帝不在の平安後宮〜それでも私が入内する理由〜

「まず一つ。千景と惟久の結婚が難しいことは分かるわよね」
「はい……橘家とはいえ、普段都にいない、さらに公にできない役職に付いている私に、左大臣様が千景との結婚を許してくれるとは思えませんから」

 源氏物語にもある「玉鬘十帖(たまかずらじゅうじょう)」のように強引に関係を持ち、結婚することもできる。そう、昨夜のことを公にすれば可能だった。

 けれど惟久様は、残念なことにそのようなことは望んでいない。私を不幸にしたくないから、と一度お願いをした時に断られてしまった。

 それはそれで嬉しいけれど、私は惟久様一筋だから、一緒になれるのならなんだっていい。けれど惟久様は勿論のこと、周りを困らせたくないのは、私も同じだった。

「二つ。千景の入内以外の話が持ち上がり、他の殿方と結婚した場合。昨夜のことが知られずに済むと思っているわけではあるまい」
「……千景が、他の男と?」
「左大臣家の一の姫を、誰が放っておくというの?」
「入内しなければ、いずれは、とお父様も考えるでしょう」

 こればかりは嫌だと言っても聞き入れてもらえるか分からない。

「惟久が帝の影武者となり、千景の入内話が消えれば、それこそ起こり得る事態よ。けれど惟久は後宮にいて何もできない。それでもいいの?」
「……だから千景の入内も必要だというのですね」
「えぇ。一番の問題は別のところにあるけれど、それはまだ仮定の話だから、今はよしておきましょう」
「まだ何か懸念があるのですか?」

 私はお祖母様に尋ねた。すると優しく微笑まれたかと思ったら、お祖母様は突然立ち上がり、そっと私の頬に手を伸ばす。

「本来ならば、おまえたちの望みを叶えるために動いてやりたかった」
「お祖母様……」
「だけどこれが、おまえたちにとって最善策だということを忘れないで」
「私が入内することが、ですか?」
「そうよ。最初は嫌かもしれない。望んで入内するわけではないし、帝もいない。後宮にいる女房達も警戒しているだろうから、思うようにも動けないでしょう」

 先ほどまでの圧はなんだったのか、と謂わんばかりに優しい言葉をかけてくださるお祖母様。

「加えて、帝と桐壺女御が不在なことも、知らない振りをしながら後宮の女房たちを支援しなければならない」
「私が味方であることをお祖母様から聞いていたとしても、最初は信用してくれないでしょうから、そこは勿論、するつもりです」
「よろしい。その行為が、巡り巡って惟久を助けることにもなるのだから、頑張りなさい」

 巡り巡って……惟久様は帝の影武者を、私以上に難しい役どころを任されるのだ。入内してからの私の役割が、なんとなく見えてきたような気がした。

「ふふふっ、先ほどまでは私も不安だったけれど、どうやら大丈夫のようね」
「今まで噂のことは、他人事だと思っていたのですから、仕方がないでしょう? 突然、噂の真相を聞いたと思ったら、白紙になると思っていた入内話を切り出されて……正直、今は戸惑いの方が大きいです」

 あまりにも多い情報量のせいで、最初は聞くだけでやっとだったが、冷静になった途端、不安が私を襲った。
 自分でいうのもなんだが、頭の回転の速さは人並み程度。己の我が儘を押し通してしまう我の強さ。一の姫として生まれていなかったら、我が儘娘となっていたことだろう。けれど気が強くなければ、後宮ではやっていけない。

 私が入内すれば、きっと承香殿女御は突っかかってくるだろう。身分が近いことから、向こうも自分こそが中宮に相応しいと思っているはずだ。私に野心があろうとなかろうと関係ない。
 そんな人間を相手にしながら、上手く立ち回ることができるのだろうか。

 するとお祖母様は立ち上がり、私たちに背を向けた。

「しばらくは千景も惟久も忙しくなるでしょう。ここには誰も寄せないから、二人でよく話し合いなさい。妻戸は開けておくけど、変な気は起こさないように、いいわね」
「色々と事情を聞いてしまったのに、千景を連れて逃げるような真似はいたしません」
「本当かしらね。都の外のことは、私よりも惟久の方が詳しいでしょうに」
「カマをかけても何も出ませんよ。今はそうですね。私たちのために最善を考えてくださったお祖母様の案に乗ったらどうなるのか、そのことばかり考えています」
「ではおまえは、承諾しない、とでもいうの?」

 そうか。その可能性があったんだ。私はもう入内する気でお祖母様の話を聞いていたけれど、惟久様は違う。同じ方向を向いているのとばかり思っていた自分が恥ずかしい。

「千景の入内は避けられませんが、私の立場は何も影武者でなくても良いのでは? と思ったまでです。他を模索する時間がほしい、といいますか」
「そうね。今はまだ帝が不在でも、なんとかなっているけれど、今後はどうなるのかは分からない。惟久は惟久で、独断で動ける方がいいのかもしれないわ。もしもの時のためにも……」
「私も帝と文を交わしたり、諸国の情報を報告したりしていますから、向こうにも知り合いは何人かおります。そちらとも話し合って決めさせてください」
「いいわ。必要ならば、私の名前も使いなさい。そして忘れないで。私はおまえたちの不幸を望んでいるわけではない、ということを」
「勿論です。そうでなければ、賭けなどいたしません」
「まぁ!」

 お祖母様は惟久様の態度に呆気に取られた後、袖で口元を隠さずに大笑いをした。そして「その減らず口は誰に似たのやら」と言いながら、妻戸を開けて出て行ってしまった。

 残された私は、というと遅れてやってきた笑いが込み上げてくるのを感じて、クスリと笑った。