真夜中の目撃者 FBI連邦捜査官シリーズ

「……何だ……」

 右足の(くるぶし)が針に刺されたように痛み出し、思わず懐中電灯を落とした。照明が消え、顔をしかめて手探りで擦るトラヴィスの背中に、低くて暗い声が這いずった。

「――どうして、信じてくれないの……」

 トラヴィスは痛みを堪えながら、肩越しに振り返る。

「わたし、見ていたのに……あの人、あなたに似合わないわ……」
「……エマ?」
「だから心配でついてきたのに……」

 エマがゆっくりと白い手を持ち上げる。

「わたしと一緒に来て……ウォルター」

 手招きをする。

「こっちに来て……」

 スローモーションのように手招きを繰り返しながら、奥の闇夜へと姿を消してゆく。

「……おい」

 慌てて懐中電灯を拾うと、スイッチを入れた。だが点かない。

「エマ!」

 トラヴィスは懐中電灯を捨て、エマを追いかけようとした。痛みはまだ引きずっているが、歩けないほどではない。急いで向かおうとした時、背後が閃光のように光り輝いた。

 トラヴィスは眩しげに目を細めながら振り向く。

「大丈夫か、トラヴィス」

 ジェレミーだった。一際大きなライトを持ち、トラヴィスに近づいてくる。

「いいところに来たな」

 トラヴィスはジェレミーの姿に少々ホッとしながら、簡単に説明する。

「今から追いかける、お前は地元警察に連絡してくれ」

 踝の痛みはいつのまにか消えていたので、走って追いかけようとした。

 だが、ジェレミーに強く腕を掴まれた。

「行くな」
「……どうしてだ?」

 ジェレミーは無言でライトの照明を少女が消えた奥へ向ける。

 トラヴィスは信じられないように口を開けた。

 およそ二メートル先は、崖だった。




 まんじりともしない朝を迎え、トラヴィスは助手席でダッシュボードに両足を乗せながら、コーヒーを飲んでいた。隣の運転席では、ジェレミーが膝の上でノート型パソコンを開いている。

 深夜、車まで戻った二人は一応地元警察へ連絡をした。だが警察では未成年の迷子や家出、誘拐などの届出は一切出されていないという。その後、車のエンジンは不思議とかかったので、明け方近くにその場を離れて、ハイウェイ近くの店で一服のためのコーヒーを買った。

「……何かわかったか?」
「ああ」

 ジェレミーも紙コップのコーヒーを飲んだ。

「地元新聞に載った小さな事件がある。一年前、この林の中で殺人未遂事件が起こった。カップルが乗った車の中で、別れを切り出した相手を殺害しようとした。相手の男性は逃げ出して、警察に駆け込み無事だった。殺そうとした男性はすぐに逮捕された」
「どっちも男か?」
「そうだ。珍しいことではない」
「俺たちも男二人だからな。別れる時は、とりあえず新聞やネットのネタにならないように殴り合おうぜ」
「そうだな」

 ジェレミーは口元で笑いながら、キーを押す。

「被害者の男性の名は、ウォルター・ダミアーノ。彼のフェイスブックを見つけた」

 パソコンの画面を見せる。紙コップを口元につけながら、トラヴィスは肩を寄せて見入る。

 フェイスブックにある写真の男性は黒髪だった。

「こいつを殺そうとした男は、金髪だったのか?」
「そこまではわからない」

 ジェレミーは公開している写真の一枚をクリックした。

 そこに綴られていたのは、「my sister Ema」の文字。

「……小さい頃に、亡くなったんだな」
「病死のようだ」

 トラヴィスはその写真の少女をしばらく見つめる。髪は黒髪でショートヘア、肌はそれほど白くはなく、ニキビが散らばっている。病室と思しきベッドの上で、白い患者服を着た少女は、屈託なく笑っていた。

 ジェレミーはまたクリックする。

「彼はある物を探している」

 そこに映し出されたのは、一体の人形だった。

「生前のエマが可愛がっていたという人形だ」

 トラヴィスは飲んでいたコーヒーを危うく吹き出すところだった。

「……こいつだ」

 その人形は金髪の巻き毛で、濃い藍色のワンピースを着ていた。ワンピースの下には、白いレース模様の靴下に赤い靴が見える。巻き毛には空色のリボンがついていて、肌は雪のように白い。典型的なアンティークドールである。

「妹の形見として大切にしていたが、一年前紛失してしまったそうだ。原因はわからないと書いてある」

 トラヴィスはまじまじとその人形を見た。ベッドの枕元にちょこんとお座りしている人形は、物言わぬ顔で、画面の向こうからトラヴィスを見つめている。

 トラヴィスは頭を振った。深夜に会話をした少女と、どうしても面影が重なってしょうがない。

 ――どうして、信じてくれないの……

 少しだけ怒りを含んだような声。

 ――だから心配でついてきたのに……

 トラヴィスはその人形の画像から離れるように身を引くと、ダッシュボードに両足を上げたまま、シートにぐったりと沈んだ。混乱した頭の中身をどうにかするように、髪を手で掻きまくる。

「大丈夫か? トラヴィス」

 恋人が遭遇した不思議な出来事を聞かされても、毛ほども動じなかったジェレミーである。

「俺は大丈夫さ。それより、そいつのフェイスブックに書き込んでやりたいな。捜している人形は、崖の下に落ちているかもしれないってな」

 どこかやけくそ気味な口調で言う。

「お前もそう思うだろう?」
「根拠がない」
「俺とセックスしたかったら、上っ面だけでもそうだと言え」

 するとジェレミーは笑いながらあっさりと言動をひるがえした。

「そう、お前の言うとおり、崖の下を大捜査した方がいい」

 トラヴィスは口をへの字に曲げる。

「くそったれめ」

 苦々しそうに吐き出すが、いつもの強気な口調は少々影をひそめている。

「……つまり、あれだ」
「何だ」

 ジェレミーはネットを閉じながら、冷静に聞き返す。

「俺は今、一番言って欲しい言葉がある」
「何て言って欲しいんだ?」
「昔やっていたドラマの科白だ」

 ひとさし指を立ててみせる

「超常現象を捜査する二人のFBI捜査官のドラマだ。女の捜査官がよく言っていた言葉があるだろう」
「ああ」

 ジェレミーはそれでトラヴィスの意図を察したように、パソコンの電源を落とすと、優しくその科白を口にした。

「トラヴィス、お前は疲れているんだ」
「それだ」

 トラヴィスは真面目くさった顔でひとさし指をくるっと振ると、何故か力いっぱい頷いた。

「俺は疲れていたんだ。だからだ。原因はそれだ」

 モルダー捜査官とは違い、ヴェレッタ捜査官は断固として納得すると、ダッシュボードから両足を下ろし、全てを忘れ去ったかのように元気に起き上がった。

「よし、今ならスーパーマンのように空だって飛べる気分だ。このままアリゾナへ直行するぞ」

 ジェレミーは後部座席にパソコンを仕舞いながら茶化す。

「お前がスーパーマンになったら、我々の仕事が増えるだけだ」
「やかましい。俺だって、たまには正義のヒーローになるんだ」

 愉しそうに憎まれ口を叩くと、気分が晴れたかのように大きく背伸びをした。

「また楽しい休暇を続けようぜ」

 ジェレミーは穏やかに表情をゆるめると、ハンドルを握り、アクセルを踏んだ。

 車は再びハイウェイを目指した。