんな風には見えねーけど……バイトも忙しそうだし? あんま無理すんなよ?」

 佐伯は大雑把な性格のように思えるが、案外周りを見て行動ができるタイプの人間のようだ。これでも中学では剣道部の部長を勤めていた人物なだけはある。人にあだ名を勝手につけ、割と誰に対してもウザ絡みをするような人間でもあるのだが、それでも周りをよく見て絡む相手を決めたりしている。言い方を変えれば面倒見がいいと言えるだろう。
 そういう佐伯に惹かれている人間を俺は知っているし、中学の頃もモテてはいたが、旭川に入ってからもすでに数名に告白されたと本人の口からも聞いた。これはきっと自慢ではなく、本人的にはどうしたらいいかがわからないという気持ちの表れなのだと勝手に思っていた。
 そんな佐伯がわざわざ俺を心配するようなことを言ってくれているのだ。案外本当に熱でもあるのかもしれない。
 心なしか視界が揺らいでいるような気もしなくもない。動悸も早くなっている気がする。

 (……なんだ? 風邪か?)

 中学の頃は一度も風邪なんて引いたことないほどの健康体だったにもかかわらず、剣道を辞めて体力が落ちたことでこうも弱くなるものかと、俺は一人今日のアルバイトがないことに感謝しつつ、明日である土曜日は終日着ぐるみアルバイトのため早めに休むことにした。


 ∴ ∵ ∴ ∵ ∴ ∵


 「三十八度七分。政宗が風邪引くなんていつぶりだろうね……」

 ベッド付近のサイドテーブルに置いてある体温計に表示されている俺の体温を確認したかぁさんが心配そうな声でそう俺に話しかけてきた。それから続けるように「環境の変化によるストレスかもね」と言いながらスポーツドリンクを俺に手渡してきた。

 「……ありがと」
 「うん。アルバイトはお休みしなきゃね。連絡はした?」
 「いや……今からする」
 「そう…………。お母さんこれから出なくちゃいけないの、ごめんね。何かあれば連絡してね」
 「何歳だと思ってるの? 大丈夫だよ、ありがと」

 それを聞いたかぁさんは「もっと甘えなさい!」と今度は申し訳なさそうにも見えるし、微笑んでいるようにも見える。きっとかぁさんとしては本当にもっと甘えてほしいんだと思う。
 でも個人的にはかぁさんにはこれ以上負担を掛けたくないというのが俺の本音だ。今まで経済的負担を一人に負わせていた分、心配などさせたくなかったのだがどうもうまくはいかないらしい。
 部屋から出ているかぁさんの背中を見送ってから、俺は動かすのすら億劫になるほど重い体を起こしサイドテーブルに置いてあるスマホに手を伸ばすと、アルバイト先の上司である水科さんに電話をかける。

 アルバイトを欠勤するという行為自体は今回が初めてだ。聞いた話によるとアルバイトを欠勤する際には自分で変わりを見つけてこいというところもあると聞いたことがある。
 そのため今回アルバイトを休むことを伝えるのにはかなりの勇気がいる行為だったのだが、俺の心配はすぐに杞憂だとわかった。

 水科さんに事情を説明すると「え? 大丈夫なの?」ひどく驚いた声がスマホ越しに聞こえてきた。そのまま続けるように「毎週シフト入ってもらってたもんね……。本当にごめんね。シフトの調整はこっちでするからとりあえず今日と明日はゆっくり休んで!」と俺の体調を気遣いつつ、毎週のように俺をシフトに入れていたことに対する謝罪まで水科さんは行ってくれた。

 個人的にはお金はどれだけあっても困るものではないため、毎週のようにシフトを入れてくれていたことに関しては逆に感謝しているくらいなのだが、そういうところも気遣ってくれる職場で働けていることに今更ながら喜びを覚えていた。

 電話が終わり、普段なら重さなど感じることのないスマホを持っていることですらしんどくなるほど体調を崩しているらしく、俺は全身の力を失ったかのように、せっかく起こした体をベッドに叩きつけるようにして眠りにつくことにした。




 どれだけの時間が経過しただろうか。
 意識を飛ばしたかのように眠りについたが、もらったときは冷え切っていたであろうスポーツドリンクに付いていた水滴はすでに蒸発しきっており、温度的には常温に戻っていた。
 そんなスポーツドリンクとは真逆に俺は全身汗だくになっており、シーツがなければ俺の周辺は大きな水たまりが出来ていたと思うほどだ。この汗の量は真夏の剣道部の稽古のときの汗に、もしかしたら匹敵するのかもしれない。

 「……気持ちわりぃ」

 とりあえずシャツが肌に張り付いて気持ち悪いこの状況を今すぐに変えたく、一度着替えてしまおうか、それともしんどいかもしれないがシャワーだけでも浴びようかと考えると、ふとあることが気になり始めた。

 「……今日も染谷は写真を撮りに来るんか?」

 思わず思っていたことを口に出してしまったが、一度気になってしまうともうそのことしか考えられなくなっていた。あんなにも気持ち悪いと感じていた肌に張り付くシャツの感覚もベタつきを覚える汗の感じも、染谷のこととなるとすべて後回しになる。
 いや、染谷が優先対象となるといった方が正しいだろうか。

 しかし現状考えるべきはそこではない。
 今考えるべきは、染谷が今日も遊園地に訪れ、俺が中の人ではない血みどろベアと一緒に写真を撮るのかどうかということだ。しかしこの答えは自分の中でわかっている。

 ”染谷は今日も遊園地で俺が中の人じゃない血みどろベアと一緒に写真を撮っている”

 これが答えだ。
 そもそも染谷は俺ではなく、血みどろベアと一緒に写真を撮りに来ているのだ。至極当然のことだろう。

 でもそれが許せない。

 俺の中で沸々と何かが煮えくりかけるような感覚がする。この感覚が体調不良が原因ではないことは、なんとなくわかっていた。
 これは嫉妬だ。
 嫉妬なんて醜いものだとよく言われるが、本当にそうなのかもしれない。今日染谷と一緒に写真を撮っているであろう血みどろベアと今日誰がやっているかも知らない血みどろベアの中の人に対しての嫉妬。
 架空のキャラクターである遊園地のマスコットキャラクターとわからない誰かに嫉妬するなんて本当に醜いものだと感じる。

 俺は大きなため息を吐きながら重たい体を起こし、汗で湿っているシーツをベッドから剥がすと、箪笥《たんす》から雑に着れる白いTシャツを持ち出すと脱衣所に向かった。
 とりあえずシーツを洗濯機に突っ込み、ついでに今着ていた肌に張り付いたままの服も洗濯機の中へと投げ込む。ボール型の洗濯洗剤を一つ投入して洗濯開始ボタンを押し、そのままシャワーだけでも浴びようと浴室に入った。
 蛇口をひねり、シャワーからまだお湯になり切れていない水が勢いよく出てきて、体にまとわりついていた汗と共に流れ落ちていく。熱で火照った体が一気に冷めていくのを感じたが、時間が経つにつれシャワーからでる水は適温になり、俺の身体を温めなおす。

 気が付くと俺は、血が出るのではないかと思うほどこぶしを握りしめていた。
 イライラが止まらない。
 染谷が俺以外の人と写真を撮っている。嫉妬で気が狂いそうだなんていうワードを本で読んだことがあるが、今まさにその状況だ。
 元はと言えば、俺が風邪を引いてしまったことがすべての元凶であり、「どうして俺は今日アルバイトに行っていないのか」という自責の念に駆られていた。

 「くそっ……」

 これ以上シャワーを浴びていたらまた熱があると感じた俺は蛇口を先ほどでは反対に回し、少し雑目に身体の水分をふき取ると、持ってきていた白いTシャツとパンツだけを履き、まだ熱があるのかふらつく足元を壁に手を当てながらゆっくりを倒れないように進み、最終的にはベッドに倒れこむようにして今日という日を終えた。


 ∴ ∵ ∴ ∵ ∴ ∵


 熱が下がったのは次の日の夜だった。
 その頃には食欲も出てきてかぁさんが作ってくれた温かいうどんが出てきてすぐに完食するほどであった。
 かぁさんも普段風邪なんてひかない俺のことを結構心配してくれていたのだろう。「おかわりあるよ!」とか「ゼリー買ってきてあるからね!」とかいろいろ声を掛けてくれる。
 かぁさんに無理をさせないようにと始めたアルバイトが原因かはわからないが、まさか心配させる原因になるなんて思ってもいなかった。

 「……まだまだ子どもなんだなぁ」
 「ん? 何か言った?」
 「いや、何でもないよ。今日はもう寝るね」
 「そう? 明日は学校行くの?」
 「……一応行こうとは思ってる」
 「わかった。無理しなくていいからね」
 「ん、ありがと。おやすみ」
 「うん。おやすみ」

 なんてことない親子の会話を終えた後、俺は自室へと戻った。
 あまりにも静かな部屋で俺は一人大きな溜息を吐いた。

 こんなにも誰かのことを考えていた日は生まれて初めてかもしれない。
 実は熱が下がるのに丸二日もかかったのには明確な理由がある。それはずっと染谷のことを考えていたからだ。
 昨日に引き続き、日曜日である今日も遊園地に足を運んでは、俺ではない別の人が中身をやっている血みどろベアとツーショットを撮っているのではないかと考え、嫉妬してはイライラを繰り返していたからである。
 正直情けないと思う。
 これじゃまるで俺が染谷のことを好きみたいじゃないか……。

 いや、認めていないだけで本当はわかっているのだ。
 普通ただただ気になっているだけの人であれば、別の人と写真を撮っていようがいまいがなんとも思わないだろう。勝手に嫉妬して勝手にイライラすることなんてない。
 これは染谷に対する独占欲だ。
 誰にも染谷を取られたくない。一緒に写真を撮るのは俺だけでいい。
 そんなことを一日中考えていたのだ。自分の気持ちにはとっくに気づいている。

 今まで剣道しかしてこなかったため、恋愛なんてしてこなかったもんだから、この感情の名前に気づくのが遅くなってしまったが、俺はこの感情が何なのかを自覚した。
 これは恋だ。俺は染谷に恋をしている。
 この正解にたどり着いた後、すうっと心にあったモヤモヤが消えていくのがわかった。

 「早く会いてぇ……」

 こんなにも学校が待ち遠しいと感じたのも生まれて初めてかもしれない。