「……あの、都木先輩?」
「どうかした? 海原君?」
「いえ……なんでもありません」
放送室を出たわたしたちは、静まり返った廊下を歩いている。
彼とわたしの上履きの音だけが……同時に響くのは。
海原君が、きょうも当たり前のように。
……わたしの歩幅に、合わせてくれているからだ。
「あの……」
彼が、再び遠慮がちにわたしに聞いてきて。
「なんでもない。ちょっと、思い出していただけ」
わたしは少し、はにかみながら。
「だから、気にしないで」
そう答えてから、彼を見る。
海原君は、わたしと歩くとき。
いつもわたしの歩幅に合わせてくれている。
「……あれ? もしかして?」
出会ってからしばらくして、最初に気づいたとき。
わたしはそれが……うれしかった。
でも、あるとき。
「あれ? もしかして……?」
ほかの誰かにも、同じことをしていると気がついて。
わたしは……自分だけが特別ではないと。
割と不満に、思ったことがあった。
……わたしって、自分勝手だね。
でもね、いまのわたしは。
それは君のよさだと知っている。
相手に合わせて、自然と同じ歩幅で歩けるやさしい人。
だからわたしは、そんな君の隣を歩くことがね。
……単純に、大好きなの。
講堂へとつながる渡り廊下に出ると。
わたしは、四本のカエデの木の前で立ちどまる。
寺上つぼみ校長の実の娘で。
佳織先生と響子先生の親友で。
放送部の……わたしたちの、先輩。
「あのふたりが、記念にと勝手に植えたんですよね……」
「しかも一本だったのに『四本あったら無敵』だとかいって、増やしたんだよね?」
過去に、生徒会を設立するために努力して。
不慮の事故に遭った……『寺上かえで』の記念樹の前で。
わたしは、ゆっくりと目を閉じると。
カエデの枝が……風に揺れる音を聞く。
すると、やっぱり。
……やさしい風が、迎えにきてくれた。
「かえでさん、ご紹介します」
わたしは、いままで心の中でだけ。
何度も何度も唱えて続けてきたその言葉を。
「海原君も、よく聞いて」
この日ようやく……声に出す。
「……こちらが『生徒会長』の、海原昴君です」
カエデの木に向かって、都木先輩はそう告げると。
「わたしね……」
今度は僕のほうを向いてきて。
「本当は、全校生徒の前で。海原君の名前を呼びたかった」
静かな声で……教えてくれると。
「あとね、まだ続きがあるの」
なにひとつ……迷いのない声はそれから。
「『副会長』の都木美也です。会長と一緒に、ふたりで頑張ります」
笑顔と共に、僕に届けられて。
「でも……呼べなかった」
最後に、寂しそうな声に……変わってしまった。
「どうしてわたし、卒業するんだろうね……」
都木先輩は、目を閉じると。
「同学年なら、よかったのにね」
少し閉じた目に力を入れて。
「そうしたらもっと、一緒にいられたのにね」
涙を……こらえている。
僕は思わず、声を。
いや、体を動かそうとしたけれど。
ザザッ……。
……かえでの枝が急に揺れて、呼びとめた。
「いまじゃないん、ですね……」
返事など、するはずはないけれど。
この木は確かに、僕に大切なことを教えてくれて。
そのあいだに都木先輩は。
「海原君、お待たせ」
笑顔に……戻っていた。
それから僕たちは講堂に入ると。
まずステージにふたりで立ち、機器室を見上げてから。
今度はステージを見下ろす、機器室へと向かっていく。
「ありがとうございました」
ひとつひとつとまではいかなくとも。
都木先輩は丁寧に、スイッチや機械に感謝の言葉をかけると。
「わたしでいいの?」
「もちろんですよ」
僕から鍵を受け取って、大切な場所の扉をそっと閉める。
「ちょっと照れるね……」
渡り廊下の帰り道。
先輩は、カエデの木の前で小さく手を振ると。
「次は一年一組がいい!」
僕の教室に寄るといいだして。
「海原君の隣に座るね」
先輩はそういってから、僕の隣の机に腰掛けたものの。
「そういえばここ……由衣の机だよね?」
「ま、まぁ……」
ふと『なにか』思うことがあったらしく。
「やっぱりわたし、立っとく!」
そういって、二度と座ろうとはしなかった。
続いて僕たちは。
「よく使ったよね」
「確かに。近道でしたしね」
そんなことを話しながら、非常階段で三年一組の教室へと向かっていく。
ただ、そこでは明日の謝恩会の出し物の練習をしていて。
「いいんですか?」
「いいよ、やめておく」
僕たちは中の人たちに見つからないように。
小声で話しながら、その場から離れていった。
「えっと、じゃぁ次は……」
「海原君。『屋上』はもういかなくていいからね」
きっと、いいにくいだろうから。
ここはわたしが……答えてあげる。
これは、わたしの意地かもしれないし。
あとは、わたしの遠慮とか?
ううん。
きっと『あの場所』は……月子のために。
わたし自身も、残しておきたいのだと思う。
「それなら『あそこ』に、いきませんか?」
「じゃ、『あそこ』にいこっか?」
ふたりの意見が、ピタリと一致して。
わたしたちは、思い出の『並木道』に向かうことにする。
……すべてのはじまりの、あの場所へ。
学年違いの下駄箱で一瞬別れたわたしは。
靴を履き替えると、ふっと息をつく。
……自分の気持ちに、区切りをつけさせて。
「お待たせ」
わたしの笑顔に、海原君はきちんとうなずく。
……彼の歩幅は、わたしのそれとここでも同じ。
「ねぇ、海原君?」
「あの、都木先輩?」
……いよいよ、そのときはきた。

