恋するだけでは、終われない / お別れしたって、忘れない


 ……『謝恩会』から、数日後。

 僕はいま、『丘の上』の第四会議室で。
 藤峰(ふじみね)先生とふたりきり。
 しかも並んで……座っている。


「はい、おかわり」
 先生は先ほどから延々、まるで鳩の餌やりみたいに。
 フランスパンをちぎっては与えてきて。
 僕が用件はなにかと質問するのを、さりげなくブロックしている。

「もっとつける?」
 しかもバターをたっぷり塗るサービスつきなのが、ますます怪しくて。
「ちょっと堅いよねー」
 そのパンが、何日前のパンなのかわからないほどハードなのはどうやら。
 確信犯……らしい。


 ちなみにこの日。
 ほかの部員たちは全員、『強制休暇』をとっている。

 ……理由としては、『気分転換』。

 実は僕たちは、謝恩会翌日から来年度に向けて作業を再開したのだけれど。
 都木(とき)先輩との、『別れ』について。
 誰もが頭では『理解』していたものの。

 先輩のいなくなった部室の中は……なんだかぎこちなくて。
 あまりにはかどりが、悪かった。


「ちょっとみんな、ひと息ついてみよっか?」
 見かねた高尾(たかお)先生と。
「そうだね、一回休みなよ!」
 藤峰先生のアドバイスには感謝した。

 だからこそ、僕は本来。
 きょうは家で、ひさしぶりにのんびりとしようとしていたはずなのに……。

「悪いけど、明日も学校きてもらえる?」
 藤峰先生からの、『不幸の電話』で呼び出され。
 こうして……休日を奪われている。



海原(うなはら)(すばる)、疲れているみたいだな」
「えっ?」
「悩んだのだけれど……海原君を頼らせて」
 突然、スーツを着た男性と。
 不吉なことを口にする高尾先生が、会議室にやってくる。

「俺だよ海原昴。早く思い出せ」
 僕をフルネームで呼ぶこの人は、いったい誰なんだろう?

「俺だよ、俺」
 ひょっとして……詐欺師?
「だから俺だよ、海原昴」
 少なくともここの先生ではないけれど……もしかして?

 ……作品の冒頭で登場した、『女装したおっさん』だろうか?


「いや、どう見てもいまは『男装したおっさん』だし……」
 僕のひとりごとに、高尾先生と藤峰先生は。

「おっさんって、男装しなくない?」
「男装したおっさんって、ただのおっさんじゃないの?」
「海原君、もしかして疲れているとか?」
「いや、ただ鈍いだけでしょ」
 僕をひとごとのように扱っていて。

「きょうの俺は……こういう者だ」
 確か『学校案内の写真を撮る人』だったはずの、その人は。
 なにやらカタカナの社名の入った名刺を差し出してくる。


「もし知らなかったら、スマホで検索してみてくれ」
「あの……僕。スマホ持っていないんですけれど?」
「ああっ? ったく、どんな高校生だよ……」

 軽くため息をついた『おっさん』は。
「あのな、別に怪しい会社の人間じゃねぇぞ」
 そう僕にすごんでくるものの。

 ややわざとらしく、乱暴な言葉づかいな上。
 そもそも『女装するおっさん』というのは。
 僕の辞書の中で……どう考えても怪しい存在でしかない。


「じゃ、そういうことでいいか?」
 それから、怪しい『おっさん』は。
 やや乱暴に椅子に腰掛け、僕が残していたフランスパンをひとつつまむと。

「では……はじめさせていただいて、よろしいでしょうか?」
 まるで都会で働く人みたいに。
 突然礼儀正しく、先生たちに確認したあとで。

「いいか海原昴。覚悟して聞け」
 僕に向かって、真面目な顔で。

 ……いきなり『あの先輩』について、話し出した。





「……どうだ、理解できたか?」
「要するに、波野(なみの)先輩が『映画デビュー』するということですか?」
「そうだ、しかもそれなりに重要な役柄だ」

 なかなかありえないような好条件だと。
 そのすごさが、僕にはチンプンカンプンだけれど。

 どうやらこの人は、業界ではそれなりに知られた存在で。
 先日波野先輩と一緒に校内を回った際。
 その魅力や可能性を……力強く感じたらしい。


 ……ただ、僕にはわからないことがある。


「なるほど……『波野家』からの依頼ですか……」
「まぁ、『あの母娘』なら……わかるだろ?」
「え、ええ。ある程度なら……」
 確かに、『あのふたり』のやりそうなことではある。

「あのお母さん、煮ても焼いても食えないよな」
「人間ですから……まぁ」
「そういう話しじゃねえだろう」
 僕たちは、妙なところで意気投合しつつ。

「とにかく、お前が『どう思うか』聞いてくるよう頼まれた」
 それから……『おっさん』が急に真面目な顔になる。


 どうやら、スケジュールの関係で。
 レッスンだか練習だかを含め、一気に予定を詰め込む必要があって。

 ……とてもではないが、『丘の上』への通学とは両立できそうにない。

「なので遅くとも、五月の連休には『転校』してもらう」
「……そうですか」
「お前、随分とものわかりがいいな?」
「いえ、違うんです……」


 ……夢で悩むような、波野先輩ではないのを知っているからだ。



 僕が沈黙してしまうと。
 その人も、随分と難しい顔をして。
 しばらくのあいだ僕たちは互いに。
 なにかを……本気で考えていた。

「実はな、このあともう一度お会いすることになっている」
 その人が一瞬、なにかを本気で刺すような目で見ると。
 急に先生たちに向かって、頭を下げる。


「いまから、御校の大切な生徒さんに」
 その声は、本当に申しわけないという響きと共に。

「大変無礼な質問をしますが。ご容赦ください」
 どこか冷徹、いや。
 決断のための『覚悟』がこもったもので。


「なぁ、海原昴。結論を、出す日なんだ」
 どうやら僕は……『本人不在』の中で。
 これから聞かれることに、答える必要があるらしい。


 質問を聞いた瞬間。
 両隣の先生たちが、ギョッと目を見開く一方で。
 僕はそのとき。
 思わず目を……ギュッと閉じた。




「お前は……波野(なみの)姫妃(きき)が好きなのか?」





 僕の両側で、先生たちが大きな音を立てて立ち上がる。


 ……先輩はなぜ、この場にいないのだろう?


 いかにもあの先輩のやりそうなことだと。
 ついそんなことを、思いつつ。
 僕は肩に力をこめているふたりを……交互に見上げていた。