帝不在の平安後宮〜それでも私が入内する理由〜

 俗世から離れた尼僧の局、ということもあり、必要最低限な物しか置かれていない。それなのにもかかわらず、洗練されているのは、お祖母様のセンスによるものなのか。それとも前々帝の妹であられるため、宝泉寺が配慮したものなのかは分からない。
 ただ一つ言えるのは、いつ来てもここは、居心地のいい局だということだ。話題が昨夜のことでなければ、の話だが。

「もう話しても大丈夫よ。とはいえ、どこから話そうかしら」

 敷き畳の上に座った途端、頬に手を当てて傾げるお祖母様。私はその態度よりも、局の外が気になった。今、局の中にいるのは、私とお祖母様のみ。私のお供でついてきていた芹と小式部尼は御簾の向こう側、簀子縁にいた。

「先ほどおっしゃっていた入内の話も気になるところですが、ここに来た目的を先に済ませたいと思っています」
「……昨夜のこと、ね」
「はい」

 どうしてお祖母様が知っているのか、が気になって仕方がなかったからだ。芹と小式部尼が周囲を警戒してくれているため、ここまで踏み込んでも、先ほどのように怒られることはないだろう。
 私はさらに踏み込んだ質問をした。

「その情報はどこから、いえ、誰から聞いたのですか?」
「……いきなり犯人探しとはね。別に構わないけど、少しは言葉遊びしなさいな。面白くなくてよ」
「私の人生がかかっているのです。面白い面白くない、という問題ではございません!」

 今は風情を語っている場合ではないし、世間話なら局に入る前に少しだけしたではないか。あれでは足りなかったとでもいうの?

「そうね。ならば逆に聞くわ。自分の立場が分かっていながら惟久を受け入れたのは、どういうことなのかしら」

 やっぱりお祖母様はご存知なのだわ。昨夜の私と惟久様との情事を。

 私は歯を食いしばった。けれどそれが、お祖母様の言葉を肯定する態度になってしまい、鋭い視線が私を貫く。

「千景が昔から惟久に恋慕していることは気づいていたわ。だけどそれは幼き頃の話。今は左大臣家の姫として、ずっと入内の話を聞かされていたはずよ。帝の生母である我が娘だって、それは幼き頃から聞かせていたのだから、千景だって――……」
「分かっています! けれどそれは帝もご存知のはずです。だから――……」
「許されると思ったのね」
「……はい」

 お祖母様のため息とともに、「なんと浅はかな」という声が聞こえてきた。確かにお祖母様のような方から見れば、私の行動は浅はかで軽率な行動に見えたのかもしれない。

 生まれた時から入内することが決められ、女御どころか、果ては中宮と期待されていたのだから。初恋が、好きな人が、などと言っている身分ではない、ということも重々承知している。

 だけど相手はどちらも幼なじみだ。甘えがあってもいいではないか!

「それに……帝が不在である、という噂も耳にしました。都にいないのであれば、私の入内話も立ち消えになるのではありませんか?」
「千景は、あの噂を本気で捉えているのね?」
「違うのですか? だから惟久様が戻って来られたのだと思っていたのですが……」

 帝の影となり、諸国を回って情報を集めているからだ。その肝心の帝の身に何かが起こったのであれば、駆けつけるのが道理だろう。
 つまり、惟久様が戻られたことは、噂が真実であるという証拠にもなり得た。

「その惟久が昨日の昼間、私のところにやってきたのよ」
「っ!」

 私よりも先にお祖母様の元に? という驚きはあったが、帝がいないのだから、まず先にお祖母様の元へ行くのが筋だと思った。おそらく惟久様も、今の私のように、真相をお聞きになられたのだろう。そして……。

「ある賭けを私に持ちかけたわ」
「えっ? 賭け、ですか? 一体、なんの……」
「ふふふっ、それはね。夜更けに会うことを、千景が受け入れるのかどうか、という話よ」
「なっ!」

 そ、そんなあからさまなことを言っていたの!? この尼寺で?

 思わず気を失いかけたが、さらに私に追い打ちをかけるような人物が現れ、それどころではなくなってしまった。その人物はお祖母様のすぐ横にあった几帳(きちょう)から、そっと姿を見せた。
 いつでも会いたいと思っていた人物だが、今はそんな気分ではない。むしろ顔を合わせたくなかった。

「お祖母様。そんなに千景をいじめないでください」
「こ、惟久様!? ど、どうしてこちらに……」
「それは……」

 私とお祖母様の前に姿を現したのにもかかわらず、なぜか口籠る惟久様。しかも私ではなく、お祖母様の顔色を窺うように、一瞥する。

「賭けに勝った証をもらいに来た、いえ、確認しに来たのよね。惟久は」

 そうだ。先ほどの話を整理すれば、そういうことになる。お祖母様は私の入内話に積極的なのだから、惟久様と関係を持つことに反対するだろう。逆に昨夜の情事を考えれば、惟久様は私の入内話に反対の姿勢を持っている、ということになる。

 つまり勝った証とは……入内の取り消しを意味しているのではないのかしら。

 思わず期待の眼差しをお祖母様へと向けた。