帝不在の平安後宮〜それでも私が入内する理由〜

 そんな惟久様との辛い別れをしてから十年後。
 鈴子は私と帝の愛情をたっぷり受けて育ったからか、罪の子であることを感じさせないほど、天真爛漫な姫宮へと成長していた。勿論、陰ながら惟久様が守っていた、というのもある。

 時折、私や承香殿女御のように、我が儘に育つのでは? という懸念もあったが、そこは帝の性格を引き継いでいたらしい。本当の父親でなくても、帝と鈴子は血が繋がっているからだ。

 けれど優しいだけでは、帝のように傷つきやすくなってしまう。鈴子もまた、心を痛めてしまうのではないか、と危惧をしたが、それは余計なお世話だったようだ。

 なにせ鈴子は、帝唯一の御子。そして惟久様の性格も引き継いでいるのか、悪知恵が働くのだ。

「お母様〜。今度はいつ、常盤院に帰るの?」

 鈴子が私に向かって駆け寄り、そのまま抱きついてきた。もうすぐ裳着を迎える年齢であるため、思わず後ろに倒れそうになった。

「鈴子。十歳になったのだから、もう少し静かにできないの?」
「ごめんなさい。でも気になって仕方がなかったんだもん。ねぇ、いつ帰るの〜?」
「この間、宿下がりしたばかりなのよ? しばらく空けないとお許しいただけないわ」
「許し……どなたの許可が必要なの?」

 可愛らしく首を傾げる。そうやって、周りにお強請りをして、情報を集めているのに、こればかりは知らないようだった。

「帝よ」
「なぁんだ。お父様なら平気だよ。鈴子のお願いなら、ほとんど叶えてくれるもの」
「……だからといって、なんでもかんでもお願いしてはダメよ」
「無理なお願いはしないけど、常盤院に行くくらいなら、大丈夫でしょう?」

 まぁ、物を強請るわけでも、誰かの物を奪うわけでもない。宿下がりの他にも、方違えや行幸などで、帝も都を空けることが多い。十年前の失踪とは違い、お供を連れているため、長く不在でも、それほど大きな騒ぎにはならなかった。

 特に行幸は、鈴子の健康成就を祈願するため、様々な寺社に行かれていたのだ。だから宿下がりくらいで目くじらを立てるとは思えない。むしろ鈴子のご機嫌取りで許可を出す可能性の方が高かった。

 いくら可愛いからといっても、お土産に数珠を渡しても、鈴子にとっては猫に小判。そっぽを向かれてしまうことくらい、分かって欲しかったわ。

 逆にどうしてそこまで常盤院に行きたいのか、が気になった。

「理由を教えてくれたら、私からも帝に進言してあげるわ」
「本当!?」

 すぐに嬉しそうな明るい表情と声を出す鈴子。あまりにも可愛くて、頭を撫でると、今度は困惑した表情へと変わっていった。

「急にどうしたの?」
「……理由、言わないと、ダメ?」
「きっと帝も気になると思うの。その時、答えられるのなら、いいけど?」
「お父様に言ったら、多分……ううん、絶対に反対されるから言えない」
「私には?」

 鈴子は私の顔を見て、即答した。

「うまくお父様に言ってくれるのなら、話す」
「ふふふっ。相変わらず、ずる賢いのね、鈴子は」
「お母様に似たんです! そうやって、鈴子から色々と聞き出そうとするんだもん」
「鈴子の情報収集が凄いからよ。少し分けてもらいたくて」

 惟久様に似ている部分を見つけると、嬉しくなって、つい構ってしまうのだ。鈴子にとっては、あまり知られたくない秘密のようだけど。

「ちょっとだけだよ。実は常盤院にいる猫ちゃんに、子どもが生まれるの」
「まぁ! 知らなかったわ」

 すると、鈴子は得意げになって続きを話し始めた。

「当然だよ。これは私と雅継(まさつぐ)様で見つけたものなんだから」
「雅継って、お兄様のところの嫡男、よね。てっきり姫たちと遊んでいるのかと思っていたわ」
「……最初はそうだったんだけど、雅継様って弟みたいで可愛いんだ」

 確かにお兄様のところの姫たちは、鈴子よりも年上だ。だからこそ、鈴子を預けても大丈夫だと思っていたのに、まさかの伏兵に驚きを隠せなかった。

「もしかして、鈴子は雅継のことが好きなの?」
「分からない。でも、一緒にいると楽しいよ。同じ猫好きだからか、私が好きそうな子を用意してくれるって言ってくれたの」

 実は先月、鈴子が可愛がっていた三毛猫が亡くなったのだ。私が入内した折に、弘徽殿にやってきた猫だったから、すでに老猫になっていた。
 けれど鈴子にとっては、共に育った姉妹のような関係だったため、同じように猫がいる常盤院へ連れて行ったのだ。少しでも気分転換になれば、と。

「良かったわね。もしかして、それが生まれてくる子猫、とは言わないわよね?」
「まさかっ! 子猫のお世話はしたことがないし、私も常盤院にずっといられるわけじゃないから。母猫と離れ離れにしたくはないわ」

 さきほどからずっと私に抱きついている理由が、そこで分かった。子猫を引き取りたいけど、母猫と引き離したくない。子猫の寂しさを自分と重ねてしまったらしい。

「だから気が気ではないのね」
「はい。だけど、雅継様と一緒に見ていられるのなら、いいなぁって気持ちもあります」
「……そう」

 きっと、本当のことを話しても、帝は許してくださるだろう。もしかしたら、鈴子にとって初恋になるかもしれないからだ。

 私達も宝泉寺の境内で、共に遊んだ仲。惟久様なら、鈴子と雅継が一緒に母猫を見ている姿に、懐かしさを感じたことだろう。

 さて、どうしたものかしら。鈴子の伊勢行きは、十年前から決められていること。もしも二人が心を通わせているのなら、叶えてあげたい。

 でも、私と惟久様の結婚に反対だったお父様の姿が脳裏を過る。いとこ同士の結婚は、家を繫栄させることができないから、と。

 そうなると、やはり鈴子は斎宮に選ばれて、伊勢に行くしかないのだろうか。折角、生まれたばかりの初恋の芽を、摘むしか道はないのだろうか。