帝不在の平安後宮〜それでも私が入内する理由〜

 私の問いに、お祖母様が不敵に笑う。

「千景が入内することで、帝が不在だという疑惑が打ち消されるからよ」

 一瞬、思考が止まったような気がした。けれど惟久様の声で我に返る。

「お祖母様。それは帝のために、千景に犠牲になれ、と言っているのと同じではありませんか」
「同じではなく、そうだと言っているのよ」
「なぜですか? 帝の不在を隠すための入内であれば、何も千景でなくても良いと思いますが」

 それもそうだ。何も私である必要はない。左大臣家には私の他にも姫はいるし、有力な公卿たちの姫だっている。
 わざわざ入内したくない私よりも、乗り気な姫に頼んだ方が、双方にとってもいいお話のような気がした。けれどお祖母様の表情を見る限り、首を縦に振る雰囲気には見えない。

「他の姫たちは、千景ほど信用できるのかしら。帝が都にいないことを周りに公言せず、逆にいるように振る舞うことができるとでも?」
「それは……」

 まるで私の心を見透かしたかのような答えが返ってきた。

「千景は幼少期から帝と接していたのよ。さも今、会ってきたかのような口振りで、周りを信じさせることはできるでしょう」

 確かにできるけど……それを認めた途端、入内話が一気に進みそうで口にできなかった。

 私だって帝の力になりたい気持ちはある。だけどそれは幼なじみとして、友としての感情だ。けして妻として助けたい、とまでは考えていない。

 だって私は昔から惟久様一筋なんだもの。

「惟久とて、千景の入内は、それほど悪くない話だとは思うのだけれど?」
「どこがですか? 白紙に戻していただきたいからお祖母様と賭けをしたのです。いくら老いたからといって、もう忘れたのですか?」
「こ、惟久様っ!? お怒りになるのは分かりますが、ここは喧嘩を売るところではありません」

 私は立ち上がり、惟久様の紺色の狩衣にそっと触れた。口では窘めたが、本音は嬉しくて堪らなかったのだ。
 昨夜、想いを確かめ合ったとはいえ、こんなにも惟久様に想われていた、と知れただけで舞い上がってしまいそうになるのだから困ってしまう。こんな険悪な場面で、さらにお祖母様もいるというのに……それでも込み上げてくるのだから仕方がない。

 どさくさに紛れて、寄り添ってみてもいいだろうか、とまで考えていると、惟久様と目が合った。

「分かっているよ。お祖母様はどうやら千景だけでなく、私のことも考えているようだからね。それが私にとって良いのか悪いのか分からない以上、先に牽制しておく必要があると思ったんだ」
「相変わらず千景の前では猫を被るのね」
「えっ? 私の前、では?」

 そうだったかな、と思い、首を傾げる。
 惟久様と会う時は、いつも二人っきりだし、他の誰かが惟久様と話している姿を見ても、遠目で何を話しているのかは分からない。幼い頃は帝も一緒だったけど、お二人とも私に優しかったから、何も不思議に感じたことはない。

 お二人とも猫を? いや、そんなことはあり得ない。おそらくお祖母様が私たちを茶化したのだろう。

「そ、それよりも、千景の入内が、どうして私にとって悪い話ではない、ということになるのですか?」
「ふふふっ、それはおまえも後宮に行くからよ」
「……とうとうボケたか」

 あまりにも小さな声だったが、近距離にいた私の耳にはしっかりと惟久様の声が聞こえた。けれど惟久様がそう言いたくなる気持ちも理解できる。

 後宮は基本、男性は入れぬ身。入れたとしても、警備や雑務などをする者。帝のお付の者はすでにいるため、惟久様が入るとすれば、役職はそこになるだろう。

 けれど惟久様は帝のいとこであり、橘家の者。今はそれほど力はないが、我が左大臣家と同じ、皇家とは昔から姻戚関係にある家柄だった。そのような家門の者が、警備や雑務などの役職に? これは侮辱以外、何物でもないだろう。

「残念なことに、ボケてもいないし、惟久を侮辱したわけではないのよ」
「ですが、それ以外に私が後宮になど、入れるわけがないでしょう」
「いいえ。帝の影武者という立派な役職があるわ」
「か、影武者ですと? さすがに無理があります」

 私は頷き、惟久様の意見に賛同した。

「そう? 背格好は似ているし、確か年齢も同じだったと思うけれど、違ったかしら。それに帝のように表舞台に立て、とまでは要求していないわ。大臣たちの前では、ずっと御簾の奥にいればよいのよ。ほら、簡単でしょう?」
「帝は置物ではないのです。挨拶をしたり、意見を求められたりした場合、どうするのですか? 声で別人だとすぐに分かってしまいます」
「そこについては、協力者を増やして対応するわ」
「……仮に、私が帝の影武者になったとしましょう。そしたら千景の入内は必要ないのではありませんか?」
「あっ……」

 そうだ。帝の不在を隠すために入内するのであれば、その前提が覆ってしまう。惟久様が後宮に入られ、帝の影武者になるのは解せないけれど、別に帝の代わりに承香殿女御様の相手をするわけではないのだから……そこは、まぁ。

「おまえたちは何も分かっていないのね。私が昨夜のことに、心を砕いてあげている、ということが」
「ど、どういうことでしょうか」

 昨夜と聞き、私は震える声で尋ねた。無意識に、惟久様の方へと体を寄せていたのだろう。肩を抱かれ、今朝見つけた匂い袋と同じ檜の香りに、束の間だったが、心が安堵したのを感じた。