家に着いて、鍵を閉めた瞬間。
音が、部屋の中で反響した。
静か。
静かすぎて、耳の奥が痛い。
靴を揃えて、コートを脱いで。
椅子に掛けるか、洗濯かごに入れるか。
その二択の前で、また止まった。
ミストのボトルが目に入る。
引けない。
今日も。
今日は、店の甘い匂いが強かったのに。
朔の匂いは、探しても見つからないみたいで。
見つからないことに、腹が立つ。
腹が立つ、なんて言葉が自分の中から出てくるのが、怖い。
私はコートを椅子に掛けた。
きちんと掛けようとして、ハンガーの向きがずれて、手が止まる。
どうでもいい。
どうでもいいはずなのに、整えないと落ち着かない。
でも今日は、整えても落ち着かない。
洗面台で手を洗った。
いつもみたいに丁寧に洗うつもりだったのに、途中でどうでもよくなって、水を止めた。
手先が冷たい。
胃が重い。
コンビニの袋を開けた。
買ってきたはずのものが、テーブルの上で急に遠く感じる。
箸を持って、ひと口。
飲み込めない。
喉の奥が固い。
私は箸を置いた。
代わりにスマホを手に取った。
画面を点ける。
名刺の裏のIDを、もう一度見る。
見るたびに、胸の内側が熱くなる。
熱くなって、すぐ冷える。
送っていいのか分からない。
送ったら、何が変わるのか分からない。
分からないのに、指が勝手に入力欄を開いた。
文字を打つ。
でも、消す。
打つ。
消す。
今は深夜。
迷惑だ。
そもそも、私は何を言いたいんだろう。
指名したのに来なかった。
寂しかった。
悔しかった。
そんなこと、言えるわけがない。
私は客だ。
客なのに、客のままじゃいられなくなっている自分が、気持ち悪い。
スマホを伏せて、ベッドに入った。
部屋は暗い。
暗いのに、頭の中だけ明るい。
ぽん、という音が耳に残っている。
拍手。
笑い声。
ヘルプが差し出してきたメニューの数字。
あれを見た瞬間の、自分の恥ずかしさ。
私は、値札で測られた。
測られた、というより。
測れる場所に、自分から座ってしまった。
その事実が、一番痛い。
寝返りを打つたび、枕の布の匂いがする。
洗剤の匂い。
自分で選んだ、安心の匂い。
なのに、今日は安心にならない。
胸の奥が、ずっとざらざらしている。
時計を見ると、三時を過ぎていた。
目が疲れているのに、眠れない。
涙が出るわけでもない。
ただ、ずっと張りつめている。
四時を回ったころ。
スマホが、机の上で小さく震えた。
一瞬、心臓が止まる。
通知。
見たくない。
でも、見ない方が怖い。
私は布団から手を伸ばして、画面を点けた。
LINEの通知。
名前は、朔。
指先が冷たくなった。
体の中の音が全部引いて、画面の文字だけが浮かぶ。
開く。
既読がつく。
それが怖くて、親指が止まる。
でも、もう開いてしまった。
メッセージが表示される。
時刻は、4:06。
短い文が、続けて届いた。
「今日いけなくてごめん」
謝っている。
謝っているのに、胸が軽くならない。
次の文。
「でも行きたかった」
行きたかった。
その言葉が、私の中で勝手に膨らむ。
私は、信じたくなる。
信じたくなる自分が、怖い。
さらに続く。
「店のルール、ボトル降りたらそっち優先になる」
あの数字の意味。
あの拍手の意味。
今、やっと言葉になって入ってくる。
優先。
私は、優先されなかった。
それを、ただの事実として言われているのに、胸が痛い。
最後の文。
「でも、俺は結衣が来てくれて嬉しかった」
嬉しかった。
その一行で、喉の奥が熱くなった。
涙が出そうになる。
出そうになって、すぐ止まる。
嬉しかったなら、どうして。
どうして、あっちに行ったの。
どうして、私の席は。
どうして、私は。
頭の中に問いが渦巻く。
でも、問いの形をしたまま、全部が自分に向かって刺さる。
私が、弱いから。
私が、出せないから。
私が、客だから。
違う。
違う、って言いたい。
でも、何が違うのか分からない。
スマホを握る手が、汗ばんだ。
返事をしなきゃ、と思う。
返事をしたら、何かが始まる気がする。
返事をしなかったら、捨てられる気がする。
どっちも怖い。
私は入力欄を開いた。
文字を打った。
でも、送らない。
打ち直す。
送らない。
短くしてみる。
丁寧にしてみる。
どれも違う。
どれも、私が私じゃないみたいだ。
画面の上の朔の名前が、落ち着いたままそこにある。
昨日まで、なかった場所に。
その事実だけで、息が少しだけ吸えた。
吸えてしまった。
だからまた怖くなる。
私はスマホを胸の上に置いたまま、目を閉じた。
眠れない。
眠れないのに、体の奥が少しだけ緩んでいる。
嬉しかった。
その言葉が、何度も反芻される。
私の中の渇きが、また形を変える。
店に行けば会える、じゃない。
ボトルを降ろせば優先、というルール。
そのルールを知ったのに。
知ったからこそ。
私は次に、違うものを欲しがってしまいそうだった。
朔が、どこにいるか。
今、何をしているか。
私が知らない場所でも、私を思い出すのか。
そんなことを考えてしまう自分を、止められない。
スマホの画面は、もう暗くなっている。
暗いのに、胸の内側だけが明るかった。
結衣は震える指先でスマホをタップして、返事を書く。
「ごめん、遅い時間に…。連絡くれてありがとう。今日は…なんか変に胸がざわざわしてて、うまく言葉にできないけど、嬉しかったって言ってくれたのだけは、ちゃんと残った」
「お店のルールだから仕方ないよね。私こそごめんね、あんな高額なの下ろせなくて。来れるときだけ来てくれたらいいから、また行くね」
結衣は送信ボタンをタップする。
また行くね……
正直お客として行ったのに謝ってるのも、なにか変だなと思った。
でもそれを言ってしまえば何かが崩れる気がした。
朔から返信が届く
「俺は結衣が来てくれるだけでうれしかった。席、いけたらもっと嬉しいけど無理はさせない。見てるから」
画面の光が、暗い部屋の天井に薄く跳ねた。
読み終わったのに、指が止まったまま、もう一度、同じ文をなぞる。
見てるから。
その四文字が、胸の奥に落ちて、沈んで、じわっと熱を持った。
安心した。
そう思った瞬間、喉の奥が苦しくなる。
安心していい相手なのかなんて分からないのに。
分からないのに、安心してしまう自分が、いちばん怖い。
布団の中で膝を抱えた。
足先が冷たい。
スマホを握る手だけが、汗ばんでいる。
見てる。
それは、優しい言葉みたいに見える。
でも、私の中では別の形にも聞こえる。
見られている。
見張られている。
……違う。そんなこと、思うのはおかしい。
私は首を振った。
音のない動きなのに、心臓がうるさい。
朔は、無理はさせないって言った。
無理をさせない。
私が、払えないって言った時の、あの恥ずかしさを、拾ってくれたみたいに。
……拾ってくれた?
拾ってもらう前に、落としてしまったのは私だ。
私は自分で、値札のページを見た。
自分で、自分の席を弱いって感じた。
それを今、後から言葉で整えられている。
整えられると、息がしやすくなる。
息がしやすくなると、もっと欲しくなる。
この感じを、私は知っている。
職場で、大丈夫と言い続けてきた時と同じ。
言葉が、形を作る。
形ができたぶんだけ、中身が削れる。
でも、今の私は、その形に縋りたい。
見てるから。
見てるから、って言われたら。
私はもう、ひとりじゃない気がする。
たった一文で、そう思ってしまう。
時計を見ると、四時を少し過ぎていた。
まだ外は暗い。
街の音もない。
冷蔵庫の低い唸りだけが、部屋の隅で続いている。
この静けさの中で、朔の文字だけが生きている。
生きている、なんて。
私は自分の言い方に怯えて、唇を噛んだ。
送る前に何度も推敲する癖が、指先を動かす。
私が、何をすれば、朔は私の席にいてくれるのか。
そんなこと、聞けるわけがない。
聞いた瞬間、私は客じゃなくなる。
客じゃなくなるのが怖いのに。
客のままだと、足りない。
どっちも怖い。
見てるから、って言葉が、私の中で勝手に条件になっていく。
私は見られる側。
見ている側が、判断する。
私がちゃんとしていれば、見捨てられない。
昔から体に染みている癖が、別の形で息を吹き返す。
胸の奥が、ざらざらした。
でも、ざらざらの中に、ほんの少しだけ甘いものが混ざっている。
席、いけたらもっと嬉しい。
無理はさせない。
見てるから。
私は、許された気がした。
許される理由がどこにもないのに。
許された気がしてしまうくらい、私は疲れている。
昨日から、ちゃんと食べていない。
ちゃんと眠ってもいない。
仕事で注意されて、恥ずかしくて、悔しくて。
その全部の上に、この一文が落ちてきて。
私の中の崩れそうなところを、きれいな形に押し込んでくれる。
それが、嬉しい。
嬉しいから、怖い。
スマホの入力欄を見つめたまま、私は息を吐いた。
短く。
長くしない。
言い訳をしない。
でも、冷たくもしない。
そんな器用なこと、できるはずがないのに。
それでも、指は動いた。
送信の前で、止まる。
既読がつく。
返事が来るかもしれない。
来ないかもしれない。
来ない、が一番怖い。
私は画面を閉じる勇気も、送る勇気も、どちらも持てないまま。
暗い部屋の中で、明るい文字だけを見ていた。
見てるから。
その言葉に、見られる側の息が、また少しだけ整ってしまう。
音が、部屋の中で反響した。
静か。
静かすぎて、耳の奥が痛い。
靴を揃えて、コートを脱いで。
椅子に掛けるか、洗濯かごに入れるか。
その二択の前で、また止まった。
ミストのボトルが目に入る。
引けない。
今日も。
今日は、店の甘い匂いが強かったのに。
朔の匂いは、探しても見つからないみたいで。
見つからないことに、腹が立つ。
腹が立つ、なんて言葉が自分の中から出てくるのが、怖い。
私はコートを椅子に掛けた。
きちんと掛けようとして、ハンガーの向きがずれて、手が止まる。
どうでもいい。
どうでもいいはずなのに、整えないと落ち着かない。
でも今日は、整えても落ち着かない。
洗面台で手を洗った。
いつもみたいに丁寧に洗うつもりだったのに、途中でどうでもよくなって、水を止めた。
手先が冷たい。
胃が重い。
コンビニの袋を開けた。
買ってきたはずのものが、テーブルの上で急に遠く感じる。
箸を持って、ひと口。
飲み込めない。
喉の奥が固い。
私は箸を置いた。
代わりにスマホを手に取った。
画面を点ける。
名刺の裏のIDを、もう一度見る。
見るたびに、胸の内側が熱くなる。
熱くなって、すぐ冷える。
送っていいのか分からない。
送ったら、何が変わるのか分からない。
分からないのに、指が勝手に入力欄を開いた。
文字を打つ。
でも、消す。
打つ。
消す。
今は深夜。
迷惑だ。
そもそも、私は何を言いたいんだろう。
指名したのに来なかった。
寂しかった。
悔しかった。
そんなこと、言えるわけがない。
私は客だ。
客なのに、客のままじゃいられなくなっている自分が、気持ち悪い。
スマホを伏せて、ベッドに入った。
部屋は暗い。
暗いのに、頭の中だけ明るい。
ぽん、という音が耳に残っている。
拍手。
笑い声。
ヘルプが差し出してきたメニューの数字。
あれを見た瞬間の、自分の恥ずかしさ。
私は、値札で測られた。
測られた、というより。
測れる場所に、自分から座ってしまった。
その事実が、一番痛い。
寝返りを打つたび、枕の布の匂いがする。
洗剤の匂い。
自分で選んだ、安心の匂い。
なのに、今日は安心にならない。
胸の奥が、ずっとざらざらしている。
時計を見ると、三時を過ぎていた。
目が疲れているのに、眠れない。
涙が出るわけでもない。
ただ、ずっと張りつめている。
四時を回ったころ。
スマホが、机の上で小さく震えた。
一瞬、心臓が止まる。
通知。
見たくない。
でも、見ない方が怖い。
私は布団から手を伸ばして、画面を点けた。
LINEの通知。
名前は、朔。
指先が冷たくなった。
体の中の音が全部引いて、画面の文字だけが浮かぶ。
開く。
既読がつく。
それが怖くて、親指が止まる。
でも、もう開いてしまった。
メッセージが表示される。
時刻は、4:06。
短い文が、続けて届いた。
「今日いけなくてごめん」
謝っている。
謝っているのに、胸が軽くならない。
次の文。
「でも行きたかった」
行きたかった。
その言葉が、私の中で勝手に膨らむ。
私は、信じたくなる。
信じたくなる自分が、怖い。
さらに続く。
「店のルール、ボトル降りたらそっち優先になる」
あの数字の意味。
あの拍手の意味。
今、やっと言葉になって入ってくる。
優先。
私は、優先されなかった。
それを、ただの事実として言われているのに、胸が痛い。
最後の文。
「でも、俺は結衣が来てくれて嬉しかった」
嬉しかった。
その一行で、喉の奥が熱くなった。
涙が出そうになる。
出そうになって、すぐ止まる。
嬉しかったなら、どうして。
どうして、あっちに行ったの。
どうして、私の席は。
どうして、私は。
頭の中に問いが渦巻く。
でも、問いの形をしたまま、全部が自分に向かって刺さる。
私が、弱いから。
私が、出せないから。
私が、客だから。
違う。
違う、って言いたい。
でも、何が違うのか分からない。
スマホを握る手が、汗ばんだ。
返事をしなきゃ、と思う。
返事をしたら、何かが始まる気がする。
返事をしなかったら、捨てられる気がする。
どっちも怖い。
私は入力欄を開いた。
文字を打った。
でも、送らない。
打ち直す。
送らない。
短くしてみる。
丁寧にしてみる。
どれも違う。
どれも、私が私じゃないみたいだ。
画面の上の朔の名前が、落ち着いたままそこにある。
昨日まで、なかった場所に。
その事実だけで、息が少しだけ吸えた。
吸えてしまった。
だからまた怖くなる。
私はスマホを胸の上に置いたまま、目を閉じた。
眠れない。
眠れないのに、体の奥が少しだけ緩んでいる。
嬉しかった。
その言葉が、何度も反芻される。
私の中の渇きが、また形を変える。
店に行けば会える、じゃない。
ボトルを降ろせば優先、というルール。
そのルールを知ったのに。
知ったからこそ。
私は次に、違うものを欲しがってしまいそうだった。
朔が、どこにいるか。
今、何をしているか。
私が知らない場所でも、私を思い出すのか。
そんなことを考えてしまう自分を、止められない。
スマホの画面は、もう暗くなっている。
暗いのに、胸の内側だけが明るかった。
結衣は震える指先でスマホをタップして、返事を書く。
「ごめん、遅い時間に…。連絡くれてありがとう。今日は…なんか変に胸がざわざわしてて、うまく言葉にできないけど、嬉しかったって言ってくれたのだけは、ちゃんと残った」
「お店のルールだから仕方ないよね。私こそごめんね、あんな高額なの下ろせなくて。来れるときだけ来てくれたらいいから、また行くね」
結衣は送信ボタンをタップする。
また行くね……
正直お客として行ったのに謝ってるのも、なにか変だなと思った。
でもそれを言ってしまえば何かが崩れる気がした。
朔から返信が届く
「俺は結衣が来てくれるだけでうれしかった。席、いけたらもっと嬉しいけど無理はさせない。見てるから」
画面の光が、暗い部屋の天井に薄く跳ねた。
読み終わったのに、指が止まったまま、もう一度、同じ文をなぞる。
見てるから。
その四文字が、胸の奥に落ちて、沈んで、じわっと熱を持った。
安心した。
そう思った瞬間、喉の奥が苦しくなる。
安心していい相手なのかなんて分からないのに。
分からないのに、安心してしまう自分が、いちばん怖い。
布団の中で膝を抱えた。
足先が冷たい。
スマホを握る手だけが、汗ばんでいる。
見てる。
それは、優しい言葉みたいに見える。
でも、私の中では別の形にも聞こえる。
見られている。
見張られている。
……違う。そんなこと、思うのはおかしい。
私は首を振った。
音のない動きなのに、心臓がうるさい。
朔は、無理はさせないって言った。
無理をさせない。
私が、払えないって言った時の、あの恥ずかしさを、拾ってくれたみたいに。
……拾ってくれた?
拾ってもらう前に、落としてしまったのは私だ。
私は自分で、値札のページを見た。
自分で、自分の席を弱いって感じた。
それを今、後から言葉で整えられている。
整えられると、息がしやすくなる。
息がしやすくなると、もっと欲しくなる。
この感じを、私は知っている。
職場で、大丈夫と言い続けてきた時と同じ。
言葉が、形を作る。
形ができたぶんだけ、中身が削れる。
でも、今の私は、その形に縋りたい。
見てるから。
見てるから、って言われたら。
私はもう、ひとりじゃない気がする。
たった一文で、そう思ってしまう。
時計を見ると、四時を少し過ぎていた。
まだ外は暗い。
街の音もない。
冷蔵庫の低い唸りだけが、部屋の隅で続いている。
この静けさの中で、朔の文字だけが生きている。
生きている、なんて。
私は自分の言い方に怯えて、唇を噛んだ。
送る前に何度も推敲する癖が、指先を動かす。
私が、何をすれば、朔は私の席にいてくれるのか。
そんなこと、聞けるわけがない。
聞いた瞬間、私は客じゃなくなる。
客じゃなくなるのが怖いのに。
客のままだと、足りない。
どっちも怖い。
見てるから、って言葉が、私の中で勝手に条件になっていく。
私は見られる側。
見ている側が、判断する。
私がちゃんとしていれば、見捨てられない。
昔から体に染みている癖が、別の形で息を吹き返す。
胸の奥が、ざらざらした。
でも、ざらざらの中に、ほんの少しだけ甘いものが混ざっている。
席、いけたらもっと嬉しい。
無理はさせない。
見てるから。
私は、許された気がした。
許される理由がどこにもないのに。
許された気がしてしまうくらい、私は疲れている。
昨日から、ちゃんと食べていない。
ちゃんと眠ってもいない。
仕事で注意されて、恥ずかしくて、悔しくて。
その全部の上に、この一文が落ちてきて。
私の中の崩れそうなところを、きれいな形に押し込んでくれる。
それが、嬉しい。
嬉しいから、怖い。
スマホの入力欄を見つめたまま、私は息を吐いた。
短く。
長くしない。
言い訳をしない。
でも、冷たくもしない。
そんな器用なこと、できるはずがないのに。
それでも、指は動いた。
送信の前で、止まる。
既読がつく。
返事が来るかもしれない。
来ないかもしれない。
来ない、が一番怖い。
私は画面を閉じる勇気も、送る勇気も、どちらも持てないまま。
暗い部屋の中で、明るい文字だけを見ていた。
見てるから。
その言葉に、見られる側の息が、また少しだけ整ってしまう。
