翌日、私は言われた通り、鈴子を連れて常盤院へと宿下がりしていた。
この間、帰ったばかりということもあり、皆、驚いたのだろう。お父様とお母様、そして左大臣に昇格したばかりのお兄様が出迎えてくれた。姪と甥の姿は見えなかったが、ほぼ一家総出だった。
「一体、何があったのだ?」
お母様が鈴子を連れて行ったのを機に、お父様とお兄様が私に詰め寄った。
「それはこちらを読んでからにしてください」
私は早々に帝からの文をお父様に渡した。
「あと、ここでするような話ではないでしょう。できることなら、人払いもお願いします」
「そ、そうだな。しかし、中宮になったというのに、まだ厄介事をし出かす気か?」
「お父様。それは文を読んでからにしてください。私としては、それほど悪い話ではないと思っているのですから。勿論、お兄様にとっても」
いとこではあるが、姫宮を妻に娶ることは、貴族の男性にとって、憧れがあり、箔をつけることでもある。けれどそのような言い分は、やはりお父様には通じないようだった。
局に着き、落ち着いて文を読んだ後、ワナワナと震え出したからだ。
「鈴子までもが……やはり血は争えんということか」
「返す言葉もありません。しかし、まだ恋とまでは確証できないのです。雅継の様子も見ないことには、判断できませんし」
「そうだな。成隆はどう思う?」
お父様は、お兄様に文を渡した。けれどお父様ほどの反応はしなかった。
「……実は雅継から相談を受けまして」
「まさか鈴子のことで、か?」
「鈴子といえば、鈴子ですね。猫を渡す約束をしているようなのですが、できれば今度生まれてくる子猫をお渡ししたい、と。さらに母猫の出産に立ち会わせたい、などと言うものですから、さすがに無理だと説き伏せました」
「まぁ。雅継も、ですか? 今回、鈴子の希望で、帝に頼んでの宿下がりですの。母猫が心配だから、という理由で」
「相変わらず、鈴子に甘いのだな。それで、この文か」
おそらく鈴子の降嫁を頼む旨が書かれているのだろう。さすがにお兄様も、私に文を見せてはくれなかった。いや、それすらも忘れるほどの衝撃だったのだろう。お父様のように顔には出されないお人だけど。
「お兄様。その時の雅継の様子は如何でしたか?」
「分からん。猫の話ばかりで、鈴子のことは。いや、そもそも何もない相手に、無理な願いなどしない子だ。嫡男だが、末に生まれたから、姫たちにいいように使われていてな」
「確かに。う〜ん。気の弱い雅継に、帝唯一の御子である鈴子かぁ。いとこでなければ、よい後ろ盾になるのだが」
あら、もしかして、いい流れ?
「しかし父上。雅継にはもう、決めた相手がおります」
「え? では、他に好きな相手がいるのに、鈴子を誑かしたのですか!?」
「違う。我らが雅継に、と選んだ相手だ」
「あぁ、そちらでしたか」
確か雅継は鈴子よりも二つ年下。けれど左大臣家の嫡男として、目ぼしい姫を押さえておきたかったのだろう。お兄様も北の方との結婚は、元服してすぐだったから、よく覚えている。
その後に、お父様から入内しろ攻撃が始まったのだから。
「困ったわ」
これでは体よく断られてしまう。鈴子が雅継に降嫁すれば、身分から北の方となり、先に押さえていた姫の家には不利になってしまうからだ。
しかし、こればかりは仕方がない。相手がいることなのだから。
私はそっと局を出て、鈴子のところへ向かうことにした。局の中では、お父様とお兄様が、未だ話し合っている。いや、話し合ってくれているのだ。鈴子と雅継のために。
それならば私は二人の様子を見て、せめて帝によい報告をしよう。
***
常盤院に宿下がりをする時は、勿論、私付きの女房である芹を連れていた。鈴子が生まれて十年経つというのに、やはり常盤院にいる時は、芹でいたいらしい。それは私も同じだった。
常盤院にいる間は、千景でいたかったからだ。
「さて、鈴子と雅継はどこかしら」
「千景様。先ほど女房に聞いたところ、例の母猫の様子を見に行っているようです」
「まぁ! それは好都合ね。私も見てみたかったから」
「……目的をお忘れなきよう」
「わ、分かっているわよ」
私も猫好きであるため、思わず目的を見失うところだった。さすがは芹。何年経っても、頼れる女房だった。
「それで、芹。母猫、ということは、二人は庭にいるのかしら」
「はい。しかも裏手ですので……あまり千景様が立ち寄っていい場所ではないのですが」
女御の時もそうだが、中宮になると、余計に行動範囲が狭くなる。それは実家である常盤院でも変わらない。姫であった時はよくても、だ。
すると、芹が近くの局へ入るように促した。勝手知ったる我が家とはいえ、そのようなことをするのは、と注意をしようとした瞬間、芹がある提案をした。
「え、女房に扮して? いいの?」
「はい。ちょうどここに、それらしい袿がありますので」
そんな都合のいいことが、と思っていると、芹は有無を言わせずに動き出した。ふと、ここにある袿を勝手使っていいのか、という疑問を抱いた瞬間、ある考えが脳裏を過った。
「まさか……惟久様が?」
すると、芹の手が止まる。
「私の口からはなんとも。けれどここで、千景様の袿を用意できる方は、限られておりますので」
「そうね」
鈴子はまだ成人前。惟久様の罰は鈴子が斎宮に選ばれ、役目を終えた後、そこでようやく許されるのである。だから今はまだ、会うことが許されていない。
もしも斎宮に選ばれずにいたら、どうなるのだろうか。いや、今はやめておこう。惟久様が用意してくれた、この袿に袖を通すだけで、こんなに心が満たされるのだから。
会えなくても、こうして助けてくれるだけで、近くにいてくれるのを感じられる。それだけで十分だった。
「お会いできる日も、そんなに長くないかもしれませんね」
「……そうかしら?」
「きっと、そうです」
慰めでもなんでも嬉しかった。おそらく、鈴子の想いを叶えたいと思うのは、私が惟久様に会いたがっているからかもしれない。けれど私の叶えられなかった初恋を、成就してほしい気持ちも、勿論あった。
私は周りから祝福されることはなかったから……。
そんな想いを抱きながら、局を出て、芹の後を追う。慣れ親しんだ実家だというのに、普段立ち入らない場所は、別世界のようだった。
なるほど。子どもからすると、ちょっとした秘密の場所ね。お父様やお母様は、直接ここに来ることはないから。
私にとっては、それが宝泉寺だった。境内で見つけた母猫。飼いたいと駄々を捏ねたこと。
まさか鈴子も同じことを……いや、子猫を引き離したくない、と言っていたのだから、私とは違う。私は……母猫と子猫四匹を丸ごと飼いたい、と言ったのだ。
今の鈴子を見ていると、当時の私の方がいかに我が儘なのかが計り知れる。
「鈴子様は三毛猫がお好きなの?」
ふと、そんなことを思っていると、子どもの声が聞こえてきた。しかも「鈴子様」と呼ぶ、男の子の声。芹も気づいたらしく、私達は急いで身を隠した。
「飼っていたりんが三毛猫だったの」
「りん?」
「首に鈴を付けていて、やって来るとりんって音が鳴るから、りんって付けたの。鈴子の鈴と同じ。可愛いでしょう?」
「はい。いいなぁ、自分の名前と同じなんて……僕には無理かな」
母猫を前に、鈴子と雅継がこちらに背を向けて、しゃがみ込んでいる。だから今、雅継がどのような表情をしているのか、までは見えなかった。
けれど鈴子が言ったように、その後ろ姿だけでも可愛く見えてしまう。
「そんなことないよ。この母猫は三毛猫でしょう? 生まれてきた子猫にも、きっと三毛猫がいるはずだよ。そしたら、雅継と同じ。母親の柄を継承したってことだよ。前に雅継、言っていたよね。自分の性格は母親譲りだって。ほら、一緒でしょう?」
「……でも、鈴子様はその三毛猫が欲しいんだよね」
変なこじつけをしたせいで、話がややこしくなってしまったようだった。
さて、この状況をどう乗り切る気?
この間、帰ったばかりということもあり、皆、驚いたのだろう。お父様とお母様、そして左大臣に昇格したばかりのお兄様が出迎えてくれた。姪と甥の姿は見えなかったが、ほぼ一家総出だった。
「一体、何があったのだ?」
お母様が鈴子を連れて行ったのを機に、お父様とお兄様が私に詰め寄った。
「それはこちらを読んでからにしてください」
私は早々に帝からの文をお父様に渡した。
「あと、ここでするような話ではないでしょう。できることなら、人払いもお願いします」
「そ、そうだな。しかし、中宮になったというのに、まだ厄介事をし出かす気か?」
「お父様。それは文を読んでからにしてください。私としては、それほど悪い話ではないと思っているのですから。勿論、お兄様にとっても」
いとこではあるが、姫宮を妻に娶ることは、貴族の男性にとって、憧れがあり、箔をつけることでもある。けれどそのような言い分は、やはりお父様には通じないようだった。
局に着き、落ち着いて文を読んだ後、ワナワナと震え出したからだ。
「鈴子までもが……やはり血は争えんということか」
「返す言葉もありません。しかし、まだ恋とまでは確証できないのです。雅継の様子も見ないことには、判断できませんし」
「そうだな。成隆はどう思う?」
お父様は、お兄様に文を渡した。けれどお父様ほどの反応はしなかった。
「……実は雅継から相談を受けまして」
「まさか鈴子のことで、か?」
「鈴子といえば、鈴子ですね。猫を渡す約束をしているようなのですが、できれば今度生まれてくる子猫をお渡ししたい、と。さらに母猫の出産に立ち会わせたい、などと言うものですから、さすがに無理だと説き伏せました」
「まぁ。雅継も、ですか? 今回、鈴子の希望で、帝に頼んでの宿下がりですの。母猫が心配だから、という理由で」
「相変わらず、鈴子に甘いのだな。それで、この文か」
おそらく鈴子の降嫁を頼む旨が書かれているのだろう。さすがにお兄様も、私に文を見せてはくれなかった。いや、それすらも忘れるほどの衝撃だったのだろう。お父様のように顔には出されないお人だけど。
「お兄様。その時の雅継の様子は如何でしたか?」
「分からん。猫の話ばかりで、鈴子のことは。いや、そもそも何もない相手に、無理な願いなどしない子だ。嫡男だが、末に生まれたから、姫たちにいいように使われていてな」
「確かに。う〜ん。気の弱い雅継に、帝唯一の御子である鈴子かぁ。いとこでなければ、よい後ろ盾になるのだが」
あら、もしかして、いい流れ?
「しかし父上。雅継にはもう、決めた相手がおります」
「え? では、他に好きな相手がいるのに、鈴子を誑かしたのですか!?」
「違う。我らが雅継に、と選んだ相手だ」
「あぁ、そちらでしたか」
確か雅継は鈴子よりも二つ年下。けれど左大臣家の嫡男として、目ぼしい姫を押さえておきたかったのだろう。お兄様も北の方との結婚は、元服してすぐだったから、よく覚えている。
その後に、お父様から入内しろ攻撃が始まったのだから。
「困ったわ」
これでは体よく断られてしまう。鈴子が雅継に降嫁すれば、身分から北の方となり、先に押さえていた姫の家には不利になってしまうからだ。
しかし、こればかりは仕方がない。相手がいることなのだから。
私はそっと局を出て、鈴子のところへ向かうことにした。局の中では、お父様とお兄様が、未だ話し合っている。いや、話し合ってくれているのだ。鈴子と雅継のために。
それならば私は二人の様子を見て、せめて帝によい報告をしよう。
***
常盤院に宿下がりをする時は、勿論、私付きの女房である芹を連れていた。鈴子が生まれて十年経つというのに、やはり常盤院にいる時は、芹でいたいらしい。それは私も同じだった。
常盤院にいる間は、千景でいたかったからだ。
「さて、鈴子と雅継はどこかしら」
「千景様。先ほど女房に聞いたところ、例の母猫の様子を見に行っているようです」
「まぁ! それは好都合ね。私も見てみたかったから」
「……目的をお忘れなきよう」
「わ、分かっているわよ」
私も猫好きであるため、思わず目的を見失うところだった。さすがは芹。何年経っても、頼れる女房だった。
「それで、芹。母猫、ということは、二人は庭にいるのかしら」
「はい。しかも裏手ですので……あまり千景様が立ち寄っていい場所ではないのですが」
女御の時もそうだが、中宮になると、余計に行動範囲が狭くなる。それは実家である常盤院でも変わらない。姫であった時はよくても、だ。
すると、芹が近くの局へ入るように促した。勝手知ったる我が家とはいえ、そのようなことをするのは、と注意をしようとした瞬間、芹がある提案をした。
「え、女房に扮して? いいの?」
「はい。ちょうどここに、それらしい袿がありますので」
そんな都合のいいことが、と思っていると、芹は有無を言わせずに動き出した。ふと、ここにある袿を勝手使っていいのか、という疑問を抱いた瞬間、ある考えが脳裏を過った。
「まさか……惟久様が?」
すると、芹の手が止まる。
「私の口からはなんとも。けれどここで、千景様の袿を用意できる方は、限られておりますので」
「そうね」
鈴子はまだ成人前。惟久様の罰は鈴子が斎宮に選ばれ、役目を終えた後、そこでようやく許されるのである。だから今はまだ、会うことが許されていない。
もしも斎宮に選ばれずにいたら、どうなるのだろうか。いや、今はやめておこう。惟久様が用意してくれた、この袿に袖を通すだけで、こんなに心が満たされるのだから。
会えなくても、こうして助けてくれるだけで、近くにいてくれるのを感じられる。それだけで十分だった。
「お会いできる日も、そんなに長くないかもしれませんね」
「……そうかしら?」
「きっと、そうです」
慰めでもなんでも嬉しかった。おそらく、鈴子の想いを叶えたいと思うのは、私が惟久様に会いたがっているからかもしれない。けれど私の叶えられなかった初恋を、成就してほしい気持ちも、勿論あった。
私は周りから祝福されることはなかったから……。
そんな想いを抱きながら、局を出て、芹の後を追う。慣れ親しんだ実家だというのに、普段立ち入らない場所は、別世界のようだった。
なるほど。子どもからすると、ちょっとした秘密の場所ね。お父様やお母様は、直接ここに来ることはないから。
私にとっては、それが宝泉寺だった。境内で見つけた母猫。飼いたいと駄々を捏ねたこと。
まさか鈴子も同じことを……いや、子猫を引き離したくない、と言っていたのだから、私とは違う。私は……母猫と子猫四匹を丸ごと飼いたい、と言ったのだ。
今の鈴子を見ていると、当時の私の方がいかに我が儘なのかが計り知れる。
「鈴子様は三毛猫がお好きなの?」
ふと、そんなことを思っていると、子どもの声が聞こえてきた。しかも「鈴子様」と呼ぶ、男の子の声。芹も気づいたらしく、私達は急いで身を隠した。
「飼っていたりんが三毛猫だったの」
「りん?」
「首に鈴を付けていて、やって来るとりんって音が鳴るから、りんって付けたの。鈴子の鈴と同じ。可愛いでしょう?」
「はい。いいなぁ、自分の名前と同じなんて……僕には無理かな」
母猫を前に、鈴子と雅継がこちらに背を向けて、しゃがみ込んでいる。だから今、雅継がどのような表情をしているのか、までは見えなかった。
けれど鈴子が言ったように、その後ろ姿だけでも可愛く見えてしまう。
「そんなことないよ。この母猫は三毛猫でしょう? 生まれてきた子猫にも、きっと三毛猫がいるはずだよ。そしたら、雅継と同じ。母親の柄を継承したってことだよ。前に雅継、言っていたよね。自分の性格は母親譲りだって。ほら、一緒でしょう?」
「……でも、鈴子様はその三毛猫が欲しいんだよね」
変なこじつけをしたせいで、話がややこしくなってしまったようだった。
さて、この状況をどう乗り切る気?



